忍者ブログ

あさかぜさんは見た

日記

01/18

Sun

2026

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

03/19

Fri

2010

表現の自由・言論の自由

「非実在青少年」問題とは何なのか、そしてどこがどのように問題なのか?まとめ - GIGAZINE


東京都の「青少年健全育成条例」を受けて大阪府の橋本知事も「大阪の実態を把握して規制の必要があるかどうか見極めたい」とのことだ。
その上で橋本知事は「表現の萎縮(いしゅく)を招く」として反対しているが、橋下知事は「表現の自由は絶対ではない。失われる利益が著しく大きいなら規制もある。子供を守るのが大人の責務で、表現の自由だけで議論を封鎖するのはおかしな話」との話だ。

我々は自分の利益を守るために都合のいい理屈を持ち出す。
新聞社や雑誌社の掲載内容で裁判が起こされると「言論の自由が」と言い、創作物への規制が入りだすと「表現の自由が」と言う。
当然なんでもやっていいわけではないし、節度は守るべきだ。

子供を性的な対象として下劣な犯罪が起こることは、健全な大人としては望むものではない。
当然国家の未来を育んでいく子供の将来に不穏な影やおぞましい不安を解消するために、「悪」となるものは「零」にしたい。
その気持ちは日本国民としての自覚があるものならば、誰もが考えていることで犯罪を助長したいわけではない。

しかし人は人の思い通りにはならない。
私は政治の話をしたいわけじゃない。人の心の話をしたい。
人の心には縛っても縛りきれない影がある。
当然光もある。
人が欲求というものを持ち、欲望を排除しきれない動物であるならば、規制ではなく隔離して泳がすべきだ。

「創作する」ということの根本的な欲求として「昇華」がある。
これは「言論」においても似たようなものであると思う。

「昇華」とは「社会的に実現不可能な目標・葛藤や満たす事が出来ない欲求から、別のより高度で社会に認められる目標に目を向け、その実現によって自己実現を図ろうとすること。(Wikipediaより)」だ。

今に始まったことではないが新聞社の主張もひどいし、創作現場における性内容も度を越したものがあるのは事実だろう。
あれをまともに受け止めず「昇華」の一種なのではないかと考えると、今までとはちょっと違った見方ができる。
「昇華」する手段を我々が持っているから、与えられているから、ある意味(ひどく悪辣でも)安心していられるのではないだろうか。

しかし「規制」によって「昇華手段をなくした」人間たちは、どこで昇華しだすのだろうと考えるとおそらく実行手段に傾いていくと思う。
だからこそデータでも性表現の規制が厳しくなると犯罪認知件数が増え、性表現を解放すると減っていくのではないだろうか。

私はいつも思う。
そのような性表現の規制の前に、もっとクローズアップしないといけない部分があるのではないか。
それは都市社会が抱えている根本的な欠陥である「個々人の分裂化」にある。

人が多いのに寂しいと感じる。
すれ違っていても他人同士。
大都市が抱える人間の繋がりの希薄さは妙な冷たさを感じる。
東京を歩いていると変な気持ちになる。
「なにしているの?」「どうしてそんな顔しているの?」
心配になって声をかけたくなる人がいる。

「規制」の目的は「人々を健全な状態に戻す」というよりも「政治理念上、おぞましさを感じ人権を踏みにじったような下劣な創作物や、性的搾取・不健全と見られるような行為からは完全に決別しております。我々は一切認めません」という立場を明確化したいだけなのではないだろうか。

この規制は「気持ちの上」では解決される。
が、一方で「気持ちの上」では解決されない人々が生まれる。
「昇華」の手段を失った人々だ。

我々には自由がある。
当然悪辣で下劣極まりないことを言う自由もあるし、犯罪を起こす自由もある。
だがその代わりに社会的なペナルティーがある。
刑事法がある。民法がある。著しく人の気持ちを踏みにじり、実力的で排他的で暴力的な行動をする人間を人々は許容しない。
一部の人間が特権を利用し、あたかも「己と対にあるもの」の意見も気持ちも推し量らず一方的に規律をかして従わせるのは「健全な良識」を持っているとは考えがたい。

