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あさかぜさんは見た

日記

01/15

Thu

2026

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06/28

Sat

2014

カモメのジョナサン完成版



 先日NHKのニュースで出たことを知り、完成版とのことで第四章が追加されて40年ぶりにお目見えとのことで急いで書店に行き購入した。この本を最初に読んだのは確か20代後半だったような気がする。
 題名からは、なんか動物ものだから、ほのぼのしてる童話か何かじゃないか? だなんて思っていたら違いました。悟りの書みたくなってる。
 というのもジョナサンは「飛行」や「スピード」をひたすら追求するカモメになっていく。一つ芸を追及することによって単に「生きる」ことに必要な「餌をとり生活していく」という次元からはるかに別の価値観を得ていくことになるのだが、それだけにカモメの群れから追放されてしまう。
 その一芸を追求するという行為の先に肉体をも超えて行き開眼する様は「これはいかにすれば悟りを得られるのか」を書いた小説なのではないかと、当時は思っていた。一つの世界を純粋に練り上げ純度を高め、目で物を見るのではなく、世界と一体となった心の目で時空を見渡す。確かにここまでいってしまうとそれは「カモメ」とは呼べない存在になってしまう。
 ニュースでも言っていたが、肝心の第四章は、第三章で終わっていれば「ああめでたしめでたし」という印象しか持たなかったものが、ジョナサンがいなくなり神格化され、行為から思考へ切り替わり、思考のために思考を練り上げ、思考を植えつけるための約束事やしたきりまで出始めるという、ニュースでは「堕落」と言っていたが所謂「現実不在の堕落思考の様相」が描かれている。
 ほとんど全ての言葉というのは「行為」を中心にし、体の中のリアリティを通して発信されているはずだ。さもなければ、個人にとってそれは単なる「情報」でしかなく、体験談でも得た知恵でもなんでもないのだ。知識を得て体験もせぬまま情報レベルでそのまま井戸端で噂話をするかのように語る人間はたくさんいるが、常に情報のオリジナルであり続けることは難しい。
 何故なら現代は情報が溢れていて、さも体験したかのように緻密に脳内に情報を蓄積することができるからだ。だから、我々は知らないことでさえ情報を共有して知った気になっている。
 そして情報を我々が確かに身近なものとして共有している、現実のものであるとするにはシンボルが必要になる。何か象徴的な形となるものが必要になってくるのだ。だから我々が思考を停止させる時必ずキーワードで話し出す。そのキーワードが何を示すのか、というのは、象徴物に印象付けられたイメージや先入観からしか考えられなくなる。
 そして行為は歪められ、思考は堕落していくのだ。
 これは別段難しい話ではないのだ。行為によって出しかオリジナルの情報は手に入れられない。知識は知恵にならないし、情報が真実かどうかも確かめることはできないのだ。世界を見つめることは、歪んだ心を捨て去り自由を得る必要がある。心の中からしがらみを取り去る必要があるが、いかに自由になったとしても自由になろうとしても、しがらみや群れを求めだすのが人なのかもしれない。
 この小説は多様な捉え方がある。経済には「神の見えざる手」があるというが、人間社会にも荒む時期や栄光の時期が繰り返されている。それはきっと個人の利益を考える人間の腐敗であったり、はたまたその腐敗に対する反発的な意思で利益を考えたりの繰り返しなのかもしれないとも考えさせられる。
 しかし我々の社会がどうあれば健全でありうるか、という議論はしばしば「行為」によって変えられるのではなく「情報」によってのみ歪められることが多々出てきている。
 第三章までの話は40年前。高度成長期の終わり頃で、その時期には第四章は時代に似つかわしくなかったとニュースで言っていた気がする。そして今になって第四章が追加されたわけだ。
 これは何の運命か何の因果か。あの頃二十歳で読んだとしても、もうその人は60ぐらいになっているはずだ。その人たちは何かを感じるのか、もしくはそういう長老たちよりもむしろ、今の若者にこそ再度問いかけているのではないのか。
 文章も簡単で一読の価値はある。ぜひお勧めしたい。

