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あさかぜさんは見た

日記

01/15

Thu

2026

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05/28

Tue

2013

夢だったことを語る

声で色々やっていると、仲間の中に声優を目指していた人や演技を練習した人もいます。
その中の一人が母親に「声をしてる人はこの人で、アニメやキャラが違う……それがどうしたの? なんなの?」と言われ妙に冷静になった、と言った。
多くの人は何のためにそれになるのだろう。
成りたいものに成って、なんだというのだろう。
冷静になると、そうすら感じるのかもしれない。
自分の場合小説書きだが、こういうのは一種の病気みたいなもので、治るまではずっと病にうなされ続ける。
閉じられた世界というのは、その世界独特のルールや慣習が勝手に発達していて、外部から入ってきた人間にはとても馴染みにくく、苦痛であり、理解しがたいものが多数存在する。
閉じられた世界は「モラルハラスメント」が当然のように横行する場合が多い。
ある一部の上の人間がそうなら、下のほうに浸透するというわけだ。
一人でも二人でもいれば、嫌な雰囲気が出る。
そして、これは小説のことでも何度も書いているが、例えば芸人がテレビに出てきて売れる。
その下に一体どれぐらいの人間がいるのか、普通の人は考えない。
そのことを踏まえ、自分を研ぎ澄ますとはどういうことなのか。
これは「比較」のことではなく、「自分が誰よりも優れているのは、どの点なのか」を考えて、自らに集中し続けるという、ある一種の「不器用な鈍感さと器用さ」が必要だ。
どうして自分は小説を書いていきたいかというと、夢を叶えたいからじゃない。
もう「夢を見ていた頃」はとっくに過ぎて、もう覚めても冷めてもいるけれど、病的なものは取れない。
書きたくなる。
書かなきゃいけないと思うようになる。
これは一体なんと形容すればいいのだろう。
情熱だろうか。
習慣とも違うし、ふっとひらめいたものを表現したくなる。
じゃないと欲求不満になってしまう。
じゃあ、ストレス発散だろうか。
いや、創っている最中は苦痛ばかりなのに。

夢は覚めてから見るのが一番いいと思っている。
現実を知って、そこから初めて夢が見れるような気もする。
そして夢を叶えるには、ある特定の精神などの条件を整える必要があって、それがなければいとも簡単に落ちて、落ちたまま這い上がれない。
ちょっとしたテクニックなのだけれど、ちょっとした訓練が必要になる。
それは自分の心理的壁とそこから生まれてくる現実をぶち破るためのテクニックになってくるのだけれど、これを我流で会得するのはなかなか難しい。
優れた人間のよいところを真似をするのが手っ取り早い。
そして集められた他人のよいところは、気をつけていけば自分のものになっていく。
今は批判や非難ばかりで、まるでこの世界の人間がすべてダメみたく見えてくるけど、ああ、自分もやってたしね、本当、たまには褒めないと、心が荒んでくるよ。
見た目いくら落ち着いていても、汚れていたらいい人間は集まってなど来ないし、集まって来ないからこそ、また汚れたところに引き戻される。

自分だけの夢、なんていうものは存在しない。
誰か他人に分け与えられてこそ夢は叶えられる。
その夢を素敵だと思えるからこそ、誰かが応援してくれる。
夢はそうやって大きくなっていく。
それは極めて現実的な作業で、自己中心的なものでは絶対に成り立ち得ない。
だからこそ、夢は覚めてから見ろ、ということになる。

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05/26

Sun

2013

深層心理に嘘はつけない

先日泥酔してしまったのですが、先日のツイートの内容覚えてなくて、「あれ? こんなこと書いた記憶ないんだけど」と思ってしまいました。
参ったな、どうやら好きみたいだ、なんてアホみたいなことまだ考えているわけですな。

