忍者ブログ

あさかぜさんは見た

日記

01/14

Wed

2026

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

09/09

Wed

2015

漆塗りの職人さんと

このレストランはフライパンを一切使わないということを僕は記事で読んでいた。
 北海道でも数少ないであろう漆塗りの職人さんの個展の最終日ギリギリにお邪魔すると、今回は額に飾ってあるものなど目新しいものがあったが、前回お邪魔した時にあった食べ物シリーズがいくつか作られていた。
 寿司、豚串、桜餅、太巻き。これらを革で作るのだ。ついでに漆塗りの重箱の蓋にも目玉焼きが浮かし彫りでおいしそうに表現されていた。
 他にも夏ごろに作っていた紅葉の一枚葉が浮き出ている蓋の小さな箱など、完成された作品が数多く飾られていたけれど葉の具合も実におぼろげで美しく日光に霞む秋の昼間を垣間見るような眩しさがひっそりとたたえられている。
 最終日ギリギリのタイミングで行った狙いは、最後一緒に食事でもしようかと思い誘ってみたら快く承諾してくれたので、会場と同じフロアにある新札幌duoのレストランへと入り酒を酌み交わしたのだった。
「いやー、だいぶ弱くなってね」
 と言っていたものだから、職人さんも還暦が近いことだし、それほどでもないだろうと思っていたのが大間違い。
 最初は中ジョッキを空けたかと思いきや、最終的には赤ワイン1500mlを二人で空けたのだから、こちらも途中から「気をしっかり保っていなければまずい」と追い込まれていったのだった。
 つまみに頼んだのはポテトとチョリソー。味は別段まずくない。フライパンを使わないとのことなので、油も使っていないのだろう。カロリーオフのフライドポテトと言った印象か。
 周囲を見渡せば学生服の男女の姿が数多く見られ、その他は二十歳前後と見られる女性などが見られた。
 おじさんと言えばこの二人だけ。別段気にすることもなく色んな話をしていた。
「今だってやってやろうって気はあるからね。自分にしかできないことがあると思っているし、今まで言ってきたやつらにどうだ! って作品作ってやろうって気持ちはあるからね」
 僕は僕の感性において「文章」という領域に向き合ってきた。それはどうしても技術面との向き合いになるし、理想と現実との葛藤になる。僕はそれを通じて、ジャンルの違う職人と話を合わせることができる。普通の人に話してわからないことが、言葉少なめで通じ合えることは僕じゃなくとも不遇の作家ならば嬉しいことなのだろうと感じる。
「火縄銃って銃刀法に引っかからないんだよ。北海道の中に火縄銃の部品を修理できる人がいてさ」
 他にも日本刀の柄巻きの職人と鍔の職人が北海道に点在しているという。これは北海道内の職人だけで日本刀が作れるのでは、とさえ思えるほどワクワクしてくる話だった。
「蓄音機を直せる職人がいるんだよ。それでこの前その蓄音機でレコード聴いたけどいいもんだね」
 その蓄音機でいい酒飲んだら最高にいいに決まってる。ぜひいい音楽を蓄音機で聞きながら酒飲む会でもやりましょうよ、と言ったら「いいね」と言ってくれた。
 こういうの、大人の楽しみだと思う。
 漆塗りの職人さんは腕一本でやっている。月十二万ぐらいで過ごす生活。子供は男二人。自力で大学の資金を働いて出して出たというものだから立派なもの。僕とは大違いだ。
「俺さ、ある日子供が寝てたのよ。もうその時間大学の授業に遅刻する時間だから起こそうと思ったんだけど、子供っていくつになっても赤ん坊のままのような寝顔をするんだよ。毎日のように働いて疲れているのがわかっていたから、どうしても起こせなくってね、その子供みたいな寝顔見て、こんな父親じゃなかったら苦労させずに授業行かせてやれたし、もっと遊べただろうしってな、だっらだら号泣しちゃって」
「外食なんて滅多にいかないし、回転寿司なんて行った事もなかったんだけど、この前初めて家族で行ったのさ。そしたらどう頼むのかわからずに店員に聞いたら、その画面でやってくださいって。それで頼んだらレールの上新幹線走ってきて寿司が来るの。俺と嫁さんは三皿ずつぐらい食べればいい方だったけど、子供の方が一杯食べてたね。三人でそれでも二千円くらいだぜ」
