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あさかぜさんは見た

日記

01/17

Sat

2026

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05/22

Sun

2011

国滅びて山河あり

日本の家計金融資産は総額1400兆円あるとテレビで言っていた。
現在の借金は1000兆円ほどあるという。
国民の資産がまだあるから、この国は潰れないのだと言った。
じゃあ逆に言えば、借金総額が1400兆円を越えていけば国家破綻のカウントダウンが始まるということなのだろうか。
いずれにせよ、あって得をするものでもないものが歯止めがかからず増え続けているということは、それがどこかで大きく弾けてしまうのではないだろうかと考えている。

日本国の場合、どこか他国に敗れるわけではない。
だから「国敗れて、山河あり」ではなく、ただ滅びた後に、名残が残るのではないか、そうはならなくとも、そこまで追い込まれる可能性は充分あるのではないか。
これは自分自身への戒めとして覚えておこうと思う。
滅ぼすのは誰でもないこの国のすべての人たちだ。
10年だろうか、20年持つだろうか。
私がちょうどおじいさんにさしかかろうという時、この国はいかなることになるのか。
もう他国は日本の寿命を計算しているのではないだろうか。

どんな道をたどろうと、日本国家の今ある国家枠を排除するという方向性は変わらないだろう。
いろいろな意味でボーダーレスになる。
そうしなきゃ生き残れない。
これからは日本人という基盤をもって、地球人としての意識で、どう国家枠を超えて活躍できるのかを考えていかないといけない。


国破山河在 国破れて山河在り
城春草木深 城春にして草木深し
感時花濺涙 時に感じては花にも涙を濺ぎ
恨別鳥驚心 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火連三月 烽火 三月に連なり
家書抵万金 家書 万金に抵る
白頭掻更短 白頭掻けば更に短く
渾欲不勝簪 渾て簪に勝えざらんと欲す


どこかで「国家は永遠だ」と無意識に思い込んでいる。
昨日までの生活が明日も続くはずだという前提で毎日を生きている。
何かその思い込みを打ち砕かれていくような気持ちになっている。
いつから人のことよりも数字のことを優先させるようになったのだろう。
いつから隣の苦しみの声よりも甘言に心浮き立つようになったのだろう。
自分の懐に札束入れられれば目の前の人間に大きな石を落とし「私は直接手を下していない」と平然とした顔で言える神経はどうやったら養えるのだろう。
俗物に権力を握らせると末端まで腐敗する。
そんな国にはなってはいけなかったのに。
これからでも少しは取り戻せるのだろうか。

力をつけなくては。
何が起こってもいいように。

願わくば、こんな戯言がただの狂人の妄想で済みますように。

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05/21

Sat

2011

父親が退院してきた。
経過も良好。ステージも放置していたには重くなく、抗がん剤も使用しなくてよいとのことだ。
入院して余計に元気になったと言えるほど元気になった。
退院する間近母親が「せっかく朝掃除とかできてよかったのに。もうちょっと入院していたら?」と言っていた。
これが重かったら皮肉など言っていられるような状態ではなかった。
ましてや余命など告げられていたら、家族の雰囲気は一気に変わっていた。
その点は不幸中の幸いだ。
皮肉めいたセリフを交わして笑い合えるのだから、むしろ関係は前よりもよくなっている。
あたたかな雰囲気を感じる。
家に帰ってきた父親。
話しかけてくるなんて滅多になかったが、話しかけてきた。
これだけでもうちは「ああ、変わってきた」と感じるほどなのだ。

ガン細胞は栄養を吸いながら無制限に増えていくという。
前と打って変わってよくなってきた家庭の環境に、心にもまたガンというものは存在するのではないかと強く感じている。
人に対するよくない感情は日々各々の心の強さによって排除されている。
しかしいったんバランスを崩し負の感情が多くなってくると、知らず知らずの間に無尽蔵に増えていく。
そしてその負の感情は心のエネルギーを吸い続け、人に対して攻撃的になる。
自分の気に入らないものを無遠慮に攻撃するようになる。
もしくは自分さえよければよいと他者を慮ることなく利己的になってくる。
人は傷つきながら他人との距離をとっていく。
そんな経験は誰しもしていくことだろうと思う。

