忍者ブログ

あさかぜさんは見た

日記

01/14

Wed

2026

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

08/02

Sun

2015

褒められて伸びます。なんだそれ。

自分は作品を他人に見せてきて、8割がたの人たちから、身も蓋もないようなことを言われてきた。
例えばドストエフスキーには及びもつかない、とか。
荒削りすぎて洗練されていない、とか。
書いていることそのものに対しても、痛々しいとも言われたことがある。それ以上のことも。
だからと言って、自分のような経験をせよとは言わないけれど、多くの人に作品を見せるということは、それだけ批判され、微塵も理解されず、手酷い言葉を浴びせられることが多くなってくる。
「褒められて伸びる」という理屈を自分で持ってしまったら、もう前線には出て行けない。
自分でそんなこと語りだしたら、心が臆病になって前に出て行けるわけがない。
つまり、ぬるいものができる。
「褒められて伸びる」という理屈は、組織を管理している役職の人が部下などに用いる理屈であって、持論として持つような言葉じゃない。
わかりますよ。
凄くいいですよね。
褒められると、とても気持ちいいですよね。
でもね、その気持ちよさを追求してしまうと、結局最後には自分のやりたいことも表現したいことも捻じ曲げなきゃいけない分岐点に気がつけなくなるんですよ。
他人が曲がったから、一緒になって曲がっていってしまったみたいな。
自分の意志がそがれて、目的が「褒められたいから」に摩り替わってしまう。
作品の良し悪しは置いておいて、表現というものと戦おうとするのか否かは作品そのものにハッキリと出てくるもの。
「こいつ、ここで負けたな」
とプロでなくとも見抜いてくる人は沢山いるし、その部分は厳しく突かれる。
そういう緊張感がないから、失敗するのが怖いから、折れていっちゃうんでしょ。
そりゃ辛いよ。
批判され、こっちが表現したいことが微塵も伝わらず、ただ切り刻まれるっていうのは自分だって何週間か何も手につかないほど落ち込むもの。
悲しいし、心が何度も傷つけられたし、かなり本質を突かれて魂までざっくりやられたこともある。
その意見や他人の意思の中には自分が成長すべきための材料が沢山揃っている。
そこから目をそらし、ただ「叩かれている」というだけの印象で扱ってしまう心持ちは、絶対自分にはプラスにならない。
中には物凄い鋭いことを言ってくる人が、稀に出現する。
そういう人が現れたら神様みたいな人が降臨したと思ったほうがいい。
作品の本質を見抜き、欠点を指摘してくれる。
こんな人、まず現れない。
そういう人を待つためにも、自分を発表前から擁護するような言葉はやめたほうがいいと思うんです。
この世界、魂が臆病になったら完全に戦えなくなると思っているのでね。

ここはパンドラの箱。
あらゆる災難・苦痛の底にこそ、希望の光があるんだよ。

拍手[1回]

PR

07/25

Sat

2015

小さな姿と大きな存在

「世界」は「認識」で。
「世界」は「自己完結」といつしか同じになって。
 霧がかった山間から朝日が昇る場所もあれば、人工物に切り取られたパッチワークのような景色の下から朝日は昇ります。
 太陽はいつも一緒だが、見る人間と、見る場所によって姿は変わってくる。
 彼女は夜が怖かった。
 夜一人で眠ることができない。
 夜暗闇の中で目をつむり続けることが出来ない。
「どうして?」
「太陽がずっと強く照らしているから」
 彼女の光は雲により霞むこともあれば、煌々と輝き続けることもある。
 その姿は冷たく美しく、そしてやわらかだった。
 絹を肌から滑り落としたように、憂いを持った瞳で見つめ続け、恥じらいを持った姿で素肌を精一杯の指先で隠したがる。
 その日は雲ひとつない晴れやかな夜だった。
 星々の歌声は夜空に点滅し、流星は歌を飾る。
 湖は月の姿をありのままに映し出し、時折風に揺れながら波紋を広げていく。
 美しいあなた。
 湖は汚れなき姿を映し出す。
 美醜苦楽悲喜。偽らぬそのままの姿こそ美しい。
 そこには誰の「世界」も介在しないのだから。
「あなたの愛するものは?」
「私は自ら輝けぬ影に等しい存在。そんな存在に愛するものなどあってはならぬのです」
 太陽によって輝く月。
「偽らぬ心の姿は既に映しております。私はあなたを見つめられぬ存在。雲により、御姿が遮られることの方が多い。それでも、御姿が見える度に、偽りなき姿を私の中に映し続けています」
 その湖はあまりにも穢れがないため、生き物が一切住めない湖でした。
 だからこそ、ありのままの姿を映し出すことができたのです。
 人はむしろ月の姿よりも昇りゆく朝日に希望を感じ、その姿に我が身を重ねようとします。
 熱く、何ものをも焼き尽くす炎を上げながら太陽は雄々しく叫び続け、その光を周囲の存在に届け続けます。
 舗装された街中の道の上で、男は微かに残った月を見上げます。
 自暴自棄になり、酒に溺れ、帰り道すらも忘れたいほどに我が身を失いながら。
 太陽が電波塔の脇から上がってきて、月を徐々に消していきます。
 湖と月との語らいを知りもせず、太陽の言葉に体を傾け、朝日の清々しさを体一杯に吸い込もうとしている。
 男は希望と、昨日までの辛い経験とを重ね合わせ、涙を流しながら悔しさを抑えこんでいます。
「世界」はどこかしこに存在しているにも関わらず、男は「世界」に閉じこもっていました。

