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あさかぜさんは見た

日記

01/13

Tue

2026

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08/09

Sun

2020

病気をする

先月28日より一週間ほど熱が出ていて倒れていた。
コロナも心配し、保健所で検査を受けられる場所を教えてもらおうと思ったけれど、コロナ症状に該当しないとのことだった。
しかしながら5日間は8度以下にはならず9度5分まで上がったりして大変だった。
大変だ、と言っても、固形物が喉を通らない。
水とゼリー状の栄養ドリンクのみでしのいだ。
喉も痛くなければ咳も出ない。しいて言うならば、腹痛が多少あるくらい。
治ってからが問題だ。
ほぼ寝たきり状態を一週間も過ごすと特に足の筋肉がガタ落ちだ。
3分の1になったんじゃないかって思うほど。
少し歩いただけで筋肉痛になった。
年取って一度寝たきりになると、なかなか戻れない理由がよく分かった。
それにしても27日両親とともに仏壇に手を合わせた次の日に高熱を出すとは一体どういうことか。
気が付くと酒がすっかり抜けている状態だ。
飲みたいけれど今は前の抜けだせない状態になるのが少し怖い。
死にたいと自分を呪っても、体は動けなくさせてでも制止させ、酒を飲むことを気持ち悪くさせ、体をリセットさせようと勝手に試みる。
凄いことだ。

酒を飲むにはエネルギーを使う。分解に相当な手間がかかってる。
消化にはエネルギーを使う。血糖値が急激に上がるようなものは食事の後半にまわさなければクラクラしてくる。スープはとても体によく染みる。自然に染みる感じがする。食べる量にも当然気を付けなければいけない。体感的には腹八分目。少し飢えがあった方がエネルギー効率がよいように思う。
運動にはエネルギーを使う。年を取ってからの運動はむしろ筋肉を増やすのではなく各筋肉部位の血流を意識しながらやることが効果的だと知る。
大人になると使わない筋肉ばかりが増えるため血流が全身におおいに行きわたらない。

「衰えている」とはあまり感じないが、
「とても色んな所を使っていない」ということは凄く感じる。

病気は辛い。
心が悪くなっても前へ進めないし、体が悪くなっても前へ進めない。
ましてや動かさなければ衰えていく。

新しいことを沢山勉強していきたいけれど、心身ともに整えなければいけないし、整えるために気を使って行動しなければいけないことが沢山あることに気が付いた。

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07/20

Mon

2020

鴨頭嘉人さんのYouTube見てる

何か月もちょこちょこ見ているのだけれど、面白いことを言っていた。
「95%は講演後に行動しない」
聞いた人のほとんどはお金を払っているにも関わらず、その場で満足するか忘れるかしてしまうから行動しないそうだ。

僕は弱い人の気持ちがよくわかるし、自分も心が弱く半アルコール依存症にもなっているから、たぶん95%の中のさらに弱い2割ぐらいかどうかは知らないけど、そこら辺の人たちだと思っている。
それで僕は昔から考えていていまだに結論が出ていないことがある。
それは心の弱い人間が強くなっていくにはどうすればいいのか。
そのメンタルの土壌を作るにはどうすればいいのか。
「行動するしかない」のはわかっているけど、きっと「95%の人たち」は永遠にそのままだよね。
それとも何度も何度も刷り込めばだんだん「残った95%の中の95%が・・・」となっていくのだろうか。

例えば僕は嫌なことが頭から離れず、その時はアルコールの力を借りるしかない。
運動してもイライラするし、食べてもイライラするし、大声出してもイライラする。
そうして忘れるための手段が常習化してくる。
特に依存症の漫画の中で「報酬系」と呼ばれる脳の機能が刺激するから癖になると描いてあって、なるほどなと納得した。
何故なら僕は今店先でアルコールを見ると梅干し思い浮かべたみたいに口の中に唾液が出てきて、飲みたくなってしまうほどになっている。

