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あさかぜさんは見た

日記

01/21

Wed

2026

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01/30

Wed

2008

ひどく偏屈なところがあり、独善的で天邪鬼なところがある。
他人を見下しそうになり、吐き気を覚えて「これではいけない」と思う。
私のごく身近には反面教師になる材料がたくさんあった。
ああはなるまいと思っていたはずなのに、気がつけばどこか心の奥にいる。
倒すべき相手を間違え、刀を抜き、そして傷つけてしまうのは、とても心の弱い人間だ。

卑しい感情を出してはならない。
ましてやそれを人に向けることのなんと愚かなことよ。

頭ではわかっていても、実行がともなわない。
そしてその感情になんと流されやすいこの心よ。

魂の深遠に鎮座することは愚か、汚して浮かせたまま濁流に飲み込まれていく。
そのような愚かな心ではいけないのだ。
そのような濁った心で人に対峙してはいけない。

過ちは常にここから生まれ、悲劇もまたここから生まれる。

必要ならば悪を犯すこともいとわない。
必要ならばいくらでも犠牲になろう。

いつになったら淀む心は己自身で制御できるようになるのだろう。

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01/30

Wed

2008

理不尽さに対する人々の憤りや悲しみをこの体で受けるのも物書きの仕事か・・・
それこそ理不尽な気がするけれど、受け止めなければならないのだね。

実体験を理屈で批判しても、相手が主張することは変わらないのに、なぜ気がつかないのだろう。
現代人は頭で考えすぎなのです。

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01/29

Tue

2008

わかっていることだけれど、改めて今の自分には自分が思い描いているほどの実力の百分の一も存在しないということは、優れた作品に触れ、対比してみて、なさが肌身に染みてくるのがわかる。
それはあたかも杭が己へと刺さり、そのめり込みごとに脂汗をかいて必死に焦る気持ちのようだ。死んでしまいそうだ。いやむしろ死んでしまいたい。今行おうとしているすべてのことが恥ずべきことのようにすら思えてくる。
なぜこのような気持ちを抱かなければならないのか。
ふとベランダから空へと走り出る妄想が何度も頭をよぎる。

「ああ、ちくしょう」

それが何に対しての落胆なのか、憤りなのか、焦燥なのか、わからなくなってもやもやと闇の霞を撒いて、どろどろと渦になる。
そして胸の奥に嘔吐感を覚える。
やらなければならないことはわかっている。
一度にできないこともわかっている。

コトリ。
コトリ。
此岸(しがん)で石を積み上げる。
その石は、至願(しがん)かはたまた・・・

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01/25

Fri

2008

資料集めのために版数の少ない本を買い求めた。
ネットでは高値がつきそうな本なのだし、実際ついているのだが、ふとたくさん買って高く売ってやろうかというよこしまな思いが頭をかすめた。
お金も手に入るし、いいじゃないかと、自分のふところ事情を思って考えたのだが、やめた。
もし自分がそうされたら、あまりいい気分はしない。
本は、それを大切にするものにこそ真価を発揮する。
投機の目的で本が売買されたのでは、本も作者も泣くだろう。
でも、お金は捨てがたい。

思えば、「やってはいけないこと(その業界においてのモラル)」と「商業資本主義(いわゆるカネ儲け)」というのは、いかにも危うい関係で紙一重の薄さで隣り合っているのでは、と自分が行いそうになったことで思った。
例えば文化的に優れた本がある。文化的に優れた映画がある。それらは思想的に、構成として、作品として、突出した可能性を持っているとする。
しかしそれらは時間をかけて噛み砕かなければ、もしくは教養がなければすっと見えてこない作品で大規模な利益は期待できないとする。
一方、エンターテイメントで構成された娯楽商品があるとする。この持続性は低く、一度出すと次は期待できないが、一時的には莫大な利益が期待できる。だが文化を壊し、真っ当で正当な作品がことごとく破壊され、真面目にやってきた人は涙を流す。

実際モラルなんて無視して金儲けに走ったものが得をする。嘆くやつはほうっておけばよい。稼いだもの勝ちだ。次のことも自由にできる。
はたして残ったものは何かといえば、まさにゴミの山。見向きもされない資源の山ができあがるわけだ。
いや、その中でも次に繋がるものが出来上がるのだろうか。
何が正しいのかはわからないけれど、少なくとも昔ながらの硬い考えでは金儲けの発想はできないということらしい。
じゃあモラルはどうなるのだろう。

誰かが破る。周囲は焦る。やがて渡りだした最初の赤信号を無視したものにつられてゾロゾロと信号無視をするものが多くなる。
「真価」とは、なにになるのだろう。

逆に、社会のそのようなあおりを受けて、これではいけないと立ち上がる人たちが、日の当たらない場所で活動を開始するのだろうか。可能性は低い。
なぜなら、やはり欲望に目がくらみがちなのが人で、第一に名誉欲や、物欲がくるに決まっている。
私が隔たった見方をしすぎなのだろうか。

そもそも仕掛ける側が弱腰になるのは、客にこびているからに他ならない。
売り上げを気にし、利益を気にし、何事も商業ベースで考える。
そこに価値のある文化は生まれるのだろうか。
類似作品が横行し、似たようなキャッチフレーズが飛び交い、もはや燃やす燃料すらも枯渇してきた。
資源を無駄遣いしてきた結果だ。
この世界ですらも「飽食」なのだ。

最近本の悪口はよく見かけるけれど、一生とっておきたい本というのはあまり聞いたことがない。
価値ある本が、消えていく気がしてならない。

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01/21

Mon

2008

芸術における才能に対してなぜそのような希望的観測で物事を論じるのか。
実力や才能と言うものはあり続けるものではない。
使っていなければ消えてしまうということをその人は知らない。
もし、完全に鈍ってしまえば、取り戻すことは困難を極める。

エジソンは「天才とは1%のインスピレーションと99%の努力でできている」というようなことを言ったらしいがほとんどの人間は勘違いしている。
努力すればなんとかなるのではなく、そのインスピレーションという源泉がなければ99%の努力はいずれ枯れる。
物事を達成するまでの道筋はひらめきを地盤にして動き出す。
「こんなことができたらいい」「あれをしたい」
それを99%の努力で限りなく100%まで近づける。
それは強い金属のばねをつけたエキスパンダーのようなものだ。
ただやみくもに何かをすればよいと言うわけではない。
だから何もするなと言うのではない。
目標と道筋を明確にせよということだ。

私は安易に「夢は叶えるものだ。いつか叶う」とは言わない。
この言葉に苦しむ人間だっている。
私は言う「夢を叶えるための階段は飛ばして上ろうとするな」。
希望だけ与えて教訓を与えないものは悪人だ。
なぜなら希望だけであふれているわけではない。
しかし絶望だけでもないのだ。

いつかは抜こう。
夢は花開く。
ただし、「夢」というものが何かわかったものだけにだ。
進め。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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