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あさかぜさんは見た

日記

01/17

Sat

2026

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05/19

Thu

2011

一人十色華麗なるサクラたち

なんか、別に流行っているというわけではなく、昔からこの手の「サクラ商法」というのは、テレビショッピングをはじめ別に珍しくもなんともないのですが、ここんところは素人に「この商品の感想書いたらウン百円」というお仕事も出ていたりするので何がサクラなのかわからなくなってきていますが、今日は感想文における一人十色、サクラ感想を作って遊んでみようと思います。
他人の文章あげて遊ぶのもなんなので、自分ので。

http://p.booklog.jp/book/23898
「ゆきのひとひら、知らせる。」

まずは高評価レビューから

(普通)
・はじめてこの作者の作品を読ませていただきました。
作者が北国出身らしいこともあり、雪国の情緒が詩的な文章からよくわかります。
すらすらと読めてイメージしやすく、子供とのわだかまりを解こうとする「気付き」が自然を絡めた優しいタッチで描写されていて、読後もさわやかな感じがしました。
これからこの作者の作品ひとつひとつ丁寧に読んでみようと思います。

(感情)
・旅行で北海道のスキー場に行った時「しばれる」ぐらいの寒さを体験しました。
家族で行ったのですが子供が雪をじっと見ているので声をかけたら「雪の結晶が見える」と言って見せてくれたことを思い出しました。
大人と子供との関係と家族というものを改めて考えさせられます。
奥さんがとっても優しいのですね。
さりげない優しさにあたたかみを感じました。
寒い景色の中にほっとする人情味があってよかったです。

(ファン)
・光野朝風さんの作品を楽しみにしているものです。
いつも細かな描写から感情の些細な動きがよくわかります。
自然の冷たさと人のあたたかみ、北海道の出身だとあたりまえの景色なのだと思いますが、やっぱり住んでいないとわからないことってあるんですよね。
自然の光景や、家庭の一場面、子供のちょっとしたすね方など目に見えるようです。
また作品出来上がるのが楽しみです。

(書評風)
・叙情的な文章と自然描写から人間の揺れ動くさまを描いている。
子供を持つ父親もかつては子供だということをいつしか忘れて生きていってしまう。
子供と親との関係の視点にふと父親が気がつき内省する過程を盛り込むことで忘れていた「当たり前」に気づくあたりは作者の祈りを感じた。
詩情をふんだんに盛り込む作者の描写力に底力を感じる。


次は低評価

(普通)
・どこにでもあるよくある話かなと思った。
文章が安易で特に目新しいものはなかった。
淡々としすぎてメリハリがない感じ。
あまり楽しめませんでした。

(感情)
・なんか実感わかなかった。
美化しすぎかな。綺麗過ぎるところが好きじゃない。
なんでもかんでもいい感じに書けばよい作品になるみたいな安易なシナリオでもっと家族との関係をしっかり書いてほしかった。
雪の中で色々思っていたけど、孤独な感じがした。
一人で納得している感じ。

(アンチ)
・素人の文章読まされているのがまるわかり。
流暢には程遠く分自体に練りこみがなく、腕も上がってない。
似たような話を々使い回ししている印象で引き出しが少ない。
またこういう話?という感じ。
引き出しの少なさが見えてきた。
売れない作家の典型。

(書評風)
・短編は一文一文を大事にしなければならない。
そして一番最初の一文の引き込みで短編の魔力の引き込みは始まるが、最初が弱すぎる。
もっと推敲を重ね、散漫な文章配列の中に図太い骨を入れなければ印象に残らない話として曖昧に消えてしまう。
特に一人の父親の「家庭観」が薄く、読むものに家庭を持っている男の重荷がじんと迫ってこない。
それだけに子供との関係も、とってつけたようなさっぱりとした印象を受けてしまう。
最後の締めも弱く完成度は低い。
実力不足の感が否めなく、これから作家としてやっていくには不安な要素が多くとても他人にお勧めできない。


