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あさかぜさんは見た

日記

01/21

Wed

2026

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06/20

Wed

2007

メモ書き

芸術が芸術とたり得るには、強烈なイデオロギーが必要になる。つまり、概念や思想の体系が盛り込まれて、かつ、一遍の普遍的真実となりえるとなりえるものが芸術という形を借りているに過ぎない。
簡単に言えば、考えもなしにやみくもに書いて芸術はできないということ。
時々気になるのは、彼が何を思って、何を考えて、どうして死んだか・・・死んだのだろうか、殺されたのだろうか、どちらと判断するか、どちらにせよ、自らの作り出した「魔性」に死んだのか、もしくは誰も見抜いていなかった「未来」を見て、死んでいったのか、いつかどこかでユキオミシマのことは書かなければいけないと思うのは、あながち空想的な好奇心ではあるまいと思うのです。

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05/18

Fri

2007

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%80%A5%E8%A5%B2%E9%83%A8%E9%9A%8A
wikiを見てきたけれど、対テロ組織特殊部隊か。
狙撃用ライフルや機関銃、閃光弾まで装備している模様。

たかだが拳銃一丁持った犯人一人に28時間もかけるとは、本当のテロに対処できる能力は低いのでは?
日本でテロを起こすなら、集中させて作戦を行うのではなくて、小規模の事件を分散させて各地で同時に行い、主要目的の場所に武力を集中させればいいわけでしょ?
そうすれば現在のちまちました処理能力じゃ対処できないのでは?
簡単に陽動作戦に引っかかりそう。
一人警官殺せばこれだけ突入に躊躇するわけですよね。
その躊躇の時間がこれから先、百人二百人の犠牲を生むかもしれないのにね。

あ、まだこういうこと日記に書いても私捕まらないですよね?(笑)

それにしても細菌兵器にはどのように対処するのかな?

さすがに日本の特殊部隊はアメリカのと同じようにテキパキとは行動できないみたい。

今回の事件、私と同じように妙な憤りを持つ人も多いのでは?
ひとつの命と引き換えに多くの教訓が出た事件だったけれど、どう変わっていくのやら。

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05/12

Sat

2007



小説「冷血」誕生にまつわる話なのだけれど、どうにもコメントしづらい。
作家と言う存在は、常に二面性(または多面性)を保ちながら、そこに内的な葛藤を見出し矛盾と戦いながら、対象に向かっていくものだと思う。
特に「冷血」はノンフィクションという性質を保っている限り、これはぬぐいされない大きな問題として自己にのしかかる。

常に、二人の自分がいる。
一人は自分を含めたあらゆる状況を冷静に分析している自分。
もう一人は自分が感じたありのままの感情を受け取っている自分。
後者はインスピレーションとして働いていて、前者は文章構築の際に役に立っている。
この二人の自分が奇妙な矛盾を生み出す。
直感的に物事を感じて動いている自分を冷静に分析していると、自分が計算高く動いていて、己の利益になることだけをしたいのではないかとか、他人のことなんてこれっぽっちも考えていないのではないかという冷静な判断や自己否定が、前者の自分が後者の自分へと囁きかける。
カポーティともなれば、「この小説を書けば、自分の成功は間違いない。この小説は必ず物議をかもし出す」という未来への打算的な考えも含めて行動している。
直感的に物事を感じている自分は、それを批判したり、そういうあさましい自分に傷ついたり、欲望と直情と計算と希望のあらゆる葛藤を含めながら、内的破壊も含めながら直情的に、かつ合理的に行動している。
その直情的に行動する自分を打算的にまとめたり分析したりしているの自分が、時として己に対して反乱を起こす。直情的な自分も打算的な自分へと反乱を起こす。
この両極端な二面的自己破壊行動がすべてのインスピレーションの源泉ともなりえたのだろうけれど、長い年月が完全に作家としての命をも奪ったことは間違いないと思う。
なぜ、カポーティが酒に溺れ、麻薬に溺れ、最後は死んでしまったのか、どことなく、わかりそうな気がして、妙な親近感を覚える。
映画の中で結構電話して色々なことを親しい人に直情的に話すのだけど、あれ結構文章書く前に重要な作業というか、話しながら自分の中のごちゃごちゃしたものを整理するので、私もよくやります。

