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あさかぜさんは見た

日記

01/17

Sat

2026

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01/22

Sat

2011

忘れていたこと 考えていたことの吐露

多くの人間と衝突を避け、その人たちに気に入られるにはどうすればよいのかと考えるあまり、小さなものに成り下がりつつあった。
私はよくそのことを円にたとえて考える。
個人は見ている範囲がある。
その見ている範囲や感性や常識的感覚を円でくくるとしたら、個々人の集合たる集団がくくっている円の重なっている部分、たとえば百人いてその百人の円がかぶさっている部分は相当狭い。
気に入られるとは、その円の重なった一点を突く行為に等しいが、私の感性そのものまでそこに合わせる必要性などまったくなかった。

様々な中傷や罵倒や否定があるだろう。
私はどうにもその手の人間に出くわすことが多い。
高校生あたりの日記を見つけたが、相当棘があってナイフに触れるみたいで落ち着かない。
直感的に気に触るし、腹が立つ人種。何も知らないくせに知ったような口ぶりで生意気。
自虐的でありながらもその逆の攻撃的なものも皮肉交じりに加えているから手に負えない子供だ。
自分の子供が自分だったら相当困っただろうな。
今は少し中和したつもりでいるが、本当にいやな子供だった。

先日「菊と刀」という本を読もうとして、失敗した。
というのは、私には深いトラウマがあって、典型的な日本人の悪い特性に出会うと、頭の中で様々な類似体験がフラッシュバック、脳内再生されて憎しみが湧き出る。
それは「人を殺してもいい」と衝動的に思うほどの強い劣等感と憎しみだ。
この呪いにも似た己の特性は長い時間を掛けて取り払っていかないといけないが、今は無理だ。
もう少し、いや、だいぶ成長して、今の自分を「幼かった」と思えるほどの大きな器を持たなければならない。
逆にこの本を読んで現代人と重ね合わせられるということは、日本人は精神的にはまったく成長していない側面があったと指摘できるかもしれないが。
ほらね、こういうところが、もう根付いているいやらしいアイデンティティー。

しかし、これもひとつの私の星が背負う宿命だったのかもしれない。
生まれるべくして生まれ、その命運をたどっている。
世界にはそういう人種がいる。
今なら傲慢に聞こえる。
今なら誰もが私を否定する。
当たり前だし、何よりも正しい感覚だろうが、自分の人生を振り返って、すべて必要だったように思えてならない。
あらゆる傷も、劣等感も、今は拭い去れないトラウマもフラッシュバックも、全部。

私は北海道民としてやっておかなければならないと考えていることがある。
ニッカウィスキー竹鶴さんのことと、北炭。
この二つは運命ならば必ずなせる。
もしなせなかったら、私は歴史上の役者ではなかったということだ。

次に作家として手が届くのならば、神戸新聞の力を借りて、阪神大震災、そしてそれを元にこれから起こる関東大震災のハザードシュミレーション、竹鶴さんのことが書けたならば、プリンセス・ミチコ。

ご無礼なことを承知で書かせていただくが、主人公になりえる人間は彼女しかありえないと小説家として思う。
現在の陛下は美智子様の存在抜きにはありえないだろうと考えるからだ。
これは小説家としての視点として、主人公となるべき人間は、何者が何が
突き動かしているのか、ということなのです。
陛下を表現するには誰を主人公にすれば、そして一般庶民に一番直接的に響く表現方法は何かを見据えるとすれば、美智子様以外にはありえない。
そして美智子様を私などの人間が理解するには、陛下、皇后を上回る教養が必要になる。
あらゆる人たちの協力が必要になるだろう。

私は妄想家です。
自分の打ちたてた妄想を純粋に追従する人間です。
私の深層心理には埋め尽くされた罵倒がたくさん沈んでいて、それをどうしようもなく処理できないおろかな人間だけれども、命ひとつかけて、軽い命かもしれないが、この命ひとつかけて、自分の感情や感性に純粋にしたがっている。

きっと私は最低の愚か者か、その逆かの二つに一つしかない。
これらのことを考えていても、私の実力が及ばないばかりに砕け散るかもしれない。
しかし、こういうのが本当の人生ってやつでしょう。
命ひとつかけて、だめだったら、何も叶わないでしょう。
保険掛けて、こっちがだめだったら、元に戻るというのは、作家として、命かけて、人生かけて、滅んでいった人たちや、成功した人たちを書くことなんて到底無理でしょう。
書くことは片手間でできても、「表現」は片手間ではできない。
自分の言葉ですが、こればかりは深く確信していることです。

不幸なのは親だ。
普通の一般社会へ馴染んでいき、生活の不安を一切抱えない、人生を歩んでいってほしいときっと望んでいたに違いない。
あらゆることが重なって、ここにいるけれど、親の気持ちだけを純粋に考えるならば、心底親不幸者だと思う。
そのことだけは一言だけ、一言だけ謝りたい。
その後は、もう振り向かない。
あらゆるものを犠牲にしてでも突き進む。

これが表現者の覚悟であり、懺悔でもある。

私はもう、引かない。

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01/21

Fri

2011



1991年の映画か、としみじみ。
監督はスティーブン・スピルバーグ。
たまにこの映画を見たくなるのはフック船長役のダスティン・ホフマンが大好きで躁鬱がかった大人子供のはじけようがたまらなくいいのだ。
なんだか年をとるごとに感情移入ができるのは自分が年をとってきたからなのだろうか。
自分にげっそりである。
スミー役のボブ・ホスキンス(マリオ)と漫才を繰り返す、いわばおバカコンビ。憎めない。
大人になってくると、結構いろいろな目にあうので人への警戒心が強くなり、構えてしまうところがある。
ロビン・ウィリアムスが扮したピーター・バニング(パン)のようなことになるし、夢というものを信じなくなる。