筑紫哲也の最後の多事争論を文字おこししたくなったのも、まず政治や国家というものを考える前に、家族という単位が最初にあって、次に個人、集団、組織、社会、国家、という順に膨れ上がってくると考えたからだ。
私は今「家族」という単位を心の中で修復しようとしている。
一番最初の単位を「家族」としたのは、やはり誰もが一番最初は赤子から育ってきて、その「家族」が血が繋がっていようとなかろうと、「家族」ではなくとも「育ててくれるもの」が存在するからだ。
それがあって初めて「個人」が存在しえる。
これは人間の一生において言えることだと思っている。
常に何者かの影響や恩恵を受けながら人間は育っている。
それが「システム」や「考え方」によって分離できる状態にあり、錯覚しているだけなのだ。
いつだって「自分は一人でやっていける」という傲慢を抱えがちだし、そつなくこなせる自分とできない他者、あるいは逆の嫉妬という感情もあり他者をよく思わなくなる状態に陥ることは、いくらだって考えられる。

思えば、長い時間がかかったように感じる。
どこの家族でも大なり小なり問題を抱えている。
いつだって問題は思っているよりもシンプルで、「戦い方」が問われている。
自分は、避けて避けて避けて避けて遠回りして遠回りして遠回りして、最後にちょっとだけ戦ってようやくここまで来たように思う。
戦い続けることだけが戦いではないから、戦うことだけが正義だとは言わない。
だが人生の中では、どうしても立ち向かわなければならないものがある。
逃げようのない現実と向き合わなければいけない時がある。

そこから逃げてしまっては、家族も、個人も、組織も、国家も、滅びていくと思う。
ガンは小さなうちは気がつかない。
大きくなってから体の不調や痛みに気がつきだす。
精密機器のようにガンを発見し根絶せよというのは人間には無理でも、戦うべき時に戦い、守るべきものを守り、我々家族や、個人や、組織や国家などが、いかにあれば健全さを保てるのか、目先の問題に惑わされず、人の目をしっかりと見て考えようじゃないか。
心に巣食ったガンに負けることなきよう。
さもなければ、失って取り返しのつかないものが出てくるかもしれない。
私は今、何度かの喪失の危機を越えて、改めて思っていることだ。