拍手[1回]

07/18

Sat

2015

第153回芥川賞受賞作「火花」



書店に彼の本がいくつか並んでいたので手にとって読んでみると、だいぶ本作品では書きなれてきた感が出てきていた。
最初の一ページを読んだだけで、この人読書家なのかなと勘ぐり、知っている人に聞いてみたが、やはりそうだった。
文章を沢山読んでいて、小説を書く、この世界を書くという気持ちはよく伝わってくる。

内容は師弟関係になった芸人同士のやり取りがメインになる。
神谷という主人公徳永がほれ込み師匠とした人との人間模様なのだが、構成として面白いのは徳永が劣等感丸出しで神谷という存在を面白い、この人には追いつけないし、追い越せないと見ていたのが、実は結構似たような力関係で互いが成り立っている。
正直芸人じゃないと書けない内容だなと感じた。
というのも、読み手を意識してウケを狙うわけでもなく、つまらなさも面白さも含めて芸人同士でしか成り立たない会話。
芸人という立場でしかありえない、わけのわからない会話が次々と出てくる。
その淡々とした感じが日常性をさらに強調していたし、ここに少しでも意図的なものが出てくれば、作品としてかなり白けたものになったに違いない。
徳永の心情描写から透けて見えてくる神谷という人間の面白さ、裏を返せば滑稽さがよく表現されていて、昨今出版されている本で抱く「芸能人だから」という隔たったイメージは一切持たず好印象だった。
特に喜劇と悲劇は、ほとんど紙一重の領域にあるが、この作品はお笑いという視点を通し、紙一重のバランスを保っている。
芸の世界は見栄も張っていないと、なかなかやっていけないのかもしれないが、抱いた嫉妬や怒りや無力感や憧れというものは、当人たちの立場の移り変わりを見ていけば、充分に読み取れるし、芸に生きる人間の滑稽さは、よく出ていると感じた。
泥臭いだけに生々しく、「小説」というものは描けている、という感想だ。

拍手[0回]

07/17

Fri

2015

まわる車輪

前日の夏日とは打って変わり、肌寒いほどの強い風が吹きつけていた。
 ススキノの温度計は15度を示しているのだから、寒いわけだと男は思った。
 SNSで突然上がったメッセージに食いつき、咄嗟の飲み会に参加した男は今ビルの一室にあるスナックで社長たちに囲まれながらハイボールを飲んでいた。
 会いたい人がいた。
 ただそれだけの想いだった。
 ネットは離れた人とも直接やりとりできるようになった。
 写真も見られるし、日々の様子も発信者次第でいかようにも情報を得られる。
 そんな中で酷くアナログ的なもの、原始的なもの、それを行うことにこそ価値がある。
 何故なら、体温は会ってでしか感じられないからだ。

