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あさかぜさんは見た

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05/08

Mon

2017

北広島市民になりました。

ご縁ございまして、というか、亡くなった祖母の家をまるまる引き継ぐことになりまして、北広島市民になり、そしてネット開通という、もう初めてを奪ったかのような、もう、アレな気分でございまして、嘘ですけど、ひとまず以前と同じような状態に戻りました。
 北広島というと、広島県にも2005年から北広島町ができておりまして(ツイッターで教えてもらいました)同じ地名が存在することになるのですが、こちらは北広島市でございます。
 何故広島の名を語るのかと言うと、開拓民の方が広島県から来たので、そうなっておるのですな。
 ちょうど新千歳空港と札幌の中間あたりにある札幌のベッドタウンなのです。
 札幌の人口195万人あたりに対し、北広島市は6万人にも満たない都市。・・・っていうか、田舎どす。
 スーパーは夜9時で閉まっちゃうし、遊ぶ場所もないし、どうやら酒場で話を聞いていると遊ぶ場所は札幌じゃなくて新札幌という、これまたちょっと微妙な都市とも田舎とも言えない札幌と北広島(市を省略します)の中間にある場所の名前が出てくる。
 こちらの人たちにとって札幌は「遠い場所」という感覚が根付いているようでございます。
 今ここは野球チームの「ファイターズ誘致」の問題で揺れ動いておりますが、スポーツあまり興味ないので熱弁ふるってくれる方の言葉を素直に受け取るしかない状態でございます。
 さあ、祖母の導きあってか「文芸北広島」という不定期に出している文芸雑誌があるのです。
 まずそこで活躍し、FM局もあるというので、ラジオもやっていこうかなと思っているのですが、さてさてラジオの番組どうやって作っていこうかなと今模索中。
 仕事止めるとか言いながら、結局調理師の免許とって、技術がないのも馬鹿らしいのでバイトをしながらキッチンの仕事をして、都合が合うならば上の専門調理師をも目指していこうかなと考えてもおります。
 以前にも書いたかもしれませんが、人生ってある程度ぼやっとしているとレールが敷かれているのかもしれません。
 もし両親の味覚が多様で、新しい料理や新しくも美味しいものに敏感ならば、私は絶対に料理の道を目指していたと思います。
 だけれどそうじゃなかった。
 恨んではいないんです。
 ただ結果論として、もう修正の効かない歪んだ魂と愛情の両極端のものをいただき、小説を生涯書き続けることになりました。
 芸術家表現家はこういう何か鬱屈したものを持っていなければ、そうはならないと強い持論を持っています。
 分岐点はあったのです。
 詳細は省きますが母親が死んでいたら、こうはならなかった。自分も死んでいたでしょう。小樽付近の海に冬場歩いて出て行っていた。
 芸術家として満たされるべき条件は、ほぼ全て満たされつつあります。
 そして後は、ほどよい暇さえあれば目的を完遂できるところまで来ました。
 宗教を信仰しているわけではないのですが、もう何年も前から「どう考えても自分は神の手の平にいる」と思っておりました。
 少しずつやってきたこと、降りかかってきたことが集約されつつある。
 東京中心主義の馬鹿げた構図を根っこから引っくり返すために、この地で活動していきたいと思います。
 我あるところに、芸術あり。
 雨垂れ石を穿つ。
 自分はこれで充分だ。
 札幌市民でなくなることは寂しかったけれど、マツコロボに1000万かけたというニュースを見て、チラチラチラチラ「このお金が芸術家支援のための資金になったら」って今でも思うので、もう未練はなくなりました。
 サヨナラサッポロ。
 北広島市民になります。