「半額券みたいなのもらってさ、前に定山渓の鹿の湯に泊まったんだけど、子供も大はしゃぎしちゃってさ、バイキング食べ放題で喜んで部屋に戻ったら畳の部屋にすっと布団がちゃんと敷いてあって子供が布団だーってはしゃいで。興奮しすぎちゃったのか次の日子供熱出しちゃって」
 僕も二人で十万という生活をしたことがあったから、この幸せがよくわかった。
 際限なく何かがあると幸福を感じづらくなるというのは人間の心理上とても皮肉な事だと思う。
 僕はかつてとても傲慢であったし、保護されるのは当然の権利とばかりに他者を親を責めていたことがある。
 しかしそれはとても愚かな事で、何一つ自分で生きようとしていなかった証だった。
 僕は職人さんが眼を輝かせて喋ってくれるこれらの話を、とても幸福なエピソードだと受け取っていたし、幸福というのは生活の質や金の問題などではないことを改めて感じていた。
 元々油絵から始まったと言う。
「だからさ、構図とかそういうの、もう油絵の方が得意だったからすぐできるわけ。図に描かなくても頭の中ですっとできるから、革とかでも頭の中の図案通りやればいいからさ、なんか来るべくしてこういうところに来たのかなって思ってる」
「漆って北海道じゃ手に入らない。だからいつも東京の業者に頼んでいるんだけど二十数年一度も顔あわせた事ない。それでも向こうが信用してくれているのは俺一度として支払い遅らせたことないから。電話でしかやり取りしたことないけど、葉書にも一筆添えてこっちのこと心配してくれるようになってる。これが一度でも払えなかったりしたらこうはならなかったと思う。信用。俺手元にある金でしか頼まないからちゃんと毎回払える。これが将来手に入る金がどれくらいだからとかやっちゃったら、もうこの商売できなかったと思うね」
 そうやって話をしていくうちに「どうして君は俺のところに来てくれるの?」と問われた。
 僕はわからずとも創作っていうのが好きで、自分も一応物創りのはしくれなんで、創作物が好きなんです、と答えると「こんなおじさんと話したって何の役にも立たないでしょ。でもよく来てくれるよね」と話してくれた。
 そのうち創作の話に触れた時、その時には相当、というか「弱くなった」と言いながら、ワイン一本750mlだから二人で一本ずつは空けた計算になるのに見た目ケロっとしている職人に奥歯を噛み締め意識を保ちながらチクショウと心の中で負けるものかと意地を張って話したことなのだけど、
「僕の創作の原点というか、源泉ってどう考えても思春期の頃の傷なんですよ。その傷を通して人を見ているし、やっぱり他のものになろうとしても、それはただの偽りであって偽りを通してできたものなど自分で違和感持つだけなのでできなかった。だからこれからも自分に正直に作品創りをしていきたいなって。僕の人間性が否定されても作品が凄いってなれば、それでいいかなと」
「ふぅん。そうだとは感じていたけど、うん、君は危ないね。俺なんかゆるくやってるからさ。君は火がついたら爆弾みたいに止められないタイプだね」
 こうやって、会話をする。
 同じクリエーションの領域にいる人は、たぶんわかりあえるものだと思ってる。
 そのうち閉店の時間が来て帰ることになったけれど、帰り際店の若い男性店員に韓国語で挨拶をしたら「僕が韓国のハーフだとわかって言ったんですか?」となり話が盛り上がった。他にも中国語と英語の日常会話程度は話せるらしく、エスペラント語という一応世界共通言語を学んでいて子煩悩だった。
 もう酒がまわっていて、久しぶりに相当痛飲した帰りの地下鉄の中で合気道に似た技を結構かけられた。
「俺黒帯だから」
「その程度?」ごときの簡単な動きで捻られて痛い。酔っ払っていたから精度が悪かったのだろうけど無理して「痛くないです」なんて言って筋でもおかしくしたら洒落にならない。「ピキッ」ときたところで「イタイイタイ」と早々にギブアップをしたけれど、本当に多才な人だなと感じさせられた。
「俺みたいな人と話してたって何の得もないのにさ、こうやって会いに来てくれて」
 酔っ払っているせいなのか瞳を潤ませる。
 その時僕は感じた。
 クリエーターの源泉は運のいい人、天才を除き、ほとんどは悲しみを力としている。悲しみを持たぬクリエーターなどいないのだ。
 この悲しみの力が尊すぎるほどの愛の力に変わっていく。クリエーターとはその術を知る人だし、当然人の幸福を誰よりも感じようとして与えようとする人のことを言うのだと瞳の奥に輝くものを見て思った。
 愚直。ここは、その愚かさほど美しく輝ける世界だ。

