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あさかぜさんは見た

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11/14

Thu

2019

「ジョーカー」

先月の話になる。

映画「ジョーカー」を見てきた。
僕はホアキン・フェニックスを見たのは実は「グラディエーター」以来で、他の作品は知らなかった。
順撮りせず怒ったけれど、ジョーカーに成ってからがわかったから逆に覚醒前が理解できたって言ってたところとか、20kg以上もの減量をして逆に力がみなぎるという現象を感じたとか、もう原理的に根源を体験して演じているいることがよくわかる。
僕はジョーカーそのものが、有名どころでジャック・ニコルソンとか、ヒース・レジャーくらいしか知らなかった。
でもリンク先の動画を見てよくわかった。
ジョーカーというキャラクターは何一つ超人的能力も道具もない。
ただ、世界中で一番崇拝されているサイコパスで、「ダークナイト・ライジング」の上映の際には触発されて映画館で銃乱射をした人間が現れるほどだったという。
その死亡事件が起きているのでアメリカでは映画館には私服警官を配置するくらいの厳戒態勢だという。
僕は一回だけアメリカに旅行以上の滞在、一か月半ほどいたことがあったけれど、あそこは本当に精神的に楽だった。
死ぬも生きるも自分次第。
ただやりたいように生きて死ぬ。
トップに上り詰めなきゃ死ぬだけ。
でも病気にかかったらおしまいだけど、一日30ドル稼げる能力があれば明日につなげることができる。
そんな感覚があった。
日本でとても辛いのは空港に帰って来た時、職員でもないし、空港の関係者だけど「線の上に並んでください」って言われた時は周囲には誰もおらず、アメリカに行った仲間だけだったのに言われたこと。
誰かいたらわかるけど、僕ら以外は誰もいないのに、いいじゃんって思った。みんなも同じように言っていた。もう文化なんだろうな。
三十分待てた電車が日本では五分待てなかった。
僕はいまだに苦痛なのは日本にいたら「こうしなければいけない」という「must」系の同調圧力が強すぎることだ。
でもなんだろう、このアメリカのある意味の自由さは。
どうして「ジョーカー」なんてサイコパスが殺人鬼が、これほどまでに魅力的な人物として崇拝されるのだろう。
アンチテーゼには絶対にならない、人間の悪の本質が、もうここにある。
理解不能なものがある。
自分の顔の皮を剥いだり、繋ぎ合わせたり。
最も相手の本質が揺らぐものを試すために、色々なものを破壊して様子を見る。
殺人だろうと何だろうとかまわない。
相手はバットマンとかだから、正義の本質は何かと問い詰めているようで、ジョーカーの心理を考えると、人間の最も原始的な感情である攻撃性、「こいつさえいなければいい」からの「いや、こいつが何故ここに存在しているのだ」となり「こいつが最も大事にしているものを壊したら、俺が嫌いなこいつの本質は消えるのだろうか」等と言う、ある意味哲学さえも含めた残虐性になって、相手を笑いながら苦しめるというキャラになるのではないかと感じるところがある。
わかる人にはわかるんじゃないだろうか。
個人の大事なものを傷つけられまくって、もう人間を信用できなくなって、無意識にいつ人間は裏切るかわからないし、次の日には誰かに僕の悪口を言ったり、どんなに説明しても一般常識や何やらで「あなたは間違っている」と言って、相手の言うことを聞かなければ周囲に言いふらし、最後まで社会的にも追い詰めてくるんじゃないだろうか、そうやって周囲の無言の暴力を受けさせて、周囲と結託して最終的には暴力を正当化させてどのようなことをしてもいいようにするのではないか。
集団性への恐怖の感情がふりきれた時、最後人間は最も悪質な方向へと垢ぬけてしまう。
振り切れてしまった時「相手の最も大事なものを知りたい」という欲求をどのようにして最も素晴らしい手段で体現するのか。回りくどいことなんてしなくていい。人間はいつだって生きていれば大事なものを作ることができる。お前はどうしてそれに固執するんだ。命がけでやる価値のあるものなんて、お前が言うほど、言葉で表すほど実はないんだぞ。そうじゃないのか。
そんな問いかけが全て彼にとっては「ブラックジョーク」なのだ。
人間が犯罪を起こすときは何か理由があるってのが僕が「太陽に吠えろ」で学んだことだけれど、人間ってのは愛がなければ愛を見失えば、無意識に悪を行う。
どうしてだろうか。
頭がどれだけよくても博識でも・・・どうしてだろうね。
悪は常に自分の中に存在する。
正義だと思っていても、いかに証拠を集めて正しくても、やり方次第で悪になる。
ジョーカーは社会の不満の体現じゃなくて、誰もが持っている「不快感のシンプルな排除」と「根源的心理への実験」なのだと感じた。
金獅子を撮った映画はとても印象的なものばかりだったけど、今回の「ジョーカー」は下知識がないと、なかなか難しいかもしれない。
そして、YouTubeで見て僕がわかったことは、「ああ、日本人なんて無視していいや」ってことだ。
アメコミで出てくるジョーカーなんて、本当に常軌を逸している。
だから見て思い出した。
表現で媚びることはない。
もっともっと自分が狂っていけばいい。
ただそれだけの話だ。
最後は一人で死んで作った物が勝手に肥え太っていけばいい。