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03/18

Sat

2017

いわゆる日本で言うところのアダルトビデオ

「ポルノ産業にもっと女性を、多様性を」ポルノ制作者、エリカ・ラストの挑戦

どこの国も同じなのかもしれない。
女性の性は男性のために消費され、女優は変わっても内容は同じ。
マンネリ化したストーリーと設定で、カメラワークも見慣れたものばかり。
あとは女優さんと設定で、違う作品かのように演出はしているけど、もう「またかよ」感がある。
かと言って今度は過剰に反応してポルノは女性を搾取しているから、この世からなくなればいいかのような論議まである。
もうこの分野はオナニーもセックスもしない人には一切話しの土俵に上がって欲しくないよね。
話している根本が違うのだから。
性を平等に見るって、一体どういうことなのか。
そのバランス感覚が最初からない人同士が攻撃的にやりあったところで、ただの言葉遊びにしか過ぎないわけだし、その言葉遊びが通常の性を締め付けるようなことがあってはいけないと思うしね。
性の多様性っていうと「マイノリティ」にも突っ込んでいってしまうから、多様性はようござんす。
もう情報化社会だしね。
何があるかは興味のある人がどんどん調べればだいたい際物に行き着くから。
道具も沢山あるし。
隠しても隠しきれるものではなくなった。
だったらさぁ、もう開けたものにしていって、後は個々人の判断に任せればいいだけの話。
だって正直言って、ジャンルごとにキーキー言ったって、セックスって両者の合意がなければ基本できないものだから、だからきちんと教えてあげればいいの。
きちんと姓のことについて教えてあげず、ただタブー、禁忌、恥ずかしいから隠すもの、みたいなことをやってるから、育っていった子供は勝手に色々自分なりに知って勝手にやっちゃうわけで。
ま、そういうご時勢になってしまいましたよ。
だから性に関して、もう「消費型コンテンツ」しかないわけじゃないの。
一回見たらもういいやっていう。
作品として大事に創って、ちゃんと性を平等に、女性を大事に、お話も作りこんでカメラワークも、なんていうのある?
あったとしてもどこにあるのかわからないくらい。
まだまだそういう観点で創ると支持が得られないっていう以上に、作品としてつまらないんだろうな。

さて、エリカ・ラストさんに戻るけど、
予告編をいくつか見たけど、予告編通りの映像が全編を占めるのなら、ハイセンスな映像だと思うし、所謂スタイリッシュで前衛的。映画だよね、これ。
アメリカのカジノで泊まった時じっくり見させてもらったけど、なんで白人のポルノって女性のケツとか前とか荒々しく掘るの?道路工事かよ。情緒がない。と思っていた。あんなの見てたら、荒々しくして尻でも叩けば女は感じるみたいなこと思うんじゃないのかな?
あんなのばっかりだったら、言ってる事よくわかる。
基本的に「支配権がどちらにあるか」のやり取りが多すぎるんだよね。
性を消費する一方的なものから、きちんと性と向き合った作品創り。
そういうのがあってもいいんじゃないかなって思ってたら、あったよ。
世界は広い。
「女性の視点で徹底して創る」
似たようなこと考えている人がいて、実行にも移していた。
こういう肝の座った人間は大好きだ。
この人はセンスの塊だね。
ぜひ映像美と文学性を兼ね備えた、映画のようなポルノをこれからも創って欲しい。