「一番奥の方が年商1億の方で隣の方が2億の方」
 あえて末席を選んだ年長者がカウンターの奥に座った男たちを順に紹介していく。
 三人ともだいぶ飲んでいるらしく、その場から参加した男には、他が何時から飲んでいてどれだけ酔っ払っているのかわからなかった。
 特に経営者となると下の者に愚痴るわけにはいかない。自分の弱みを見せられる唯一の場所は、同列の人間が参席する場でしかありえない。
「金持ってるって行っても、本当大変だからね。俺の口座見る? 三ヶ月に一回は25日1000円の時あるから」
「だったらやめちゃえばいいのに」
 スナックのママがハッキリと言う。
 でもやめられない、という責任感とも意地ともつかない感覚はママにとっては恐らくどうでもよさそうに見えた。
 辛かったらやめるという手段を即座に取れる、というシンプルな理屈がそこにはある気が男にはしていた。
 経営的な愚痴を語り合うというよりも、人間付き合いの中で生まれる問題の方がより話されていた。
 途中から参加したハットを被った中年の渋い男性が一番奥の男に「人望」などの話をしていた。
 五年後、十年後を見ろと。
 人望、平和、幸福など、それらの言葉は常に曖昧で個々人の価値観によって意味が左右される。
(なぁんだ。金は稼げても「粋」については考えないのか。日本人ってそういうの大好きなのに)
 と、男は内心考えたが、でしゃばるような内容ではないし、目の前のスナックのママは浴衣で風情があるし、ハイボールがそろそろまわってきたわで、どうでもよくなっていた。
 そもそも、男にとっては、呼ばれもせずにSNSの「この人がいるので誰でもいいから一緒に飲みませんか」の号令一つだけで駆けつけてみた身。年長者以外は初対面であるため、性格も性質もわからぬ状態であったから、余計な事を言わぬのが吉であるし、そもそも知り合いの年長者の顔を見るという当初の目的は達成されたのであるから、後は特に関係なかった。
 ただ、元気な顔を見る。
 それだけのことが、男にとっては大事なのだ。それ以上のことを考えるのはおこがましいし、考えもつかなかった。
 こまめにグラスの水滴を拭く二十代前半のぽっちゃりとした綺麗な顔立ちの女性が、奥の億単位の年商の経営者たちに楽しく語りかける。
 男の隣の経営者の前の白いテーブルには煙草のコゲがあった。
 男が年長者と会うのは二度目であった。
「あいつな、ああ見えて、意外と一匹狼だぞ」
 ということを事前にリサーチしていたため、先ほどからおどけているのも、もしかしたら道化の可能性も考慮しておかなければいけないなと考えながら成り行きに身を任せながらハイボールを口につけていた。
 周囲の人たちは年長者の素行はいつものことであるから、いつものノリであるのだろうと思い込んでいる。
「オブラートに包めないのよ。ハッキリしか言えないの」
 経営者たちの微笑を誘い、ママが遠慮なく言う。馬鹿は馬鹿。嫌なものは嫌。基準がハッキリしていた。
 会話が楽しく盛り上がっていく。
 それが経営者たちにとってはいつも通りの夜なのか、それとも特別な夜なのかもわからず男は各々が抱える特別な思いたちの片鱗に触れながら店を出る際、一気にハイボールを飲み干した。

 日付が変わり、一人いつものバーへ寄りなおし、そして帰りにそばを食べる。
 いつものバーの近くにあったが、行く時間が遅いためそば切れで食べる機会に恵まれなかったための再訪だった。
 出てきたそばはニセコのそば粉を使っているという。麺が短めでややごつごつしているため歯ごたえがある。
(不器用な蕎麦だな)
 二口三口と重ねるたびに、やっぱり不器用だなとしみじみ噛み締める。ツユは煮干を使っているのだろうか。カツオとは別の少し違った甘みと、舌の上のざらっとした感覚があった。
 自分は大将の顔を覚えてはいたが、向こうは覚えていないようだった。
 以前「ここに来る人はたいてい愚痴か、理不尽になじって帰る人が多いでしょ。ススキノだしね」としゃべっていたから、きっと日々のことは忘れるようにしているのだろう。
 さもなければ、辛すぎて生きていけないだろうから。
 
 ふらふらと夜風に吹かれ帰りながら、今度はコンビニへ寄る。
 荷物を届けに来た白いワゴンが止まっていて、昭和の女性演歌歌手の歌が流れていた。
 コンビニの中へ入ると、少し使い古された青い作業着に帽子をやや深めにかぶった初老の男性がすれ違いざまに外へ出るところだった。
 人は生きるために何かをするという行為が、それぞれにある。
 皆苦労をしている。
 それぞれの苦労がある。
 男の財布の中にはもう数百円しか残っていなかった。
 これでまた来月まで過ごさなければいけないと考えると滅入ってくる。
 男のいつもの夜だった。
 ただ、何故生活も苦しくなるような行為をとるのかといえば、それは必死な「祈り」とでも言った方がいい。
 つまり、今日あの年長者に会ったことにより、違う未来が開けたのではないかという、希望めいた微かな祈りだ。
 自転車のように回し続けなければ倒れてしまう。
 それは危機感ではなく、自らへの使命感や充実感に近いものがある。
 きっと、今日出会った経営者たちにも、そんな思いがあるのではないかと考えていた。
 まだ、熱帯夜に近づきながらも、冷え切った夜の出来事だった。
 男は自転車のペダルをこいだ。

