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あさかぜさんは見た

日記

06/12

Thu

2025

伊賀焼の代表者 谷本洋さんとのお話

「伊賀焼の代表者、谷本洋さんとのお話」

そもそもの話の始まりは梶原信幸氏から始まる。
この後は梶さんと呼びますね。
今は狸小路に「無茶法」という日本酒と梶さんが選びに選び取った陶芸のぐい飲みがあり、カウンター目の前に並ぶぐい飲みを選び飲め、札幌に来た陶芸家や梶さん自身音楽にも詳しくイベントもやるためミュージシャン等、ジャンルの垣根を超えた人たちが来るお店。
そもそもの話に戻ると、伊賀焼の洋さんと繋がったのは、梶さんの一言に始まる。
先日も三越ギャラリーで個展をしていたけれど、10年前ほど京都から帰ってきて以前とは違うコミュニティーを作りたいと感じ、飛び込みで入ったお店が梶さんのところだった。
そしてその時何もやっていなかったのを話していたのを期に「暇だったら(片付け)手伝いに行ったら?」との一言で繋がったような縁だった。
2年か3年おきぐらいに洋さんは札幌三越で個展をやるため来るのだけれど、出会いはマイナスの印象が今や「友達」と言ってもらえる人となった。
「友達」
この言葉も重い。
「友達」
という言葉を出して、本当にそうしてくれる人間は数少ない。
本当にいない。何故?ってくらい。
だから、いつもその思いを意識しているし、
「見抜かれているな」
と恐怖を感じた人も、洋さんだった。
2度ほど感じたことがあったけれど、2度目の人。2人目か。
そしてまた三越と「無茶法」で話し合えたけれど、とにかく今回の収穫は洋さんの口から

「宇宙」と

「まだ力が入っている」

というワードが聞けたことで
「よかった。自分は間違っていなかった」
という感覚を得たことだった。

「宇宙」
ここは出力と入力の両方の発想はあるけれど、まず自分も10年以上前から考えていた概念で、表現者は感じる部分で広がりを持たなければいけないため、まず最初は自分、自分を感じられるなら次は空気や自然、その外は地球、地球を感じたなら銀河、銀河を感じたなら宇宙。
常に広がるならば表現者の最終的な真理とは宇宙になる。
そこまで行きついて、ようやくかろうじて小さな小石のようなものが伝わるのではないか、と。
これは宮崎駿が「千と千尋の神隠し」のドキュメンタリーで千尋の父親が春巻きを食べる絵コンテで何度もやり直しをさせ、本当に春巻きを食べる動きはこれなのかということをスタッフに問うていた。
その上でさらにカメラに言った言葉が、その動画が消されてしまっていて正確ではないけれど、
「春巻きを食べる仕草の中に真理がある」
という内容を言っていた。
ディティールの中に神は宿る。
どんな言い方でもいい。
普段は春巻きを食べる時と白米を食べる時では口の動かし方は違うけれど、誰も普通の人間は意識はしない。
自然にやっていて最初は親に教えられるでも意識から無意識になっている。
このように無意識の領域に入っている「当たり前」のことは実は本当は当たり前ではなく、人に伝えるとなると言語化も含め、非常に困難な作業になる。
「春巻きを食べる仕草さえ自分たちは知らないままでいる」
それは突き詰めれば結局は当たり前にやっていることさえ忘れ去っていて、日常の中に沈み意識できないものになっていく。
突き詰めれば突き詰めるほどミクロな部分に入ってきて、細分化されていく。
仏教で例えるならば色即是空空即是色(すべてのものは、見かけとは裏腹に、実体がない『空』であり、その空は、すべてを形作る『色』として現れる)の世界に行くため、人間の一つの動きにさえ真理が産まれてくる。
だから「宇宙」になる。
これは意味ではなく概念の領域であり感覚の領域であるから、説明では難しい。
わかりやすく言うならば森の中に入って風がそよめいたら土の上に寝そべって目を閉じて感じる世界から始まるというようなものだと思う。

次に「力が入っている」という言葉。
ついここ最近というか40代に入ってきてから元々プロレスが好きだったのもあり、橋本信也という新日本のトップレスラーが柔道から格闘技に転身した小川直也に敗れてから見なくなってから20年以上も経ち、YouTubeで格闘技や武道を見だしてから達人たちが言う言葉。
「力を入れるよりも力を抜いたほうが重い」
素人から見ると不思議な言葉だけれど
「脱力」
と、どんなジャンルの武道の達人も同じように言う。
これは看護師をやっている嫁からも聞く言葉で、
「生きている人よりも死んでいる人の方が重い」
と、言う。
自分も娘が眠りに入ると起きているよりも重く感じるのでわかるようになってきた。
これはどんな繋がりなのだと不思議に思うけれども、これはどう例えればいいのだろう。
「死の境地」とも違うし「脱力の境地」を理解するには、まだゾーンすら見つけられないということなのだろう。
声の先生に丹田を意識した発声法を学んだ時、声で一番学べるのは、お風呂に入って「あぁーっ」と声を出すような感覚だと教わった。
その感覚で「あー」と声を出し一番響くのがいいと。
風呂場が一番の学習場になるというのがよかった。
そして体を楽器だとしたら「楽器を曲げない」というのも教えてくれたのは大変財産になった。
老境に入り、体に力が入らなくなってくるという若者では考えられなかったところに落ち着いて「脱力の領域」に入る人もいるけれど、こういうところは達人たる洋さんのような人じゃないと行きつけないことだと考えている。

会うたびに、いつも巨人を目の前にする小人で怖さもある人だけれど、一生懸命手を振り回して抵抗しつつ学ばせていただいている友達です。
会えてよかった。

ありがとう。

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06/09

Mon

2025

今日は27度まで上がって大変暑い日だった。
あまりにも天気が良いので水遊びをしに行くことに。
それにしてもなぜ男の子って股を開いて噴水に尻を押し付けたがるんだろうか。
気持ちはわからないまでもないんだが。