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03/11

Mon

2019

THE GUILTY ギルティ



デンマークの映画。
映画館で見られた。間に合ったよ。
宣伝が面白そうだったから見に行ったけど、ユージュアル・サスペクツ以来にシナリオで興奮しました。
だって、ほとんど主人公の男の人の顔しか映ってないんだよ?
信じられます?
1時間半近く、ずっと主人公の顔。
そんな映画初めて見たし、映画なのに、目をつむってもいいほど。
警察の緊急ダイアルの電話番で(日本で言うところの110番通報)、ずっと音声だけ聞いて事件を推理して、電話番が積極的に事件に介入していって何とか解決しようと奮闘する映画なのだけど、通常電話番が介入するようなことではなく、どうして? そんでどうして制服この人だけ違うの? みたいな。
積極的に現場に介入するあたり、外回りが本職だったのかなぁとかね。
でもほとんど見所はシナリオにあって、主人公のヤコブ・セーダーグレンという人しか映っていないにも関わらず、上手い。魅せます。
一緒になってずっとドキドキしているし、彼が何故かずっと苛立っている様子が、なーんかおかしいよなぁー? これ本当に事件だけでイライラしているの? と思いながら、その理由も徐々に明かされていく内容。
ギルティという題名に相応しいシナリオ内容となっているけど、演出も最低限。削りに削った表現でシナリオそのものの面白さが出ている。ギルティ(有罪)が主人公にじわじわ降りかかってくる、見てて落ち込みながら眉間にしわ寄る精神のダウン&アップ&ダウンが素晴らしい。
こんなに主人公側に引き込まれて自分のように感じる映画も珍しいかも。
過去にソードフィッシュという映画があったけれど、こっちが視覚の錯覚だとしたら、ギルティは想像の錯覚になるかな。音の錯覚。
見る人がひたすら音声を一緒に聞きながら、主人公と同じような気持ちになって現場を想像することになるから、途中の大どんでん返しも主人公と一緒になって「え?」とか「あーーーっ!」とか、妙な溜息と汗が出てくる。
エヴァンゲリオンかってくらい、何秒か硬直したまま動かないシーンがあるけど、やっぱり編集の間がいい。緊張状態や放心状態や考えている様子をみごとに表現している。
その動かないシーンすら、かたずをのんでしまうくらい。
食べ物や飲み物なんて買ってたら一回も手が付けられないところだった。
何か詳しいことを説明しちゃうと、もうそれだけでシナリオの面白さが半減しちゃうから、なかなか書くに書けないけれど、あー、自分もこういうシナリオ書きたいなぁって思った。
シナリオが面白ければ、野郎の顔しか映さなくても(低予算でも)1時間半も引っ張れるどころか、あっという間の内容にできるんだと痛感した。
見ることが出来てよかったよ。
勉強になった。

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03/09

Sat

2019



クリントイーストウッド監督・出演作。
いやはや、これを作ったのが88歳という。
彼は映画界のジャイアント馬場です。
プロレス知らない人には通じないけど、映画に生き、そして映画で死ぬ。
もう撮影中に死んでしまうくらいの勢いで彼は映画を撮り続けるのだろうなと感じた。
凄みと言うか、気迫と言うか、表現できない命の迫力を当人から感じる。