拍手[0回]

PR

09/07

Mon

2015

禁酒の約束なんてするもんじゃなかった、と男は後悔した。
 男というのは「つまらないな」、と時折思うことがあったが、その理由は「見栄のために安請け合いするんだから」とのことだった。
「お酒は体に悪いし、飲みすぎだから少し禁酒しなよ。来週ぐらいはさ」
「わかったよ。それできたらやらせてくれる?」
「考えとく」
 男のスケベ心をみなぎらせ、冗談ともわからぬ言葉を投げかけひらりと女にかわされる。
 たとえやれなくとも、ちょっといいところを見せてやろうという思いがムクムクと湧き上がり、滅多に我慢などしない男が我慢を強いる生活を一週間続けようと決めさせたのだった。
 何故、酒を飲まなければいけないのか。
 飲まない人間には一切わからず、ただ合理的な意見しか出ない。
「タバコは体に悪いんだからやめればいい」
 という理屈は
「打席に立てばホームランを打てばいい」
 という理屈にも等しい。
 そしてその理屈を「言い訳」とし、冷たい目で見る。
 男はタバコは吸わなかったが、喫煙者の心苦しい事情が少しだけわかったような気がした。
 ようは「約束事」に追い込まれていくのだ。
 男にとって酒は「向精神薬」の役割を果たしている。
「肝臓壊して死んでいった患者さん何人か見てきたけど、ろくな苦しみ方しないよ。見てても地獄だから」
 看護師の女に言われたことを思い出したが「だからどうした」と苦々しく聞いたこともあった。
 心にこびりついた悲しみや苦しみはどうやったら拭い去ることができるのか。
 男にとっての問題はいつもそこだった。
 ふらふらと夜を徘徊し、騒がしい時間を逃れてようやく一人になれる。
 数多く入ってくる他人の意識から解放されて、自由になれる。
 だが終日男は脅えている。
 いつ、過去が心を襲ってくるのか。
 苦しみや悲しみの源泉は常に「若さ」の中にある。
 ゆえに男は「若さ」に苦しめられるのだ。
 掻き毟られる。ガリガリ、ガリガリと爪を立てられできかけの木版を削られるような苛立ちと憤怒に殴られ続ける。
 動悸が激しくなり、息が荒くなり、怒りの言葉を吐き出して右往左往する檻の中の獣となる。
 身悶えながら呻きながら皆このような苦しみを味わうのか、それとも俺だけなのかと、男は考えをめぐらせながらのた打ち回る。
 まるで発作のように、病的に襲ってくる精神作用に虚しさすら覚える。
「何故、生きている」
 その疑問を掻き消すために必死に車輪をこいでいるにすぎなかった。
 意味や意義を自分で探し、自己嫌悪の中で「好き」を見つけていく。
 あまりにも寂しき姿だった。
 昔は周期が激しすぎて脅えきっていた。それが来ると、一日中何かで気をそらして一日をやり過ごす。それしか手段はなかった。思考を麻痺させて人間的な営みを徹底的に排除する。何も考えない。何も感じない。誰も心の中に入れない。酒、酒、酒。
 数多くの嘔吐の果てに何が残ったのだろう。何か残ったのだろうか。
 か細く繋げた糸の先には希望らしきものも確かに存在する。
 男は日々満ち欠けしていく月を見上げ、夜を徘徊し、酔う。昼間から襲ってくれば昼間から酒を煽る。
 往生際の悪い抵抗をし、掴んだ心からベトリとした感触を得る。
 ヘドロのように粘っこく汚らしく得も知れぬ臭気を発しながら汁を垂らし続けるそれを見た時、直視できずともそれと付き合い続けなければならない虚しい性を叩きつけられる。
 景色などなかった。ただ荒野に立たされ、手に余るほどの恐ろしい広がりに気をしっかり保っていなければ自我など吹っ飛んでしまう。
 やがては道標すらも忘れ、荒野のど真ん中で呆けてしまわないように男は意識を保ち続ける。
 禁酒明けは酒を注いだコップをしばらく見つめ続けた。
 痛みを忘れるために飲んでいた安酒が、依存のようになっていくのも時間の問題ではないのか。
 気の持ちよう。気の持ちよう。
 まるで神事のように酒と男の間の静寂に様々な思いが交差する。
「こんな気分で飲まなくていい日が訪れるのはいつの日か」
 並々に注ぎきった酒のまずさを堪えながらぐっと一気に飲み干す。
 もうすぐ、今日の記憶も消えていく。
 能面のような顔つきで、男は沈んでいった。

