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あさかぜさんは見た

日記

01/15

Thu

2026

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03/05

Wed

2014

ここ一ヶ月のことを ~よい出会いしました~

時間があると無駄に使い、時間がなくなると大事に使い出す。
追い込まれないとやらない性格。
メリハリがない。
まあ、ろくでもない男なのですが、そんな私がデパートの催事場で素敵な出会いをいたしました。
ちょうど全国の職人が作った物品がありまして、染物から陶芸、タンスなどなど色々ありました。
その中で北海道の職人さんが数名おりまして、2時間ほど漆塗りの職人さんと話しこみました。
札幌に住んでいる方らしいのですが、この地で漆塗りとは珍しいなと思いまして、だいぶ話こんでしまいましたよ。
月10万ちょっとほどの収入で、時給に換算すればわりに合わないと言っていましたが、貧乏だとは感じたことはないと言っていました。
「工夫して暮らせば充分暮らしていける。宝くじで100万当たったら生協でカートいっぱいに買い物してみたい」
そう言う人なのですから、贅沢な暮らしをしたいという欲望がなく、現在が幸福なのだということが伝わってきました。
「札幌市も職人の家賃を優遇するなどの措置を取れば、だいぶ芸術文化発達するのにね。家賃浮いたらだいぶ助かるよ」
と話しておりました。
お弟子さんとかは取らないんですかと聞いたところ、取る余裕がない、忙しい、とは言っていたものの、教えて欲しいと来るなら教える、こっちなんてお金払って教えてもらったくらいなんだから。
と言っていましたよ。
札幌 修工房
と検索すれば出てくる場所です。
革が専門の漆塗り職人。面白い人です。
職人さんたちが色々集まって、たまに飲み会するそうです。
その時言い合ったりしないのですか? と聞いたところ、
「お互いプロだから言い合ったりはしない。仕事の話は一切出ない。互いにそれで食っているし認め合っているから。でも画家が集まると言うみたいだね。たまに違うことやっている人から大きな指摘受けて大きなヒントもらうこともある」
と言ってました。
作家も画家と同じようなもので、口出しせずにはいられないようなところがあり、ちょっと文章かじっていたりすると余計に言いたくなる。
あれ、なんなんでしょうね。
やっていることが似通っているから、互いのポリシーみたいなのをぶつけたくなるのでしょうか。
私も考え方が変わってきて、過去の日記を読むと、青いなコイツと鼻で笑いたくなりますが、でも自分で突っ込みいれたくなるほどの苛立ちを覚えるのですから、他人だとまた苛立ちがあるんでしょうな。
どうしてこうしねぇんだよ、みたいな。
自分の作品手に一つ取って、この真ん中に穴開けて時計にしちゃってもいい、なんて言うもんだから「自分の作品にそんなことされて気にしないんですか?」「逆にその発想が面白いと思うよ」と言っていたので、ちょっと驚きました。
自分なんて作品に他人の手入ると苛立つのに、他人のアイディアを柔軟に受け入れる姿勢がとても刺激になりました。
自分も改めないといけない、と思いましたよ。
だいぶ話し込んで、
「子供が大学生で自分で稼いで通ってる。子供は気にしていないみたいだけど、父親としてちゃんと金は払いたかった。他の人が遊んでいるところを働いているからね。もっと自由な時間が作れたんじゃないかと思うところはある」
とも話していたし、初対面の私でも話しこんでくれ、しかも帰り際革のしおりを買う際に「財布大丈夫?」とこっちのことも心配してくれたのですから、いい人なんでしょうね(私その時求職中でしたので)。
誰か若いうちに漆塗り学んで北海道にも漆塗りの文化を根付かせて欲しいですね。

