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あさかぜさんは見た

リクエスト何かあれば「comment」に書いてください。「note」「Paboo」で小説作品読めます。

01/05

Fri

2018

2017年総括

1年を総括すると、調理技術を高めた年ということになるだろうか。
焼き鳥、フライパン、出汁巻き卵巻けるようになったし、肉への火の通し方もわかるようになってきた。次はオムレツかな。
オムレツがなかなかできない。
盛り付けや他の技術については後は本でも読みながら、ゆっくり学んでいきたい。
ちょうど5年ほど前から声優のようなこともやり始めた。
パソコンが古くなってきて、ワードソフト以外はかなり処理が遅くて使えなかったけど新しいパソコンも購入した。
北広島という土地に移動し、飲みニケーションを駆使し、地元の知り合いを増やし、「朝風会」なる宴会も開くことができ、今年もやっていく予定だ。
酒代は収入の半分を使っているから、これで実らなかったらクラクラしていたところだ。
そして文芸北広島という祖母が短歌を投稿していた雑誌に小説を投稿し、様子がわかるようになったし、祖母の縁も生きていることが確認できた。
去年はラジオやりたいな、1000万円稼がなきゃなと目標はあったにしろ、やっぱり技術的なものはそう簡単には習得できず調理に1年を費やしてしまった。
今年は声の活動も再開できるし、少しずつ調理の時間を減らしながら、小説やシナリオに力を入れてオーディオブックという分野やyoutube等を駆使して、少しずつ収入を増やしていく予定。
心残りはあるけれど、出汁巻き卵はどのような状態でも完璧に巻けるようにはしたいけど上手くできないし、オムレツは自分にとって最難関だし、刺身も切りたいけれど、完璧にできてから次のステップに行くには遅すぎるし時間が足りなさすぎる。
とにかくやりたいことや夢ばかりがあって、ほら吹きのような状態になっているし、それも自分で腹立たしく思って過ごしていた。
芥川賞を取るとか言って小説にも手を付けられないくらい疲れていた。
母親に「あんたいつもだるそうにしているね」と言われ、そりゃそうだよ、と思いながらも、飲食業あるあるの状態に身を置いて慣れるわけにはいかないなと2016年の段階で悟っていただけに、今は職場を学習の場として捉えている。
そもそも2016年の9月あたりに「小説一本でやる」と宣言した翌月に調理師免許に受かってしまい、母親の勧めもあって調理師登録をしたのだけれど、何せ蕎麦屋で煮るか揚げるかしかしてこなかったため調理師を名乗るのも恥ずかしいと思っていた。
でも去年1年やったおかげで少しは「たいしたことはありませんが」と付け加えるが「調理師免許あります」と言えるくらいにはなったんじゃないかなと思っている。
そしてただ「持ってます」と言うのではなくて宴会や人への料理提供など、人の輪を広げるために有効活用できる段階まで来た。
少しずつ前へ、しかも確実に進んでいる。
今年1年でどれほどのことができるのだろうか。
去年できなかった創作活動。
ここに重点を置きながら年間売り上げ1000万に近づいていこうと考えている。
おかげさまで人の縁はある。
手段もここ数年で模索して決まった。
あとはやるだけ、という段階。
始まりましたよ。
2018年。
京都から帰ってきて5年目。
節目の年だ。
声のこともやるので、バーからは遠ざかってしまうけど、しょうがない。

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11/17

Fri

2017

祖母が文芸北広島に短歌を投稿していて、先日編集長宅に会費を払いに行った時自己紹介すると「あー!生前は大変お世話になりました。短歌の会の人にも紹介しておきますよ」と覚えていてくれて、早速祖母を懐かしんで連絡をくれた方がいた。
祖母は水泳の先生をやっていて「先生」と呼ばれていた。
色々とマメな人で引越しの時に「先生にはお世話になったんでタダでいいです」など、祖母の凄さに驚くことも。
贈り物をもらったらすぐに返礼などする、何かにつけて贈り物をする等やってたことを思い出した。
故人が作った縁というのも面白いもので、機会があれば文芸北広島の総会等に出て親睦を深めていきたいなと思っておりますよ。
なんでしたら料理作りますよ。

短歌も勉強しないとなー。
下手なんだよなー。短歌。
小説は少しずつ上手くできるようになったけど、今度は下手な短歌を少しでも見栄えのするようにしていかないと。
やることは沢山。
飲みにけーしょんを駆使して北広島の縁を拡大していく計画、少しずつ進行中。