・・・とまあ、こんな感じでどうでしょう。
物は捉えよう、見方によっていくらでも評価は変わる。
自分で考えるだけでもこれだけの意見が出る。
褒められて嬉しくない人はいないだろうけれど、批判されて反発するのはどうだろうと思うところがある。
なぜって、他人の主観は変えられないのだから。
作品を読んで感じたことがその人の真実であって、小説は事実や現実をルポのように突きつけるものではない。
批判でも一番良心的なのはこの中間あたりかな。

たとえば、

・やや文章の練りこみが弱いものがありつつも、推敲を重ねていけばよい作品へと生まれ変わりそうだ。
情緒的な文章がうまく、周囲の環境と心情を絡めて描くことがうまい作家さんのようです。
ただ現実感がしっかりしないことには幻想との対比として浮き立ってくるものがなく、それは家庭を持つ男性と子供との対比にも言えることだ。
視点が素朴で読み飛ばしがちかもしれないが、冬の感覚がよく出ている。
次回作品に期待。

こんな風にだめなところとよいところを出してくれるのが批判として非常に良心的かな。
じゃないと感想者の趣味の相違か否かが判別できない。
それだけに分母が大きくなければ作品にとってよい意見なのかそうでないかが見えてこない。

アマゾンでは関係者が作品に高評価を与えることがあるけれど、やっぱりプロでありたいなら「いいもの」残したいっていう欲求がないといけないよね。

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05/14

Sat

2011

3/11 Tsunami Photo Project



言い方に少々語弊があるが、よい写真です。
そしてよいプロジェクトです。
現実を突きつける真剣な視線が伝わってくる。
被災された方の重み、現場の緊迫感が押し迫ってくる。

そして何よりも、日本人のみならず世界中の人たちが参加している。
ネットを利用することのメリットと、電子書籍の未来がぎゅっと詰まってる。
喪失と新しい試みの可能性を見ました。

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05/13

Fri

2011

この年になって比較する過去の自分が増えてきて気がつく。
自転車を走らせていると次々と過ぎ行く景色に頭が追いついていない。
前は視界に映ったものを満遍なく見渡せたのが、処理能力が落ちているせいで、集中すべきポイントを絞っている。
「ああ、これはひどい」と感じると同時に、自分がどれだけ新しい刺激にさらされていないかを思い知った。
処理能力が落ちるということは、感性が鈍るということだ。
少年のように新しいものに触れて「わあ」と感動する能力が落ちてくる。
自分の思考回路についても同じことが言える。
毎日のルーティンの中で「自分の周囲はこういうもの」という観衆を通じていつの間にか思考回路まで固まり、決まってきてしまう。
結果発想の転換ができなくなる。
疑問を持たなくなる。
アホらしいことでも平気で信じるようになってくる。
行動様式が画一化される。
つまり、感受性が死に絶え平凡なものになる。
「これは当たり前のことなのだ」といつの間にか無意識で捉えだしている。
目の前のほとんどのものを「慣れ親しんだもの」として脳内が捉えている。
しかも自分の脳が衰えている。
使ってないせいだ。
使っていると思い込んでも、毎日の繰り返しが脳内を硬化させている。
創造の枠組みも狭まり個性は消え去り落ち着くところまで落ちるだろう。

運動をしていないと筋肉は衰える。
食べ物だけ食べて体重が増えぶくぶくと脂肪だけが蓄積されて体が使い物にならなくなってくる。
少し体を動かしただけで面倒になり、すぐ筋肉が痛くなり、動くのも嫌になってくる。
そういう怠惰を突っぱねて筋肉を痛めつけ、動かし、苦痛を与え、鍛える。
そうしないとしなやかな体は作られないし、正常に動かすこともできなくなる。
最近気をつけて運動するようになっているのでよくわかるんだ。
つまり、これは「頭」のことにも置き換えられる。
脳のしなやかさも使って使って使いまくって、しかも新しいものを吸収し続けることでスマートさが保たれる。

年をとっていくということが、怠惰な枠組みの中に常に納まり続けるということではいけない。
それでは創造していく意味がないではないか。

先日400枚ミステリーを先送りにすることに決めた。
とてもではないが間に合わない。
というかあるシチュエーションに遭遇して「話全体を暗号化する」というアイディアが浮かんで構想がぶっ飛んだ。
んもー!自分が楽に書いていけるという程度の話ではとてもじゃないけど、賞なんて取れないんだよね。
自分でどんどん苦痛を与えなければ作家としての進化もない。