そう、その人との話の中で一番の目からうろこの話がありましたので、ぜひ書き残しておきたい。
統合失調症の方がいる施設でも革細工のことを教えて実践させるみたいなのですが、その時療養中の方が間違って革2枚を重ねてパンチで穴を開けてしまったようなのです。
もちろん全員同じものを作るのに手順どおりやっていたところ、その人だけミスしたことになります。
そうしたら失敗したことに恐怖を覚えたのか、ガタガタと震えだして止まらなくなってしまった。
「大丈夫。全然失敗していないよ。ほら見てご覧」
と焦ることなく、職人さんはパンチで逆に穴を開けまくった。
そしてメッシュ状のコースターを作ってみせて「ほら、失敗していないでしょ」と言うと、とても喜んでくれたのだそう。
「もしかしたら20代30代の時だったら、そんなことできなかったかもしれない。今だからできることなのかも。50になって、ようやく見えてきたものもあるから、これから先また見えてくるものが楽しみ」
と話していました。
その話にとても感動。
お互い住所も交換し、出会えることを楽しみにしているところです。

さて、もう一人話し込んだ人がいて、さすがにそちらは時間を取れず、今度お酒でも持って行こうかなと思っているのですが、北海道の土を使って焼き物をしている方でした。
凍土会というグループを作って活動なされている方なのですが、器が若干歪。
「これ、わざとこうして歪ませているのですか?」と聞くと、
「わざわざ歪ませるとあざとくなる。だからヘラですくった時に出る勢いで自然に歪んだものをそのままにしている」
とのことで、なかなか味のある、土気の強い、ゴツゴツとした器でした。
創作のヒントがここにもありますね。
北大の先生に聞きながら地層を研究して自分で土を採取しに行くのだとか。

まあそんな話をしながら催事場で4時間近く過ごしたのかな。
なかなかの穴場でした。
また調べて行きたいと思います。

漆塗りの職人さんから聞いた漆のワンポイント。

器のところに段差があるのわかりますでしょうか。
これ、ちゃんと中に布を入れて欠けない様にしているのだそう。
特にこのヘリの部分と器の底の部分、つまり欠けやすいところをしっかりと頑丈にしているかどうかは、ちゃんとやっているかどうかのポイントなのだそうです。
皆さんも器を見る時に、じっくりと見てみるといいですね。


そしてBARで偶然知り合った人なのですが、公演の帰りとかで坦々麺食べていかんかと、店の前のおばちゃんに誘われ断りきれずに食べて来たついでに偶然入ったBARらしく、カウンターの席がちょこっと空いたので、隣の席どうぞとお誘いしたら、室蘭で歴史的建造物を残そうと活動なさっている人だと知り、色々余計な事私が話したような気もしますが、とりあえずこちらもしっかり連絡先ゲット。
新聞にも何度か載っている方なのですね。
そんな偶然が重なり人脈は広がっております。
京都で学んだことが、ここで生かされようとは思いもしなかった。
京都での生活がなかったら、この方とも話が広がらなかったでしょう。
今になって、今までの生活がありがたいと思うようになってきました。

ちなみに、その方が売っているキャンドル。
http://hoqsei.com/

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02/01

Sat

2014

アイルランド人が製作した日本の自殺者のドキュメンタリー映画


公式サイト:自殺者1万人を救う戦い

一言で言うと生きることも死ぬことも「自己責任」のように取られる。
夢を追えというわりには多様な生き方を社会は認めていない。
だって私だって仕事で面接受けて、文章書いています正社員は時間が取れなくなるので遠慮しますなんて言うと「こいつ大丈夫かな」とシニカルな笑いを浮かべた面接官の裏の気持ちがよく読み取れる。
ようは、そんな生き方は「まともじゃない」と受け取られる。
きちんと定職を持って働いて食い扶持は自分で稼いだ上でちゃんとしろよ、と誰もが言う。
それは金にならずに食えていけないものは仕事じゃなくて趣味と取る。
そして、趣味で人生を狂わせるのはおかしいと通常の社会人は思う。
だって実際定職に長く就けなかったり正社員にならなかったりする人間は、かなりの冷ややかな目で見られるのが現実だもの。
一度仕事を止めて半年世界各国を回って帰ってきたら、再度仕事に付くのは以前よりも困難になる。
そんな風に長くそこにいることが信頼を生むし、信用のない人間は仕事から遠ざけられる。
当然、お金がなくなっていく。
日本は金に行き詰ると生きていけない。
一ヶ月の酒か、それとも一週間の食料かで悩み、だんだんと金のことで追い詰められ思考が鈍化していく、あのじとっとした嫌な心理は実際体験してみないとわからない。
酒がないと辛い悩み事に押しつぶされてしまうから、食料並みに大生きるための大事なものになってしまう。
生きる術はたくさん用意されていても、それを選び取る思考能力が心理的圧力によってそがれていく。
手段を選び取れるのは、物凄く幸せな生活をしている人間だということに気がつかず、うっかりとふさぎこんでいる人間に説教がましいことを言う。
互いに反発しあって理解できない。

