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あさかぜさんは見た

日記

01/19

Mon

2026

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05/28

Thu

2009

自分の中で確信できることは確かに実現可能なことだ。
私がずっと書き続けていて、物語を書くことをやめないのは、「浮かぶ」からに他ならない。
正直たまにどうでもよくなって、自分の作品をすべて捨て去って、どうでもいい作品を並べ立てる出版社や、一年後二年後手元にとっておきもしないのに、どうでもいい本に出資し(買い)、一過性の騒ぎに加担し、数年後に読み返そうものなら「ええー?まだそんなの読んでるの?もう古いよ」という、人間たちに烈火のごとく怒り、憤死したくなる。
自分が物を書けば人が動く。
それが一人二人の小さな力にしろ、なんにしろ、その手ごたえを確実に感じる。

「どうしてやめないのか」の理由に、まず「手ごたえ」があげられるのだが、もうひとつ、「限界が見えない」というのもひとつある。
他の仕事をしているとき、漠然と感じる「ああ、自分の実力ってここまでで、これ以上は伸びないのだろうな」と、湧き上がってくるような諦めがない。これは不思議だと思う。
他の人のを読むと、特に最近の作家は「きっとこの人ここまでの実力なんじゃないのか」と見れば、たいていその殻を破る人はいない。
結局その程度なんだよね。編集者も会社も悪いと思う。やたら夢もたせて「消費」し、「捨てる」。常套手段だよね。

自分は何をどうすれば伸びるのか、自分の何が足りないのか、自分でよくわかってきている。

今私は五年かかっても書ききれないくらいのネタがある。
ネタがあってもそれを構成する文章をひねり出すのは大変な作業なのだけれどね。
こういうブログは三十分もかからないうちに書いているけれど、本当に質の高い文章は数行で一時間かかったりする。
読者は読み流す程度の一文に、途方もない労力がかかっていたりもする。
だって、書いているときだけが「仕事」じゃないもの。
日常とそこで培われた感覚のすべてが導入されている。
第七感ぐらいまでフル導入しないと無理でしょ。「宇宙の神秘の力」までも借りないと、「書けそうで絶対書けない文章」なんてできないでしょ。
本当に洗練された文章って、一見マネできそうだけど、やっぱりできない。
それがよくわかってくる。
面白いよね、技術職って。職人みたいなものなんだよね。

「人生は暇つぶし」とどこかで昔偉い人がいった。
自分はこう思っている。

「人生は何かを成し遂げるにはあまりにも短すぎて、何もしないでいるにはあまりにも長すぎる」

愛を語るには充分すぎる時間だけれど、人類を幸福にするにはあまりにも短すぎる。
文句を言うには長すぎる時間だけれど、褒めて伸ばして見つけて次世代につなげるには少々短い。

人生における目標について「出会えるか出会えないかだ」と言った人がいる。
私はそうは思わない。
まだ「出会えるか出会えないか」を考えている人は、正直言って「哲学がない」のだと思う。
「哲学」とは小難しい理屈を並べ立てる、あの哲学のことではない。
自分が常に他者に対してどう接しうるかという理念を持っている人だと思っている。
私は私の持てる力を使って他者によい影響、考える力、立ち止まってなんでもなかったものを大切だと考え直す、流れていた日常に疑問を投げかけ密度を変える、などなど、与えることを色々考えている。
自分の中できちんとぶれない芯があれば、この先何があっても迷うことはないように思う。
そしてこの先必ず他者にとってよいものを作り上げられると思う。

私は、「世界一の芸術都市」を作りたい。
これは生涯プロジェクトだと思っている。
自分が死ぬまでに、どこまでできるかわからないけれど、やれると思っている。
今の利益主義の出版会や芸術界を根こそぎぶっ壊したい。