ずっと「成功法則」のようなものを読んでいて、その内容を理解できぬまま文字だけなぞっているような状況で、マーフィーの法則とかも少しだけ頭に残しておいているのですが、ここにも「深層心理に嘘はつけない」と書いてあり、そこにネガティブなものが沈んでいれば、成功を遠ざけ、必ずそのネガティブなものを引き寄せると結構繰り返し書いてあります。
それで今年はその「深層心理に自らの意志を植えつけるにはどうすればいいのか」を実践しながら考えていきたいと思っていたのですが、こういうのは一種の暗示、常日頃の思い込み、そして行動なのかなと、ちょくちょくやっております。
そしてそんな自分への気持ちが対人の時の言葉で出てくるのですから、そこで少しずつ自分の行く先が変わってくるわけですね。
例えばどこかへ行こう。
それを「面倒だ」と考えるのか、「新しいものが見れる」と好奇心を持つのかで大きく変わりますよね。
売れたものを「こんなものが」と考えるのか「これだけ売れたのだから何かあるのだろう」と探すのか。

「インセプション」という映画を最近見たのですが「シンプルな発想が成長していく」というセリフがありまして、深層心理に沈んでいる単純で簡潔な発想が根を張ってそれが自らの人生を動かしていく。
「インセプション」は深層心理に独自の解釈を入れて構造化したものでしたが、あの映画は見るたびに何かしらの発見があります。
上記の「成功法則」や「マーフィー」もそうだし、もっとシンプルで具体的なものを思い浮かべろ、ということなんですね。
その最も沈み込んだ「シンプルな発想」が発端となる。
それでは、自分は何者であるべきなのか。
何者になっていくべきなのか。
今の現状を変えていくための「シンプルな発想」なんですね。
それが沈んでいけば人生を動かしていく「シンプルな発想」へと変わっていく。
最初は「異物」として心が認識し、なかなか沈み込むことはないし、忘れてしまうことだってある。
だから最初は苦痛かもしれないけれど反復練習みたくなる。
覚えておけば、いつか行動している中ですっと心に落ち込んでくることがある。
その瞬間のために覚えておかなければいけない。
本では落雷に打たれたように一気に変わっていく様子が書かれていますが、そんな奇跡は普通は簡単に起きないだろうって思ってしまいます。

今年もあと数日で後半戦に突入しようとしております。
前半戦はボロボロでした。
泥酔しているようじゃ三流以下だろうし、ようやく心も落ち着いてきた。
目の前には山積みの資料。
あと4ヶ月ほどで自分の運命もわかってくる。
落ちるか、上がるか。
もう賽は振られた。

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05/24

Fri

2013

そろそろ前を向きなよ

何かとぐちぐちじめじめ、別れた人のことに縛られてういつまでもその人のことを考えているので言われたのですが、正直久しぶりに感じていた感情なので、今しかできないことをしておきたいのです。
というより、せっかくなのでもう一つぐらい作っておきたいのだけれど、小説でね。
時間が経てば消えてしまう感情。
そうなると、絶対出てこない言葉が出てくるわけです。
こういう感情だから出せる言葉もある。
前を向こうが横を向こうが後ろを向こうが下を向こうが上を向こうが小説家にとっては同じこと。
書けば作品になるし、書かなければ無駄に終わる。
単純に言えばこの二つしかない。
こっちはこれだけの膨大な日記を書いて記録を残しているのだから、もはや人生の切り売りに近い。
その中で「クソ野郎」だとか「ダメ男」とか判断されようが、こちらは関係ない。
やるべきことをやっていくだけ。
ちなみに今年はやはり努力次第で完全にこれからの人生二分されるよう。
人生の分かれ道ってやつですね。
そりゃよくわかります。
だってね、これだけのことが起こって決意をして、その決意でダラダラと過ごしたのなら、そりゃーもう誰も救えないし、自分だってある意味「救えないやつ」になるわけですから、半年なら半年と期間を決めて、がっつりやりこんでいかないといけないわけです。

ちなみに今日仕事で「これが君の力の限界なんだわ。だっておいしそうに見える? 食べたい! って思える? 盛り付け方も重要なんだよ。理屈だけはわかってるんだから気をつければできるって」と言われましたよ。
はっと気がつく部分がありまして、「まさに今の自分それだ!」と変なところで雷に打たれた気が致しましたよ。
そりゃーそうだ。
「今の自分魅力的に見える?」
「ちゃんとギルドが楽しく動いているように見える?」
「相手にとって魅力的な提案をしていると思える?」
ようは「それ、おいしそうに見える?」なのです。
言い換えればたくさん出てくるのですが、そうなんですよ、確かに。