観察眼が鋭すぎると、自他の微妙な感情もよくわかるようになってくる。自分がどのような気持ちで対象に接し、そして対象はどのように受け取るのかもある程度見通せるようになる。そして受け取った対象が今度はどのような行動へとうつっていくのかも、ある程度計算している。
その「見通し」の中に、あたかも「人を自分のために利用している」ような錯覚を受ける。ノンフィクションを描こうとする時、必ず自分の中で起こる「自己否定」と向き合わなければならない。これは「ジャーナリズム」とはまったく違って、自己の闇とも向き合わなければならない作業だ。だから優れたノンフィクションの文体は緻密かつ、適度に乾いている。自分をすり抜けて対象を宿すからだ。
計算しているならば感情を制御できるだろうという疑問が差し挟まれそうだが、もし本当の作家ならば、自分の「衝動」すらも絶対に否定しない。「衝動」を前面に出している時は、理論的であるよりも、もっと野生的だ。自分を含めたすべての対象が、テーマとなりうる何かを含んでいるから、己の感情すらも利用する。当然人とも衝突しながら、他者に強烈な否定を加えられながら、己の中の冷静な判断は研ぎ澄まされていく。

優れた作家はどうして死ななければならないのか。
優れた才能はどうして同時にそれ以上の苦悩を背負うのか。
それは美しいも汚らわしいも含め、その他者が己と何一つ変わらない「人間」であるということを、そして誰よりも醜い感情を、研ぎ澄まされた闇を背負うからではないだろうか、と、私は、思う。

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05/04

Fri

2007

父親たちの星条旗 硫黄島からの手紙




「なぜ始まったのか」という理由はどこにでもある。でも終わってみれば、「なんのための戦いだったのか」という疑問がふと浮かぶ。日本でもこんな懐の深い映画を作る人がいないのだろうかと思ったけれど、映画としてとても面白かったです。

「父親たちの星条旗」は、硫黄島での戦闘よりも星条旗にまつわる人間ドラマと言ったほうがよく、戦闘シーンは「硫黄島からの手紙」のほうが断然多いです。両者に共通している人物像は「国の事情に巻き込まれた人たちの心理模様」です。

「トラトラトラ!」も一緒に載せたのは、70年代の古い映画なのですが、真珠湾攻撃直前直後までの様子が公平な視点で描かれています。「パールハーバー」のような、いかにもハリウッド的、タイタニック路線でいこうや、みたいなスポンサーの興業的な意図がミエミエのいやらしい映画とはまったく違います。

例えば、ちょうどよく今憲法9条のことで何かと話題になっている。私自身は軍隊を持っている矛盾を解消するために憲法の条文をあわせるべきだとは思うけれど、私自身は米軍への日本国外での補給活動を含める軍事行動は排除すべきだと思う。「自衛」という観念でどこまで軍事行動を認めるかは大きな論点にはなるだろうけれどね。ミサイルも核も細菌もある時代で「自衛」の範囲はとことん、ほとんど地球全土に及ぶほど広がる。

しかし国外での外国部隊への補給活動においてはよく考えたほうがいいと思う。補給こそ戦争の要であって、補給なくして戦争はできない。つまり、補給こそ戦争行為そのものだからだ。それをもう少し認識したほうがいいとは思っている。「日本は戦争をしない」という思想を貫くのなら、その思想に根ざした動きを徹底させるべきだと思う。

日本は戦争に負けた。負けて、ここまで来た。我々は何を失って何を得たのだろう。そんなことを考える人間は若い人の中ではほとんど見たことがない。太平洋戦争・大東亜戦争で戦った日本人たちは、何のために死んだのだろう。何のために殺したのだろう。国を守るため?歴史を守るため?民族としての誇りと名誉を守るため?

