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あさかぜさんは見た

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01/11

Wed

2017

子供の頃の衝撃は今でも残る ザ・人生訓

大人になるとさまざまな事を忘れるけれど、これだけは不思議と覚えているんだよね。
当時NHKが珍しくニュースの後にアニメをやっていた時期があって、その頃「不思議の海のナディア」という長編アニメを放送していた。
好きだったアニメなんだけど、今でも印象に残っている言葉がある。
調べると30話。
サンソンという長身の人が、道なき道を自作のマシンで木をなぎ払い草を刈り進んでいき、相棒のハンソンに「もっとまともな道走ろうよ」と言われ叫ぶ。
「道だと? 道なんてものは俺様の通った後に出来るものだぁ!」
その時小学生だった自分は電撃が落ちた。
今でもいい言葉だと思う。
自ら道を開拓するならば茨の道なのは当たり前。
誰もが通る安全な道に欲しいものがなければ、道は傷ついてでも馬鹿にされてでも自分で切り開くべし。
でも誰も通ったことのない道なら誰しも避難するのは当たり前で、生き方そのものが違うのだから気にすることもないと思えるようにようやくなってきた。
その手の人たちは新しい挑戦をする人の失敗をどこかで望んでいて「そら見たことか。俺の方が正しかった」と言いたいだけなのだ。
その姿勢を見ても、やっぱり考え方も生き方も違う。
人のこと気にしていたら我が道はいけない。
自分が生き残るためにはどうすればいいのか、どの分野ならトップに立てるのか、そういう単純な思考だけ繰り返して挑戦していけばいい。
道がないのなら、自分だけの道なら、道がないのは当たり前。
でも道はなくとも道なき道を行っても生き残れるノウハウはあるはず。
それは進み経験してみなければ同じような友はできない。
色々読んでみると、どの時代にも前人未到の歩みをする人は馬鹿にされたみたい。
もちろん屍の方が多いのはわかっているけれど、でもやらずに非難する人間よりかはずっと立派だと思っているし勇気がある。
そういう人じゃないと、正直生きることに飽きてきそうだから頑張るのさ。

この話ちょいちょい繰り返すかもだけれど、そういうもんです。
人生訓は身にまとって人生と共に磨いていくものだから。

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01/04

Wed

2017

年間一千万の実績を作れ

行政書士の方曰く。
「僕のところに来る人って何が何でも金を稼いでやろうっていう人ばかりなんですよね。なので曖昧にこうしたいっていうと芽が出ない気がしますね」
「実績、となると確定申告ですね。これを元にして融資となると判断されると思いますし、やはりお金が回収できるかどうか厳しい目で見られるのは当然のことです」
「まず、一千万。これぐらいはクリアできないと厳しいかと思います」
突然凄いハードル高いんですけど、でもこれぐらいはやってのけないといけないってことなんだよね。
わかりました。

P.S.
つまりは、一円でも二円でも稼ぐという金に対しての執念が必要だった。
「実績」とは全部「お金」で判断される。
レビューとかじゃなくて「いくら売ったか」が大事なんだ。
今まで少しずつ発表して人気が出て・・・みたいなことを考えていたんだけど、一円でも多く稼ぐことでしか立場を証明できないとなると、もうこれは問答無用で売っていくしかないってことだ。
「何が何でも金を稼ぐ」
足りなかったのはここへの意識だった。