拍手[0回]

09/01

Tue

2015

そんなものは存在しない、と言ったほうがいいだろうし、「純文学とは何か」と問われて自分は「業界の人が感性の翼羽ばたかせるままに大いに持論をぶちまけている一小説分野」としか言いようがないほどにわけのわからぬものとして捉えてはおりますが、例えば「芥川賞」を一つ取るのならば、その年その年の「テーマ」のようなものがうっすら見えてくることはあります。
でもそんなもの気にして小説なんて書いていたって大変下卑たものしか出来上がらないし、辞書の定義に沿うならば、

じゅんぶんがく
【純文学】
(通俗文学と区別して)純粋な芸術性を目的として創作される文芸作品。

となるわけであるから、例えば小説のある形式を徹底的に守った上で独自スパイスを入れるとか、言語という分野を離れて別領域の方式や形式・視点・法則などを、そのまま世界観に取り入れるとか、例を出すならばピカソの絵の法則性と精神と人生と哲学をそのまま小説において別の景色の中にしっかりと当てはめて全体を描くとか、日本ならば岡本太郎の方がいいか。
など、純文学を描くためのヒントって結構文章以外のところに存在していて、それがガラスの性質だろうと、今MITが研究している最先端理論だろうと、それが「人間」を描く上でバッチリと当てはまっていれば小説の領域などいくらでも広げられるのだ。
つまり「独自視点」とは「独自の研究に基づき得られた、確かな人間生活上の普遍性(もしくは希少性)」であり、そしてそれが確かに他人にも伝わる文章技術において構成されている一小説であれば、私は純文学と定義していいと思う。
当然「研究に基づき得られた」ものであるから、自分の中だけで喧々囂々とやっていたのでは純文学などできようはずもないし、所謂「独りよがり」を長年続けて得られるものは「社会とは隔絶された鬱屈さ」であることは間違いないものになってしまう。