他にもゲームをやっている時も面白いゲームがあると永遠とやっている。

なんでだろうね。
自分の経験から言うと「報酬系」もそうだけど、加えて人間は「快楽」の方が強いから、より楽な方へ行くんでしょう。

人類は成功法則は結構編み出していて、何故か成功者は自分の苦労体験とかもあるのだけど、最後にはゴリマッチョになっていく性質がある。
ゴリマッチョって言うのは、最初は優しかったのが、最終的には強者の理論になっていって、その強者の理論にならなくてはダメだと、弱いものを排斥しかねない理屈になっていく。
人は自分の脳を騙せるから、やがて分厚く塗られたものが、感情になっていくのかもしれない。
わかるけど、この方は「世界を変える」と仰っているのだから、違和感がある時がある。

僕は本を読むとき読書の習慣がない人は、絵本から始めようと薦める。
「大人だから絵本なんて=あれは子供の読み物だから」と頭から否定していると(プライドがあると)、ステップアップって難しい。
ゲームって、とっても面白くって、あまりにも難易度が高すぎるとゲームは売れない。
だいたいはゲームシステムの説明があって、操作させながら覚えさせて、後半に行くにつれ、少しずつ難易度が上がっていく。
その間に細かなイベントがあって、クリアするごとに効果音なり音楽なり映像なり色んな演出で盛り上げてくれる。つまり報酬が与えられる。
世の中に出ると、この手の報酬はなかなか与えられなくなる。給料ぐらいか、もしくは自分で目標設定して自分の中で盛り上がっていくしかない。
じゃあ多分自分で目標設定して盛り上げていくことはできるけど、95%の人はそのことを「快楽に勝る報酬だ」とは感じていないわけだ。

鴨頭さんはお酒を飲めないみたいだから、紀元前から続いている人類の快楽を知らない、はず。
そしてゲームをやるのは精神が未成熟だからやるということも言っていた気がする。スマホゲームはそうかもしれないけど、ゲーム産業が映画産業をゆうに超える規模なのは軽視しているのだろう。目標達成には関係のないことだろうし。
じゃあこの2つの快楽がどれほど強いものなのか、特にゲームなんて習慣のない人間を習慣化させるシステムがあることを知らないのかもしれない。
上に書いてあるゲームのステップアップ形式。ゲームバランスがきついと途端に遊んでくれないけど人気のあるゲームには必ず「報酬系」がある。

鴨頭さんは「ギフト」ということを考えていて常に与えようとしている。
「講演そのままパクってもいいよ」って言っているぐらいだから、自分なりの解釈をしてYouTubeでも始めればお小遣いは稼げるかもしれない。講演にもお呼ばれしちゃうかもしれない。
でもやっぱりそれは「行動できた人」であって、「行動までのメンタルブロックを外し常習化させるメソッド」にまでは至らない。

伊賀焼の先生とお話した時「才能って何ですか?」と聞いたことがある。
「環境だろうね」とあっさり答えた時は「それはイラっとしますね」と素直に伝えた。
だって先生のオヤジさんは既に素晴らしい伊賀焼の陶芸家で小さなころから「芸術」というものに囲まれていたんだもの。
うちはサラリーマンの家庭だったし、芸術のことには非常に否定的だった。学校の先生にも「映画監督になりたい」と言ったら「頭がおかしくなった」と親に連絡がいったそうだ。
じゃあ僕は才能なんて、これっぽっちもないじゃないか。
とても悲しくもなる。

「才能=環境」なのはよくわかる。
つまり「思考を変え行動を変え習慣を変え環境を変える」ってことだ。
ここまでの作業をゼロからやるのは、かなり骨が折れる。
「5%の人たち」って「才能のある人」だと思う。
既に環境を変える力を持っている人たちだ。
でも残りの「95%の人たち」は「才能のない人」だ。
だからこの手の人たちを変えるには「才能を導き、才能を行為させ、才能があることを認識させ、才能を証明する」必要が出てくる。
もうここまでの理屈になってくると「行動するしない」の問題ではなくなってくる。
「システム化」させるしか術はなくなってくる。
しかも「報酬系」も欠かせない。
もし「才能への報酬系システム」みたいなの考えられたら、自分が長年考えてた「メンタルブロックが強く心が弱い人間への成功快楽法」みたいなのが出来上がるのかな?