新・人間失格
http://p.booklog.jp/book/6614

昔こんなものを書いた。
太宰をまるまるぱくっていて、自分のオリジナルではないから、いつか書き直そうと思って数年も放置してしまった。
絶望している人には何が必要なのか。
まっとうな意見よりも、理解者だと思う。
その上でやっぱり誰かに必要とされることに、なんらかの喜びを感じるけれど、酷い場合は相手が自らを攻撃してくるまで心理的に痛めつけたりする。
お前も私を裏切る者の一人だろうと試さんばかりに。
絶望から救う方法は千差万別。
マニュアル通りにはいかない。
でも、誰も理解者になろうとしない。
誰もが自分の人生に精一杯で、他人の人生に興味を持つよりも前に、自らへの同調者を強く求めているからだ。
他人の為に何かを懸命にできる人間は非常に稀だし、自分の資産を使ってまで他者への支援を行おうとする人間もまた稀だ。
実はそれぐらい他人に関心を持っているようで私たちは冷たい。
そして同時に人間社会に生きる恩恵を受けながら実利以外は冷たい目で見るほど私たちはあつかましい。

最近私は本当の「創造」とは何かを考えている。
それは「遺す・残す」ことなんじゃないかとも考えている。
自分の人生一つ使って誰か一人の人生に感銘を与え、希望を与える。
希望とまではいかずとも浄化を与える。
二人だったら凄いことだ。
人生は克服すること、つまり「克っていくこと」だと考えている。
だから「克つためのヒント」が世の中にもっと溢れればいいと思うし、私たちはもっと親密な友達になるべく、先入観で人を見るよりも前に、人間そのものがもっている可能性を探っていくべきだと考えている。
可能な限りね。

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01/07

Tue

2014

偶然検索ワードで引っかかったことだけれど、よい「題」ですので書こうと思います。
さて、人の使う「言葉」には、口語と文語がありまして、口語は感情的に、文語は極めて論述的に展開されます。
そして、言葉においての口語と文語は、一致を見せないのが当然なのですが、どうにも、この両者はいつまで経っても喧嘩をしあうようです。
自分もよく経験しました。

口語は口から出る心に根ざした言葉。
文語は文章上で展開される論述的なパズルのようなものです。
口から発せられる言葉は必ずしも、言葉の意味と一致するわけではありません。
大嫌いと言っても、それは大好きの裏返しであったり、そうだねその通りだよ、なんて言葉はその場をしのぐための口あわせだったりします。
それが文語と大きく違うところです。
対する文語は記述した言葉の意味を辞書の意味とほぼ一致させながら、かつ意味を積み重ねながら意味の結論を導いていくということをします。
一番親しんでいるものは「契約書」でしょうか。
あれは書いたものと読んでいるものが両者意味を一致させなければ成り立ちません。
論文、なんていうのもそうですね。
だから、ロジック(論法)にこだわる人間が、しばしば人の心を踏みにじるのもこの齟齬(違い)によるものです。
口語にこだわる人間は心にこだわり、文語にこだわる人間はロジックにこだわるのですから、両者一致するはずがないのです。
しばしば、宗教的にも政治的にも文語が口語を踏襲し、爆走し続けることは多々あります。