たった一日でも平和を伸ばすために、どれだけの人が犠牲になって死んでいったのか。どんな思いがあったのか。硫黄島のほうではよくそれが出ていると思う。

ナショナリズムという言葉がある。政治学を見れば小難しいことが書いてあって、結局わかったようなわからないような感じで終わる。

私はナショナリズムというのは、土地を愛する気持ちだと思う。友を愛する気持ちだと思う。大事な人を心から思いやる気持ちだと思う。それらは、人間同士の人情的な付き合いから当然うまれてくるものだと思う。そういうものが、国を愛する気持ちになるのだと思う。

本当に美しい国ってなんだろう。彼らの死に値するだけの国ができあがっているだろうか。アメリカ人や日本人たちが流した血に値するだけのものが出来上がっているだろうか。

私は国が真に滅びるときは、国民が誇りを忘れ去った時だと思う。「こんな国なんてどうでもいいや」とかいう気持ちが蔓延した時にはきっとガタガタになる。

ナショナリズムを小難しく展開しなくてもいい。ただ、「自分たちは何者であるか」という認識を持っていなければ、名前も名乗れない人間に等しい。

日本人が日本人であるための定義なんて都会に行けばぶっ飛んじゃう。日本。日本ってなんだ。高層ビルやネオンきらめく繁華街や経済事情に振り回される人たち。きっと彼らにとってはどうでもいいことなのかもしれない。そしてそこに育つ子供たちはどこか打算的に物事を考える癖がついている。かく言う私もそう。とことん打算的な思考がついてずる賢く動くようになった。

日本人は何を守って戦ったのだろう。長い年月がたつと、とことんわからなくなりそうで、今でもモヤモヤとした気持ちが残っている。

ぜひ、片方だけではなく両方見てください。

いずれ、日本人監督の中にもアメリカに恩を返せるような懐の深い監督さんが育っていくことを心から願っています。

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04/20

Fri

2007


2010年3月8日、動画追加しました。
ファルコムは音楽著作物フリー宣言しています。
かっこいいー。

星の在り処 フル・バージョン
 作詞:浜田 英明 編曲:和田 耕平 歌:う~み コーラス:伊藤 和子


君の影 星のように 朝に溶けて消えていく
行き先を失くしたまま 想いは溢れてくる

強さにも弱さにも この心は向き合えた
君とならどんな明日が 来ても怖くないのに

二人歩いた時を 信じていて欲しい

真実も嘘もなく 夜が明けて朝が来る
星空が朝に溶けても 君の輝きはわかるよ



さよならを知らないで 夢見たのは 一人きり
あの頃の 君の目には 何が映っていたの?

二人つないだ時を 誰も消せはしない

孤独とか痛みとか どんな君も感じたい
もう一度 見つめ合えば 願いはきっと叶う


夜明け前 まどろみに 風が頬を 流れていく
君の声 君の香りが 全てを包んで満ちていく

思い出を羽ばたかせ 君の空へ舞い上がる
星空が朝に溶けても 君の輝きはわかるよ

愛してる ただそれだけで 二人はいつかまた会える


~~~~

この曲はゲームのテーマソングなのですが、ゲームもやって、さらに歌もいまだに飽きずに何度も聞いております。
これだけ擦り切れるほど聴いた歌ってあまりない。
特に色違いの太字で記した部分がサビなのですが、これほど美しい歌詞を聴いたことがなく、この部分の言葉が一番好きです。
全体的に綺麗な歌詞で音楽もよくファルコムいい仕事したと思っております。
ゲームソングじゃなければ売れたのになぁと純粋に思うわけですが、昔から何かとゲームをやって育ってきたので、やってないゲームのサントラもほとんどあてずっぽで買って、「ああ損した」とかよく思ったりするのですが、たまに当たったりするととても嬉しく、聞く時間が確保できれば買ったりします。
でも少し悲しいのが、ゲームとかアニメのサントラコーナーって少し近づきがたい雰囲気に包まれています。
気のせいかもしれないけど、こう・・・萌え?みたいな美少女の絵がたくさんあったり、「そういう趣味はないんだけどなぁ」とか思いながらも探すのがちょっと気恥ずかしい。
最近はオンラインショップで購入するのでそういう気恥ずかしい思いをすることは少なくなったのです・・・逆にお店のほうが品揃え悪かったりして。
音楽とは関係ないのですが、DVDの品揃えもレンタルショップ同様売れるものくらいしか置いてないのでちょっとマニアックな部分がなくなって寂しいです。
売れるものおかないとお店潰れちゃうし、マニアな店ほど残らないのはちょっと残念。
この曲出てからだいぶたつけれど、流行らないかなぁ・・・
流行らせたいのだけれど(笑)





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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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