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あさかぜさんは見た

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05/23

Tue

2017

正直と常識

今でも歪んでいるけれど、今だからこそ「昔の自分は相当歪んでいたな」ということがわかるわけで、その最中にいた頃は周囲は自分のことを理解していないと思っていたし、説教されようものなら憎しみに近い感情を持って「何も理解してないくせに何を言ってる」と心の底から敵意を向けていたものだった。
それはだんだんと、その手のパターンが多くなると条件反射のごとく出てきて、何の考えもなく、ただ「そういうことを言う人間は皆有害」と思い込んでいた。
実際、その時はそのようにしなければ自分の心は守れなかったし、押し付けてくる時点で「ちゃんとした大人は押し付けてこない」と考えていた。
価値観が違うと問題の焦点を合わせづらい。
あちらは隣接しているものをさらってくるけど、こちらは真ん中だけを言いたい、という例は世の中にごまんと溢れている。
「常識」と押し付けて、周囲もそうだと確認して、じゃあ相手もそうするべき、そうしないのはふざけてると、この手の問題もよく見るし自分も直面するが、そこで見失いがちなのは「自分の常識を守らせることは常識的感覚なのか」というロジックとしてはおかしいけれど実際の人間との付き合いにおいて重要な問題が発生する。
つまりは過去の自分が相手のように、ただ憎しみだけを煽っておしまいということにもなりかねない。
人は残念ながら本音では付き合えない。常には言いたいことを言ってはいけないのだ。
他人から言葉も素直に違う他者に伝えてはいけない時が多い。
ここだけの愚痴が「あの人こんなこと言ってたんだよ」と横流しにしたら残念ながら一人以上の友達は確実に失う。たぶん、考えているよりももっと多くのものを失っている。
どうしてだろう。人はもっと本音で付き合えないのか。じゃあ、建前だけでいいのか。
いやいや、そういう問題ではない。
「その場限りのこと」にしておくことだって大事な配慮じゃないか。思っているけど心の中だけに留めて置く事も大事だ。
「言った事や思っていることは事実なのに何故伝えてはいけないのか」となると、もう怖くて付き合えない。
その人には何一切大事な事は伝わらないようになるだろう。
河合隼雄が書いた本の中に「うそは常備薬、真実は劇薬」という言葉がある。
今ならその言葉がよくわかるし、昔の自分のように堪えきれずに周囲を敵視し、条件反射的に自分を押し付け他人をシャットアウトする行為は、ただ子供でしかないのだとわかった。
昔の自分は耐え切れずに色々な事を素直に出していた。
どんなに信じきっている人でも、おかしなことはあるし、どんなに間違っているように見えても理があることもある。
うそだけ言っていればいいという問題でもない。
人と人は違いがあって当たり前だから、何かを押し付けた時点から障害は生まれてくる。
その障害をクリアできるのが「分別」というやつなんじゃないかなと思っている。
ただこの「分別」、そう簡単には身についてこないし、一生ないに等しい状態で身につけていかないといけないところが厄介だ。

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05/23

Tue

2017

常識と反発

今でも歪んでいるけれど、今だからこそ「昔の自分は相当歪んでいたな」ということがわかるわけで、その最中にいた頃は周囲は自分のことを理解していないと思っていたし、説教されようものなら憎しみに近い感情を持って「何も理解してないくせに何を言ってる」と心の底から敵意を向けていたものだった。
それはだんだんと、その手のパターンが多くなると条件反射のごとく出てきて、何の考えもなく、ただ「そういうことを言う人間は皆有害」と思い込んでいた。
実際、その時はそのようにしなければ自分の心は守れなかったし、押し付けてくる時点で「ちゃんとした大人は押し付けてこない」と考えていた。
価値観が違うと問題の焦点を合わせづらい。
あちらは隣接しているものをさらってくるけど、こちらは真ん中だけを言いたい、という例は世の中にごまんと溢れている。
「常識」と押し付けて、周囲もそうだと確認して、じゃあ相手もそうするべき、そうしないのはふざけてると、この手の問題もよく見るし自分も直面するが、そこで見失いがちなのは「自分の常識を守らせることは常識的感覚なのか」というロジックとしてはおかしいけれど実際の人間との付き合いにおいて重要な問題が発生する。
つまりは過去の自分のように、ただ憎しみだけを煽っておしまいということにもなりかねない。
人は残念ながら本音では付き合えない。
ここだけの愚痴が「あの人こんなこと言ってたんだよ」と横流しにしたら残念ながら一人以上の友達は確実に失う。たぶん、考えているよりももっと多くのものを失っている。
どうしてだろう。人はもっと本音で付き合えないのか。じゃあ、建前だけでいいのか。
いやいや、そういう問題ではない。
「その場限りのこと」にしておくことだって大事な配慮じゃないか。
「言った事は事実なのに何故伝えてはいけないのか」となると、もう怖くて付き合えない。
その人には何一切大事な事は伝わらないようになるだろう。
河合隼雄が書いた本の中に「うそは常備薬、真実は劇薬」という言葉がある。
今ならその言葉がよくわかるし、昔の自分のように堪えきれずに周囲を敵視し、条件反射的に自分を押し付け他人をシャットアウトする行為は、ただ子供でしかないのだとわかった。
どんなに信じきっている人でも、おかしなことはあるし、どんなに間違っているように見えても理があることもある。
うそだけ言っていればいいという問題でもない。
人と人は違いがあって当たり前だから、何かを押し付けた時点から障害は生まれてくる。
その障害をクリアできるのが「分別」というやつなんじゃないかなと思っている。
ただこの「分別」、そう簡単には身についてこないし、一生ないに等しい状態で身につけていかないといけないところが厄介だ。