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01/02

Mon

2017

やる気のない願望と夢への目標の違い

今までの自分にとって「夢」や「目標」というのがいかに曖昧であったのか、というお話。
「~をしたい」とか「幾ら稼ぐ」なんていうのは全て願望の類で、今道筋がパッと見えてきて色々な事を調べだしておりますが、今まで考えていたことに決定的に足りなかったのは「具体案」だったのだなと痛感しました。
どうして具体案が浮かばなかったかというと、やりたいことはあったけれど、そこへの道筋が曖昧で具体的じゃなかった。
「具体的」って意味もわかっていたようでわかってなかった。
いわば自分にとっては「超具体的」な感じです。
例えば今「起業する」という観点で物事を組み立てていくようにしておりますが、そうすると何が足りないのか炙り出てくる。
全部こと細かくスケジュールと予算と見込み売り上げ、絶対かかる費用など、その他諸々のことを計算して無理のないプランを立てていくってこと。
あと、途方もない目標ばかりで途中をどうすればいいのかをずっと悩んでおりましたが、その途中ってやつが、わりとあっさりと手の届く範囲にあると知り、ついに中間地点を埋める算段もできてくると、あとは達成するための情報集めなど、とにかくやるべきことが具体的で、かつ時間と労力を積み重ねればできるということで、やる気が湧いてきたわけなのです。
僕の思考は常にネガティブで「どうせ理解されない」みたいな考え方がどこかにあるし、それが植えつけられたのもあったし、今までの経験から裏付けられている。
その「どうせ」が腐る方に向かうのではなくて「どうせ誰も理解してくれないなら自分でやるしかない」と思うようになった。
「誰に期待しても自分が望んだものは出来上がらない。だったら自分で作るしかない」
これも「どうせ」っていう考え方の表れなんです。
どうせ、命一つ。
どうせ、いつか死ぬ。
どうせ、サラリーマンやろうとしても、偏屈すぎて上手くやれない。
どうせ、他人が期待したことに上手く応えることができない。
どうせ、スピードを要求されてもどんくさい。
どうせ、一般社会には馴染めない。
どうせ、誰も自分の望んだものを作りはしない。
じゃあ、普通にして滅びるしかない人間が生き残ろうとするなら自分でやるしかないじゃないか。
そういうネガティブが一周しきったような考えなんです。
もう、いいじゃないですか。
いい年だし、戦国時代なら隠居のことも考えなきゃいけない年だし。
体力も自信ないし勉強も上手くできない。
本当にマイペースでしか進めない。
どこかの部品で生きるには欠陥品過ぎる。
じゃあ何かしていくしかない。
自分の国を作るしかない。
小説書いていても今の主流の流れとは物凄い違和感を感じる。
実際賞に送ったって落ちる。
もう、自前で全部揃えるしかないじゃないですか。
そのことは考えていたのに、具体案がないばかりにね、ここまで伸びてしまいましたね。
たぶん皆「具体的」の本当の意味を僕のように漠然と理解していないのだと思ってる。
今までの自分は作品を積み上げればいいんだ的な考えがあったのだけれど、具体的というのは、A作品を書きました、この作品の読者層とターゲット・作品の中心となるテーマはどの年齢とどの考え方の人に訴えかけ、その人たちに作品をマッチングさせるためにβのような方法を取り宣伝し、宣伝機関と宣伝方法は以下のような方法で、宣伝期間は公開までのこれまでの期間で予算はいくらかかり、宣伝を受け取った何パーセントが実際に作品を読んでくれるまでの見込みがあり、その上で売り上げは最低これくらいは確保できるであろう、その上でトータルで差し引きこの程度の見込みがある、という見立てが具体的ってことなんですよね。
もうこれを理解するまでに10年以上かかった。
というか理解するまでってよりも、ここまで考えが到らなかったという表現が正しい。
それだったらねぇ、やりますよ。
気がついたのですもの。
今年は「具体的に」ね。

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12/29

Thu

2016

胃腸炎といっても色々な種類があるのですが、ノロウィルスかどうか調べるのに保険適用外ですと言われ、これだけニュースでノロだなんだと言っているのに不思議と思っていたのですが、ノロウィルスへの特効薬がなく、対処法は基本的にノロだろうとそうじゃなかろうと変わらないとの事なので自宅でずっと寝ております。
しかしまあ、凄いもので飲んだ水がそのまま下からストンと落ちてくると言ったらわかりやすいでしょうか。
ようやく引いてきたのですが、大変なのがよくわかりました。
吐き気もするものですし、病気になっても食用旺盛な私が食べたくないところまできたので、ほとんど重湯のようなものを二日間食しておりました。
今年は確かによく病気をした年ではありましたが、最後の最後で胃腸炎かよ! と我が身のダメージなのか、それとも今回はウィルスか何かなのかわかりませんが、心当たりがあるとすれば「お酒」と「ストレス」でしょうか。
どれに原因があるにせよ、手洗いうがいなどしっかり欠かさず、そして・・・け、け、けけけけんこう管理をしなければいけないと・・・自信ありません。
お酒を飲まずにストレスを紛らわす方法があればやってみたいものです。

