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あさかぜさんは見た

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05/12

Fri

2017

あるバーで役者もしているマスターから昔黒沢明監督が目の前で言っていたことは「とにかく一日(原稿用紙)一枚でも書けば一年で三百六十五ページになる」と続けることの大切さを言われて、どうして自分は書かなかったのかと言っていた。
正直自分だって書くのは頭を使うからとても大変だし、疲れている時には脳は働かないから調子に乗れる時を見つけてやっているに過ぎない。
でもこれも自分としては頷けた。
ビートたけしさんが昔番組で長嶋茂雄さんのことを言っていた時、人間は頑張って泳ぐのに対して魚は自然と泳いでいる。
長嶋さんはバットを振らないと眠れないんだから、魚と同じだ。
長嶋茂雄という人物はバットを振らないと、とにかく落ち着いて眠れなかったらしい。
今自分はとても落ち着いている。
とにかく何でもいいんだ。
書いておくと、ほっとする。
日頃の鬱憤が晴らされた気がする。
「暗闇での銀バットが虚空でうなりを上げて振り下ろされた後、真美子は自分が何をしたのか気がついた」
なんて物騒な文章を書きたくなる。
金属でも木でも土でもいい。
そういうものを触って見て表現したくなる。
どうして昔の自分とは真逆の性質を持ったのか。
ただ持っていたエネルギー源の発散場所、逃げ場所を見つけて流していたらトンネルが出来てきただけなのだ。
皆人生は、どのようなエネルギーであれ、そのエネルギーで掘削をしているに過ぎないのではないかとさえ思う。
紆余曲折経ても思った方向へ進んでいれば幸せだし、思っていないところへ行けば不幸だし、単純な話なのかもとさえ思う。
それを世の中の人は様々な条件があるからこうだとか、人生上こうするしかなかったとかあるけれど、実は協力者がいるかどうかというのも大事で、その協力者を本当に一人の人は探していたのか、という問題は色々やってきた中で強く感じるところではあるのです。
一人じゃダメなら二人で。
二人じゃダメなら三人でいけばいい。
当然仲間を見つけるまでが大変だけれど、見つけたら一人でやるよりも何倍もの力がつく。
力技で出来ないのなら知恵で切り抜ける。
そういうことも「魚」のように自然とやってのける人間が、すいすいと出世していることに気がついた。
だけれど目的や目標に集中しすぎて目の前の協力者をなおざりにする人間は自然と落ちていくし、堕ちていく。
感謝を見つけられない人は堕落していくのだから。
よく人間が「運」と言う言葉で片付けるものも、実は単純なカラクリのような気がする。
ようは継続と謙遜と尊重の気持ちなのだ。
同じバーで初対面のお客に噛み付いたことがあって、本に載っているような正論を言うので「昔の自分なら、このクソヤローって思いました」なんて正直に伝えたら黙り込んじゃって、申し訳ないことをしたけれど、本当に卑屈な精神の時は、人を尊重するとか謙遜するとか無理だった。
だから「自然と泳ぐ」にはコツがいる。
その「コツ」とは、「自分にとことん素直になること」だと思っている。
まずは素直さの先に「自らを見つけられる」というメリットがある。
孫子にもある。
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」
となれば、対象と己とを同時に知らなければ百戦は常に危ういということ。
素直さは常に彼を知ることにも導いてくれる素敵なものだと思っております。
泳いだ先に何がある。
なぁに、死んだ後に考えればいいのさ。
嫌われることなど勉学の過程に過ぎないのですよ。
とにかく、己が水を見つけて泳ぐことが豊かな人生に繋がると思っております。

