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あさかぜさんは見た

日記

01/14

Wed

2026

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10/15

Thu

2015

集合知という幻想 ~集団はより愚かになる~

集団的知性(しゅうだんてきちせい、英語:Collective Intelligence、CI)は、多くの個人の協力と競争の中から、その集団自体に知能、精神が存在するかのように見える知性である。
wikipediaより



簡単に言うなれば専門性の高い共通の話題は専門化同士でしか話せず、集団の分母が増えれば増えるほど知性の低い、より感情的で、かつ欲情的な鬱憤の溜まった、狭量なものたちへ、話題や意見が統一されていくということ。
ネットは人を自由にするかと言ったら、ツールとしては自由に扱えるが、人間の最も醜い本質をより多く反映させる結果となるのではないかということだ。
玉石混交とはよく言うが、ネットとは泥の中から砂金を見つける作業に等しく、知識のないものはより程度の低い話題しか見つけられないし、結局万国共通というか、同じ言語同士で一番話題にしやすいのが「悪口」であり、今や「悪事千里を走る」ではなく「悪意地球を回る」と言ったほうがいいほどだ。
現代の情報の受け取り手は真実かどうかは関係なく「現実味があれば事実」と承認してしまい、そして独自理論や、その他者の独自理論を借りてきて自らを納得させる。まさにネットの論理は「ほぼ思考停止」の状態に陥っているし、大企業や政治家さえも「目に見えない誰か」の存在を大いに気にしている。
これはもはや既に「現代の迷信・宗教」に他ならなく、私は最近よくわかってきたが、このような恐れを抱く人間は自分の足を使って自分の身を使って人と数多く接していないのではないか、または身の丈に合わぬことをしているから「不特定多数」の「自分の目の前にいない人」を気にしなければいけないのではないかと考え始めている。
結局当人の欲望の拡大に原因があり、右肩上がりの利益拡大を思い描いているからこそ生まれる恐怖心なのではないか、などと勘ぐったりするのだ。
誰しも批判は怖いし、人から拒絶されると自分の居場所を失ったかのような喪失感は個人にもある。
会社だと利益に響くということもあるし、株式会社だったら直接株価に響くから、株価から算出される損益に神経を尖らせていることなのだろう。
だがより愚かになる、情報に飼いならされた、物理現象もまともにわからなくなっていく文明社会の人々に合わせなきゃいけないとしたら、それはほぼ完全な嘘で塗り固められたサイクル形式を保つしかない。
つまりA→B→C→D・・・→A→B・・・となっていくような利益循環システムを嘘で完璧に作るのが一番大衆を制御しやすい。
このABCDはそれぞれ独立していてもいい。
ようはAからBへと繋がる嘘を作り次にBからCへと繋がる嘘を作り、ABC・・・は独立した事実であるということが、このサイクルを完成させる仕組みなのだ。
嘘はどこに存在するかと言ったらAとBとの関連性、ということになる。
Aの中にフェイクのようなものがあってもいい。
「私は君にお金を出そうかなと考えている(が、出すとはまだ決めていない)。」
「生きるのに確かに水は必要だ。君には水をあげよう(だが飲み水をあげるわけではない)」
というような内容だ。
さらにBまで繋ぐ嘘は例えばこう。何でもいいのだ。
B「飲み水の確保は難しく、世界は干ばつが急速に進んでいる(が、飲み水はまだ安価で仕入れられる)」
その間に存在する嘘は無数にある。
「今や1リットル500円以上もする飲み水を人口分用意するために我々は大変努力をした。これも皆様が力を貸してくれたおかげだ」
こうなると既に何者かが利益を得られるサイクルって出来上がっていて、さらにこの不都合な真実を調べられる能力のない大衆を巻き込んだ負のスパイラル構造、メビウスの輪のような地獄のレースは感情的に訴えられ、そして感情的に高ぶったところで理屈で固められるということになる。
例えばこの理屈で競合している者を排除するとなると
「あいつは水を独占していて、高値で吹っかけて売っている。人類が水に困り、死者も増えるばかりだというのに、利益のために水をわざと溜め込んでいる」
特に日本人は「利益を独占」とか「利益を多く得ている」とか、他者の抜け駆けを許さぬ民族であるからこの文面は効果があるし、いつでもネット上にふっと湧いてくる謎の文面である。
ライバルが消えた後にうわさを流した張本人が、悠々と牛耳っていけばいいということだ。
このように「悪意に加担するものは悪事に手を貸している」ということを知らぬ人たち、また「完全な善意の裏にある悪事を調べられない」人たちが、「集合知」の正体なのだとしたら集団は完璧な愚かさを極めていくしか手がないではないか、ということを言いたいのである。
つまりは負の釜の底を見ようと頑張っている連中に対して恐怖心を抱くのだとしたら、それは真に戦うべき相手を間違っているし、その手の存在に志が打ち砕かれたとしても、何のために戦うべきなのかを見失ってはいけないのだ。
ここを捻じ曲げてしまうと、より低俗な、より安易な、より直情的な、そしてなおかつ卑屈さによって歪められた何かを産出するほかなくなるし、先ほど述べたように、より嘘のサイクルを塗り固めるしか利益拡大の方法はなくなる。
これはつまり「利益のための利益」であり「人の幸せへつなげるための利益」ではなくなるのだ。
罠はいたるところにある。
目の前の亡霊はあなたを呪い殺すかもしれないが、あなたがきちんと分別を知っているのならば、それ以上は何も出来ない。
決して人のぬくもりを忘れぬよう覚えていられる場所に日々自分を置くことが、「集合知」に巻き込まれないためのコツだ。