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06/21

Sat

2014

年季の入ったドアをくぐると、そこは別世界だった。

民家を改装した家庭的な雰囲気が残る店内はウッド調のぬくもりに包まれている。その料理屋の入り口は若干低く、わざと頭を下げて入るよう「茶室の入り口」をイメージして設計してある。
 小さな路地に入ったところにある店だが、隠れ家的な、秘密基地のような、こんな目立たぬ場所に客など来ないのではないかと思いきや、そうではなかった。
 先日とある監督からよいお話をいただき、同席していたプロデューサーさんと一緒に楽しく会話をした。自分としてはその先にあるたくさんのコミュニティにアクセスできる可能性ができたことが大きなことであり、この入り口の先にある世界に今からワクワクしている。
 さて、プロデューサーが帰った後、監督が酒を飲みすぎ、本人曰く10数年ぶりに取り乱し、マスターに色々と議論を吹っかけるという事態になっていたが、なんとなくその様子に親近感を抱いた。
 というのも、自分だってバー帰りの街路樹に酸性の肥料はたくさんあげたわ、酔って猪木ばりに店員に平手を食らわしたわ、楽しくなると自分の素を曝け出したいという気分になって、よくやらかした。それは、いつも抱えすぎているフラストレーションを自分の中でどうしようもできなくて、外に出たときには泥酔、悪酔い、なんて形で酒の勢いで色々出すっていう結構ろくでもない手段なのだけれど、誰かに話そうと思っても言語化できないような、もしくは同業者じゃないと理解できないようなもやもや感っていうのがあるので、ああここにも仲間がいたという一つ精神面での「わかるー」という微笑ましいものを確認できたのが大きい。
 たぶんこれから、深い付き合いになりそうな予感がした。
 さて、そこまでが先日の話だったのだけれど、改めてお店にご挨拶に伺った。マスターとも初対面だったけれど「金ないならツケにしてもいいから!」と気に入ってくれたようだったし、監督の席だったので自分の話はあまりできないこともあり、マスターとも店員さんとも自分のペースでお話しようというわけだったのだ。
 マスター自身もだいぶ人を選ぶと言っていた中に自分がいることができるのが嬉しい限りだし、色々な話の中から透けて見える「命の活動力に興味を持っていきたい」という意思が今回の話でよくわかった。
 そしてそのマスターのお店に来るメンツが多種多様で面白く、人の繋がりがまた一気に増えていくことに、色々な可能性を見出していけそうで、結構未来は努力次第でかなり明るいものになっていくであろう確信を持てたことが、とにかく大きな収穫だった。
 私は監督の紹介でドアを一つくぐることができた。こういう入り口がありますよとくぐった先は、とても面白く、また別世界が広がっていたというわけだ。
 その新しく広がる可能性の空間に対し面白みとやる気を奮い立たされたのだ。たくさん勉強して、慎ましやかに能力を外に対して発揮していかなければならないと思わされたのだ。
 よい出会いを本当にありがとう。

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06/07

Sat

2014

年寄りから見るとつまらないこと

年をとってそれなりの経験をすると、全部とは言わないが面の皮が厚くなったり精神的に耐性がついたりする。
私もこの記事を書いている時は30代半ばなので、年をとったなどという表現は上の世代から笑われるだろう。
でも私よりも、より多くの若い人たちがいて、さらに自分にはできない優れた才能を発揮する若者がいて、なんとかそういう才能を応援したいという気持ちも素直に生まれてきている。
本当にもっと若い頃は、自分のことを理解して欲しいという気持ちでいっぱいだし、自分の才能を認めてくれないのは見る目のないやつだと思っている頃があった。
プロの素質というのは、実力だけではない。
当然関わる人たちに対しての敬意や礼儀をきちんと保てるかという点も含まれる。
何故って敵を作るような反発的な態度は、必ずいざって時に足を引っ張る敵を作ることになるし、人間の心は本当に卑しいものだから、見下されたと感じたら仕返しをまず考え出すような恐ろしいものだ。
若いと自分だけの世界で成り立てるから、それがわからない。
そしてさらにわからなかったのは、実は思ってもみなかった人が、意外な人と繋がっていたということが多々ある。
人を尊敬するには、見えない良さを見つけることのメリットは、実はとてもある。
私は常々「努力は他者の手によってようやく報われる」と考えるようになった。
ここ最近でようやくわかってきたことだが、いかに努力しても認めてくれる人がいなければ、社会上ではその実力はないものと思っていい。
それが人の手によってようやく引き立たされるわけだ。