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05/12

Fri

2017

スローライフはたいむいずまねー。

土がある。
目の前に土があるのだ。
芝生もあるけど、土があるからには何か植えたくなる。
しかし、つくしが沢山。
スギナっていうのだけど、こいつは根が深くタンポポのように根だけでも復活してくる厄介者。
一面生い茂っている。他の植物の栄養も吸うから厄介。
ちなみにタンポポも生い茂っている。
抜いても抜いても、まだ沢山ある。
どうしたらいいのだ。
仕事行って疲れて帰ってきて寝て仕事行っての繰り返しを五日やっただけでタンポポは見事に種を飛ばす準備を整えている。
スギナは勢力を増している。
小説も書かなきゃいけない。
それよりも種を買ったのだ。
種を。
ジャガイモや豆しかやったことなかったのに、いきなりブロッコリーなのハーブなの西洋野菜なのを買ってしまって、植える時期があるのだよ!
間に合わないのだよ。
どうして、そんな手間のかかることに手を出してしまったのか。
単純にスーパーで売っている野菜以外のものを食べたい。
素材の本当の味を知りたい。
ただ調理人の端くれとして、それぐらいは知っておいたほうがいいという単純な思いからなのですが、その単純な思いがいけなかった。
とにかく大変だ。
土お越しはしたことがあるが、もう土を作るとか肥料とか、もうなんなの! キーッ! ってなっているところ。
作物を栽培するにあたってスギナは相当厄介らしい。
諦め半分。でも長年放って置き、スギナの勢力がほぼ優勢でも、チューリップは死んでいない。ニラは追われているが生きている。ネギらしきものも徐々に移動して日光の当たる場所まで避難した。というか元々あったでかい植物は普通にそこにあるではないか!
こいつは人間社会と一緒だ。
生い茂っているところに新参者が入ると、たちまち枯れるやつだな。
植物界も苦労が多いことが素人でもわかってくる。
ようやく都会の生活から土に触れる生活に移行したけれど、40年近くも都会っ子でいきなり土を触ったところでどうにもならないなとは思うけど、これも長年かけてやっていくべきなのだなと覚悟しました。
先日、木を燃やしていた時のことも書いたので、お暇なればお読みください。


切られた太い枝が蕾をつけていた。
そこは枯れ葉も積もっていて切られた断面が湿った葉に触れていたのか、水分や栄養を吸い取っていたのだろう。
枝だけで生き延びていた姿を見ると、なんともたくましさと言うよりもしぶとさに感銘を受ける。
いざこいつを燃やそうとすると、水分を沢山含んでいて燃えない。
枯れ葉や水分の含んでいない枝は一気に燃え上がり灰になる。
潤いがなければ近くに火があれば簡単に燃え移って灰になるまで燃え盛る。
これは怒りの構図にも似ている。
心が乾いていれば怒りは他者から伝染してくる。
他者の怒りが自らの炎になり、乾いた部分を灰にしていく。
炎は一見美しいが、常に見守っていないと関係のないものまで燃やしつくし、自らに大きな損失を与える。
特に他人の価値あるものを燃やそうものなら、その損害金を何らかの形で支払うことになる。
水を、潤いを、常にどこかに用意しておくのが炎に焼きつくされない秘訣だ。


人間らしい生活って一体何なのかな。
都会から離れると余計この単純なテーマについて考え始めてしまうね。

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05/08

Mon

2017

北広島市民になりました。

ご縁ございまして、というか、亡くなった祖母の家をまるまる引き継ぐことになりまして、北広島市民になり、そしてネット開通という、もう初めてを奪ったかのような、もう、アレな気分でございまして、嘘ですけど、ひとまず以前と同じような状態に戻りました。
 北広島というと、広島県にも2005年から北広島町ができておりまして(ツイッターで教えてもらいました)同じ地名が存在することになるのですが、こちらは北広島市でございます。
 何故広島の名を語るのかと言うと、開拓民の方が広島県から来たので、そうなっておるのですな。
 ちょうど新千歳空港と札幌の中間あたりにある札幌のベッドタウンなのです。
 札幌の人口195万人あたりに対し、北広島市は6万人にも満たない都市。・・・っていうか、田舎どす。
 スーパーは夜9時で閉まっちゃうし、遊ぶ場所もないし、どうやら酒場で話を聞いていると遊ぶ場所は札幌じゃなくて新札幌という、これまたちょっと微妙な都市とも田舎とも言えない札幌と北広島(市を省略します)の中間にある場所の名前が出てくる。
 こちらの人たちにとって札幌は「遠い場所」という感覚が根付いているようでございます。
 今ここは野球チームの「ファイターズ誘致」の問題で揺れ動いておりますが、スポーツあまり興味ないので熱弁ふるってくれる方の言葉を素直に受け取るしかない状態でございます。
 さあ、祖母の導きあってか「文芸北広島」という不定期に出している文芸雑誌があるのです。
 まずそこで活躍し、FM局もあるというので、ラジオもやっていこうかなと思っているのですが、さてさてラジオの番組どうやって作っていこうかなと今模索中。
 仕事止めるとか言いながら、結局調理師の免許とって、技術がないのも馬鹿らしいのでバイトをしながらキッチンの仕事をして、都合が合うならば上の専門調理師をも目指していこうかなと考えてもおります。
 以前にも書いたかもしれませんが、人生ってある程度ぼやっとしているとレールが敷かれているのかもしれません。
 もし両親の味覚が多様で、新しい料理や新しくも美味しいものに敏感ならば、私は絶対に料理の道を目指していたと思います。
 だけれどそうじゃなかった。
 恨んではいないんです。
 ただ結果論として、もう修正の効かない歪んだ魂と愛情の両極端のものをいただき、小説を生涯書き続けることになりました。
 芸術家表現家はこういう何か鬱屈したものを持っていなければ、そうはならないと強い持論を持っています。
 分岐点はあったのです。
 詳細は省きますが母親が死んでいたら、こうはならなかった。自分も死んでいたでしょう。小樽付近の海に冬場歩いて出て行っていた。
 芸術家として満たされるべき条件は、ほぼ全て満たされつつあります。
 そして後は、ほどよい暇さえあれば目的を完遂できるところまで来ました。
 宗教を信仰しているわけではないのですが、もう何年も前から「どう考えても自分は神の手の平にいる」と思っておりました。
 少しずつやってきたこと、降りかかってきたことが集約されつつある。
 東京中心主義の馬鹿げた構図を根っこから引っくり返すために、この地で活動していきたいと思います。
 我あるところに、芸術あり。
 雨垂れ石を穿つ。
 自分はこれで充分だ。
 札幌市民でなくなることは寂しかったけれど、マツコロボに1000万かけたというニュースを見て、チラチラチラチラ「このお金が芸術家支援のための資金になったら」って今でも思うので、もう未練はなくなりました。
 サヨナラサッポロ。
 北広島市民になります。