見たい人は「Erika Lust」でご検索を。

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03/15

Wed

2017

人は言うほど覚悟なんかしちゃいない

自分を見ていると、常に堕落の方向へ向かっている。
名言を読んでいると、他の人も同じ性質があるようだけれど、自分の確認した総数が少ないので、つまり頑張ろうとしている人の中で堕落の方へ向かいがちな人を、それほど間近で確認できたわけではないので、ひとまずは自分は堕落しがちなのだと考えている。
このご時勢、過去の文献を漁れるし一文をピックアップした名言が溢れているから、まるで自分ができるかのように勇気付けられる。
しかし実際、その名言を部屋にでも張って、毎日寝起きに復唱し、そして名言の人物を調べ生き方や言葉に沿って自らの生活を律しようとする人間は少ない。
だからこそ名言はその場しのぎの慰めになっている。
名言というのは「やり遂げた人」が言っているからこそ説得力がある。
自分のように、まず大言を吐いて、自分を追い込んで、やらなきゃならんという性質の言葉とは大きく違う。
そして期限をきちんと守れるよう動ける人も、なかなかいるものではない。
だから社会的に重宝されるというわけだ。
さて、私は基本的にマイペースなタイプだし、周囲を見ても無理強いしてもいい結果が出るわけではなく、適度にプレッシャーをかけつつやっていった方が、精神的な余裕もあって、いい感じにまとまることが多かったのでそうしているのだけれど、それじゃ足りない。
最近グーグルじゃ効率のいい職場は意思疎通、言いたいことをきちんと上下の関係なく言い合えることが最も効率化に繋がっていたという報告をまとめた。
その他の空気は統一的なものはないらしい。その場その場で違うという。
チームプレーは誰かが頑張っているし目的があるから、多少堕落の気持ちがあっても周囲の影響を受けたりする。
だけれど個人となると、そうもいかない。
口で言うほど覚悟が出来てない。
当たり前と言えば当たり前。
何故なら「その現実が実際に起こった時の己の心理的変化」まで予測できないからだ。
どれだけの重圧がかかって、そしてどれだけのことに心や体が耐えられるのか、理解しようもないからだ。
だから、その場になって立場を変える人を沢山見たけど、そのことも今では恨みがましく思うこともなくなった。
私自身が最も出来ていないし、例え出来ていたとしても、人の姿を見ていて、やはり口で言うほど人は強くなれないし、強いものでもないし、自分を捨てられるほど生きることに博打をかけられない。安定安心平穏。
大多数の人が誰かに守られ生活や人生を保障される場所に行くことが人生を不安も持たずに生きていけることだと思っている。
明日の生活を崩すわけにはいかない。
そう考えている。
もちろんそんな考えでは大きな決断はできないし、大きな決断は下調べを入念にし、根回しもした上で、最後に勇気を持つことだけど、腰が重いとなかなか最後の一歩が出せない。
腰の重さっていうのは、あれこれといざって時になって過去のデータや経験を持ち出して将来への不安視を強めたり、手順の多さがあったりすることで増える。
未来の保障なんてどこにもないのに。
そのことを無意識に感じ取っているから「誰かに守ってもらう心理」が絶対に強くなる。
大手の企業に勤めていれば絶対安心なんていうのもそう。
特に「日本での社会的信用」というやつは「会社勤めでの正社員としての連続勤続年数」や「大きなミスがない経歴が綺麗な人生」という、下級武士への忠誠心を見るかのような、ある一種の信仰で成り立っているから、この社会的空気はより決断への空気を重くする。
だから、基本無理なんですよ。
覚悟、なんて。
だいたい上が言ってくる「覚悟」なんて上記の「忠誠心」を問うための言葉であって、その人間の「人生における覚悟」ではない。
誰もあんたのことなんか考えちゃくれない。
だから決断は一人なんだ。
決断する時は誰かと一緒じゃいけない。
何故なら誰かと一緒にしたら、そいつにも責任や自分の覚悟を背負わせだすから。
それは覚悟でもないし決断でもない。
流されただけなんだ。
ほとんどの人間は言うほど覚悟ができない。
だから人を責めないためにも、そういうもんなんだって思っている方が相手を人間らしく見られるし、自分がする場合は、思っている以上に背負わなきゃいけないことを覚えておけばいいと思いますよ。