確信できてもできない人は、つまり怠惰に他ならない。
怠惰。
そう、自分のことだわこれ。

心臓がパクパクいって不安になるときがあるけど、大丈夫かね。
これ蛇足。

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05/24

Sun

2009

食事中の父の一言

「肩身が狭いだろ」
と言った。
人を思いやる言葉を聞いた。
父の口からは滅多に出ることはない貴重な言葉。
中国語を習いはじめ、大学に行き出した父。
きっと自分よりも年下、もしくは同じように退職してから勉強を始めた人達に囲まれて、心境の変化があったのだろうか。
自分のものを取られると、ひどく怒る父。
日本酒を少しついでくれた。
小さな、喜びだった。
気遣ってくれて、ありがとう。

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05/23

Sat

2009

自分がとことん独善的なのではないかと思い悩むことは多々ある。

ふと、携帯小説で流行ったやつのレビューを見ていたら、思い出したことがある。

十年も前になるかと思うが、とある掲示板サイトに出入りしている私は、固定のハンドルネームで書き込みをしていた。
毎日が楽しくて、書き込みを何度も覗いた。
パケット代だけでも数万単位で飛んだ。

その中でも親しくなる人たちがいる。
新規がそれほど頻繁には入ってこないので、当然クラスのような感じになる。
掲示板だけではなく、電話番号やメルアドも交換した仲間もいた。

ある日、当時高校生だった女の子と、似たような年の男の間で事件があった。
男は「好きだ」と女の子にアタックしていた。
人をあまり疑わないその女の子は、わざわざ車で来た男の子についていき、家に連れて行かれ、処女を奪われた。
男の家には母親もいたはずで、あれだけ嫌がったのにどうして、とか細い声で電話で話した。
その話を聞いたとき、私は憎しみを抱いた。
でも、女の子は事を荒立てないで欲しいと言っていたので、我慢した。
しばらく男の書き込みはなかったが、ある日書き込みをしていた。
その時にはむなしく眺めていた。
その前に、女は男を許した。
「これからも仲良しでいようね」
と、伝えたと連絡を受け、衝撃に震えた。

どうして?どうしてなんだ。
なぜ許すんだ。
わからなかった。
今でもわからない。
ただ、レイプとして捉えるのではなく、もっと違った形で捉えたかったのかもしれない。
憎しみを抱くより、別の形で記憶を残したほうがいい。
しかしその子のいろいろな言葉が思い浮かんでいた。
「あーあ、ファーストキス奪われちゃった」
「初めてだったのに。嫌がったのに」
明るそうに言おうとしていたけれど、いつもよりトーンの低いその言葉を思い出すだけで自分は男を憎んだ。

その女の子には、病院の治療費を渡していた。
下半身が気になり、親にもこのことを話せないのでどうしたらいいのか、と悩んでいたので、お金を送ってあげた。

その当時の女の子の行動が自分を裏切ったとは感じなかったが、自分の胸の中に育った憎しみをどこに持っていっていいかわからなかった。
好感の持てる子だった。
純粋で、明るくて、人を楽しませるのが喜びで、人の長所をとことん認めて喜べる子だった。
好きだった。
だからこそ、なおさら、男が許せなかった。

人を好きになるということはどういうことなのか、今でもよくわからない。
理屈抜きに惹かれるものがある。
だから好きになる。
その当時はそれで納得したかもしれないけれど、今はそうは思わない。
好きになることで、独善的になるのは、いけないと思っている。
そこには、思いやりがない。
好きなら、思いやれるはずだから。
だから、独善的な恋を、簡単に人を傷つけられるような恋を、自分の都合で勝手にあれこれできる恋を、自分は恋とは呼ばない。

自分の思いが、独善的なのではないかと悩むことが多々ある。
勝手な思いを押し付けているだけなのではないかと。

あの女の子は、もう結婚しているだろうか。
だとしたら、きっといい人を見つけているかもしれない。
あの子は望みを高く持つ子だったから、今ではきっと立派になっているだろう。
自分は、どうだ…?
あの頃の、愚かなままの自分が、まだ見え隠れしているような気がする。
このことを書くのもまた、自分の独善的過ぎる気持ちの表れのような気がしている。

今はどこにいるかもわからないが、幸せに生きていって欲しいと、あなたのことを思い返しながらこれを書いています。

お幸せな人生を。

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05/23

Sat

2009

「私のこと、書いてるの?」

よく女性を描く時や、詩を描く時、思いもよらない人からコメントをもらったりする。
意外な人が、同じことを思っていたのだと、そのことを指摘されることに恐怖しているのだと、そこで初めて知ることも少なくない。