ようやく醜い感情から少しずつ解放され、少しずつ冷静になり、前の感覚が少しずつ回復していっているのですが、って相当少しずつがくどい文章ですが、ようやく憎んでいた人たちの幸せを願えるようになったっていう。
ああ、三ヶ月近く経ってようやくなんですよ。
そしてこの二ヶ月、相当きつかった。
どろどろうじうじじめじめしまくり、3月は部屋の中酒臭かったし、4月は動悸が勝手に起こり酒が手放せなかったし、5月ようやく落ち着き始め、一昨日は部屋が魚臭く、あ、焼き魚食べたからだ。
そしてたぶん6月で冷静になり、7月あたりで出発、なんていうスケジュールになりそうですな。

よく「センスがない」って言われるんです。
美的センスっていうのかな。
例えば料理だったら切り方とか盛り付け方とか調理の仕方とか手順とか、同じものを使ってもやり方が違えば全然違う料理に見えるわけです。
これは人を扱う部分についても同じことが言える。
素材の力を演出できる力。
人の力を演出できる力。
そういう力をひとくくりに「手腕」とも言いますな。
私は未来を作らなきゃいけない。
未来へ続く今を演出していかないといけない。
さあ、構想は練れるんだ。
できないわけがない。
面白ければ、やりがいがあれば、人はついてくる。

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05/22

Wed

2013

『インセプション』




久しぶりに映画を見た。
そして、久しぶりによい映画を見た。
題材は「夢」なのだけど、実際は「深層意識」だ。
クリストファー・ノーラン監督というと、最近は「バットマンシリーズ」が有名だけれど、私がこの監督さんの作品を最初に見たのは『インソムニア』か『メメント』あたりだったと思う。
特に『メメント』に関しては10分間しか記憶を維持できなくなった男が妻殺しの犯人を追うというストーリーだけれど編集が10分毎に過去に逆行していくという一風変わった映画だった。
実験的と言うか、まあ、新しいことをやるのだから前衛的とも言えるし、他の人が撮らないような映像を作っていく印象がとても強い。

心理学については、専門的な知識はまだあまりなく、現代心理学がどこまでいっているのか知らない。
基本的には無意識の提唱をフロイトがし、夢に着目しだしたのはユング程度の大雑把な雑学程度でしかないのだけれど、この映画は深層心理を階層化していて、階層が進むほど目が覚めやすくなるという設定だった。
そして「心の中では世界を組み立てられる(例えば建物とか人とか)」が、「上の意識階層で起こっている物理的現象に下の階層が影響を受ける」という世界観だ。
実際面白いのが「無重力空間」というのがあった。
あれどうやったんだろう。
ワイヤーかな、なんてカンフーアクションのやつしか思い浮かばない。

他人の心の中に潜入するのだけれど、複数でも入れる。
しかも相手の心の中に入っていても、主人公の深層意識が影響してくるとか、より強いものは夢の中で具現化される。
この「インセプション」という題名、「inception=初め、発端」という意味がある。
つまり深層意識の発端となっている、基本的なその人間の「アイディア=idea=概念、思想、着想、思いつき、見解、理念」だ。
この「idea」という単語には日本語でパッとイメージするよりもたくさんの意味を内包している。
私たちは結構この深いところにある自らへの着想のようなものを根底にして人生を動かしている。
それは相当意識しなければわからないほど自然にやっているし、他人への見解も実は、この自分への思想が大きく影響している。
この映画ではトラウマの存在が夢の世界へ大きく影響していて、いわゆるトラウマというのは自分の意識では、そう簡単にはどうにかできない厄介なものだ。
トラウマは無意識領域に沈んでいて、どの階層でも出てくる。

私たちの心は自由に世界を構築できる。
それを具現化するには、現実世界でのあらゆる段階を経ていかなければ、なかなかなるようなものではないが、「設計」、つまり「心での具体的なビジョン」がなければ、具現化することは難しいし、さらには「具体的なビジョン」を維持し続けるだけのちょっとした訓練が必要になる。
そうしたいくつかの条件さえクリアできれば、現実で受けるあらゆる障害をはねのけて持続可能な意志を維持することが可能になる。
それはこの映画の中では深層意識の中に「理想世界」を築いていたため、夢と現実の境目がつかなくなるとか、夢の中に取り残された意識は虚無に陥って、二度と現実で動くことはできなくなるというものだった。

