第一の理不尽は「親」だった。
今ではうまくいっているし、占いでは「前世との因縁に縛られる」とも書いてあったが、克服したと思う。
そもそも親子とは、ある意味呪いのようなものが働く時があるのだと、年を取り客観的に眺めて自他ともに感じるところがある。
昔付き合っていた子がまだブログを続けていて相変わらず自身に起こることを他者のせいにしていて辟易した。
が、それだけ他人が考えるよりも重い。
そもそも魂の成長は何において育つ土壌が生まれるのか。
「やる気というものはない。行動してようやくその気になるのであって、やる気という気持ちから入ることはない」という趣旨の説明をしていた人がいて、なるほどと思ったことがある。
私は非常に憶病な人間で、何かを否定されることを極端に恐れている。
好意的に接してくれる人でも、次の瞬間致命の一突きを浴びせられるのではないかと警戒するほどだ。
それでも人を面白く見たい。
いいところを自分から引き出せるように、自分なりの接し方をしている。
思春期の自分が親からもらったものは「歪み」だった。
というか、父からもらった。
父はその父、私の祖父から受け継いだことを父の兄弟からの話でうすうす理解する。
歪んだ原因のことを母に話すと「知らなかった」と最近知った。
確かに、自分がやり込められたのはファミコンをしていて夜まで起きていて酔っぱらった父親が帰宅し、そして機嫌のいい時は寿司とか餃子(鉄火巻きや昔のニンニクが効いていたみよしののぎょうざだったと記憶している)を食べさせてくれたが、機嫌の悪い時は酷くやり込められたことを覚えている。
飴と鞭でもないが、機嫌のよい時はよく美味しいものを出され、機嫌の悪い時は理不尽に叱責された。
日中でも寝転がってテレビを見ている父の顔色を窺っていなければならなかったことを今でも覚えている。
何故。
忘れるはずの記憶がべったりと残っているのだ。
色々連れて行ってもらったけれど、何が楽しかったのか覚えていない。
何故。
まず人間恐怖症の土台ができたのはここで間違いない。
そして極端に優柔不断になった。
第二の理不尽は社会だった。
言うまでもないが、そもそも歪んで生きてきた自分にとって、社会に出てどう他人と接していいかわからず自分が他者にとって理不尽かつ礼儀知らずな存在として生きることになった。
当然目を付けられ、人ともうまく付き合えず、そして家庭の深刻な事情により引きこもって20代を過ごすことになった。
ここまでくるともう世間一般のところからは大きく外れることになり、もう取り返しのつかないことになっているということには理解をし始めていた。
でもお金を得るには働かなければいけないから、転々としながら食いつないでいた。
もう履歴書を書くのも面倒なくらい長くなってきた。
日本では嫌われる経歴だ。
飲食が一番長く、調理の現場でも7年近くやり調理師免許も取り、専門調理師の資格を取ろうとしていたが、コロナになり飲食店が滅茶苦茶になり、職を離れることになった。
そこから多少は戻ろうとしたけれど、スピードがなく才能もないと悟り、戻ってはいない。
家での調理担当は自分だから勉強は続けているけれど他業種のホワイトさを知ってからは「給料形態を正確にやると潰れる」ことをほとんどの飲食店業者がやっていることに気が付き、寂しい気分になるとともに間違った知識を堂々と現場におろしていた現場や上がいかに多いのかも気が付いてしまって遠目に見るようになってしまった。
自分がいたところのほぼ全てがマウントの取り合いだった。
いいところ、伝えればいいのに、コロナにならずともギシギシしているような業界だし、人を褒めるようなことはまずなかった。
自分と同じで変な人凄く多かった。
第三の理不尽は子供だ。
まだ途中だから断言できるほどではなく、これは本当に長期すぎる視点で見なければいけないのだけど、こんなに他者に泣かれたり否定されたりすることは今までなかった。
それが仲良しだった嫁にまでされるとは。
辛すぎて酒に頼るしかなくて、今ではすっかり体がぶっ壊れた。
でもこれは部分的に見れば理不尽なのだろうが、ここに来て自分の思春期の頃をよく思い出すようになった。
ジクジクとした濡れて乾かぬ痛みが、まだ喉の奥に残っていて、アルコール離脱症の嗚咽と共に腸ともども出てくるようで、そのたびに「自分をもう一人作ってはいけない」という思いが頭にちらつく。
よく子供を育てた大変さから親の苦労がようやくわかるという話を見聞きするが、残念ながら私にはそんな感情は一切わかなくて、確かに大変よくしていただいていることを今ではとても感謝していることが多々出てきたけれど、歪んだものは元に戻せぬ。
しかし運命というのは皮肉で私が歪まなければ嫁とは一緒になっていなかった。
わかるのだ。
似たようなところがあり、凸凹コンビのような妙な相性がある。
互いに憎む時があるかもしれないが、実際は自分の中の弱さの東映に過ぎないのだと。
子供が夜中うわ言を叫ぶよう時がある。
言うことをきかせようと強制的に子供の意思を無視してすることがある。
特に時間が決まっている時言うことをきかないとなおさらやりがちになる。
本人としては自分ですべて完結させたいという気持ちがどこかにあっても、時間が決まっているとそれに従えない。
出発の時間寝る時間が特にそうだが、怒ったり無理やりやったりすると、夜にうなされているような気がする。
日中の強い記憶は無意識に沈んで、それが寝ている時に記憶が整理されている時に出ているのかもしれない。
どうすればいいのかなんて誰も答えを知らない。
その人その人で全く違うのだから、誰からも的確なアドバイスなど求められないし、幅広く知識を得て参考にしながら実験的にやっていくしかない。
昨日通じたことは今日通じなかったりするのだから。
岡安廣宗さんという備前焼の方の器を購入した時、お話しする機会があり、子供が産まれる前だったが産まれることを伝えると、
「それは2,3年は大変でしょうな」
と言われ、本当にその通りになった。
本当に本当に大変だった。
聞いた時は絶望的な気分になったけど、なんだか、それどころじゃない。
ふと糸が切れることがあるかもしれないし、体も今はうまく動かせない。
騙し騙しだ。
どうにかなるのかわからないし、やっぱりそんな長生きしたいとは思わないけれど、子供の美しい寝顔を見ていると、もう少し自分に何かできることはないだろうかと思い始めるから、この子の存在は偉大だと思う。
他人にすれ違っただけで「かわいい」って褒められるしなっ!
足掻くつもりはないけれど、美しい世界は教えたい。
ゆーちゅーぶばっかり見てたらいけないのよ。
ってことをどうやったら伝えられるのかが今の課題。
なんせ両親とも見てるからね。
と、いう具合の今日この頃。
PS:朝日の中に浮かび上がる満月から少し欠けた月が青空に浮かんでいた。
日の昇る反対側の沈みゆく月の雲なき瞳のような存在は地上で腐敗と再生を繰り返すものたちの何をも寄せ付けず、天空の定点のように映し出されている。
手を伸ばすよりも前に、手を伸ばすほどの幼心を失ってしまった、干からびた魂は、吸い込まれるような藍白(あいじろ)をみ空色の中に滲ませ、広がっている。
か弱い力で胸を掴み搔きむしり、そこはかとなく無力な、ぼんやりとした心臓を掴み取ろうとする。
浅く、届かず、ほど遠く、できるはずもなく、覚悟もなく。
ゆるし色の朝日が、一気にとき色に染めあがる。
紅緋(べにひ)のような光は過ぎ去り、季節は乾鮭色(からさけいろ)の明かりを引き寄せている。
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