「言葉と言葉のやり取り」という検索ワードだったのですが、憶測ですが一番興味があるのは「何故通じ合えないのか」なんてところだと思うのです。
何故違いが生まれるかというと、だいたい「客観」と「主観」と「当事者」と「他者」における、各々の立場からの一方的なやり取りが原因になります。
当事者は自分の気持ちを知って欲しいことに対して、他者は客観的にこうしたほうがいい、なんて知ったようなことを色々と助言したがるものです。
話もよく聞かないままに、黙っていられずにベラベラと物を言ったり、聞いて欲しくないことまで聞いてしまって信用を失うものです。
そして、最も難しい言葉と言葉のやり取りは「相手の使っている言葉の意味を知る」ということです。
両者、知ろうとしなければどちらかに不満が残りますし、口語と文語のやり取りでもすれ違ってしまいます。
ここが非常に難しいところ。

外国にポーンと2ヶ月以上出てしまえば、日本語を使わなくなるので他民族多文化などの多くの価値観を肌身で感じますが、どうやら同じ言語でやり取りすると、そんな感覚も薄れてしまう傾向にあるようです。
私たちはどこかに「同調意識」を強く持とうとするのでしょうね。
それは「承認欲求」の変化した形なのだと考えています。
そんな「承認欲求」の中で、私たちは多くの場合、自分の持っている言葉の意味を変質させたり、自分自身の言葉の意味を押し付けたりします。
これは言葉における感覚というよりも、圧倒的な経験のなさや、他者感覚の欠如とも言えるでしょう。
経験や他者感覚の欠如は、現場に出て養うしかないので、いくら知識を集めたところで追いつかないところがある。
文学青年少女が独自の世界にこもってしまうのと同じ状態になってしまう。
どこの世界にも知識に凝り固まってしまうあまり、現実世界の微妙な意味を見失う人は多くいる。
言葉を人間が扱う限り、変質し続け、意味もまた微妙に変化し続ける。
10年時代が違えば感覚も得ている環境も育ってきた場所も違うのだから、私たちはもっと他者の感覚に注視しなければいけないのに、古今東西「最近の若い者は」と「大人ってヤツは」を繰り返している有様だ。
なにせ古代エジプトにも「最近の若い者は」というようなものが残っているというのだから驚きだ。

違っている、理解しあえないかもしれない、だからと言って会話をなくすのは間違っている。
いつだって私たちの間の溝を埋めるのは対話でしかないのだから。
そして対話とは、感覚が違うことを前提に、そして立場を尊重しながら交わす言葉のことである。

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01/02

Thu

2014

新しい始まり

明けましておめでとうございます。
塩風呂にも入りまして、身を清めたところで、去年のことを振り返ることもなく今年の抱負を考えていきましょうかね。
去年は団体を作ったり、凄いものは書けなかったけど作品発表していったり、伊達とはいかないまでも表に出て色々やってみました。
まあ、60点ぐらい。
色々な事がありましたが、種まきの時期でした。
少なくとも団体を作るという大きな目標は達成し、今年はその団体を基盤にしてさらなる飛躍をしていくつもりであります。
ということで、個人目標としては団体を通じて様々な反省点が見つかり、さらに自分自身強くなっていかないとなと痛感させられました。

反省点を踏まえた個人目標。

1、スケジュール管理、時間を無駄にせず動く。
2、本を月5冊以上は読む。
3、今年を最後だと思って動く。


次に声劇ギルドZeroKelvin目標。

1、組織内部の質をあげる。
2、1コンテンツの動画再生数1万越え。
3、キャスト1人あたりの信者5人獲得。
4、ワークフローの提出、サイトなどを使った連絡手段の円滑化。
5、宣伝ツールの発見、それを使った効果的な宣伝戦略。


こんなところかな。
理想を語るのは誰にでもできるから、今年は確実にこなしていく。
そうしないと自分は誰も守れない、何も創れない、情けない大人になってしまう。
もう今年で35歳。
もう30代後半の年齢になります。
いよいよ後がない年になってきましたよ。
一年でどれだけのことが積み上げられるのか。
今年はさらに試される年になりそうです。