最近「心」のことをよく考えているので、この映画への発想は何度か見直して、もっと考えていきたいと思ったほどだ。
何せアクションシーン満載だし、タイムリミットありだし、エンターテイメント映画としてもよく楽しめる。
脚本ももちろん面白い。

深層心理は「錯視・錯覚」も存在しているし、それがたとえ「錯覚」だったとしても心は「本物」として捉える。
その心のトリックは自分で解いていかないといけないし、心の迷路は誰の中にもある。
心の迷路が永遠の葛藤や迷いにならないよう、私たちは辛いものと向き合わなければならない時だってある。

これは久しぶりにお気に入りの映画になった。
嬉しい限り。

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05/21

Tue

2013

「テリトリー」の中

「前にできていたのに、できないから言ってるんだよ。これでも十分の一だから」
二時間ほど、作った声劇のギルドのメンバーに説教を受けて、ぼんやりしながら聞いていた。
そう、今の私はその十分の一すらも頭に入ってきていない。
言ってくれた人は、かつてゲームで私がマスターとしてのびのびとやっていた時を知っていた人。
「時間が経つとこんなにアホになるものなの? ほんっとイライラするんだけど。もう言わないからね」

正直、今の自分は昔の自分じゃなくて、日常に捉われていて、自分のことに捉われていて、「彼女」のことに捉われていて、疲れていて頭が回っていなかった。
シナリオ作らなきゃいけない、新しい環境を作った、成果を出さないといけない。
じゃあ、何を見逃していたのか。
「人」そのものだ。
お前は人を集めたのに、無責任すぎるだろ、ということだ。
自分だけ頑張っていても、それは「人を集める意味がないよね」ということだ。

人は自分の容量の中で懸命にやっていると、とにかく自己弁護を用意しがちで、「今の自分の限界はこれだから!」と声高に「自分のテリトリー」を主張する。
つまり、自分以外の人にとって「言い訳」と判断されるような内容だ。
一生懸命やっている。
努力をしている。
これからやろうとしているのに。
自分はこうだから、しょうがないんだ。
そんなことを言葉で懸命に怒気をはらみながら主張しがちだ。
多くの人はそうなのだろう。
昔の私だって必要がなかったから、本当にいっぱいいっぱいすぎたから、今の自分は一生懸命なんだ、と主張していた。
さすがに、この年じゃあ、さすがに、「自分の限界を超える」と宣言した後じゃあ、現状維持やましてや劣化するなんて目も当てられない。
無様そのものだ。

昔は真面目に働こうなどとも思っておらず、一日を自由に使えたから余裕が持てた。
今は半分だけ社会生活をしている人にようやく近づいている。
「それさ、みんなやってることだから。みんな食うために働いて、それで時間作ってるから」
まあ、特殊な環境に自分はいて、「創作」のために非常に理想的な環境が準備されている。
ああ、自惚れてもいいぐらいだ。

今までの私は「テリトリー」を懸命に守ろうとしていた。
しかし、ようやくその「テリトリー」にこだわっていては、誰かもう一人でも抱え込もうとすると、その人を不幸にすることを理解した。
だからこそ、変わろうと決意した。
そして呼び寄せたのが、今の状況。

口頭で説教されてようやく少しだけ目が覚めつつある。
昔の感覚を少しだけ思い出しつつある。
ああ、そうだ、昔の自分は今の自分じゃなかった。
「過去から学ぶこともあるだろう」
それを認識していたのは自分だったのに、いつの間にか見失っていた。
おそろしや、おそろしや。
「捉われ」の中に落ちていく自分。
そしていつの間にか、その「捉われ落ちた場所」を「自分の限界」と思い込む自分。
おそろしや、おそろしや。

「人はその時必要な言葉しか吸収しようとしない」
自分で言った言葉だが、それすらも忘れ去っている。
これを「成長」というのか、とても怪しいが、今「テリトリー」を放棄することを試みている。
大人になると、とても人生は楽しい。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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