もう少し考えてみる必要がありそうだ。


追記:8/9
95%がどうしてできないのか。潜在意識を変えられないからだ、というところまでわかりました。つまり、この潜在意識の改善方法さえ見つければよいということになりますね。

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07/06

Mon

2020

いい酒を飲むこと

自分は、具体的なメーカーを出して申し訳ないが、セブンイレブンのチューハイのアルコールは頭が痛くなって動けないほどになる。
コンビニで独自で作っているチューハイシリーズとも言える。
色々個人には同じアルコールでも受け付けない受け付けられるものがある。
もう僕は甲類焼酎に関してはほぼ鬼門になるので無暗な冒険はしないことにしている。
いつもは缶チューハイの9%とか狙ったりするけれど、そのうちこれもダメになる可能性もある。
いい酒を知ってしまうと、悪いものが入ってきた時に体でわかるようになってしまった。
体の反応でいい酔い方、悪い酔い方が少しずつわかってきている。

この反応は自分の中でとても考えるところがある。
つまりいいものを知ろうとしなければ、悪いもので自分を満足させようとする。
それが一時しのぎで、一時の辛さを忘れる麻薬のようなものになろうとも、経済的な事情でそこに甘んじ、そしてそれでいいと納得しだす。
酒の飲み方一つでも、ダメなものへと浸っていく。
最後には何でもいいから酔うみたいになってくる。

美酒はいつも飲めるわけではない。
だってお値段だって張るし、経済力なければ、そんないい酒なんて無理だ。
でも、なんでそんなに高いんだろう。そこへの想像力は必要だなと酒蔵を訪ねてみて感じる。
北海道は小樽ワインと言われるワイナリーをはじめ、日本酒、ワイン、ブランデー、ウィスキー、今ニッカは国産のジンも作っているし、とにかくびっくりするほどの酒の産地だ。
しかも三笠には化け物級のワインがある。
空気に触れるたびに味も香りも変化してくる。
ロバート・パーカーJrにも当時日本最高のワインの評価をもらいマツコの知らない世界でも紹介されたと前ふりで聞いた。
視界に広がる斜面にはぶどう畑。下には以前海だった土がある。
見えるものだけじゃなくて見えていないものへは色々な知識と想像力が必要だ。
そんな総合力を発揮して見えないものを利用している。
いい酒を造るための努力だ。
三笠だけじゃなくて酒蔵見学をすると知らなかったことが沢山。
お値打ち品を売っているスーパーの社長だかが、
「安いものにはわけがある。高いものにはストーリーがある」
みたいなことを言っていた記憶がある。
いいものを身に着ける。
それはストーリーを身に着ける。
ストーリーを体の中に入れていく。
つまりは自分もきちんとしたストーリーを積み上げないといけない。
ストーリーを積み上げることによって、よいものが出てくる。
よいものを手に入れてもいい資格が出てくる。
そんな気がしている。

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05/19

Tue

2020

こちら田舎でも札幌が雪まつり少し過ぎたあたりからコロナ患者が出ていて、ついには3月末、志村けんさんが亡くなった次の日から、僕のいる飲食店も仕事にならなくなってくる。
近くの病院のスタッフがコロナにかかったりと、ついにも札幌近郊の田舎にもコロナの魔の手が忍び寄ってきた。
そして4月中旬あたりには開けるだけ人件費がかかるため、あと北海道知事の強い要請もあり自粛閉店。
1か月以上借金をしながら暮らしているという有様なのだけど、アルコールの飲みすぎで手が震えてくる。
先が見えないからさ。なんだよこれ。あーあ、死ねってか。みたいな。
しかしそんな自堕落な生活をしていると、多少飽きてくるものがある。
酒、これは同じもの飲みすぎてて、ちょっと味に飽きてきた。
ゲーム、これもそれほど沢山手を伸ばしてないから同じものやりすぎて飽きてきた。
むしろ僕の人生そのものもゲームみたいなものだから、もっとリアルにゲームをやればいいんじゃないかなと。苦痛である文章作業をやり作品を積み上げる。YouTubeだって配信きちっと調べてないし、団体も動かって言って何もやってないし、団体って以下のやつね。