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03/09

Thu

2017

応援されるということ

色々人には趣味や趣向があるから、当然好き嫌いがあるのですが、長く文章を書いて人に見せていくと、当然好きになってくれる人もいまして、その好きになってくれる人の中でも結構文章を沢山読んでいる人もいて、そんなある意味辛口の批評家ともなりそうな方たちに気に入ってもらえると多少自信がつくというか、ああやってきたこと無駄じゃなかったんだなって思えるようになっております。
特にまだ充分稼げるような状態じゃないから心配してくれる人もいて「止めるんじゃないよ」と背中をそっと押してくれる方たちもちらほら出てきました。
文章に関してはド素人からやり始め、いまだよくわからないところも沢山ありますが、20人に1人くらいは褒めてくれる人がいて、ちょっとずつ進んでいる感と言いますか、自分で自画自賛できるレベルのものができると「あーよかった」と思えるようになってきまして、続けていて・・・っていうかほとんどしがみ付くところがこれしかないのですが、よかったなと思っております。
何故こんなヤクザなこと続けているのかって言うと、やっぱり自分の魂が燃焼している感覚がするのはここだし、生きることに飽いてしまうことが怖く、何か困難とかやればできるようなものを追い求めていたく、少なくとも性格上ちまちまと創作するというのが好きらしく、その創作好きは料理の方にも発揮されているようなのです。調理師免許まで取ってしまいました。
こう見えましてもノーベル文学賞を目指しておりますし、生涯の魂の使い場所、自らの人生の行き先がずっと遠いところまで見えているため、止めるわけにはいかないのですな。
だけれど、とにかく自分の作風が嫌いな人や興味のない人の方が圧倒的に多い中、やはり出会いを増やして自分の作品を見せていくことでしか、読者の獲得は不可能であるとよく思います。
批判されたり好きじゃないと言われたりすることは多いんですが、それでも出会いを探してめげずに人と出会っていくしかないのかなと思っております。
作品がたまったら今度は人海戦術に出るのが一番効果があるのかなと今考えておりまして、冊子でも何でも短いのを作成して街中で配りまくろうかなって考えてます。
応援されていると、よく感じるんですが、やっぱり何か、その人の昔持っていた憧れを代理で果たすかのような期待をかけられている気になってきます。
例えば昔目指していて今もたまに書いてみるけど、やっぱり才能がないって思ってやめてしまったとか、文章が好きで身近に活躍してくれる好きな文体の人がいたから世に出て欲しいとか、なんだか色んな事情はあるんですけど、相手の人間の果たし損ねた何かや達成してくれたら凄く嬉しい!を自分が未来に持っていくような、相手を知れば知るほど妙な感覚になってきます。
文学、小説だと「ライブ」ってやつがなかなか出来ないので、どこで「ライブ感覚」を確認するかと言ったら読んでくれている人と親しくなったり、自分で朗読会開いたり、感想をもらったりでしか受け取れないので、もしライブ感覚味わえたら最高だし、応援してくれている人の喜ぶ顔も想像できて、自分も嬉しい気持ちになってきます。
人と関わる。人を知る。応援される。
つまりは相手のことも想像しながら打ち込めて凄くいいなって思っていますよ。