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10/12

Mon

2015

大きなものから小さなものへ

これからの戦争はコストのかかるものではなく定食を食べるぐらいの値段で人を殺しあうようになる。
ドローンのようなものやレーザー、微生物を直接運ぶ虫型ロボット等。

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09/29

Tue

2015

私の親の世代によくあるけど

年上の世代の中で若者の現状を見て「絶望的」と表現する人がいるが、今起こっているそれをこちらからご紹介させていただいたらいよいよ死にたくなるだろう。
もし死にたくならないのなら、心の底から何かを心配していたり気にかけたりはしていない。
全ては自己満足の類だと解釈する。
自殺するか、変えるかしたくなるのが本当の気持ちの落とし所なのだけれど、いたずらに魂をさ迷わせているのなら、命の使いどころを知らぬ人生をやたらと歩んでおられるだけに、あまり相手をするに至らぬ。

今「ゆとり世代」を超えて「さとり世代」だと誰だかが名付けたが、いつの時代だって馬鹿も阿呆も一緒だったではないか。
何を今更いけしゃあしゃあと少しばかり知恵のついたおっさんやおばんが若者を断罪する必要があるのだろう。紀元前から続いていたことを今もまだ続けているということは、本当に一般人は糞ほども学びはしないということなのだろう。
いつだって子供は自分たちが作り上げた社会によって育った「努力の結晶」なのであって、それを批判するということは、自分たちの社会への向き合い方そのものを否定するのだということに気がついておらぬ。