多くの人たちの相談に乗ってきた。
女性の場合、人生相談よりも、恋愛相談のほうが多い。
何人も何人も相談に乗っていくと、妙なことに気がついた。
ほとんどの人間が同じことで悩んでいた。

「相手の気持ちがわからない」
「相手がこうなのだけどどうしていいかわからない」

この手の相談をしてくる女性は、すべて「自分を殺して」いた。
すべて「相手が前提」で「自分の気持ちが成り立って」いた。
他者の中に、自分の居場所を一生懸命見つけようとして、相手に気に入られようと懸命の努力をしていた。
それを当然のことだと思い、「主体性」だと思っていた。

自分は、この生き方をして、大きく人生が狂った。
もう少しで取り返しのつかない大きな十字架を背負うことになっていた。
もしそうなったら、自殺していたことと思う。
そこまで、周囲が滅茶苦茶になった。
自分を思い返していくうちに、何がいけないのかを自分なりに考えた。
それは自分が右往左往しているせいで、結局周りをみだりにかき乱し、自分では何も決めずに流されて生きてきたのだと、そう考えた。
人に逆らうことはとても恐ろしくて、勇気のいることだった。
今でも、胸のそこから吐き気がするほど、気分が悪くなって動けなくなりそうなことが多々ある。

相談をしてくる女性に対しては、女性がしたいことを優先してアドバイスをする。
これが先走って説教がましいことを言ってしまったら、「なにもわからないくせになに!?」となる。
たいてい自分の気持ちを認めてほしいから相談しに来ているわけで、自分の人生の行く先や、心の変化に対してなど心配して欲しくないのだ。
今、彼にどうしたら受け入れてもらえるのか。
その答えが欲しくて相談しに来る。
たとえ今のままではおかしくなっていくことがわかっていたとしても、それは女性が求めていないアドバイスなので絶対にしゃべらない。

そんな中で、ポツリポツリと自分の中に溜まってきた鬱憤のようなものを、作品として出してみる。
すると、それを見たネット上の知り合いなどから密かにメールが来る。
思い当たるふしがあるのだろう。

小説には普遍性が求められるとよく言われる。
「普遍性」「普遍性」とは言われるが、それはいったい何のことだろう。
わかって言っているのだろうか。
私は感覚ではなんとなくわかっていても、それを言葉で説明することはできない。

しかし、おかしなものだと感じるのは、たとえばバーで女性の横に男性が座ったときに展開する話の内容。
なぜああも人が違っても同じことをしゃべるのか。
女性を少し持ち上げつつ、男の持論を展開する。
セクシャルな話にも少しずつ踏み込みながら、人ってこうだよね、ということを語る。
自分は書いている手前、「そんなのまとめてやるよ!これ一本で充分!」と書きたくなる。

書くと言われるということは、出来としてはよいのだろうか。
まったく言われないよりかは「え?自分のこと?」と思ってくれたほうが作家冥利につきるわけだが。

人のことを、ありのままに捉え、書くことはとても辛い作業でもある。
この書き方でいいのだろうか。
この言葉回しで、届くだろうか。
趣味もあるから一概に言えないが、届かなかった時点で失敗だ。
そこはまさに真剣勝負といえる。
自分が踏み込み、斬る。
失敗すれば、惨めだ。
こっちの心がやられる。
しかし斬ったからといって、自分も無事ではすまない。
人の心に触れることは、ひどく消耗する。
勝手に「同化」することもあるけれど、もう癖のようになっている。
自分を保つのも大変だ。狂いたくなる。

安易な話を書きたい。
浮ついたような、ありえないような、「わあ、楽しかった。おしまい」みたいな、どうでもいいような話。
でも今の自分が生きているのは、永遠とも思える反復、その苦しみに少しでも決着をつけたいと思っている。
そうやって繰り返しながら人は成長していくのではない。
学ぶべきものが、捨て去られてしまっているから、愚かになってきたのだと思う。