よく「描写」と書く。
だが最初から「描写」ができる人間はいない。
これは一つの完成された小さな絵だと思っていい。
その小さな絵を完成させる前に私たちは「素描」と呼ばれる、所謂練習で書く「スケッチ」のようなものを繰り返さなければ「描写」は上手くできるようにならない。
最初から文章を書いて、自分の中で上手く出来た、私はこれだけ努力したのだから認められるはずだ、独自性を貫いているし今までにない文章だ、とよくナルシシズムに浸りきり右も左も上も下も糞も味噌もわからぬ状態になるが、そこは冷静になってもう一度考え直すべきことは多々ある。
だから普段から文字でスケッチをするといい。
名文に触れるのもいいし、小説を読むのもいいが、書を捨て町へ出るのだ。
そこで目に触れたものを文字でスケッチしてみるといい。
一体自分が何に心動かされるのか、何を無視しているのか、人の中で自分の欠点と長所を炙りだしてみるといい。
自分の方向性も見えてくる。
もちろん、様々な方法があるから一例として出しているのだが、そうやって普段から自分の中へ「リアリズム」を徹底させるんだ。
それをしておくと、どんなに幻想的な世界や突拍子もない奇抜な世界観を描いたって、地に足がついているから、ちょっとした風に作品そのもの、作者自身が吹き飛ばされることはないだろう。

純文学を描くんだったら、この領域でやらない方がいいのは「売れようとすること」「大衆に媚びようとすること」「驕り昂ぶり他人を見下すこと」「教訓など一切存在しない領域なのに、人間の真理や教えを探して描こうとすること」だろう。
これは文章・作品性質上のことではなく「作者のスタンスとして」だから、このバランスを崩すとコンプレックス丸出しのみすぼらしい文章になるので、本当におすすめしない。
つまり、文章よりも先に作者がでしゃばってくる作品になる。
こうなってしまっては読者としては、ただひたすら苦痛。作者に正座させられて永遠と聞きたくもない御託を並べ立てられている苦痛に苛まされる。当然、作品を読みきる前に捨てる。
評価されるとは程遠い領域の所で終わってしまう。
そうなると作者怒る。読者呆れる。作者ぐれる。読者毒づく。作者鬱。読者無視。
とお決まりの負のスパイラルに陥るのは目に見えているから、普段からバランス感覚を保てるよう、いつも持っているくだらないプライドはトイレに流しておいた方が得だ。
もし怒るのなら、悔しいのなら、ひたすら「技術」にだけ向ける。
その方がずっといい。

さて、純文学の領域ではまず食えない。
食っていけないし、時代は純文学を求めてはいない。
だが一部のマニアを相手にしたいのだったら続けるといい。
当然きちんと定職を持って、食っていける手段を完全確保してから書くのが鉄則。
じゃないと確実に飢え死にするか、もし上手くできたのなら、その才能は文章の才能じゃない。
マーケティング戦略上の才能だから、作家としての才とは少し違う。
でも普段からきちんと人を見ていれば、たとえ食えない領域だったとしても道は見えるだろう。
頑張ってね。
ここはちょっとやそっとの根気があったくらいじゃ、精神が壊れるほど大変だから。

あ、そうそう。
日本語はちゃんと勉強するんだよ。
私も頑張るから、一緒に頑張ろう。

拍手[8回]