僕は年上とも年下とも接することのできるようになって気がついたが、どうしようもないクズってのは年上にも充分いるし、だからといって年下がその数に勝るってことはない。
これは何故かっていうと、年下だと「まだ知らないからねぇ、教えてやるぞコノヤロウ」って気持ちになるけど年上だと「もうどうしようもないもんね」って気持ちにさせられるし、例えば僕はだいたい大人しいけれど、大人しくしてると遠慮なくやってくるやつがいる。
「こいつはサンドバッグにしていいんだ」と無意識にも臭いを嗅ぎとるんだろう。
よくわかるよ。
暴力は常に弱いやつに向けられるっていうのは、人生の中で実証済みなので。
例えば紳士ぶっているようなやつでも、弱いものには驕り、強いものには口を紡ぐというやつがいた。挙句の果てには都合によって昨日までにはなかったかのように態度をコロっと変える人。
この手の輩は結構多く、こいつだけが例外なわけではない。自分だって長い時間の中で考え方やスタイルを180度変えることもたまにはあるが、人を批判するためだけに言葉を並べ立てる人間の中で、人生の一貫性があったやつを見たことがない。
特にこのような輩は自分の知っているものだけを堂々とひけらかし、相手が何も知らぬということにつけこんで、常に上から畳み掛けてくる。
でも、その手は何も知らぬ若者には通じるが、ある程度知っている人間には影では馬鹿にされているということに気がつかない。
どんな人間にも欠点はあるが、許せる欠点と許せない欠点があって、さらに同じ欠点でも人によって許されたり許されなかったりするのは何故だと思う?

きちんと背負っている部分で言っているか否かなんだと思う。
ただ、それだけだろうさ。
身分不相応のことは、他人からは醜く見えるものなんだよ。

当然年上はその観点で年下を見るし、年下は「なんでこいつ、きちんとできてもいないのにこんなに偉そうなんだ?」という目で見る。
人は万能じゃないから教えられることにも限りがある。
だから年配は視野の狭さを常に自覚して自らを戒めるべきだし、若者は常に素直であるべきだ。
素直であるということは、何でも無条件に受け入れるということではなく、よく聞きよく考えよく吟味しよく調べるということだ。
これを怠れば成長は止まる。
知ったようなことを繰り返し繰り返し機械の様に喋るだけの愚か者になる。

10代の人間は自分が不幸な原因は親や環境のせいだとわかったなら親の価値観を自分の中で壊すか否かを迫られる。
20代の人間は自分が不幸な原因は年上のせいにしても許される。
30代の人間は自分が不幸ならば社会を変える勇気を持たなくてはならない。
40代の人間は自分が不幸ならば人生の努力を怠ってきたのだと反省しなくてはならない。
50代の人間は自分が不幸ならば自らの人生の価値観の半分は捨てて新しい人生に挑まなければいけない。
60代の人間は自分が不幸ならば親友を作るべく手を突いてでも人から学ばなければならない。

人生のどこを出発地点にするのか、そんなもの、他人の価値観なぞどうでもいいから、自分ができると思った時を起点にして成長すればいい。さもなければ、何もかも止まってしまって、結局は弱いものに対して暴力をふるうことになる。
それは年齢関係なく醜いことだ。
そういう醜さを若い頃に押し付けられて、また大人になったからといって年下の世代にやることはないのだ。
優れた人間は年齢関係なくいる。
年下でも尊敬できる人間が僕にも少なからず出来てきた。
しかし不思議な事に年上の一部の人間たちは、どうやら自分の足で若者を見に行かずに、情報だけで若者を捉え絶望しているらしい。
老人諸君には申し訳ないが、いつでも止めを刺してあげるから、墓に入る準備はしっかりとしておけばいい。
だがそうではなく別のものを見たいのなら、若い世代の素晴らしさをいつでも語りましょう。
その言葉を受け入れられる余裕があればの話ですが。
ただ与えられたことを盲信し、社会は終わったというのなら、自らを変えるべきだし視点をきちんと生身の人間へと開けさせるべきだ。
情報に踊らされる前に。