悪を認めろということではない。
しかし対にある思想も尊重してこそ、初めて健全だと言えるのではないか。
だから我々は「正しいこと」を実行できる。
我々には選択する権利が与えられているから健全な目を養える。
悪いものは常に排除されていく。
それは人々が苦痛を好まないからに他ならない。
何が苦痛なのか、それを判断するのは一部の人間の思想ではない。
この国に住まうすべての人々だ。
たかが1人の人間が100人の気持ちを背負えるはずがないのと同じように、一方的な主観から規制を行ったところで、人々の中には許容しない人間が多く出るだろう。

我々の本当の自由は「昇華」の中にあるのではないのか。
「昇華ができる環境がある」ということが、やがては尊ぶということになるのではないだろうか。
現実的な暴力行為ならまだしも、創作物や思想にまで「規制」を及ばせた場合、「昇華」はどのようになせばよいのか。
「昇華」は言わばゆくゆくは「浄化」となる。
「浄化」の機会が与えられるから、己の中の悪もなくなり「尊重」する気持ちが始めて生まれる。
衝動すらも発散させる機会を奪っては、人の心の中には腐ったものが育っていく。
だから今回の騒動の発端となった規制派の中にも、ひどく偏った、己の「正義」を信じて疑わない客観性を失った不健全さを育てていってしまったのだと私は思う。

同情はするが、私はあなたたちの意見には反対だ。

拍手[2回]

PR

03/16

Tue

2010

実は暴飲暴食で90キロまで増えていた。
酒を泥酔するほど飲んで、餓鬼のように食べ物を詰め込む。
そして吐く。
ストレスが溜まると過食ぎみになる。
過食症と言われるほど症状がひどくはないし、慢性的ではないので徐々にこの体重まで増えてきて「将来糖尿病で死ぬのではないか」と思うほどだった。

しかしとある精神的なショックから今度は食べることに嫌悪感を催すようになり、あまり食べたくなくなった。
物を口にすると不愉快になって気分が落ち込む。
そんなこんなで友達が送ってくれた豆乳おからクッキーを間食しながら、以前の三分の一くらいの量しか口にしなくなったのだが、10日で3キロ落ちている。
単純計算して低く見積もったとしても、この調子だと6キロは1ヶ月で減りそう。

さすがにこれだけの短期間で体重が落ちると、少々めまいがする。
痩せてきたのはよいことだし、このまま筋肉つけずに痩せるのもどうかと思うので、またビリー隊長にお世話になることにした。
無理せず2日に1度のペースでやっているが、どうせ痩せるなら70キロぐらいまで落としたい。
急激に痩せるとよくないみたいだけれど、物をあまり口にしたくないし、食べると気分も悪くなるのでちょうどいいかなと思っている。

こういう水を大量摂取する生活をしていると「塩」の大切さがわかる。
何か足りないなと思ってトマトケチャップを舐めるとちょっと落ち着くし、中華スープなどを作って飲むと「足りない感」がなくなる。
味噌汁なども塩分があるので大事。

現代では塩分や油、糖分などを多量摂取し、食物繊維が足りない食習慣が蔓延しているけれど、改めてそれらの少ない生活をすると、大切さがわかる。

胃も小さくなってきていて、お腹に入る量も少なくなってきているし、一口の量でもよく味わって食べることにしている。
よく噛むことによって甘みもわかるし、食材本来のうまみもわかる。
ちなみにスーパーで売っている野菜の「おいしさの限界」みたいなのもよくわかる。
食卓に上がる料理のほとんどは下手をすれば「調味料で味をごまかしている」のがわかる。
野菜の味が薄いのでしょうがない。
肉類も「どんどん太らせて出荷する」というのがよくわかる油の不自然な乗りよう。
脂分をあまり摂取していないと小さなハンバーグだけでも胸焼けを起こす。
フライパンの中は油を敷かなくてもミンチから出てきた油でハンバーグが埋まりそうな勢いだ。