08/31

Mon

2015

「変わらない女」

家の鍵を回す手が重く感じる。
 デスクワークなのに、今日は一際厳しかったせいなのかな。
 心すら引きずりそうになりながら、ぐったりとした体が安堵の溜息を出す。
 左手の深夜スーパーで買ってきた袋の中にはお惣菜やレトルト食品が入っている。
 ドアを開けると明かりが既についていて、いつもは安心感を与えてくれるはずが、やけに二の足を踏ませる。
 そういえば彼氏が来ているんだった、と自分でメールの返信をしたにも関わらず今は逆の気分で重苦しかった。
 玄関の足元を見ると脱ぎ散らかされ、かかとの潰された汚らしい運動靴があった。
「いい加減にしてよ」
 といつもは気にも留めない光景に腹立たしさを覚え、散らかしこそしないまでも揃えない靴を今日に限ってきちんと揃えて上がっていく。
「おかえり」
 深夜番組を見ながら、スナック菓子をつまみにチューハイを飲んでいる彼氏を見て「遅くなった」とも「仕事が忙しくて」とも言わずに一言「ただいま」だけを伝える。
 スーパーの袋をガサゴソと音を立てて中のものを取り出すと案の定彼氏が「ダメじゃないか。レトルトのものばっかり買って。そういうものは添加物も沢山入っているし、体によくない。栄養を取るならちゃんと調理したものを食べないと健康へのリスクだって高まるんだぞ」とげんなりするような忠告をしてきた。
「あのね、いい加減にして。私今日とても疲れているしお腹も空いていてすぐにでもご飯食べたいの。私のお金で出して食べているものなんだからいいじゃない」
 お腹がすいていて仕事で疲れていてストレスが溜まっていて、外資にシェアを取られるかどうかの瀬戸際のやり取りが続き気が抜けない状態が明日も待っているというのに家の中でも誰かにあれこれ指図されたり、ましてや自分の家なのに誰かに説教なんてされたくない。
 実際深夜帯に開いているスーパーは、ほとんどの品揃えがレトルトや出来合いのものばかりで商品の方向性が徹底していた。つまり、疲れて帰ってきてこれ以上家事をしたくない社会人向け、と言ったらいいのだろうか。後は生活必需品が揃っていて「料理する人向け」ではない。
「結局病院に行くことにでもなったら、その治療費が高くつくじゃないか。いかに面倒でも、リスクという小さなコストを払い続けているんだから……」
「スナック菓子食べながら、安いアルコール浴びている男の言うセリフなの!? あなた、いつも人に偉そうに言うけど自分がそれを守った試しある!? 私のこと守るって言っておきながら私より稼ぎはないし、マザコンで自分の家族の方をいざって時優先させるし、今の環境を変えられなくてズルズル過ごしているだけなのに自分はこうするしかないみたいな言い訳ずっと続けて、いい年して恥ずかしくないの!? それとさ、前の彼女のこと話題に出すの本当にやめてくれる!? 気持ち悪くてイライラするし、切れた女の男のことで何か言うのって、どこまで湿っぽいの!? 私仕事してきたの。明日も物凄くピリピリした状況が続くってわかってるの。ここが束の間の休息の場所なんだから奪わないでくれる!?」
 一言堰を切ると止まらなくなっていた。普段思っていたことをだいたいはぶちまけて心から溜息が出た。
 彼氏になって二年。最初の半年はよかったけれど、徐々にお互いの弱さがわかるようになっていた。健康志向というわけではないけれど、それ以外にも色々彼氏は調べた知識で心配をしてくれている。そして自分の中の「正論」をやたらに押し付けてくるため、現場で働き日々微妙な調整や利害の関係で苦しめられている私にとっては正直何の役にも立たない理屈だった。
 私も寂しかったせいもあったんだろう。彼氏と別れて半年。同棲していた時の家の中のぬくもりが忘れられなくてバーで一人酔っ払っていた時に気が合った男とこうして付き合ってみれば、あちらも同じような事情を抱えていて、最初の頃は余計に分かり合えていると勘違いしていた。
 でも付き合っていくごとに違いを感じ、一番困ったのは、いちいち打たれ弱く一度言っただけで一週間は落ち込むことだった。体だけは大きいのに頼りがいがなく、とても不安になる。このことでも後になって彼の精神のケアをするのは私なのだ。それすらも腹立たしい。
 私は一度として前彼のことを話題に出したことはないのに、彼は寝取られた挙句、四ヶ月ほど気がつかなかったらしく、その間デートやプレゼントもしていたことを今でもグチグチと未練がましく言うことがあるのだ。寝取った男のこと、女に渡した多少の金品やプレゼントの食品が男に使われていたこと。最初の頃はさすがに同情して聞いていたけれど、さすがにねちっこ過ぎて気持ち悪いと思い出していた。
 一体あなた、今誰と付き合ってるの!? と声を荒げたくなる気持ちを抑えこむのもストレスで、今は冷たく「やめてくれる? しつこい」と突き放すだけだった。
 彼は痛いところを突かれると、いつも黙り込んで落ち込んでやり過ごして、また元に戻る。この繰り返しだった。