拍手[0回]

07/14

Tue

2015

朝の光に滲んだカーテンが揺れる。
 窓を開けていた。
 反対側の部屋の窓も開いているだろうから、彼女がトイレに行くためにリビングのドアを開けた際に、風がドアの風圧で流れてきたのだろう。
 僕と彼女は別々の部屋で過ごしていて、彼女は僕が深夜まで起きていて作業したり、部屋をうろうろしたりすることに対し神経質に苛立つ事があった。
 彼女と同棲しだして三年になる。最初は一緒に寝ていたのに、二年目に別々の部屋になり、僕は僕自身の感情を全て抑えなくてはならなくなり、そしてネットで知り合った女性とメッセンジャーで、こっそり電話をしながら本能的な欲求を満たしたりすることもあった。
「最近、冷たくなったよね」
 同棲して一年が過ぎたあたりに突然言われた言葉だったけれど、僕にとっては青天の霹靂に近かった。
 というのも、僕の活動そのものは彼女に付き合う前から散々伝えてきたし見せてきたし、その時僕の彼女への愛情そのものを根底から疑われるようなことは一切してこなかったし、彼女は僕の活動を認めてくれたものばかりだと思っていたら、結局は自分が大事にされること最優先の発言に思えたし、まさか彼女がそんな自己本位な発言を同棲一年もしてから言い出すとは思ってもみなかったからだ。
 僕は僕のしたいことに専念していて、きっとそれは、もっと多くの人のためになるはずだと信じて活動を続けているというのに、今更「私に構え」というように、暗にメッセージを送られても僕は困る。
 崇高な事をしているという傲慢さはないが、僕にしかできない使命感や僕だけが伝えられる重大なメッセージがあるからこそ、僕は諦めずに続けてきたし、続けてこれたし、当然応援もされてきた。
 僕は彼女の行動が不可解でならなかった。僕の邪魔をしようとするのか。さもなければ、我欲が生まれてきて、もっと大きなものを見つめようとする気持ちすら見失って利己心が肥大化してしまったのか。
 僕にとってはまったく不可解だった。
 さらに不可解だったのは、懸命に料理を作って帰りを待っていたり、いちいち帰りの時間を気にかけたり、二人の間の記念日をいちいち気にしたりと、妙に関係のないことにこだわりだしてきたことだった。
「いつ帰るの?」
「もうすぐお休み取れる?」
「今度一緒にここへ行きたい!」
 僕の活動は不定期で人との繋がりも重要だから、一般的なサラリーマンのように時間調整がしづらし、いちいち彼女のわがままに付き合う道理もなかった。
 理解とはなんだろう。僕は彼女のことを理解していたつもりだ。でもまるでこんな行為は裏切りに近いじゃないか。なぜなら、僕の活動を理解していながら阻害するのだから。
 何故。何故。何故。何故。
 僕は懸命に今の忙しい予定の中でも愛しているではないか。
 精一杯愛しているのに、何がおかしくなって、彼女はこうも私の行動をいちいち阻害するようになったのか。
 わからない。気でもふれたか。もしくは彼女が何か隠しているのか。
 一人、脳内を考え事がぐるぐる回る。光の微粒子は部屋に満ちてきている。
 朝の光に滲んだカーテンが揺れている。
 僕は何故か彼女のことを眠れずに考えようとしている。
 三年目にして始めてのことだった。
 風はもう流れてはいないが、新たな光がカーテンを染めていた。
 それを僕は心底眩しいと感じ、目を背けた。

拍手[0回]

フリーエリア

ブログランキング・にほんブログ村へ

バーコード

プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

最新コメント

(07/27)
(02/23)
(03/05)
(03/02)
(01/24)
(07/29)
(01/21)
(08/16)
(04/28)
(04/20)

ブログ内検索

カレンダー

12 2026/01 02
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

忍者アド

Copyright © あさかぜさんは見た : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]