大人になると、相手の感情は大事にしたいが、だいたい二の次になる。
どこを重要視するかっていうと「行為」そのものになる。
人は感情で物事を創出しているわけではない。
その先にある「行為」によって全ての現実は成り立っている。
見る目のある人間は常に「行為」を重要視している。
だから感情を大事にする時もあれば、感情を無視してもよいのなら、そうする。
当然優れた大人ともなれば、他者の感情の扱いにおいては十枚も二十枚も上手だ。
この人にはかなわないな、とも思うし、完全に見抜かれている、という妙な脂汗も出る。
世の中には上には上がいる。
それがわからないのは、小さな世界にいることを自分で主張しているのだ。

私は最近とても嬉しく思った音がある。
謝りそうもない若者が謝罪の言葉を文面とはいえ出したことだ。
才能はあっても不安な要素はたくさんある。
別に見下されようが何されようが、相手の感情の問題なので私にとってはどうでもいいことだが、少しは進めたのかなと思えるところがあったから嬉しかった。

いつだって、命があり、常に己の才能を伸ばし続ける人間が歴史を作っていく。
その歴史の一翼を担う人間は他者を味方につける術を無意識にでも身につけている。
だから上にいける。
人間には欠点がある。
他人が到底認めないようなものも含んでいる時がある。
そういうものに実力があったとしても振り回される。
年寄りから見ると、どうでもいい個人の感情が、他者との関係を決める。
だから、どんな人間でも自分より優れた点があるのだという気持ちで人を見なければ、たちまち己が作った敵によって、あらゆる利益を阻害されるだろう。

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05/19

Mon

2014

「共感が大事」という恐ろしいフレーズ

「共感」という言葉ほど実践において難しいものはない。
そもそも「共感」って何だ。これほどわかっているようで漠然としている言葉もないだろう。
個々によって「共感」する場所は違うし、レベルも違うし、繋がり方も違う。
そもそも自分自身の「共感」を説明できるのだろうか。
例えば「集団においては共感が大事だと思うのです」と言われたとして、集団としての一体感や共感とはなんだ。
人に不快感を与えず、その人間をやる気にさせ、かつ能力を十二分に伸ばせるような環境づくりと、成果を分かち合えるようなシステム作り、と言ったところだろうか。
作品における「共感」とは「面白いものを作ってください」だし、個人における「共感」とは「不愉快な気分にさせないでください」ということだろう。
それは守らなければいけないことなのだろうか。
いや、守らなければならない、という周囲の期待感のようなものがある。
そして取りまとめるような立場になったり、注目を集めるような立場になったりしたら余計に「あなたはこうしなきゃいけません」というような声も増えるだろう。
だがそれは正しいことだろうか。
新しいことを生み出そうとしている時、人を傷つけてはいけないし心理的な不安感を与えてはいけないし挫折感もなるべく他人が与えず自覚的に覚えていったほうがいい。
逆にタイプによっては無理難題を並べ立てられて悪戦苦闘して出てくる場合もある。
関わる人が増えれば増えるほど「共感」の内容が違ってくる。
変容を常日頃感じているのは多くの人間に注目されている人間であって、周囲は自分のままでよいのだから「共感」の内容が変わるとしたら己の生活や経験によってが一番だろう。
そもそも、本気で何かを作って発信したことがあるなら、そして数字を厳密に見ているのなら、「共感」は過去にしか存在しないことがよくわかる。
新しいことをやり始めると「共感」という定義すら吹っ飛んで、ほとんど実験状態になる。
何度も何度も失敗を繰り返しながら、99%ぐらいの失敗の上、ようやく見つかったりするものが多い。
そこは本当に失敗を重ねないと嗅覚が働いてこない。
知識だけ得て、その知識をすっと出したところで、なんら具体策もアイディアも存在しない。
その組織にあったベターなやり方は何なのか。
人によって組織が変わり続ける限り、ベストなんて絶対に存在しない。
これは創作の現場においても同じことだ。
なんでそんなこと言うかって、自分がこの「共感」ってやつを考えすぎてぶっ壊れそうになったからですよ。
「じゃあ受けるやつを学んでそれを自分なりにアレンジして出せばいいのかよ」
自分の創作の方向性を捻じ曲げてそれをやることが一番の近道だとよくわかっていた。
特に数字や成果を求められると本当にこの「共感」って言葉が心を病んでしまうほど重荷になる。
だから今はこういう風に考えている。
自分の場合はある人との出会いや歌舞伎との出会いなどによって心が変えられた。
だから、「自分の作品で誰か一人の人生でも好転させて影響力を持ち続ける」ということだ。
「一生忘れないものを与える」
これが、自分の目標だ。
「共感」という漠然とした言葉を考え始めると、また長年立ち止まってしまうことになるだろう。
組織における「共感」は私の場合「学びと成長」であればいい。不愉快だろうとなんだろうといい。それを与えられる数々の機会さえ設けられればいい。
創作における「共感」は私の場合「人生観を変える」ものであればいい。千人に否定されようと、たった一人だけでもいい。
仕事における「共感」は私の場合「美味い酒が分かち合えるよう最高の充実感を達成」できればいい。それが少なかったとしてもそれを目指したい。
ところで、これをお読みのあなた。
曖昧な言葉で思考を停止させてはいないだろうか。