皆様今年もよろしくお願いします。

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12/28

Sat

2013

前向きな言葉の数々は胡散臭いものだけれどね

世には様々な商品があふれ、様々な売り文句があり、様々なメリットを前面に押し出している。
その商品に触れないことが、さも損であるかのように、どこもかしこも素晴らしいもので満ち溢れている・・・かのように聞こえる。
だが実際購入してみれば思ったのと違ったり、効果が充分に得られなかったりする。
商品でさえこんな風になるのだから、人生の売り文句となればさらに怪しくなる。
この世界は、幸いにも文字を伝って古今東西の知恵を受け継ぐことができるようになっている。
我々が人間として生きてきて、最も幸運であるのは言葉なのかもしれない。
その反面、人生そのものは理不尽さそのものであるから、そのシンプルで辛らつで当たり前のことを受け入れられなければ、あらゆる積極性を目にしては腐り果てる。
そして、さもわかったかのように語り始める。

人類は、結構人類の心理的癖のようなものを解き明かしていたりする。
そして近年に至っては、資本主義社会などの高度な経済社会においての成功法則は、既にまとめられていたり、古人が残してきた数多くの金言が残っていて、それさえ実行できれば成功に近づけるようになっている。
ただし、実行できればの話しだし、確実に成功するのではなく、あくまで成功に近づけるということだ。
最後の最後には様々な運の要素や人間関係、己の総合的人間力が関わってくるため、成功法則を実行できていると思っても、うまくはいかないことがある。

さて、世の中には様々な前向きな言葉がある。
私は底辺から這いずってきた人間なので、前向きな言葉が腐った心にどれだけの劇薬になるのかを知っている。
実行できないことへの卑下。
素直に信じられず疑心暗鬼になり余計に心がささくれ立つ。
そして、中には夢を餌にして金を稼ぐ輩もいる。
成功することを望んでいるのなら出世払いにすればいいものを、いい金を取って講習を開いたりする。
行動を起こすには、メンタル的なものが非常に大きな要素になる。
かの大リーグ選手イチローも言っていた。
体の不調を心で直すことはできるが、心の不調を体で直すことはできない、と。
それだけ、心を作り上げることは簡単な事ではないし、たいてい、変わらなければならないという危機感に見舞われることなく、日常は平穏に暮らせるものだ。
だからこそ現状が満ち足りていると、このままでいいのかな、という気分になる。
だが、いつかは困難に直面する。
残念ながら後に選ぶか先に選ぶかの問題だ。
しかしメンタル面で、いつ準備ができるのかというのはタイミングの要素もあるが大きい。
早い人もいるし、遅い人もいる。
いつまでも気がつかない人もいる。
準備を整える必要もなく、このままでよいと思ってしまう人だっている。
色々な人がいるが、前向きな言葉を信じて、もし崩れるようなことがあったり、自他ともに何かを作るよりもはるかに壊す方が多くなってしまったのなら、もうさっさと前向きな言葉や自分へのこだわりは捨て去って、現状の自分をよく観察するべきだと思う。

前向きな言葉を実行に移すにはメンタルな土台が必須になる。
これができていなかったらいくらでも崩れてくるし、他人にさえよくない影響を及ぼす。
この精神土台を作ることは、本当に時間がかかる。
雷に打たれたみたいに、ハイ次の日から! なんてできるのは稀だ。
少しずつ少しずつ自分の負の感情や消極性に打ち克っていかないといけない。
そして大字なのは人を見下さないこと。
これやっちゃうときりがないし、足が動かなくなる。
ここでいいのだという安心感さえ生まれる。
上を見ればたくさんの素晴らしい人たちがいる。
自分が足元にも及ばない人たちが世の中にはごまんといる。
そういう人間たちと友達になるにはどうすればよいのか。

もしあなたの周囲にはろくな大人がいないのなら、それはあなたの人間性がろくでもないから、そういう人しか知り合えないのです。
そこまでの意識を持てて、ようやく危機感が持てそうな気がする。
自分の場合は前向きな言葉を宣言して周囲に聞かせ、自分が引けない環境を作り上げてしまうことからはじめるのだけれどね。
まあ、方法は色々なので、精神土台の作り方は自分で見つけてください。
胡散臭さを見抜けるようになってくると、人生楽しくなってくる。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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