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03/18

Sat

2017

いわゆる日本で言うところのアダルトビデオ

「ポルノ産業にもっと女性を、多様性を」ポルノ制作者、エリカ・ラストの挑戦

どこの国も同じなのかもしれない。
女性の性は男性のために消費され、女優は変わっても内容は同じ。
マンネリ化したストーリーと設定で、カメラワークも見慣れたものばかり。
あとは女優さんと設定で、違う作品かのように演出はしているけど、もう「またかよ」感がある。
かと言って今度は過剰に反応してポルノは女性を搾取しているから、この世からなくなればいいかのような論議まである。
もうこの分野はオナニーもセックスもしない人には一切話しの土俵に上がって欲しくないよね。
話している根本が違うのだから。
性を平等に見るって、一体どういうことなのか。
そのバランス感覚が最初からない人同士が攻撃的にやりあったところで、ただの言葉遊びにしか過ぎないわけだし、その言葉遊びが通常の性を締め付けるようなことがあってはいけないと思うしね。
性の多様性っていうと「マイノリティ」にも突っ込んでいってしまうから、多様性はようござんす。
もう情報化社会だしね。
何があるかは興味のある人がどんどん調べればだいたい際物に行き着くから。
道具も沢山あるし。
隠しても隠しきれるものではなくなった。
だったらさぁ、もう開けたものにしていって、後は個々人の判断に任せればいいだけの話。
だって正直言って、ジャンルごとにキーキー言ったって、セックスって両者の合意がなければ基本できないものだから、だからきちんと教えてあげればいいの。
きちんと姓のことについて教えてあげず、ただタブー、禁忌、恥ずかしいから隠すもの、みたいなことをやってるから、育っていった子供は勝手に色々自分なりに知って勝手にやっちゃうわけで。
ま、そういうご時勢になってしまいましたよ。
だから性に関して、もう「消費型コンテンツ」しかないわけじゃないの。
一回見たらもういいやっていう。
作品として大事に創って、ちゃんと性を平等に、女性を大事に、お話も作りこんでカメラワークも、なんていうのある?
あったとしてもどこにあるのかわからないくらい。
まだまだそういう観点で創ると支持が得られないっていう以上に、作品としてつまらないんだろうな。

さて、エリカ・ラストさんに戻るけど、
予告編をいくつか見たけど、予告編通りの映像が全編を占めるのなら、ハイセンスな映像だと思うし、所謂スタイリッシュで前衛的。映画だよね、これ。
アメリカのカジノで泊まった時じっくり見させてもらったけど、なんで白人のポルノって女性のケツとか前とか荒々しく掘るの?道路工事かよ。情緒がない。と思っていた。あんなの見てたら、荒々しくして尻でも叩けば女は感じるみたいなこと思うんじゃないのかな?
あんなのばっかりだったら、言ってる事よくわかる。
基本的に「支配権がどちらにあるか」のやり取りが多すぎるんだよね。
性を消費する一方的なものから、きちんと性と向き合った作品創り。
そういうのがあってもいいんじゃないかなって思ってたら、あったよ。
世界は広い。
「女性の視点で徹底して創る」
似たようなこと考えている人がいて、実行にも移していた。
こういう肝の座った人間は大好きだ。
この人はセンスの塊だね。
ぜひ映像美と文学性を兼ね備えた、映画のようなポルノをこれからも創って欲しい。