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06/09

Mon

2025

1年ほど前は「怖い」と言って海に近づかなかった子が今や波打ち際で遊べるように。
こういうのも成長と言うんだろうな。







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06/09

Mon

2025

ヒトメタニューモウィルス

月の2月下旬あたりか3月に入っての話で生まれて初めて知った病原菌だった。
ウィルスでは新人のスラッガーってところか。
「ひと、なにうぃるす?」
「ヒトメタニューモウィルス」
「それなに?」
「保育園で流行っているんだって」
娘の通っている保育園で流行っている時にはかからなかったので、一安心していたところ、4月入った直後に38度の高熱を出し保育園を早退することになり、そこから40度近くの高熱が4日ほど続き、咳症状もあったことから、まず自分もカバーに回り職場を休み、そして娘が治る前に今度は嫁が同じ症状にかかり、嫁含め娘の面倒を見るので追加3日ほど休み、そして潜伏期間のあるウィルスであるため、その潜伏期間、だいたい5日とか1週間とからしいんですが、自分自身が今度は38度以上の高熱、呼吸器がやられやすかったため喘息症状4日、咳症状追加で3日以上ほど等、その間職場を休むことになり(インフルエンザだと有名だから来るなって言うのにマイナーなウィルスだから何とかならないかと言われる)、半月以上の休み、職場復帰しようとしたら、別件でまた娘が熱を出し、これが最後の一撃になり職場を追放されるという「最凶コンボ」となり、途方に暮れるというか、今回は強烈ながら、このような「家庭の事情」で職を失すること1年以内に3回ほどあったため、人一人というのがいかに重いのかを痛感する以上に、支えきれないと、弱気になり考えてはいけないことを頭をちらつくような時間もあった。
そして5月はゴールデンウィークもあることながら、職にもすぐにありつけない、しかも自分もまた体調崩すとか、また今度娘も突発性帯状疱疹にかかり、高熱を出したけれど、当初何故高熱が出ているかもわからず、藁をも掴む気持ちで病院へ行き医者の見立てがそうとは言われたながら、その中娘が、
「おなかいたーい」
と、2度ほど言ったことがあり、覚えた言葉を言っているだけの可能性もあるし、継続的ではないながら内臓系の異常なのかと心配になり、再度自分のわがままで医者へ。ほぼ全て嫁が心配するながら珍しく自分が言った案件でもあった。
血液検査もしてもらい、当初の見立て通りの突発性帯状疱疹である可能性が高いとの診断で、
「明日には熱下がると思います」
との医者の診断通りの結末となり、ほっとしたのはいいものの、あんれまぁ、自分、どうしよう。
職もないし、こんだけ社会から弾かれたら、もうね、もう、もう。
実は美濃焼の初対面の先生に子供が産まれることを話したら、
「それは、2・3年は大変でしょうねぇ」
と、言われ、また耐えないといけなのか。
どこまで耐えなきゃいけないんだ。
聞いた言葉に絶望するくらいだったけど、きっと子供が産まれるということが自分の世界線を完全に、運命のレールを変えたのだと実感することがあり、だとすれば、病気そのものも、自分が選んだ結果なのだと、絶望ばかりではないのだと、思うのだけれどコロナでさえノーワクチンでワクチン打っている嫁の方が高熱出たり症状重かったのに、病気には相性があり自分の弱点見事に突いてきた相性の悪かった病気で次やられたら死ぬかもしれないなんて思いもした体験でした。
子供が病気になると一家全滅するばかりか、子供よりも重症になる可能性があるという恐ろしい体験だった。
さーてね、こんだけ一般社会の社会人になれないんだったら、もうしょうがないね。
もう自分は「はみ出し者」としか生きられなくなりますが、それが「分際」ってやつなのかもしれませんね。

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05/26

Mon

2025



うちの桜は一番遅く咲いて一番遅く散る。毎年咲くのを楽しみにしてくれている人も一部いて、当家の小さな桜が咲くのを見て「今年も咲いたね」と夫婦で見に来てくれる人もいる。
長年咲いていた。
少し主木の上がやられシルバーセンターに庭の選定を任せた時にかなり下の方までガッツリと切られ、自分も気がついたがやられた後だったため、剪定最中の担当者を詰めるわけにもいかないため、それ以上やられないためにも作業をみていたが次の日嫁に桜を切られたことを報告すると激情し早朝担当者に詰め寄り口論となり、自分が慌てて外に出て成り行きを見守っていたところ、担当者が「お前が女じゃなかったら」などと言う不穏な言葉を出し始めたところから介入してあちら側の話を聞いていたところ、こっちのトップは全国のナンタラとか俺は資格がナンタラとか(その資格も本職に聞いたら呆れていた)、そんな話をするものだから「わかりますよー」というスタンスで話を聞いていたら「お前話が分かるじゃないか」とは言うものの2日の約束だったのに剪定し終わったものが一部あったのに放置で「お前たちが悪いのだからあとはなんとかしろ」とのスタンスで、しかも「2度とここに仕事来ないよう伝えておくから」なんて言って去っていったっていう余計な話を思い出しましたので、ここで供養させて下さい。
話脱線しまくりましたね。
こういうのが美しくなくなるのはわかってはいるのですが、これも人の有様ということでお笑い下さい。
桜の花が最後に散るのは自分にはかなり情緒があってよいです。ほぼ周囲は散っているのに咲いている。それも花じゃないですか。
私は長生きしようとしていないのに、最後まで残る花も美しいかな。
教えていただいてる気持ちになりながらも酒飲む今日も。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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