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11/10

Fri

2017

あの日の殺意

5年前ほど、初めて他人で殺そうと思った人間がいた。本当の純粋な殺意だ。
今から思うと、恋愛感情のもつれで、冷静に考えると本当にくだらないことだけれど、あの日の感情は今でも忘れることが出来ない。
他に殺そうと思った人間は父親だ。
バットを持って寝室の前で何度か迷ったことがある。
もし起きてきて、目の前で僕を罵倒するなら、思い切り頭を殴ってやろうと考えていた。
でも、そうはならなかった。バットを持っている時、目の前に起きて目の前に現れ罵倒することはなかった。
父に関しては、三十代になったある日自分が泥酔して家に帰ってきた時、チェーンがかかっていて、静かに部屋を出たため父も家から出たものはいないと思ってのことだったのだが、当時の自分は家から追い出されたものと勝手に思った。
それだけ負の感情が長年蓄積していて、ついに爆発した。
母にドアを開けられた後叫び、寝室から出てきた父親を「どうして産んだんだ」と言って殴った。
十数年間ずっと心に思っていたことを初めて伝えた。ようやく、伝えられた。
自分は父には、この言葉こそ最大の親孝行だと思っている。
記憶のあるうちでは、生まれて初めて、心の底から思っている素直な言葉を父親に伝えられたのだ。
本当によかったと思っている。十五年ほどにもなっただろうか。
負の感情はようやく昇華されることが出来た。
自分の魂は歪みきっている。今でも心が急に不安になったり意味なく痛み出したりするのを感じる。一日中落ち着かなくてそわそわして潰れることもある。
これはもはや生涯直すことは出来ないだろう。
ただ、ここから見える光もある。
境遇が自分を小説の道へと導いた。
活字も大嫌いな自分が大嫌いだったものを好きになろうとしている。
不思議な運命だ。運命に魅入られて小説を書いている。
自分の書く小説は、そこらにあるものとは違って怪しい魅力がある。神の手の平で自分は踊っている。
だけど父のことが終わったと思ったら、今度はやはり「あの日の殺意と関係」と向き合わなくてはならなくなった。
人はつくづく因果からは逃げられない。
いつか決着をつけなければならない。
自分は創造を司っている人間だ。
破壊は性に合わない。
自分なりの決着のつけ方を、近い将来必ずつけていかなければいけない。
そのことを突然「飛んだ」バイトの若者で思い出さされるとは思ってもみなかった。
人には、いつもの様子が心の何かに深く突き刺さったりする。
きっと、運命のせいなのだろうさ。

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11/04

Sat

2017

忙殺される日々


ここ一ヶ月、突然支笏湖まで月を見に行ったり、


富良野・美瑛方面へ出かけていって十勝岳で雪に見舞われたり、


夏あたりに見た青い池で、今度は紅葉も含めて見てみたり、


四季彩の丘で花を楽しんだり、


ラーメンスープの研究たまにしたりしてました。


忙殺というよりも、仕事の合間を縫って弾丸スケジュール組んで疲れ果ててたという感じ。
一つだけ印象深く残っていることがあり、美瑛に新星館という須田剋太・島岡達三美術館があって、終わり際に寄ろうかと思いきや開いておらず、帰る途中で庭にいたおじさんに「待ってください。ぜひ見ていってくださいお願いします」と声をかけられたのが館長で、そこから長々と詳しく説明してくださりながら館内を巡ったのだけれど、あの時何故「お願いします」と言ったのか、その「お願いします」が物凄く自分の中で引っかかっていて、忘れられないでいる。
須田剋田と司馬遼太郎、そして館長の大島墉(よう)。
少なくとも館長の大島さんは美術的価値を見抜く才能がある。
須田剋田に感じて絵を見たけれど最初はわからなかった。
説明されても「うーん」という微妙な印象でしかなく、下手のような印象があって、形も変だし崩れている感触がある。それは絵の中に描かれているものを一つの形として見ようとしていた。しかし、司馬遼太郎の文章の中に「抽象画」という言葉があり、自らの中で形に対する意味を分解してみると、すっと理解できるところが出てくる。
意味に縛られていた自分を解放するというか、途中で後藤純男の日本画も見ていたから余計に形から意味を形成しようとしていて、そうじゃないのだと頭の中に言い聞かせるには結構な時間が経ってからだった。
大島さんのことを小説にしたら売れると本人が言っていたので、相当面白い人生なのだろうけれど、大阪にまで行かなきゃいけないことと、資料も集めないといけないことを考えると、各次官も含めてどう低く見積もったって200万。300万円は確保しておきたい。司馬遼太郎も絡んでくるとしたら相当な資料を漁っていかなきゃいけない。書けるだろうか。書きたい気持ちはあるのだけど、いつ書けるのか。クラウドファウンディングやってもなぁ・・・あれこれ思いをめぐらせている。