現代人の舌は化学調味料になれきっていて、本来の薄味で食材本来のうまみを引き出す味付けはなかなか受けないらしい。
好きなものが好きなだけ食べられる食文化だし、おそらく若い世代にはずいぶんと偏食家も育ってきているように思う。
食材の季節感もまったく感じられなくなった。
命を食し、自然に感謝するという気持ちも薄れゆく世界で、今自分は別にダイエットしようと本気で思い立っているにも関わらず、精神上の理由から結果的にはダイエットをしている。

身近にありふれたものが当たり前だと思うような生活をしているし、人間の感覚は身近にありふれたものを「常識」として脳内を固めていく。
慣らされてしまった挙句、本来の感覚を失っていく。

本来食生活は「足りないものを補う」という目的があるゆえに、日本人は野菜を中心にして栄養バランスを考えてきたはず。
足りないから補うのであって、足りているものをなお補うのは少々違う。

贅肉だって本来あまり必要のないものだろうし、ほどよい脂肪分さえあれば、あとは出っ張ったお腹の脂肪なんていらないはずだ。
どれだけ飽食の中で日々の生活や日々の人々に感謝できているかといったら、一日一回しているかどうかも怪しい。

あらためてしみじみ食べ物を食べると、食べることのありがたみがわかる。
ありがたく思うからありがたく摂取できる。
こういうのは勉学だろうと人の成長だろうと同じことだと思う。

小さなころからの癖からよく味あわないで流し込むように食べる癖がついてしまったけれど、時間がなかったり精神的に落ち着いていなかったりするとそうなってしまう。
だからいまだにお腹が苦しいほどいっぱいにならないと「満腹感」というのがよくわからない体になってしまった。

正常な感覚を取り戻すのは都会生活の中では非常に難しい。
かといって、ギスギスした人間関係があればどこであろうと正常な心を持つことは難しいだろう。

小さな変化や小さなありがたみを見失った生活をしていて、改めて感じることがたくさんあった。
基本的に人間は「ほどよく飢えて」いたほうが、健全な感覚でいられるのかもしれないと思った。

さて、私の体重、どこまで減るやら。
高校の時にまで戻れたらいいなと思っている。

拍手[3回]

03/12

Fri

2010

Anti-Rothschild Alliance<反ロスチャイルド同盟>
http://anti-rothschild.net/

ここに書いてあることがフィクションだとしても、ひとつだけすっと納得できるのが「お金を握れば人間を操ることは可能」「人間を操れれば国家を操ることも世界を操ることも可能」ということだ。
だって、お金ないと生活できない社会を完全に構築したわけだから。
事実生活に困って働くところがA社しかなくて、A社に逆らったら仕事を失うとなったら従うしか方法がなくなるからね。

でもある意味日本はこの支配からすっと脱却できるのではないかと楽天的に思っている。
なぜなら、日本は元々農耕を中心とした民族で、不思議とお金を絶対的中心にして動いてきた歴史はヨーロッパと比べてそれほど長くはないから。
問題は今の「お金」に執着するこの現代社会の人間たちが、執着心を捨てられるかということにかかっている。
贅沢の味を経験したら、なかなか難しいよね。
他人を蹴落としてでも自分が贅沢したいと思う。

たとえばお金をほぼ独占している組織があるとして、その支配下から脱却できる術があるとしたら、「隣人の幸福のために努力すること」だ。
世界のお金は共通貨幣に向けて動く可能性がある。
そのほうが「もちつもたれつ、寄られ寄りかかり」という体制が組みやすい。
そうなってくると余計に「金を独占している者」が支配者となりうるわけだけれど、「世界の理屈から反する」ことは効果的だと思う。

