親が最初から親だったわけではなく、子供ができて徐々に親になるように、作家だって文章を積み重ねて作家になっていく。
今の社会は一体何を育てようとしているのかな…
それとも一部の人間は成長とは個人が勝手にするものでそれは社会や集団とはまったく関係ない、と言い放つかな?
広い視野で言えば、一個人の一例を共有して反論し、個人主義が過ぎれば集団的な論理を展開し、人のこの浅ましさを見るに、時折反吐が出そうになる。
もう少し社会に対する深い洞察力と見識が備われば「嘔吐」という題材で小説が書けるかもしれない。
だが、まだ自分にはその力がない。
この日本という国は、一度落ちて除外されれば這い上がることが難しい。
ダメなものがダメなまま「レッテル張り」をされて、ダメになったものを救い上げていく健全なシステムが機能していない。
偏見と傲慢が列挙されて、さもそれが人道、民主主義、機能・地位向上の名目の元に強引に推進されようとしている。
それでもっと多くの人間が抑圧される結果になろうとも。
人はいつから「不愉快」を「暴力」と同レベルで考えるようになったのだろう。
人はいつから「個人」と「公共」を摩り替えて議論するようになったのだろう。
傲慢が支配するようになれば衆愚社会になる。
我々はシステムに支配されそれを遵奉して他者をけなす病気持ちだ。
そこからはじき出される恐怖を自分の中から排除するために必死にしがみついている。
さも、システムの中で生きるしか方法がないかのような閉塞的な考えが蔓延している。
その中で一部の特権的な考え方を持つ人間が健全的に見せかけた理屈で醜悪な利益を勝ち取ろうとしている。
人の中には必ずよくない感情が眠っている。
なんらかの形で、もし集団からはじき出され、落ちるところまで落ちるしかなかった時、社会というものが見えぬ線引きをはっきりしていては、この国は悪くなっていくだけだろう。
線を越えて落ちた者は、もうその線を越えてよくなっていくことが許されづらい社会だったら、この国の政治も、将来も、限りなく不健全なものへと傾いていくだろう。
その怒りと悲しみは、より社会を蝕む悪の細胞となり、勢いよく増殖し、そして国家なるものは、その悪の細胞を切り取るための「外科手術」を政治においてなすだろう。
そんな国家が健全といえるのだろうか。
そんな国家に未来があるのだろうか。
才能は、最初から発揮できる例は少ない。
学び、実践し、その才能が経験によって成長する。
才能には「自浄能力」がなければ発揮されることはない。
つまり「自分の過ちを瞬時に悟り正す能力」だ。
私には今しばらく時間を必要とする。
その分金も必要になる。
これは健全なる投資。
人からも少し支援を受けていたりする。
ありがたいことだ。
「保障」なんて何一つないのに、厳しいお財布事情を顧みずに。
その人の気持ちが私に引くことを許さない。
この国がどうなっていくのか本当に心配だ。
ツイッターのようなツールが出てきて、ようやくブログともリンクするようになり、国家の中にある個人をようやく意識し始めている。
ただ、あのツイッター、何故無料なのか。
これは推測だが、あの莫大なデータを基に大衆制御のシステムを理論体系化できれば、これは世界を支配できることになる。
消費、政治、思想…あの場所には人と人がいかにつながりいかに離れていくか、いかに絡まり新しく生まれ淘汰されるかがつぶさにログ化されている。
あのツイッターの先にあるものが、プログラムによる大衆制御だったとしても、我々は「自浄能力」を持って未来に向かっていかなければいけない。
我々一人一人が、個人の資質を問われている。
ゆめゆめ、お忘れなきよう…
※しばらくお休みなさい…
追記:
…あ、そうか!ツイッター。大衆の情報伝達能力の尺度になるんだ!世界規模の伝言ゲーム。
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