そうそう。静内町にも行ってみました。北広島は駅前が弱い。静内町は小さくてもちゃんと整ってる。という話が出たので自分の目で見てみようと思って。
行ってみてわかったのは地元愛が強い人たちが沢山いたということ。
今は廃線濃厚となった日高本線の話を駅の観光案内所の女の人に聞くと、とにかく話が止まらなかった。学生時代にさかのぼって、どう電車を利用していたのか思い出話と共に語ってくれた。途中で買った商店のおばあちゃんも嫁いだところから話し出した。まあまあ、ストーリーと共に地元愛は強くなっていくものなのだと強く感じさせられた。

今年も目標は達成できず仕舞いで終わりそうだけど、まったく収穫がないわけじゃなかった。
何をどう進めていくか、悩んでいた睡眠問題も少しずつ解消されそうだし、よくなればいいなと思う。
本当に睡眠に関しては悩んでいたから、明るい兆しが見えてよかった。

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09/22

Fri

2017

自炊はやっぱりいいものです

バランスのよい栄養摂取を外食でコントロールできる人はほとんどいない。
気をつけるといっても、だいたいはテレビの受け売りで日常の摂取食品を選んだりする。
だからこそ「自炊」を推奨するわけだけど、この「自炊」と「コスト」を直結させて考える人たちがいる。
つまり素材を切る時間、調理する時間、(食べる時間)、片付ける時間。
この括弧書きで記したもの以外は「時間のコスト」を食う。
外食、もっと簡単だとコンビニ製品ならば、ゴミも家に持ち帰らず捨てられるし、プラスゴミコストも考えると圧倒的にコスト削減になっていると言う。
だけれど、僕は調理の分野もやっていて食べさせることをしているけれど、そのことを主張しているのは「家族に調理作業をしていない人」じゃないかなと直感する。
というのは、人間って体調があるから、どんなに好きでも「今日はこの気分じゃない」というのがある。
その「今日はその気分じゃない」は、赤子が直感的にやっていることで、基本食べたくないものは栄養的に足りていて、食べたいものは栄養的に足りないもの、というのがわかっている。
つまりは、大人の好き嫌いの感覚って直感的な栄養摂取として、かなり隔たっているということになる。何故って大人は頭で考えて物を食べて何が足りないかを「好み」という「長年慣れ親しんだもの」で選んで来るから。
人は野菜も食べなきゃいけない。
肉も食わなきゃいけない。
炭水化物も食わなきゃいけない。
何故かと言うと、野菜が血糖値上昇のクッションになり、肉を受け入れるようになり、炭水化物の糖分値の急摂取を和らげる。
そんな風に色々と理由がある。
きちんと自他のコンディションと付き合いながら料理を作る。
それは便通や胃の様子や食欲や体温や血液や脳の働きに繋がっていく。
これらのことをきちんと考えて「コスト」というのならわかるのだけれど、人体の機能そのものから目を逸らして「コスト」を考え、なおかつ「手料理」という「コミュニケーション」すらも無視して「コスト」というのだろうか。
時間のコストを考える人は皆独り身なんじゃないだろうか。
それか、親友を招いて家で会食などを一切しない人たち。
小さいテーブルを囲んで、お手軽手料理つまみが三品くらいあって、酒をぐいぐいと飲むとか、たこ焼きパーティーとか。
今は「旬のもの」という意識がなくなって通年あるものが多いのでわからなくなってきているが、本来なら地物はとても香り高くて旨みも多い。
その手のものを料理するには、いきなりではきつい。
最低限何か味付けを知ってないと最高の贅沢はできない。
そこはやっぱりプロに任せたほうがいいんじゃないかって思うかもしれないけど、そういう贅沢を親友と分かち合うという気持ちがあった方が人生は豊かになる。
まずは「自分の体と細かく付き合うためには料理は必要」。
その上で「自分以外の大切な人の健康を守るためにも料理は必要」。
そして「誰か大事な人と楽しい時間を過ごすために料理は手助けになる」。
ということ。
やっぱり自炊はいいものですよ。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
38
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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