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05/11

Sun

2014

心の生産性

生産性って経済用語で、多くの人が知っている言葉だ。
私は結構会社という組織の中では使えない子で、どんくさく、物覚えも悪く、同じ失敗を何度もする。
人に言われてもできないし、最近じゃやろうとしたことも忘れてしまうっていうありさま。
色んなことやってみたけれど、たぶん超えられない壁がたくさんあって、自分でもハッキリと認識している。
だから、というわけでもないのだけれど、文章なんて書いて、自称作家を名乗っていて、ああきっと金が入ったとしても(自称)ってつけると思うし、こんなことやっているうちは社会の生産性とはまったくかけ離れたものであり続けるのだろうなと思う。
この分野では自分は本当に自由でいられる。
今は飲食店で働いていて、時給は800円もいかない。
社会上の身分は今は「フリーター」ってところだろう。
働いても色々な雑費や生活費で振り込まれたと同時に瞬時に飛んでいく。
とてもじゃないけど、生きていけるような感じじゃない。
社員さんを見ても12時間くらいは働いていても8時間でタイムカードを切ってる。
それで手取りで16万くらい。
12時間も拘束されていたら人生のほかのことをやる時間がない。
趣味はどうなんだろう。結婚生活はそれで成り立つ? 本は読めるのかな? 色々考えてしまう。
最近自分は眠気が酷くて必ず昼寝をしてしまう。
体力も落ちてきたから軽い運動も心がけるようにした。
こういうのってお金にならない。
苛立ってお酒を飲むことも、運動も、昼寝もそう。
私の生産性は限りなく低く、価値らしい価値もあまりない。
でも発想を変えると、とたんにわからなくなる。
心の生産性ってなに? 芸術における生産性とは?
もっと別の言い方にしてみようか。
人間としての生産性の本質はどこにあるのか。
仕事をして、会社に尽くして、毎日心に積み重なっていく大事なものはありますか?
別にこれは会社で働くことを批判的に言おうとしているわけではない。
私は日々の心のあり方に対して、ほんの少しだけ疑問に感じることがあって、自分らしい自分まで押し殺して、一体その先に何を見ているのだろうと。
身を粉にして働いて、築き上げているものは先進国でもトップレベルの自殺大国日本。
自分だけ稼いでも、立派になっても、自分と関わる人は幸せになれるのか。
お金はいくらでも欲しい。
物欲もたくさん掻き立てられる。
時間の使い方が悪くって、思い描いていることの10分の1ぐらいしか作業できてない。
そんな人間が人間同士のことや個人の心のあり方に対して何か言うのもおこがましいけれど、「豊か」であることのあり方が、非常に視覚的に数値化されたり、物理的に見えるもののみで考えられている風潮はよくわかる。
人を愛することは生産性からはかけ離れていることだろうか。
どうしてお金を稼ぐこととは関係ないことをするの?
私は一応芸術をやっているから、その答えはたくさん持っている。
でも、色んな人にどうして? と質問してみたい。
だってそれは日本の社会や経済を冷え込ませる行為なんじゃないの? 稼いで消費してお金を使い続けなきゃ、この国はダメになるんでしょ? その考え方を支持しているんだよね? と。
自分のことを考えるのはよいのだけれど、誰か一人からでも「あなたといてとても幸せです」と言われたことはあるのだろうか。
人は自己中心的な生き物だし、嫌なものは嫌だ。
好きなものだけ集めて生きていたいにきまってる。
それは、心の中に確かに積みあがるものがあって、そしてなおかつ人と分かち合えるものなのだろうか。
ああ、どこか苛々している自分がいる。
この国はとても息苦しく感じることがある。
目に見えない、嫌なプレッシャーがある。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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