土に根ざした生活をし、自給自足を目指し、他人の成長のために努力し、微笑みかけられるような豊かな心を持った民族に戻って欲しいと思う。
本来の日本人の気質は、外見上貧しく見えても心の豊かさだけは失っていなかったのが最大の強みではなかっただろうか。
この従来の日本人気質と現代文明がうまく融合しないかということを考えている。

今や日本は天文学的な借金大国。
国家がなくなっても民は消えはしないが、「国民としてのアイデンティティー」を失った人間は、永遠に流民となるしかない。
まあ、他人種に迫害された屈辱の歴史がないだけに、他人種に差別的な目で見られる、あのじっとりとした嫌な感じはわからないだろう。
気概もない、民族としてのプライドもない、誇りもない、個人主義で成金主義という国家をこれから作っていってしまったらもう大変です。
というか、個人の問題なのだけどね。

欲におぼれれば何者かに付け入られる。
それが巧妙に生活とか未来とか権力とかが関わってくると、いつでも誰かに足元をすくわれることはこれから覚悟して生きていかないといけない。
人一人の力なんて限られている。
だからこそ手を取り合っていかないといけない。
利害関係のない関係。
それが案外少ないということに気がついて、気がついたら周りに誰もおらず寂しく死んでいくような無縁社会にしたつけは必ず自分に返ってくる。
現役のころが楽しければ老後のことなんてどうでもいいという人はしょうがないけれど。

拍手[2回]

03/11

Thu

2010

東京都青少年健全育成条例

東京都青少年健全育成条例改正問題のまとめサイト
http://mitb.bufsiz.jp/

(追記:議事録もございますので、どうぞご参考に
都議会なんて飾りですか? - agehaメモhttp://d.hatena.ne.jp/ageha0/20100316/p1 )


またか、という感じですが、今回の規制はかなり厳しく、というか、かなり劣悪で、

「東京都当局が青少年に悪影響を及ぼすと判断した“不健全な作品”(いわゆる不健全図書)の販売を規制する」

これつまり、作った本人にまったくその意図がなくとも彼らが「不健全だ」と言えば不健全になるという、ひどい条例。
こういうのを「職権乱用」って言わないかな?事実上の検閲にあたり、憲法違反なのに。
軽く見ている人、「彼らの偏見」を甘く見ないほうがいいよ。

この規制、漫画、小説、写真、すべての創作物も対象になる。

そもそも東京都には「本社」を置く会社が多く、こんな規制が入れば根こそぎやられることになる。
つぶれる会社もたくさん出てくるだろう。
さっき思ったのが、これを拡大解釈すれば、東京都にサーバーを置いている会社にも監査が入るということだから、個人のブログも危ういのでは?

まず、ひどく隔たった条例であるのは、「青少年に悪影響を及ぼす」というのなら、
有害図書がないことで「まったく健全な状態になる」ことを立証しなきゃいけない。
つまり、反証が行われない限り、主張の正当性はない。

条例に対して反対することは、いわば「人道的見地に反した行動も認めかねない人間」と見られる危険性があるということだ。
そしりや誤解を避けるためにも条例制定の支持は「健全な青少年が育ってくれることを切に願っている」というメッセージにもなる。
また条例の内容はともかく、その正当性に反する良識などは存在しない。
この気持ちはある意味理性を失わせている。
また大変ステレオタイプなイメージと証拠が列挙されている可能性もあり、過去に存在したおぞましい犯罪事件の犯人の自宅に異様とも思われるようなコレクションがあり、その「オタク趣味」こそ「良識ある人間の理解不可能な趣味」であり「理解不可能であるゆえに、常軌を逸した精神状態を形成していった」ことが推測されるわけであり、ゆえに「忌まわしき凶行に及んだ」とイメージするのは、単純明快で納得しやすい。
だがそれは主観的なイメージとして納得しやすいものである。
確かにオタク趣味を強く持っている人間は独善的であることが多いが、「物」が「精神形成に影響を及ぼした」とは言い切れない。
「青少年に悪影響を及ぼしかねない」というのも極めて推測に近い。
推測で、規制ができるのだとしたら、これは大変なことだ。