自分がこの映画へ素直に感情移入できない時は心が乾いている時やギスギスしている時だ。
とてもじゃないが苦痛で見れない。
でもそうじゃない時は「夢を持ち続ける大事さ」というのを痛感して目が潤む。
ここまではっきりした心の違いに自分でも妙な感じを抱く。
夢を育てているのか、夢を食い物にしているのか。
でもこの世界のピーターパンって父親として、一人の人間として夢を持ち続けるために前向きな努力をしている。
夢だけがあってそれを持ち続け、大人に対しての反抗心などを持つなど、妙な意味で定義されてしまった「ピーターパン症候群」のピーターパンとは違うんだよな、と感じたのだ。

大人も子供も夢がないと生きられない。
その夢の持ち方というのをどうすべきなのかは、大人の責任として考えないといけないのかなとも考えはじめている。
正直、「お、れ、た、ちゃ、海賊だ!」みたいな典型的な海賊役ができたら楽しそうと思ってしまった。
ああいう世界は裏切りに満ちているけれどもね。

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01/06

Thu

2011

仲村颯悟(りゅうご)監督



朝のテレビ番組で偶然見たけれど現在14歳だそうだ。
今は年齢で驚きを売りにしているけれど、この方は本当にカメラワークの天才かも。
普通の明るい変哲のない畑を「ホラーっぽく撮ってください」と言われて撮った映像に鳥肌が立った。
カメラワークだけでホラーにした才能は凄いの一言に尽きる。
カメラだけでここまで訴えてくる感性は、これから確実に大物になると思わせるに充分だった。

日本の映画界に革命を起こし、世界に名を轟かせるのも時間の問題。
青年になるまでに6年もあるのだから、今よりもいっそう腕を上げてくるに違いない。
日本はこういう才能を無駄にしちゃいけないし、育てないといけないのですよね。
カンヌかベネチアかベルリンかわかりませんが、いずれ海外でのグランプリを取って帰ってくるのを心待ちにしています。

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01/06

Thu

2011



インテル入ってる?
面白いフィルム。
アイディアの宝庫。
今の自分のパソコンならこの映像実際にやったら30秒も持たないと思う。

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01/06

Thu

2011

見えた!やるべきことが!

遅まきながらあけましておめでとうございます。
新年始まって初めてのブログ。
また新たな年になり、うまく眠れない日々が続いていました。
おみくじも今年を暗示し、あらゆる占いも言っていることが重なっております。
道ははっきりと示されているだけにもう5日も経ってしまったことにあたふたしてしまいます。
睡眠が深くなく、浅いようで起きていても強烈な眠気のようなだるさにずっと悩まされていたし、眠ってもすぐに目が覚めてしまうような状態でした。
今年は「まずは肩書きを作って仕事をしやすくする」という作家として最も大事な世間上のスタートラインに立つという目標を中心にしながら邁進するつもりですが、心の中でどうしてももんもんとするものがあり、あれやこれやと、振り切れぬ悩みの霧をまとっておりました。

そこで先ほど偶然にも、

http://blog.livedoor.jp/ftakahiro/
京都を遊ぶ社長のblog

2010年10月25日の「一点突破の重要性」という日記を読んで、「あっ!」とわかった。

以前受賞のデビューからずっと追っていた作家さんを見ていて、商業誌や新聞紙にもどんどん進出していて躍進しているのに、文章はどんどんのっぺりとした当たり障りのないものになっていっていた。
受賞時にあった刺々しいものがまったくなくなってきているのを感じて、心底がっかりしていた。
自分もあれやこれやと他人に気を使うあまり、迷って、自分が持っている長所にまで疑問を持ち出し、進むにも恐ろしく躊躇があった。

そこで上記の日記を読んで思った。
「満遍なく受けようとしたら自滅する」と。
結局自分が見ていた作家のように「別にその作家じゃなくても他の人も似たようなのができるじゃん」というところに落ち込んでしまっては存在意義を失う。
作家なんだもの、最初からおかしくてちょうどいいんだ。
自分の長所は何か、それをとことん伸ばして誰よりも尖ってやることが一番大事なんだ。
そうすることで、ようやく存在するだけの価値が生まれる。

今現在足りないと思っていて、身につかなくてやきもきしていることがたくさんあり、焦りもハンパない。
自分の理想としているレベルと、現在のレベルのギャップに、ひどい空回り感を隠しきれない。
見えているのに道のりが長すぎる。
あれもこれも重なってしまって身動きができないほど頭が硬直しているのがよくわかる。
そういう自分から脱却したいと意味もなく足掻いて集中力を欠いている。

萎縮するのではなく、どんどん尖らなければならない。
萎縮していったらもはや後は残されていない。
作家としての存在価値を失うだけだ。
その尖ったものを中心にしてあらゆるものを吸収していけばいい。

想像だけだといくらでも人間の妄想って肥大していくものなんですね。
自分はここまでできるとか、物理的、能力的、現実での限界をどんどん無視して肥大し、現実とのギャップがわからなくなる。
経験がないというのはこれだけ酷い状態を生み出す。
頭だけで考えるというのは、人間をダメにしやすい。
他人の限界もわからなくなるし「当然こうだろ」みたいな、頭ごなしの考えしかできなくなる。
そういうのは作家としてもう現実感がないし、文章にも成長が見られなくなる。

あらゆる行動というのは「選択肢を可能な限り広げる」ためにあるべきであって、退路を断つためにあるわけじゃない。
だからこそ、自分にしかできないことを探し、誰でもできるようなことはまず二の次にしないといけない。
まずはここからやろう。
「何を守りたいか」ではなく「何を育てたいか」が一番大事なのだ。

ということで、今年一年よろしくお願いします。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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