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09/21

Mon

2015

驕られる事を当然のごとく構えている女

よくデートに誘った時は男性が驕る事が当然だという女性側の記事を見かけますが、これ男性の記事なら腹が立たないのですけど、女性が書くと物凄くイライラするんですよね。
当然こちらがお金を負担することが当然という身構えで来る女っていうのは、それだけでちょっと卑しいので評価としてここでマイナスが出てくる。
例えば「割り勘にします。私まだ対等でいたいので」とくるなら「ほう」と感じるところがある。
お金を負担しなければいけないってことは、それだけのサービスをしても余りある女じゃないと金と時間をかけた価値がないんですよ。
以前アメリカのCEOが美人へした回答で「美貌は年齢と共に衰えるものですから消耗される価値であり、その時だけに価値があるもの」だか書いていたんですよね。
例えば僕は傲慢な女には一切の金を払う価値がないと考えている。
トークが弾まない女も一緒。
ガールズバーで若いお姉ちゃん相手に世間話聞かされてこっちが金払うみたいな、そういうのは「お店」でもあるわけだから、わざわざお店でできることを金と時間かけてやろうとする?
特に女性は自分をよく見せようとするために物凄くコストがかかる。
化粧品だってかなり高いし、下着だって男性からすれば、あんな布切れなんでそんなに値段高いのよと驚く。デザイン料!? それで服だってちゃんとしたやつ買えばかなりのお値段になります。
中と外全部あわせて10万近くいくとか、あんま珍しい話じゃない。毎日のお肌へのお手入れ入れるといくらになるんだか。
だからその女性と時間を共にするには男性がお金を払わなければいけない・・・という話にはならない。ならないんだよ。
というかその論理で行くなら自分を商品として扱っているわけだから、こっちは消費者として接するしかないんだから、金払ったんだからいくらでも文句言っていいよね、って話になる。
違う?
こういう話になってイラつく人っていうのは、既に矛盾している。
だって女として、人間として価値のあるところを見て欲しいっていうのと、外面への金のかけ方も含めての内面ってのは、ちょっと盛りすぎだし、色々ごちゃごちゃに混ぜすぎていると思うのね。
内面は内面。外面は外面。
自分も年取ってきてわかってきたんだけど、これきちんと見てくれる人は見てるのよ。内と外ちゃんと分けている人。
これね、「金」の問題じゃないの。「気遣い」の問題なの。
例えば外見がみすぼらしかったり汚らしい格好で冠婚葬祭出たら「ええ!?」ってなるじゃない。
ようは他人に対する「気遣い」なのよ。これ外。
礼儀作法、親切、優しさ、見返りを求めない心、尊敬の心、こういう類のものは内のもの。
含めて「気遣い」。
その気遣いがきちんとできている人はちゃんとしている人だし、「金」や「物質」的なことにこだわる人って、どんなに幸せそうに見えても幼い。
幼いってことは年をとってもあまり人間として価値が高まってきているとは言えない。そして、そういうもの以外に価値を感じていないのだから、心が貧しいとも言える。
お金って使えば消費されるものじゃない。
だから僕はよくお金のことを考えるんだけど、お金を使うんだったら消えない価値のために使いたい。
その可能性があるものでもいい。
でもさ、当然驕られるとか、男性がサービスするのは当たり前、なんて心構えの女に「金と時間のありがたみ」なんて本当に心底理解できるのかな? って思うんだ。
個々人によって、相手の女性にどれだけの努力をしているかなんて違うのに、あっちの上質のサービスとこっちのサービス天秤にかけて優劣つけたりするんだぜ? あのさ、それ男が女を外見だけで価値を決めるのとほとんど変わらないほど下品なことだからね。
そいつがどれだけ努力しているかなんて微塵も考えないでザル勘定でやるんだから。
ザルみたいに水流したら全部下に流れて次の日には綺麗さっぱり忘れているなんてこと、それなんのために付き合ったのかなって虚しくなる。
そいつの自己満足のために何故こちらが「焼け石に水」のような金を注いでいかなくちゃいけないわけ?
ちょっとわけがわからんのよ。
年齢によって外見は衰えてくる。
それは当たり前のことなんだ。
僕最近人生が充実し始めているんだけど、そういう「金」とか「サービス」の部分にこだわって人を見てくる人間とは、あまり付き合いたくないわけ。
それよりも「私こういう楽しいこと知ってます」とか「自分の汚いところを含めて素で話せる勇気」に触れたい。
これは色々人によって違うと思う。
需要と供給の一致じゃないけど、綺麗な女ってのが好きな男がいるけど、ちょっと典型的な例があるわ。
AV撮ってた男なんだけど、自分の年齢が上がると共に付き合う女性の年齢がちょっとずつ下がってきていたっていう話。
いい男、いい女。
共通してるのは「気持ちのいい人間」ってことだと思う。
やっぱりよく人を見て、よく気がつく。
そして色々考えて、勇気を持って行動していたりする。
そういうのが「よき人間」さ。
人によって100円の価値は違う。そこに気がつけるやつこそ凄い人なのよ。
あまり大きなことを要求しているわけじゃない。
ほんの些細な事であり、誰もが持っているものであり、本当に素朴なものなんだ。
その素朴さから離れ、自分を偽りだして大きく盛りだすようなら、理想を抱いて現実の人間から目をそらすのなら、そりゃイカサマをされたのと同じ扱いをするのは当然のことだし、正当なことをしていないんだから、それなりの扱いをされても文句は言わないってことが、自分の価値を知っている女ってことになると僕は思うんだ。
だからと言って男がぼんやりと油断してても、いい女は一切寄ってこないもんだぜ。
人間って自分の価値以上の人間と付き合えないようになってるんだよ。
不思議なものでさ。