日本国民は公共の福祉に反しない限り、自由の権利を保障されている。
そもそも「創作的表現」は、「直接の実行力」が何一つ存在しない。
このようなあいまいで主観的な条例が通るとしたら、将来どんな条例や、法案が通るかわからない。
そもそもこれが通ったら国会で通るのも時間の問題かと思う。

「まったく他者への物理的な行為ではない思想」を規制することになるわけだが、猥褻な表現のある創作物などを強制的に他者に押し付ければ犯罪だけれど、成人が個人で楽しむ分には何が問題あるのか。

カリフォルニア州ではIDを使って厳しく未成年の購入できないものを制限していたけれど、未成年者が購入、観覧できない区分をすれば済む話なのでは…TASPOのようなものじゃダメなのかな?

とにかく、どこから突っ込んでいいのか…違憲だらけ。

d.都民は児童ポルノをみだりに所持しない責務を有するとする児童ポルノ所持の違法化(第18条の6の4。ただし、罰則はなし)

e.児童ポルノを理由とした曖昧な定義に基づく東京都に対する保護者と事業者に対する指導・調査権限の付与(第18条の6の5)


事業者だけじゃなくて、保護者も調査権限に入れるって、どう捜査するの?これ、プライバシー侵すことにもなりかねないのでは?

この民主主義の国で専制的な政治が行われようとしている。
専制は国民の自由を憲法で保障したこの国から排除されなければならないのではないのか。

一 青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの

二 年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの(以下「非実在青少年」という。)を相手方とする又は非実在青少年による性交類似行為に係る非実在青少年の姿態を視覚により認識することができる方法でみだりに性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの


そもそも「健全な成長」とは、何を意味するのか。

本当に健全な精神を持っていたら、創作物なんかに影響はされず、きちんと自立した精神を持っている。
その精神の成長過程を問題視しているのだとすれば、どれだけ東京の風紀が乱れていると思っているのか。
「創作物」のせいとは必ずしもいえない環境や実態があるのは、歩けばすぐにわかる。
そして渋谷を歩いているような女子高生に生身で聞いていけばわかること。
都庁のあるお足元の新宿なんか巣窟だろう。

それに「分別」というものは、「創作物」によって養われるものではなく、「人とのコミュニケーションの中」で養われるものである。
もし「コミュニケーション環境形成」を無視し「創作物」に強く「精神の形成」への影響を見ているとしたら、これは考えとして隔たりすぎているにもほどがある。
携帯電話だってインターネットを使えないものを使わせたらいいのに。
少なくとも義務教育レベルでは携帯電話は必要なく、また携帯電話がなければ関係が崩れるのなら正常な人間関係を結んでいるとは言いがたい。
ちゃんと人間関係を結べる練習をするのにも学生の携帯電話はいらない。

児童ポルノ、小学生や中学生あたりに関する項目は、そりゃ性的搾取の対象として、健全な育成を促すために有害なものから保護するのはごもっともな話です。
が、しかし、そういう小さな子供を「性的な対象として興奮を覚える」人間は「嗜好」というよりも「未成熟さ」が原因のような気がいたします。
このような人間に対して「規制」がいかなる効果を発揮するのか。
「未成熟」なままであるのならば、問題解決には至らないのでは。
政治家たちや、人権団体の人間たちが心理的に納得し安心するだけの話で、問題の根は深く残り続けるということにもなりかねない。
おそらくこんな規制をしたところで「臭いものに蓋をした」だけの話になるだろう。

この実態と関係性を立証したとも言えないような主観的な条例が、そのまま通るのだとしたら、私は正直東京都民の良識を疑う。
いたるところに出てくる「知事」という言葉。
これは「知事の独断」でも可能、という解釈も含まれるのかね。
もしそうだとしたら児童ポルノよりも危険なのですけれど。