見たい人は「Erika Lust」でご検索を。

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03/15

Wed

2017

人は言うほど覚悟なんかしちゃいない

自分を見ていると、常に堕落の方向へ向かっている。
名言を読んでいると、他の人も同じ性質があるようだけれど、自分の確認した総数が少ないので、つまり頑張ろうとしている人の中で堕落の方へ向かいがちな人を、それほど間近で確認できたわけではないので、ひとまずは自分は堕落しがちなのだと考えている。
このご時勢、過去の文献を漁れるし一文をピックアップした名言が溢れているから、まるで自分ができるかのように勇気付けられる。
しかし実際、その名言を部屋にでも張って、毎日寝起きに復唱し、そして名言の人物を調べ生き方や言葉に沿って自らの生活を律しようとする人間は少ない。
だからこそ名言はその場しのぎの慰めになっている。
名言というのは「やり遂げた人」が言っているからこそ説得力がある。
自分のように、まず大言を吐いて、自分を追い込んで、やらなきゃならんという性質の言葉とは大きく違う。
そして期限をきちんと守れるよう動ける人も、なかなかいるものではない。
だから社会的に重宝されるというわけだ。
さて、私は基本的にマイペースなタイプだし、周囲を見ても無理強いしてもいい結果が出るわけではなく、適度にプレッシャーをかけつつやっていった方が、精神的な余裕もあって、いい感じにまとまることが多かったのでそうしているのだけれど、それじゃ足りない。
最近グーグルじゃ効率のいい職場は意思疎通、言いたいことをきちんと上下の関係なく言い合えることが最も効率化に繋がっていたという報告をまとめた。
その他の空気は統一的なものはないらしい。その場その場で違うという。
チームプレーは誰かが頑張っているし目的があるから、多少堕落の気持ちがあっても周囲の影響を受けたりする。
だけれど個人となると、そうもいかない。
口で言うほど覚悟が出来てない。
当たり前と言えば当たり前。
何故なら「その現実が実際に起こった時の己の心理的変化」まで予測できないからだ。
どれだけの重圧がかかって、そしてどれだけのことに心や体が耐えられるのか、理解しようもないからだ。
だから、その場になって立場を変える人を沢山見たけど、そのことも今では恨みがましく思うこともなくなった。
私自身が最も出来ていないし、例え出来ていたとしても、人の姿を見ていて、やはり口で言うほど人は強くなれないし、強いものでもないし、自分を捨てられるほど生きることに博打をかけられない。安定安心平穏。
大多数の人が誰かに守られ生活や人生を保障される場所に行くことが人生を不安も持たずに生きていけることだと思っている。
明日の生活を崩すわけにはいかない。
そう考えている。
もちろんそんな考えでは大きな決断はできないし、大きな決断は下調べを入念にし、根回しもした上で、最後に勇気を持つことだけど、腰が重いとなかなか最後の一歩が出せない。
腰の重さっていうのは、あれこれといざって時になって過去のデータや経験を持ち出して将来への不安視を強めたり、手順の多さがあったりすることで増える。
未来の保障なんてどこにもないのに。
そのことを無意識に感じ取っているから「誰かに守ってもらう心理」が絶対に強くなる。
大手の企業に勤めていれば絶対安心なんていうのもそう。
特に「日本での社会的信用」というやつは「会社勤めでの正社員としての連続勤続年数」や「大きなミスがない経歴が綺麗な人生」という、下級武士への忠誠心を見るかのような、ある一種の信仰で成り立っているから、この社会的空気はより決断への空気を重くする。
だから、基本無理なんですよ。
覚悟、なんて。
だいたい上が言ってくる「覚悟」なんて上記の「忠誠心」を問うための言葉であって、その人間の「人生における覚悟」ではない。
誰もあんたのことなんか考えちゃくれない。
だから決断は一人なんだ。
決断する時は誰かと一緒じゃいけない。
何故なら誰かと一緒にしたら、そいつにも責任や自分の覚悟を背負わせだすから。
それは覚悟でもないし決断でもない。
流されただけなんだ。
ほとんどの人間は言うほど覚悟ができない。
だから人を責めないためにも、そういうもんなんだって思っている方が相手を人間らしく見られるし、自分がする場合は、思っている以上に背負わなきゃいけないことを覚えておけばいいと思いますよ。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
38
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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