何作か見ていたけれど結構イーストウッド監督作品って破滅があるものが多く、これもそうなのかなぁと思っていた。
「実話=ばれてる話=死んで暴露されたか逮捕されたか」ということは容易に想像がつくので、結末よりも何を訴えかけようとしているのかが見所になってくる。
例えば紹介でも「老いを真正面から見つめた」とか「不条理劇」とか、どれもしっくりこない。
見た後の感想としては「皮肉劇」であって、紹介ムービーでも悪事を働いていることがわかるけど、どうにも彼の行動そのものが不可逆であるにもかかわらず、そうでなければいけなかった、という映画だった。
皮肉というとネガティブな意味だけれど、ポジティブな皮肉に満ち溢れている。
家族をないがしろにしていたから家族の大事さに気が付いて必死に昔の思い出を今に繋ぎ合わせようとするけれど、その形でさえ時間がすっかり変えている。
ボケーっと見ていると、ただ単に車を走らせて運ぶものを運ぶという、つまらないロードムービーになりがちだけれど、でも見ながらでも見終わった後でも「あれ? ちょっと待てよ。これってもしこうだったらこうなったんじゃないの?」なーんて考えていくと、味わい深いものになっていく。
とにかく運び屋のじいさんが一見やりたい放題なのに、やっぱりそうじゃなきゃいけなかったって、考えれば考えるほどわかってくる。

さて、実話とのことだけれど、レオ・シャープという実在の園芸家をモチーフにして作られた映画でイーストウッドはこの人の役。
デイリリーという花を育て、インターネットと共に園芸場は廃れ、運び屋になっていく。
デイリリーってその名の通り1日しか咲かない花だけど、品種も多く蕾を沢山つけ、人気がある花みたい。
年を取ろうと何しようと、やっぱり当人の性格って変わらなくて、誰かに注目されたいとか、他人の力になりたいとか、本質的なことは何一つ変わってはいない。
だから悪事であろうとも、当人の本質的なところでメリットになっていないと動かないわけだ。
映画の中では酷い替え歌を歌ったり、人の心にすっと入っていくトーク力で難なく危機を乗り越えていくわけだけど、何故それが家族へ生かされなかったのか。
うん。時間を作らなかったんだね。
家族との時間を積極的に作らなくてイベント事をすっぽかして仕事ばかりしていて、それでお金さえ入れておけばいいみたいな感覚だったのだろうか。
だいたいどこの国でも離婚案件。家族ではなくとも異性のパートナーが逃げる。当たり前の展開ってわけだ。
だから他人に説教できることもあるわけだけど、だいたい説教って自分が出来なかったことを他人にして欲しいって願掛けに近い性質も持っているよね。
だから、そういう面から見ると、登場人物の台詞の一つ一つが違って見えてくる。
凄い悪そうなやつが、あることでホロリと心を動かされていたり。
一人一人何かを背負っていて、それがよく滲み出てくる。いい作品だと思った。

封切前に見ていた人が「ヘリのシーンがカッコイイんだ。あのカットはなかなか撮れないよ」と大絶賛していたけれど、確かに。
ヘリシーンのカメラワークと陽炎が、映画の熱量を表しているかのようだった。
登場人物がみんなスゲー人たちばかりだから、ちょっと出ているあの人もこの人もハリウッドではアカデミー賞やらなんやら取ってる実力派ばかりで、もう豪華キャストっていう表現を超えてレジェンドキャストってやつ。
ローレンス・フィッシュバーンなんて僕イーストウッド作品では刑事役で見たの2度目。
ミスティック・リバーで見ましたよ。

家族との絆うんぬんって映画ではありますけど、気が付いた時にはもう修復不可能ってことは多々あって、通常はそうならないようにしなければいけないし、僕も別れた女の人に未練タラタラで連絡取ろうとしたけれど繋がった例は一度としてありませんでした。
みなさんは頑張れば映画のように絆は復活するなどと安易に考えないでください。切れた絆は復活しません。
だから映画もちゃんとしてね、って言ってるんだと思いますよ。

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03/08

Fri

2019

グリーンブック



アカデミー脚本賞・作品賞・助演男優賞(マハーシャラ・アリ)受賞作。

ヴィゴ・モーテンセンが好きで、予告を見た時誰かわからないほど太っていたから、この人誰だろうと調べたら、あのロードオブザリングのアラゴルンの役の人が今回はイタリア系の用心棒役。
ロードオブザリング以来見ていなかったけど、面影ないほどに太っているし、見事な太鼓っ腹も見せてくれる。そして何より映画の中でも沢山食べるシーンがある。
寝る前にピザとか最高に太るやつじゃん。しかも1枚まるまるかぶりついてる。
ケンタッキー・フライド・チキンよりも、ピザを半分に折って丸かじりの方がインパクト強すぎて。