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05/21

Sat

2011

筑紫哲也 最後の多事争論



「あのー、テレビで私みたいになにごとかコメントをするというの。これは常識的にですね30秒以内というのが普通です。で、ところで私が長年やってきました多事争論というのは、そういう意味ではテレビのルール違反でして、だいたい90秒。つまり普通の人がやっていいコメントの限界の3倍しゃべってます。ところがしゃべっている当人は、そんなに長くしゃべっているのに、いつも欲求不満なんですね。つまり自分の言いたいことを全部言えたということは実は長年やっていて、はっきり言うと一回もなかったと言っていいと思います。えーですから、テレビの影響とかテレビの説得力とかよくよく言うんですが実はやりようなんでありまして、私は充分説得力のあるテレビをやってきたという覚えは18年半番組を続けていてもありませんでした。こういう前置きをしていること自体が普通のテレビじゃないことを、楽しんでいるっていうのは変ですけど、今回は思い切ってこういうことをしゃべってやれと思って、しゃべっているわけですね。つまり、ここまでしゃべっていて随分時間使っているんですが、本題は何事もしゃべってないんです。で、まあ強いてこれだけは言いたいなと思っていることをこれから申し上げるんですが、政治の世界と言うか、この国全体がですね、随分ガタがきているんじゃないかと、先が暗いんじゃないかという思い、まあ自分たちの国が凋落するというか、落ちていっているんじゃないかという思いが広がっています。で、その広がっている中でですね、いろんなことがありすぎるために、よくよく政治ひとつとっても中身がわからない。何が選択肢なのかわからないという人がいます。でも私はそうじゃないと思いますね。病気をしまして、やや、毎日毎日テレビに出ることから距離を起きました。遠くから眺めていると、ある意味では問題は単純なんですね。政治について申し上げれば政治っていうのは、よく言われることですが、世代の間でパイを奪い合う。つまり、若い世代のために、これからの世代のためにどれくらいお金を使うか。あるいはもう世の中のために尽くしてきた、たとえば高齢者なんかのためにどのくらいのお金を使うか。それの配分の争いだと、よくいわれています。それが政治の基本だというんですね。じゃあどっちに配分を大きくしたらいいのか、というのが政治の選択肢であるはずなんですね。ところが私たちの国の今のおかしさというのが、なんなのかというと、実はどっちにもいってないんです。つまり未来にも投資してない。過去にも投資してない。普通の政治であればこっちにやるか、こっちにやるかという配分をしなきゃいけない。それが政治なのにそうじゃないところにいっているわけですね。で、私は今病気、ガンですから、自分の体とどう向き、比べてそのことを考えてしまう。人間の体がガンに侵されますと、本来使うべき栄養とかエネルギーとかいうものが、ガンと戦うためにそっちに取られてしまうんですね。本来人間が生きていくべきところに向かなくなっちゃう。ですから、この国と言うのは一言で言えばガンにかかっている。そういう状況だというのが、この国の状況だと思います。そうやって見ますと難しくともなんともない。起きていることは非常にはっきりしています。それに対して私たちがどうするのか。何をやるのか。まあ私の場合で言いますと、この点は戦っているわけですが、敵はなかなかしぶといです。ですから、この国の問題だって、問題ははっきりしている。ある意味では単純である。だから、やれることは簡単かってそうではありません。しかし問題はここにあるんだということは、まずははっきりしないと、何事も始まらない。その上で、それに向かって戦うのか、もうそれに負けるのか、そこが私たちに迫られている選択しだろうと思います。このくらいしゃべると、まあ、あの、やや欲求不満がなくなるという、そのくらい単純な話をするにも時間はいるんですね。それに比べると、私はテレビは短すぎたなと、いつも思います。短くしか説明できない、というテレビの恐ろしさと欠点があるということを今離れてつくづく思います。いくらなんでも長いんでこんなところで」

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05/20

Fri

2011

アリス チャンピオン

アリスさん『チャンピオン』の歌詞

現在知っている中で「人の半生」を描いた詩の中では最高峰です。
当時は高度成長時代、日々拳闘し続けるようなサラリーマン戦士たちの心を強烈なボディーブローのように抉り、激しい共感を得て大ヒットしたというのですが、私は当然その頃は生まれてません。
よくモノマネなどで歌われるので知っていたのですが、改めて歌詞を見て、自分がモノカキの端くれとなり、この歌詞がどれだけ優れたものかがじわりじわりわかってきています。

何回でも繰り返したいのですが、これだけの文字数で人の半生や背景まで描くというのは、そう簡単なことではない。
汗に見えるものを「涙」と置き換えたり、わずかな震えを「老い」としたり、あしたのジョーを彷彿とした人もいたのではないだろうか。

テーマを捉える上で一番大事なのは「脱線しない視点」なのですが、動きの中に込められた感情を捉えていく第三者の視点に徹底することで、チャンピオンを見守っている人の気持ちも同時にありありと浮き出ています。
この歌詞は同時に見守るものと見守られるものの二人の感情を一気にこめているのですね。

詩の魅力は饒舌ではないからこそ語りえる世界観が一番なのであって、なんでもかんでも文章のようにべらべらとしゃべってしまうことではない。
正岡子規が提唱したような「写実性」が優れている作品には憧れを感じます。
何せ30歳でこの歌詞を書いているのだから、自分の中では目標となるといいますか、これ以上のものがなんとかできないだろうか、など様々な感情がわきあがってくるわけですな。
最近の歌詞や小説にも言えることなのですが、人間らしい「ゆらぎ」が薄かったり触れ幅が大きすぎたりします。
やたらと応援ソングが多かったり、小説で言えば作者の都合のいいように物事が動いていたりと、違和感覚える。

人間らしい「ゆらぎ」とは「制御できない感情」「出していなくともあふれ出てしまう想い」のことを言うのですが、それを強烈に見つめる視点を持ちえるのは芸術家にとって必須なのかなと思うわけです。
上辺だけの気持ちや言葉だけでは、やっぱりここまでの詩は、なかなか出来上がらないのではないかと痛感します。