 テーブルの上に散らかった即席ご飯のパックとレトルトの中華丼、そしてサラダと肉じゃがが虚しそうに転がっている。
 私、中華丼結構好きだったんだけどな……。
 全部は食べきれないからご飯と中華丼は半分ずつ食べて朝に回すことにしていたのに、今はお酒だけ飲みたい気分。
 私、一体誰を大事にしたいんだろう。そして彼も、誰の心を大事にしたいの……?
 そうやって他人のことを心配しながら結局自分の気持ちを一番大事にしているから、その自己中心的な気持ちが相手に伝わってふられたんじゃないの……?
 と、考えると我が身のことのようにも思えてきて、余計に疲れてしまった。何かを言う気持ちにもならない。
「ごめん。俺、お前のこと真剣に考えてるから、つい……」
 彼の暗い声に反応する気にもならず、会話すら拒絶しようとしていた。どうせ学ばない。どうせ変わらない。
 私だって今の状況で変わることはできない。なんやかんや、この仕事が好きだから。
 会社の上司のほとんどは旧体質の頭をしていて「君、結婚は考えているのかね?」など、さり気無くセクハラにも近い言い方を時折されるのだから、この仕事が失敗に終わったら「だから女は」と言われるに決まってる。
 それなのに彼氏ときたら、そんなこともわからないんだ。男なのに、ちゃんと真剣に自分の人生を見つめていないんだ。真剣じゃないから職場で起こる緊迫感も事情も汲めないんだ。だから私より稼ぎが断然少なく、いつまでも自分を変えようとしないんだ。
 ……あっ……私、この人のこと見下してる……。
「うっふふふふふ。ははははははは」
 寂しい笑いが乾いた胸の奥から吹き上がってくる。
 何が起こったのかもわからず、きょとんと私を見つめる彼氏。
「ねえ、別れようよ。もうやっていけない。疲れちゃったよ。明日の朝まで居ていいから、合鍵は置いていって」
 諦めなのか、勢いなのか、溜息を出すように告げていた。
「わかった。俺も頭を冷やすよ。だから君も冷静になったら、お互い話し合いを……」
「そういうところが大嫌いなの!!」
 彼氏にとっては理不尽なんだろう。私には理由を説明するのが面倒なくらい当たり前な事なのに。
 そして最も理不尽なのは快く家に来ることをメールで返信されておきながら、職場の苛立ちをぶちまけられた挙句別れの言葉を聞かされることだろう。
 そうだよね。わからないことだらけだよね。
 でもね、それくらいわかって欲しいの。わかって欲しかったの。自分のこと並べ立てる前に、もっと。
 彼氏があからさまに後ろ髪引かれながら出て行ってから、私はドアの鍵をかけ、散らかったお惣菜をそのままにテーブルに突っ伏して号泣した。
 何が悲しいのだろう。明日目が腫れて仕事に影響出ないかな。
 どうしてわかりあえないんだろう。どうしてわかってくれないんだろう。
 そういえば私、前の彼氏とどうして別れたんだっけ……。
 今は「前の前の彼氏」か……。
 朝まで居ていいって言ったのに、すぐに出ていっちゃった。引き止めようとも寂しいとも思わなかった。私はただ安らぎたかった。その時間が欲しいばかりに、これ幸いにと彼氏を捨てたんだ。
 きっとまたどこかで寂しいと思って、男と付き合い出しちゃうのかな。
 この三年間忙しすぎて恋愛をする気にもならなかったし、別れたショックも一切引きずることはなかった。そしてこれからもそうだろう。
 なのに、私は、どうして、泣いたのだろう。
 居間のミニテーブルの上に置かれた飲みかけのチューハイを流しに全部捨て力の限り握りつぶして分別用ゴミ袋に、スナック菓子はゴミ箱に振りかぶって投げ捨てた。
 そして部屋中に消臭剤をかけ、ベッドと玄関には念入りにかけ、シーツは剥がして全て新しいものに取り替えた。
 時計は一時に近かった。余計な事に時間を使いすぎた。睡眠時間は二時に寝たとしても四時間少し。飲めるお酒の量はシードルだったら小さいやつが一本。それ以上は明日に影響が出るかもしれないから飲めない。
 計画的で、計算的生活。
 もう少し、かわいい女になりたかったな。
 棚の上に飾られた集めているキャラクターもののコレクションたちが私にいつも笑いかけてきてくれる。
 その中にコップの淵にかけられるものがあり、薄くピンクがかったガラスのコップにシードルを入れて淵を飾る。
「また、お前と私だけになっちゃったね」
 きっと、こんな辛気臭いところがかわいくないんだろうな、ともう一人の私が見下ろしていた。
 明日がある。シャワーを浴びて全て忘れて寝よう。私には大事な日が待っている。
 タイミングが悪かった、という話ではなかった。
 ただあの人は、私の変化に一切気がつかなかった、というだけの話なのだ。
 シードルを飲み干した後、シャワーを浴びるために浴室でブラジャーを取ると左乳房の脇に五日前彼がつけたキスマークがぼやけて消えそうな勢いで残っているのを鏡で見た。
 いつもと、変わらない女がそこには居た。