十年後二十年後誰も覚えていなくて、「ああ、そういうやつもいたっけ?」という扱いを受けて、誰も自分が作ったものは持ってなくて、「ああ、捨てちゃった」ぐらいの扱いで、生活できる程度の金は充分にあって、それで死にたいときに勝手に死ぬ。
それでいいじゃないか。

でも、自分にはできない。
悲しみや、苦しみに出会うたびに憤る。
自分ですらそれを他人に与えているというのに。
自分が生きた証を残したいわけじゃない。
自分にできることを精一杯して、人類に少しでも貢献できるのならば、と思っている。
こんなヤクザみたいな人間でも、日本人の代表として、人類に貢献できたら、これほど嬉しいことはない。

「私のこと、書いているの?」
腕が上がれば、もっときついことを言ってくる、または恨みを勝手に持つ人もたくさん出てくるかもしれない。
私は、その憎しみすらも背負わなければいけない。
そういう覚悟を持って、今を生きている。
できるだけ、長く、生きていきたい。
人を描くということは、そういうことだと思っている。

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05/21

Thu

2009

 母が最近相撲中継にのめりこんでいる。
 色々と場所によって応援する力士が変わり、なぜ変えたのかと聞くと「強い人応援するの」と答えた。
「ダイエットしなきゃ」
 と、母は最近体重が増加してきたのが気になるようだ。
 前は相撲など見ていなかったが、急に親近感がわいたのだろうか。
 小腹がすいたと納豆を食べながら、今日の大一番を見ている。
 スポンサーの垂れ幕が横綱の立会いの前にずらりと土俵の周りを回る。
「あれ、いくらになるんだろうね?」
 俺が言うと、母は「さあ?」と答える。
 相撲を見終わると、ちょうど俺が出かける時間になった。

「ダイエットしなきゃ」
 マクドナルドのダブルクォーターパウンダー・チーズを大口を開けながら食べている真横の女に俺は絶句していた。
 パンから肉がはみ出すぎている。
 それが二枚もあって、さらにチーズが肉の上にそれぞれ挟まれている。
「ダイエットって、お前…」
 ガラス前にある席は歩道のまん前にある。
 よくもまあ、これだけ歩行者が絶え間なく歩く中心街のマクドナルドで 大口開けながらこのハンバーガーを食べられるなと、女の度胸に感心していた。
 ハンバーガーを口にしながら女は衝撃の告白をする。
「最近、ちょっと太ってきたんだよね」
 だったら食うなよ。
 見た目は痩せているが、乙女は細かな体重計の数値が気になるらしい。
「このクォーターパウンダーが」
 と、腹の肉を掴もうとすると、いきなり張り手で殴られた。
「だからデリカシーがないって言われるのよ!」
 本気で怒られてしまった。だが納得いかない。
「だからって何よ。俺がいつデリカシーがないと言われた?」
「今よ!」
 今。そうですね。今確かに言われました。でもこの鬱憤が積み重なっていくようなモヤモヤはなんだ。
 女はカップの中に入ったコーラをストローで吸い飲む。
 ズズズ、と中のコーラもなくなり、例のそびえ立つようなハンバーガーも完食だ。
 俺は、さっき母が納豆を食べているのを見て、ついついご飯を食べてしまっていたから、もう食べる気がしない。
「あれ食べないなんてもったいないよねー」
「いや、俺ダイエットしているからいいんだ」
 外を歩きながらしゃべるが意外そうな顔を女はした。
「うそお?だってダイエットしますって感じじゃないじゃん。バクバク食う時は食うし」
 とことんムカツク女だ。わたくしはたいそうごりっぷくでございますよ。どうして女って自分のこと棚に上げてズカズカ言えるんだ?まあ、男もか。

 家に帰り、チャット画面を開く。
 俺がインしたことを登録した友達が見つけ、声をかけてくる。
「こんばんは」
 俺も返信する。
「こんばんは」
 友達は返信してくる。
「最近、ダイエットしているんだ」
 俺は面倒くさそうに返信する。
「そうなんだ」
「なんか、面白い話ない?」
 そういえば、あったな。
「最近さ、母親が相撲中継にのめりこんでいるんだよね」

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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