東京都民じゃなくても物凄く気になる条例です。

これ、追記でまったく関係ないことですけれど、
石原慎太郎氏は芥川賞の選考委員から外したほうがいい。
政治的な立場と選考委員としての立場が対立したとき、石原氏は必ず政治的な立場を優先させて選考の意見を述べることは明白だから。
文学賞の選考で、政治的な意図を介入させてはいけない。
しかも芥川賞は純文学に重みを置いているのでしょう。
なおさらです。
その意味では現在の彼は著しく不適格だ。
政治家をお辞めになられてからなら問題はないだろうが、それでも自分が行ってきた政治姿勢を覆すわけにはいかないだろうから、少々難のある選考をすることは間違いない。
高名な文芸評論家に代わっていただいたほうがよろしいのではないかと思う。

拍手[1回]

03/11

Thu

2010

きゅうきゅうしゃは赤い

きゅうきゅうしゃきゅうきゅうしゃ。
きゅうきゅうしゃきゅうきゅうしゃ。

おかあさん、
きゅうきゅうしゃだよ。

あかくてぴかぴかしてきれいだよ。

おかあさん、
おかあさん、
おかあさん?
みえないの?きゅうきゅうしゃがみえないの?

あかいきゅうきゅうしゃだよ。
おかあさんはみえないの?

おかあさん、おかあさん。

おかあさんは、
いつもわたしのみていることを
うそだというよね。

おかあさんは、
いつもわたしにちゃんとなりなさいっていうよね。

わたしはいつもちゃんとしているし、
わたしはいつもみたままのことをいっているよ。

わたしはうそつきじゃないよ。

うそつきじゃない、
うそつきじゃない、
うそつきじゃない。

おかあさんこそ、
うそをついているんだ。

おかあさんはうそつき。
わたしのことをうそつきといううそつき。

おかあさんのめはへん。
おかあさんはわたしとみているものがちがう。
おかあさんのめがおかしい。

おかあさんのめをとりかえたい。
めをとりかえたらおかあさんはもとにもどる。
わたしにまえみたいにやさしくしてくれるでしょ。
やさしくしてくれないおかあさんはこわい。
おかあさんのめがわるいんだ。

めがわるい、
めがわるい、
めをとりかえたい。

そんなめはいらない。
おかあさんのめはいらない。
おかあさんのめをとってやる。

めをとってやる、
めをとってやる、
めを。
めをめをめをめをめをめをめを。
そうしたらまたちゃんとあいしてくれるんだ。

だから、
めを、めを、めをめをめを、
トリカエテアゲルネ。



救急隊員が部屋に駆けつけると、母親らしき女性がガタガタ震えていた。
「あなたですか?通報してきた人は。しっかりしてください」
隊員の言葉に母親は怯えきって言葉を言えないでいる。
「あ、あああ、あああああ、あの子が」
女性の指差す先には血まみれの女の子が果物ナイフを持って薄ら笑いを浮かべていた。
果物ナイフからは血が一滴したたった。
救急隊員が「何があったんですか?」と聞くと、母親は答えた。
「あ、あの子が、き、急に自分の両目を、な、な、な、な、ナイフで抉り出したんです!」



きっと、
わたしがいけないんだ。

おかあさんがみえるものとちがうから。
おかあさんとみえるものがちがうと、
わたしはいけないこ。

おかあさんのめはいらない。
おかあさんのみているせかいはいらない。
おかあさんとちがうからいけない。

きゅうきゅうしゃきゅうきゅうしゃ。
きゅうきゅうしゃきゅうきゅうしゃ。

きゅうきゅうしゃはあかくてきれい。
これからはきゅうきゅうしゃみたいなきれいなゆめをみながら、
おかあさんのいうことをちゃんときけるこになったよ。

拍手[2回]

フリーエリア

ブログランキング・にほんブログ村へ

バーコード

プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

最新コメント

(07/27)
(02/23)
(03/05)
(03/02)
(01/24)
(07/29)
(01/21)
(08/16)
(04/28)
(04/20)

ブログ内検索

カレンダー

12 2026/01 02
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

忍者アド

Copyright © あさかぜさんは見た : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]