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05/13

Fri

2011

4日ほど前から桜が咲き始めている。
天気が不安定で、かつ10度前後の気温で寒く、雨が降ったりとなかなか天気の日がなかったけれど、晴れる日を見計らって写真を撮ってくる。
北海道神宮では出店や人が出ていて、バーベキューなど楽しんでおりました。



写真を撮りに行ったのは平日の昼間ですが、施設の人や子供連れの母親や、高齢者の方々、大学生っぽいお若い方々などおりましたよ。
もくもくと煙が立って桜がかすんでおりましたが平和な光景でした。



今週末には散りだしてくるのではないかと思いますが、北海道にもようやく春の息吹が届きました。
西日本あたりは夏の気温だというので、驚きです。



桜咲き 一花散りて 足に落ち 我が道筋を 彩る日かな

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05/08

Sun

2011



「BABEL」で世界的に有名になったアレハンドロ・コンサレス・イニャリトゥ監督作品。
ショーン・ペンとナオミ・ワッツとベネチオ・デル・トロが出ておりますが、なんとまあ重苦しい。
人を選ぶ作品ではあります。

「life goes on=人生は続く」という言葉がぼちぼちと作中に出てくるように、喪失と再生の物語から「人生は続く」ということまでを繋げる作品ではありますが、一口では「悲劇」なので、エンターテイメント系の映画しか見ていない人は覚悟してみないと辛いかもしれない。

この映画の最も特筆すべきことは「編集の勝利」といったところでしょうか。
文字通り非常に編集技術が優れています。
「BABEL」でもそうでしたが、時系列にシーンを並べません。
ストレートに並べてしまったら、ひどく凡庸な映画に終わってしまったと思う。
この監督さんは「人間らしい記憶の視点」を大事にしているのではないかな。
だから編集もそうだけど、カメラワークが第三者の視点であったり当事者の視点であったり、人が見ようと意識する視点に沿っている。

監督さんの母国メキシコでは「死」が生活と隣りあわせだという。
日本の日常では忘れ去るほどの距離にあるように感じるが、それはいつも近くにある。
21gというのは誰かが死んだ時に軽くなる重さだそうだ。

監督さんは「三人の弱さを愛している」と言っているけれど、人は弱さを持っている。
それは小説を描く点でも同じ視点で描く。
「弱さ」こそが人間らしい機微を出すのに一番リアリティがあるのだけれど、この映画の主人公たちは「弱さ」で引き寄せられている。
そして自らの「弱さ」に翻弄されているけれど、「弱さ」という視点で見るならば一番自分と向き合おうとしているのはトロちゃんじゃないのか。

この映画はひたすら「弱さ」というものに流されていく、いや、それこそまさに「絶望」なのだろうが、このシナリオだと命の輪廻は、まるで偶然で成り立つようにも思えてくる。
人間は意志があって、行動する限り、どうしても自分の欲(行動から来る因果)から「自分の人生は偶然によって成り立っているのではない」と思いたいだろうし、たとえすべてが「偶然」だとしても、そこに「意味」や「意義」を見出そうとする。
そうして「理由付け」をしながら人生を進めていっているように私は感じるのだが、どうだろう。
この監督さんのように、まるで「方丈記」のような「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず~」という境地にまでは、通常の人間は達観することはできない。
だからこそ、通常体験しないような絶望的な悲劇と私は無縁である、という意識のほうが先にたって、この映画を「遠い誰かの悲劇」だとしか受け取れないのではないだろうか。

でも、自分が体験した悲劇以外は感じ取ることができない、というのも寂しいけれど。
人間は通常「明日以降も人生が続く」と考えて生きている。
だから目標を立てたり、意義を見出したり、人生は決して偶然の産物ではないのだという要素をどこかに見出そうとして気力を奮い立たせる。
前を見ようとするきっかけをどこかで見出そうとしている。

ああそうか、きっとこの映画が示唆しているのも、そこなんだろうな。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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