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05/19

Thu

2011

放射性セシウムの拡散範囲

ニュースを見て「こんなところまでなぜセシウムが」という報道をしているけれど、どうしてそんな言い方するのかわからない。
テレビのニュースばかり見ていると確実に騙されるね。
少なくとも海外メディアは飛散の範囲を報道していたし、私は震災4日後ぐらいのドイツメディアのシミュレーターで見たけれど、北は青森、北海道帯広、根室から、南は名古屋までしっかり放射性物質が飛散している可能性を示していた。
風の強さによっては日本全土にかかっているといっても過言ではない状況だろう。
なんだか見るのもくだらなくなってテレビ消してしまったけれど、これから注意しなければならないのは内部被曝。

今回の場合には、いわゆる内部被ばくをしないように注意することは、必要だと思うんです。これは皆さん同じです。大人も子供も、特に子供さんは注意した方が良いだろうと。ですから、それは何をするかというと、内部被ばくの場合に、体の中に放射性物質を取り込む経路は3つございます。1つがこの大気がかなり汚染されたときに、息をしますから、そうするとその息をしたものが鼻とか口から入って、それが気管を通して、肺に入ります。粘膜とか、そういうところからやっぱり、放射性物質が取り込まれて、血液の中に入る。もう1つが一番ご存知の通り、経口的、口からですね、これが、食物とかミルクとか、水とか、その他色んなものがあると思いますが、この3つの経路がありますから、ですから、内部被ばくを防ぐためには、この3つの経路を何とかして皆さん方、入れないようにしてください。

大気の汚染がひどくなったようなときには、外に出るときには、マスクをしてもらう。マスクの場合には、その下に、濡れたガーゼか何かを入れたほうが良いだろう。

雨とか、今は雪はないですけれど、そういう場合は上から落ちてきますから、(放射性物質は)空中に浮遊している。下に落ちてきますから、それを浴びないようにして欲しい。それには傘を差す。それから濡れてしまった場合には、頭を洗うとか帽子をかぶるとか、そういう形で持って経皮的な摂取を防ぐ。

NHK「かぶん」ブログ:NHK | 取材エピソード | チェルノブイリ医師の思い・菅谷医師の講演全文掲載です(抜粋)

神戸は震災から10年かかって街を気付き上げた。
東北は20年。
福島となると放射性物質の問題を引きずってそれ以上かかることになる。
セシウム137の半減期は30年。
その間ずっと農作物などからセシウムなどの放射性物質を気にしながら過ごしていかなければならない。
福島周辺はもしかしたら40年近くかかるかもしれない。

東電の補償は甲状腺がん、白血病などのガン化を検査する医療機関を福島県人に無償で提供するところまでやって完璧なんじゃないのかな。
このまま黙っていても作物からセシウムが検出されれば放射能汚染地域がはっきりわかってくる。
そして低線量による長期被曝。
これは5年後10年後の問題になってくるから今は実感がわかないかもしれないけれど、国が将来補償しない可能性もある。
これはIAEAが低線量による放射能被曝の被害は断定するまでのデータとしては不足なのか認めていない。
これはよほど総出をあげて福島県人や原発周辺の住民が組織化して長期にわたって押していかないと動くものも動かないだろう。
健康状態が悪化してからでは裁判を起こして長期にわたって耐えるのも難しくなってくる。
将来起こりうる可能性に対しての賠償は難しいとでも言いようものなら放射性物質の値を突き出すだけでもいいんじゃないかな。
これだけでも充分な被害。

電気料金の値上げだって他の国なら国会の前でデモが起こるレベル。
正直大人しすぎることに気持ちの悪さすら覚えている。
どうして怒らないのかな。
黙っていたって状況は徐々に悪化するだけなのに。
そして、次々と情報が隠されていくだけなのに。

P.S.
って書いた次の日にこの記事。
雨水から微量セシウム(読売新聞)
府は19日、府立公衆衛生研究所(大阪市東成区)で4月1日からの1か月間に採取した雨水やちりなどの降下物から、ごく微量の放射性セシウム134と同137を検出したと発表した。

これで西日本の人も「原発関係ない」なんて空気も吹っ飛ぶね。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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