拍手[0回]

08/24

Mon

2015

墓参りが終わると夏の風は影を潜めていた。
 日差しは夏のままだったが、肌に優しい冷たい風が夜には流れるようになった。
 サヨリは少し出てきたお腹の肉をつまみながら「そんなことないよー。全然痩せてるってー。サヨリがデブだったらほぼほぼみんなデブになっちゃうんだから、やめてよねー」と言っていた友人を思い出しながら、横になっていた体をアイナに重ねた。
「暑いよー」と体をよじらせるアイナに「私ってそんなにむさ苦しい?」と冷たく聞くと「今日どうしたの? 様子おかしいよ」といつものように微笑をむけた。
 いつもアイナは優しい。怒ったところを見たことがないし、正直本心は何を抱えているのかわからない。
 それでも最初の理解者はアイナだったし、サヨリが男を愛せないことを受け入れてくれた。
 黒い墓石は鏡のように晴天に浮かんだサヨリの肌を映しこんだ。
 サヨリはその日、背中からアイナが優しく包み込んでくれる姿を墓石の中に陽炎のように見た。
 手を伸ばそうとした時アイナの姿は消えていた。
 ただ、もどかしい。
 線香臭い部屋。若くして死んだサヨリの母が仏壇から同じく微笑んでいた。
 アイナはスカートから伸びる足をうっすらと開き、窓から吹き付ける柔らかな風を受けていた。
 少し汗ばみベトリとしているのを、サヨリは指で這うように確認していた。
「くすぐったいよ。サヨリ。ねえ、くすぐったいってば」
 畳の上で足を泳がせるアイナの上に覆いかぶさったので少しだけ自由を束縛しているような気持ちを覚えた。
 そのまま、すっと手を太股へと上げていくと余計に汗ばんだ肉の感触が手にへばりついてくる。
「サヨリ、私、怖いよ」
「え?」
 二人の関係が進むことになのか、それともサヨリの存在が怖いのか、聞いてしまったら全てが壊れてしまいそうで口を閉ざしてしまう。
 サヨリは母の生前の衝撃的な告白を思い出した。
「私ね、あなたが欲しかっただけなの。だからお父さんと、どう接していいか、いまだにわからない。感謝はしてるけど、私にとっては難しいことだから」
 十三年前の当時、中学三年生だったサヨリには理解できない言葉たちだった。
 アイナとは、危うく、成り立っている。
 その危うさの正体もわからず無性に悲しくなってアイナの唇を噛むと母の香りが一瞬し、ぞっとした。
 アイナの唇からは血が出ていたが微笑んだまま憂いを帯びた目で白い肌が近づき頬に唇の血を塗りつけた。

拍手[0回]

フリーエリア

ブログランキング・にほんブログ村へ

バーコード

プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

最新コメント

(07/27)
(02/23)
(03/05)
(03/02)
(01/24)
(07/29)
(01/21)
(08/16)
(04/28)
(04/20)

ブログ内検索

カレンダー

12 2026/01 02
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

忍者アド

Copyright © あさかぜさんは見た : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]