ギルド「ZeroKelvin」

ちなみに、光野朝風はペンネームだけど声のことも別ネームでやってる。演技指導するのに自分でやらないと、なかなか細かく伝えられないというのがあったのだけど、やり出すとまた奥の深い世界で面白い。体を使わなきゃいけないし、人間を考えるという意味では小説も演技も一緒だなと思う部分もあり。
そんな感じで酒と演技とで1か月くらいイカレタ生活をしていたのですが、やっぱりやりたいことやっていると、生きること嫌だなってずっと思ってたけど、また調べ事したくなってきて、本を読みたくなってきた。
本を読むってなると、少なくともぎりぎり午前中までには起きないと、どうにも頭がすっきりしてこなくて文字が入ってこない。もう数か月本読まない生活しただけで頭の中がぶよぶよしてる。例えて言うならゴミ屋敷になってて部屋と部屋の間移動できないし、そこらへんが汚れていても掃除する気にならないし、ましてやゴミ多すぎてどっから片づけていいかわからないから放置。思考停止状態。
人に色々教えるにも知識が必要だから、人を支えていくとなるとまた気持ちを新たにして勉強をと積んでおいた本を少しずつ崩している。

去年は投資で自律神経やられちゃって、かといって普段からメンタルは強くないから、ここら辺はまた鍛えないといけないけどさ、福本伸行漫画原作のドラマやアニメなんて見まくってて、お金って何だろうと当初「ハゲタカ」というドラマから考えていたのだけど、最近は福本漫画のお金理論みたいなものを見ている。
基本的な単位が億になるには、そんな金を普通に手に入れるには去年本当に学んだのは、あれはお金ではなく数字だと思った方がいい。
ひとまずだいたいのものが数字になると、あらゆるものがゲームになる。
昔からゲームばっかりやってきたから、これぐらい頭のねじ緩みまくっていた方がいい。じゃないと今度は絶対に死ぬことになる。
千円だって重いんだもの。億手に入れる前に千万で死ぬと思う。
積んでみたいね、バサバサと、一千万単位で十億の山を札束で。

まずはイメージ。百万円って1cmなんだってさ。それじゃあ薄いよね。まずは一千万。片手に持っているイメージトレーニングでもしよう。

コロナウィルスが世界を変えるようになって風邪のように流行りとか廃りとかの次元ではなくなってきた。
コロナ後がどうなるかではなく、もう変わったし、容易に変われることにも気が付いてしまった。
自分ももうそろそろまずいけど、上手く生き残れたら、また会おう。

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03/12

Thu

2020

医療従事者の経験談を聞くと「終末患者(ほぼ寿命も近く他の病院も受け入れず、ここで死を待つような患者)」は2つに1つなんだと言う。

・感謝の言葉を述べる人
・我がままばかりで周囲への文句しか言わない人

不思議と真ん中はないと言う。

そして顕著な例はお見舞いの人数だと言う。
前者は家族親族等お見舞いも常に来ていて温かな雰囲気なのに対し、後者は家族親族がいても一切お見舞いにも来ないのだという。挙句の果てに亡くなってからも家族親族が面倒くさがって揉めるケースも珍しくはないらしい。

人生の集大成が、その人の最後に現れる。

何故なのか。
説明しないでも大人ならば理解できることだろうけれど、理解できるのに実行はできない。
そんな差異が死の間際で顕著な現実として目の前に現れる。

この差は何か。

今の僕が断言できることは、

・愛を学んだもの



・愛を学ばなかったもの

だと思っている。

愛とは何か。
それは自分の価値以上の未知の何かに対して懸命に自分の人生をぶつけることだと思っている。
犠牲と根気と時間と言葉と感覚とやり取りと体験。

自己犠牲には違いないが、愛を知っている人間には違和感がありすぎる言葉だ。
だけれど知らぬ人間には、自己犠牲以上に費やさなければならないものがある。
両者の感覚は相容れることはない。

愛を知ると、自己犠牲以上のものが求められても苦痛ではなくなる。
価値基準が大きく異なってくるからだ。

目に見えないものが見えるようになる。

だけれど愛とは一種の体験でもあるから体験がなければ、この壁は一生突破することはできない。
そして愛を知らぬまま死ぬことになる。
だから周囲への愚痴や文句が平然と言えるようになる。
そこには自分しかいないからだ。

自分が明日死ぬとして、感謝を述べられる人間が何人いるだろうか。
何に感謝をして言葉を告げられるだろうか。

若かろうが老いていようが同じことだ。
人間はいつ死ぬかわからない。
だからこそ、せめて誰か一人でも感謝の言葉の内容を吟味して伝えられる人を生涯のうちで見つけられたとしたら、その人間の人生は幸福だったと言えるのではないかと考えている。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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