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05/20

Sat

2017

スギナ(つくし)を放っておくと、根が地中にはびこり、他の植物が育ち辛くなると言う。
と言っても、一面中あるので完全に無くすことは不可能だろう。
10年以上も放置した庭。
少しでもと土を掘っては西洋タンポポやスギナを取っている。
ふと、匂いのする草があった。
ミントっぽい。
小さいが頑張って生き残っていたようだった。
フキもあった。
フキは放っておいてもどんどん育つから、そのうち食べようと思う。
はて、食べられるもの食べられないものの見分けがつかない。
何が花で何が雑草だかもわからない。
待てよ。
雑草。
雑草とは何だろう。
調べたらこうある。

ざっ‐そう〔‐サウ〕【雑草】 の意味
出典:デジタル大辞泉
1 自然に生えるいろいろな草。また、名も知らない雑多な草。
2 農耕地や庭などで、栽培目的の植物以外の草。
3 生命力・生活力が強いことのたとえ。「雑草のようなしたたかさ」

ということは、知識がないのだ。
目の前に生えている草の名前がわからない。
名前がわからないし勝手に生えてくるから「雑草」と言う。
必要になったら名前も覚えるだろうし、タンポポのようにわかりやすく有名なものだったら誰だってわかるだろう。
もし知識があれば目の前の光景も違って見えてくるだろう。
そして容赦なく引っこ抜いてやるやつと生かしておくやつに分けられるだろう。
しかし、野菜を植えようとしている手前、スギナは大敵だとは聞いたけれど「はて、野菜たちは元々どうやって生き残ってきたのだろう」という単純な疑問が浮かぶ。
植物を見ていると、人の世と会話しているかのような気分になる。
自分の好みのものを育てようとすると心の傲慢さのようなものが透けて見えてくる。
庭には名の知らぬものばかりがいる。
知ろうともしなければ勝手に生えてきたり、勝手に枯らされたりする。
植物の世界も面白いやり取りがあるようだ。
知識と観察は新しい世界を開く。
少しずつ自分の中の「雑草」を消していってやりたい。
そういう姿勢が、また人への姿勢となればいいと考えている。

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05/12

Fri

2017

あるバーで役者もしているマスターから昔黒沢明監督が目の前で言っていたことは「とにかく一日(原稿用紙)一枚でも書けば一年で三百六十五ページになる」と続けることの大切さを言われて、どうして自分は書かなかったのかと言っていた。
正直自分だって書くのは頭を使うからとても大変だし、疲れている時には脳は働かないから調子に乗れる時を見つけてやっているに過ぎない。
でもこれも自分としては頷けた。
ビートたけしさんが昔番組で長嶋茂雄さんのことを言っていた時、人間は頑張って泳ぐのに対して魚は自然と泳いでいる。
長嶋さんはバットを振らないと眠れないんだから、魚と同じだ。
長嶋茂雄という人物はバットを振らないと、とにかく落ち着いて眠れなかったらしい。
今自分はとても落ち着いている。
とにかく何でもいいんだ。
書いておくと、ほっとする。
日頃の鬱憤が晴らされた気がする。
「暗闇での銀バットが虚空でうなりを上げて振り下ろされた後、真美子は自分が何をしたのか気がついた」
なんて物騒な文章を書きたくなる。
金属でも木でも土でもいい。
そういうものを触って見て表現したくなる。
どうして昔の自分とは真逆の性質を持ったのか。
ただ持っていたエネルギー源の発散場所、逃げ場所を見つけて流していたらトンネルが出来てきただけなのだ。
皆人生は、どのようなエネルギーであれ、そのエネルギーで掘削をしているに過ぎないのではないかとさえ思う。
紆余曲折経ても思った方向へ進んでいれば幸せだし、思っていないところへ行けば不幸だし、単純な話なのかもとさえ思う。
それを世の中の人は様々な条件があるからこうだとか、人生上こうするしかなかったとかあるけれど、実は協力者がいるかどうかというのも大事で、その協力者を本当に一人の人は探していたのか、という問題は色々やってきた中で強く感じるところではあるのです。
一人じゃダメなら二人で。
二人じゃダメなら三人でいけばいい。
当然仲間を見つけるまでが大変だけれど、見つけたら一人でやるよりも何倍もの力がつく。
力技で出来ないのなら知恵で切り抜ける。
そういうことも「魚」のように自然とやってのける人間が、すいすいと出世していることに気がついた。
だけれど目的や目標に集中しすぎて目の前の協力者をなおざりにする人間は自然と落ちていくし、堕ちていく。
感謝を見つけられない人は堕落していくのだから。
よく人間が「運」と言う言葉で片付けるものも、実は単純なカラクリのような気がする。
ようは継続と謙遜と尊重の気持ちなのだ。
同じバーで初対面のお客に噛み付いたことがあって、本に載っているような正論を言うので「昔の自分なら、このクソヤローって思いました」なんて正直に伝えたら黙り込んじゃって、申し訳ないことをしたけれど、本当に卑屈な精神の時は、人を尊重するとか謙遜するとか無理だった。
だから「自然と泳ぐ」にはコツがいる。
その「コツ」とは、「自分にとことん素直になること」だと思っている。
まずは素直さの先に「自らを見つけられる」というメリットがある。
孫子にもある。
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」
となれば、対象と己とを同時に知らなければ百戦は常に危ういということ。
素直さは常に彼を知ることにも導いてくれる素敵なものだと思っております。
泳いだ先に何がある。
なぁに、死んだ後に考えればいいのさ。
嫌われることなど勉学の過程に過ぎないのですよ。
とにかく、己が水を見つけて泳ぐことが豊かな人生に繋がると思っております。