とヴィゴ・モーテンセンのことばかり書きそうだけれど、僕は黒人ピアニスト役の人を知らなかった。
なんせずっと映画から離れていたから。
マハーシャラ・アリ。
アカデミー助演男優賞を今回も含めて2度も受賞しているなんて、物凄い実力を持った人。
役柄は天才ピアニスト。
カーネギーホールの上に住んでいて・・・って、カーネギーホールと言えば鋼鉄王アンドリュー・カーネギーが建てた音楽家として、そこで演奏できること自体が名誉となるような場所。
そこに住んでいるなんて・・・というぐらいの人だから、だいたいどれぐらい凄いのかは想像がついた。
実話をモチーフにしたものらしく、脚本にはヴィゴ・モーテンセンが演じたトニー・リップの息子さんも関わっているのだから、映画が始まる前から粋な準備が整っている。

当時黒人差別がきつく、場所によっては深夜の外出すら制限されていた時代、グリーンブックという黒人が泊まれる宿をリストアップした本を持って演奏旅行に出かけるのだけれど、マハーシャラ・アリ演じるドン・シャーリーはとても難しい役柄だったと感じる。
感情を抑えながらも、怒りや悲しみや憤りを演奏で表現する。
俗世にまみれたことがなく、世間の垢など一つもついていない小綺麗さをよく演じ切れていて、さりげない仕草やあくまでスマートな振る舞いが余計にヴィゴ・モーテンセンのガサツさを引き立てていた。ヴィゴ・モーテンセンだって大雑把で手癖が悪くて人の悪い部分を知っていてと逆に人間の汚れた部分を知り尽くしている人間をよく表現していて、よかったのだけど、マハーシャラ・アリが凄すぎた。

仲間と深く触れ合うトニーに対し、孤独な天才シャーリー。
お互い、いい意味で変えあっていく姿が最後の最後までいい余韻を与えてくれるし、久しぶりに「ああ、いい映画見たなー」と胸がじわじわあたたかなもので締め付けられる感覚が長く続く。
シャーリーのお坊ちゃんっぷりが品が良すぎて、トニーが品の良さを崩していく。
ラブレターがオシャレなんだよね。
久しぶりにラブレターなんて書きたくなったよ。
高校以来書いてないよ。

全体的にはコメディタッチで黒人差別のきつい映画が描かれる時、普通は結構エグさがきつくて重苦しい雰囲気を与えがちだけれど、この映画は音楽とユーモアと知性が悪いものを笑いに変えてくれる。
やっぱり必要悪ってのは大事ですよ。
ワルのやり口を知っている。だから守れるものもある。
もちろん暴力はいけないし、暴力自体が敗北という主張はもちろんだけれど、他者の暴力を抑えつけるには暴力に代わる力が必要になる。
だから結局は力がなければ変わらないのかもとも考えた。

ドン・シャーリーは黒人のコミュニティにも入れず理解もされず、かつ白人からも差別をされる。
なんでわざわざボコボコされるのわかりきってるのに差別のキツイ南部へ演奏旅行へ出かけるのか。
静かな役柄ながら、そんな信念と強さをあわせもっている。でも激情に身を任せない。
人間的な振る舞いとしてみても、なかなかできないことだよ。

最後は落語のオチみたいに綺麗に終わる。
久しぶりにリピートして見たい映画のリストに入りました。

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01/24

Thu

2019

ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー

「ライ麦畑の反逆児」を見てきた。
「カポーティ」ほどの衝撃はなかったにしろ「作家」というものを理解するにはよい映画だった。サリンジャーなんて読んでないのに見に行っちゃうあたり、どこか自分の代弁者たるものを探している。
やっぱり作家になるとか芸術やりだすとかいう人間は偏屈で欠陥がある。普通に生きられないから、そういうことをやりだすわけであって、普通に生きられて幸せを得られるなら、そもそも芸術なんてやりださないのだと思っている。
映画自体はさらっとしていて、作家の深淵に入っていくというわけではない。まだ上辺をなぞっているような物足りなさがあるにしろ、久しぶりに見たケビン・スペイシーが、とてもよい演技をしていたり、主人公のニコラス・ホルトも役どころが難しいだけに少し物足りない感じもしたけれど、作家の純真な魂がよく表れているようで好きだった。
ニコラス・ホルトに関しては「マッドマックス怒りのデスロード」をチェックするといいかもしれない。
https://www.youtube.com/watch?v=nx--D6XBD0U
ぶっ飛んでいる役が板についていた。素敵。
これからの役者さんだ。
ひとまず「カポーティ」以外に「小説家ってどういうもの?」なんて聞かれたら、これを見てもらおうかと思っている。
誰よりも違う場所にいて、誰よりも世界のことを感じているかもしれない、その存在のことを知ってもらうために。

https://www.rebelintherye-movie.com/

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
44
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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