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09/09

Wed

2015

「夏の逃げ水」

夏、最後の日だった。
 この後の週間天気予報は今日より五度以上も最高気温が下がり続け、そこを抜けてももう秋の様相になるという。
 私は「逃げ水」だった。
 夏の最後の名残を受けてアスファルトの果てに浮かんでいる蜃気楼。
 ある海岸の砂浜のキャンプであなたに初めて触れてからというもの、恋という名のプリズムに当てられ、その光に魅了されてばかりで、声をひとつも出せずにいた。
 あなたの手が水着姿の私の肩に触れて、唇が近づきそうだった時、ひと時の満ち干きの中に身をうずもれさせてはいけないと唇をそらして微かな抵抗をした、あの瞬間から、近づこうにも近づけず、近寄ってきてもただ逃げるばかりで言葉を失っていた。
 私はあなたを遠くから見続けることになった。
 会える時も仲間内で集まる時ぐらいしかない。
 二三ヶ月に一度ほど、花占いをするかのように待ち続ける日が続いた。
 じりじりと焼き付けられた心には、いつもあなたのこと。
 恋は遠く、声は遠く、光は遠く、オアシスは幻。
 友達が撮ってくれた唯一の写真を毎日寝る前に携帯電話ごと握り締め夜を明かしていく。
 そして、夏、最後の、日。
 私は「逃げ水」だった。
 恋の最後の照り返しを受けて熱に浮かされ体中を火照らせている情調。
 夢の中でまで抱かれていたのに、あの夏の確かな手の感触がもしかして偽りだったかもと思うだけで怖くなった。
 私は苦しみに耐えられるほど強くはなかった。
 その日ちょうど話し相手になってくれた男友達に私は甘え、体を寄りかからせ、そのまま包まれて場所を変えて朝まで過ごした。
 見えているものをまるで蜃気楼のように思ってしまい、逃げた先で流されたようなものだった。
 彼は少しでも追ってきてくれたのだろうか。私がまるで「逃げ水」を見ていただけなのだろうか。
 意図しない男の手に触れられ、それでも安心を得た私は結局彼のことが好きではなかったのだろうか。
 夏の最後の……。
 夏の……。
 今でも波の音が聞こえる。
 彼の回してくれた手を左肩にいつまでも感じる。
 余韻を残しながら、熱を冷ましながら、秋は少しずつ進んでいくだろう。
 そして秋の空に包まれながら木々の葉は頬を染め上げて色づき始めるだろう。
 私はどこまで行くのだろう。
 夏の名残は心に滲み、私は見えぬ季節の変化の先に、心のあり方を決めていくのだろう。
 それでもあの一瞬の出来事を、夏の砂浜の刹那を、忘れずにいる。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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