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03/02

Thu

2017

飲食店のあるある

バックヤードに来ると、あまり飲食店には行けなくなるというのがありますが(思い込みが解けるという意味で)、私はだいたいぼっちなので一人居酒屋とか寂しくてできないし、「ご新規一名様ご案内しまーす!」とか威勢のいい声で言われて一人でたらふく食べて、沢山お金払って誰とも話さず「ありがとうございましたー!」とか言われてお店出るの物凄く寂しいし、まるでキャバクラに行って新人の子に何故かこちらが盛り上げるためにメッチャ頑張ってトークで盛り上げて帰るみたいな、げんなりした感じとも似ていますが、おうちで自分で美味しいものが作れるから外で食べるメリットがあまりなく、特にぼっちなので、話せる友達少ないので、ぼっちすぎるので、だいたいバーに行き、優しいマスターに色々と愚痴りながら日々の鬱憤を何とかやり過ごしている私なのです。
なんか前置きが物凄く長くなりましたが、飲食店では激安競争が激化しておりますが、その弊害なのかクレームを避けるあまり、食材の味を抜いたり安物の食材を使う飲食店がほとんどです。
実際に自分で料理するグルメの方などは、チェーン店がどのようなことをしているのか食べただけでわかるでしょうが、その通りなのです。
チェーン店は基本的にクレームを避けるために味のぶれない化学調味料を使ったり、過剰な調理をしたりしますが、例えば特にクレームが出るのが肉。
牛肉はレアでも「そういうもんだ」っていう認識が広がっているから「赤み」があっても好みの問題になる。
しかし豚肉鶏肉となると途端に増える。
スーパーで売っている肉を基準にして焼いて中が白く赤みが残らないのがちゃんと火が通っている証だとだいたいの人が判断する。
例えそれがいい肉で火が通っているけれど肉質の問題で赤みがあったとしても「火が通ってないんじゃないの?」という疑いを持たれなかなか晴れない。
挙句の果てには食べログに書かれて店の評価が下げられたりと酷い目に合う。
以前本格モヒートを出すお店で「ミントが多すぎ」と書かれてぶち切れてたオーナーがいたし、肉も本格派なのに「赤いから火を通して」と言われガチガチのものを出して「おいしい」と言われてもんもんとしていた人もいた。
このように、多くのお客を相手にして受け入れられなければいけないような飲食店は、まず味を抜く、食材の癖を抜くことを徹底してやります。
ちょっと脱線しますが湯の花が浮いていることは温泉成分濃い証拠なのに薄めて消した温泉あったりします。例え話としてはそういうことなのです。
話は戻りますが、大根は苦い、玉ねぎは辛い、キャベツパサパサ、全部水入れて味抜いたりみずみずしくしたりしてます。
調理人は美味しいところだけを出す。
料理人は食材の美味しいを出す。
と言っていた和食の料理人がおりましたが、この定義を借りるならばチェーン店は調理されたものを出され、ちゃんとした高いお店は料理したものを出されると言えるでしょう。
例えば違いの例を出すと「普段は捨てる皮さえもきちんと使う」のが料理だと言えばわかりやすくなるのではないでしょうか。最初苦味のあるものでも旨みだったりするので、利用するということですね。
クレームを避けて調理したものを出す、となると、当然どうなるかわかりますね?
最低ラインに合わせてものが出されるってことなんですよ。クレームを出されないように作るということは、極端に言えば一番の味音痴に合わせて出されると言ったほうがいいです。
さあ個人でやっている人、クレームを出す人には「二度と来るな」と言ったほうがいい。
じゃないと自分の技術がいかんなく発揮されないでしょう。店の個性も出ない。
うるさく品のない客を追い出すのもお店作りには大事なんです。
賢い人はいつも声を出さない。
そっと出て行って不満があるなら二度と来ないし、気に入ったら二度目がある。
その「二度目」は偶然じゃない。
「来たくて来た二度目」なんだから、相当重いです。
でも大量のお客を相手にしなければいけないお店は個別に対応できる限界があるし、大量に品を出さなければいけないので、いかに簡略化するかを徹底します。
自分の財布などのことを考えて単価の安いところへ行く位なら自炊を少しでもしてお金をためて高級店に行くことをお勧めしますが、所詮バイトの作ったもの、最低限のレベル保障しかできません。
美味しいと思える味の内容は「添加物」であって、本来の味ではないです。
コンビニ弁当やカップラーメンを食べているのと大差がないわけです。
最も安く料理を食べられる方法は自炊です。
外食がどれだけ高くつくかは家計簿をつけている方ならば一瞬にして気がつきますが、男性とかは特にそういうことを怠るため気がつきません。
「安くていいもの」
は食べ物に関しては絶対ないのです。
自分で野菜を栽培するとか、直接生産者と取引するとか、そういうことが出来る人だけ相場よりも安いものを手に入れられるし、やはりそこからの調理は自分の手でしなければいけません。
そうして激安戦争が続く飲食業界、だいたいスタッフ、鬼の形相になってきます。
薄利多売だからです。
わかりますね。
普段の何倍も働かないと利益が出なくなる。
給料さえも出ない恐れが出てくる。
自分は嫌がるのに外食の時はなぜかそれを強いているわけなのです。
中のスタッフの様子を見ると安いものを極度に求めるというお客の姿勢も暴力として働いていることがよくわかります。
悪いものをどれだけ誤魔化して出すのか、食材のロスも出てくる。飲食って食材ロスもコストになるので結構響いてくる。
結果何を食べさせられているのか想像していただければ、と思っております。
同じ料理でも手間隙かけて、きちんと化学調味料使わなければ、それなりに時間はかかるし多売は出来なくなるってことですよ。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
37
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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