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05/12

Fri

2017

スローライフはたいむいずまねー。

土がある。
目の前に土があるのだ。
芝生もあるけど、土があるからには何か植えたくなる。
しかし、つくしが沢山。
スギナっていうのだけど、こいつは根が深くタンポポのように根だけでも復活してくる厄介者。
一面生い茂っている。他の植物の栄養も吸うから厄介。
ちなみにタンポポも生い茂っている。
抜いても抜いても、まだ沢山ある。
どうしたらいいのだ。
仕事行って疲れて帰ってきて寝て仕事行っての繰り返しを五日やっただけでタンポポは見事に種を飛ばす準備を整えている。
スギナは勢力を増している。
小説も書かなきゃいけない。
それよりも種を買ったのだ。
種を。
ジャガイモや豆しかやったことなかったのに、いきなりブロッコリーなのハーブなの西洋野菜なのを買ってしまって、植える時期があるのだよ!
間に合わないのだよ。
どうして、そんな手間のかかることに手を出してしまったのか。
単純にスーパーで売っている野菜以外のものを食べたい。
素材の本当の味を知りたい。
ただ調理人の端くれとして、それぐらいは知っておいたほうがいいという単純な思いからなのですが、その単純な思いがいけなかった。
とにかく大変だ。
土お越しはしたことがあるが、もう土を作るとか肥料とか、もうなんなの! キーッ! ってなっているところ。
作物を栽培するにあたってスギナは相当厄介らしい。
諦め半分。でも長年放って置き、スギナの勢力がほぼ優勢でも、チューリップは死んでいない。ニラは追われているが生きている。ネギらしきものも徐々に移動して日光の当たる場所まで避難した。というか元々あったでかい植物は普通にそこにあるではないか!
こいつは人間社会と一緒だ。
生い茂っているところに新参者が入ると、たちまち枯れるやつだな。
植物界も苦労が多いことが素人でもわかってくる。
ようやく都会の生活から土に触れる生活に移行したけれど、40年近くも都会っ子でいきなり土を触ったところでどうにもならないなとは思うけど、これも長年かけてやっていくべきなのだなと覚悟しました。
先日、木を燃やしていた時のことも書いたので、お暇なればお読みください。


切られた太い枝が蕾をつけていた。
そこは枯れ葉も積もっていて切られた断面が湿った葉に触れていたのか、水分や栄養を吸い取っていたのだろう。
枝だけで生き延びていた姿を見ると、なんともたくましさと言うよりもしぶとさに感銘を受ける。
いざこいつを燃やそうとすると、水分を沢山含んでいて燃えない。
枯れ葉や水分の含んでいない枝は一気に燃え上がり灰になる。
潤いがなければ近くに火があれば簡単に燃え移って灰になるまで燃え盛る。
これは怒りの構図にも似ている。
心が乾いていれば怒りは他者から伝染してくる。
他者の怒りが自らの炎になり、乾いた部分を灰にしていく。
炎は一見美しいが、常に見守っていないと関係のないものまで燃やしつくし、自らに大きな損失を与える。
特に他人の価値あるものを燃やそうものなら、その損害金を何らかの形で支払うことになる。
水を、潤いを、常にどこかに用意しておくのが炎に焼きつくされない秘訣だ。


人間らしい生活って一体何なのかな。
都会から離れると余計この単純なテーマについて考え始めてしまうね。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
37
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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