さて、さすがにこれだけ寝ていると、寝ていても疲れます。
全身の倦怠感があるのはもちろんのこと、同じ姿勢で寝ていても疲れますし、脱水症状に近い状態になっていくので唇は乾燥し、肌は土色になり、尿の色は濃くなっていくという有様で、少し体を起こしていても疲れるし、腰あたりのだるさはいつもの五倍だし、おなかは痛いし、そろそろトイレットペーパーでケツが切れるんじゃねぇかってくらい出しているので、体重はものの四日間で見事に二キロ減りました。
それにしても食べもしないし動いてもいないのに体は生きるべくして活動しているということが、こういう時にしみじみわかってきますね。
体の中から減っていくパワーを補うために、食事をするのですが、人間は外から補わないと生きていけない生き物だと実感いたしました。
そう考えると小さな頃から知識とか経験とか食事とか色々なものって外から仕入れているもので自前じゃなかなかできないものです。
今回は早めにまずいなぁこれと思っていつもは遠慮するお医者にいきましたし・・・去年の同じ頃にも人生初じんましんで皮膚科に・・・なんやかんや死にたくないんじゃんこいつ、と苦しみ悶えながらも思いましたが、その時考えていたのは「また書き物の予定送れちゃう・・・」ということでした。
人間、生きる糧とは「自分のしたいことで成すべき事がある」ことなのかもしれません。
最近ハッと閃いたことがあって、まずはやってみようかなと思っているので、それをやり遂げるまでは未練が残る。
今年ももう終わりますが、あらゆる予防は危険が起こった後のコストよりも安くつく、という教訓を踏まえまして、終わりにいたします。

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12/20

Tue

2016

ある日記X

こうしていけば上手くいくよ、と幸せになるためのヒントは与えた。
そのヒントとは私独自のものじゃなくて、幾万以上もの人間たちによって洗練されてきたもので、生きるためには大きなヒントとなってくる。
でもそのヒントさえも君は捨ててしまったんだな。
「こうしなければ幸せになれない」
「これ以外に方法を知らない」
と言って行動していったはずなのに、今も君は不幸だと嘆いている。
不思議だ。
自分のやり方に固執し、私はそれはダメだと言ったのに。
自分のやり方を変えようともしない。
不思議だ。
そして巡り巡って君はまた同じことを繰り返していく。
まるで不幸になるために、せっせと準備しているようにしか見えない。
例えば例を出すなら何でもいいんだ。
持てたいと思っている男がいる。
だが待つばかりで声をかけない仲間を作らない相手のことを知ろうとしない新しいコミュニティに飛び込んでいく勇気がない自分のことばかり喋る。
しかも相手の欠点があった時非難する。愚痴めいたことばかり言う。
自分の人生はこうだからしょうがないと諦めにも似たことを言う。
そんな姿勢の男が女にもてるだろうか。
一緒にいても酷くつまらないし苦痛そのものだ。
自分の姿勢全てを見直さない限り、望みなど一生叶わない。
結局自分が幸せになれないと自他を責めていることは、結果的に人間そのものを馬鹿にしている。
自分を否定することは、好いてくれている人を間接的に否定している。
人間を馬鹿にしているものが、人間に持てたりするだろうか。
不幸を嘆く。
不思議だった。
不幸ばかりではなく幸せな事も沢山あったのに、それは蓄積されない。
何か膿めいたものが堆積していって、それを吐き出さなければいけない。
その気持ちはよくわかる。
自己卑下や否定を繰り返すことで他人から与えられた傷に備えられ、精神のアップダウンを避けられるという原理も自分はよくやっていたからわかる。
しかし身近にある幸福に目を向けようともしない。
不幸ばかりを嘆く。
朝の一呼吸に感動したりしないのだろうか。
ちょっとした贈り物に心がウキウキしたりしないのだろうか。
誰か話せる人がいて話を聞いてもらえることに心から感謝したりしないのだろうか。
つまりは不幸にだけ目を開けて、幸せには目を閉じている。
だから幸せになれないのは当然のことなのに。
他人が信用できない。
だったら自分を鍛えるしかない。
なのに依存先を永遠と探し続けている。
そして傷つけられた裏切られたと嘆く。
その間に自分は鍛えたのか。
夢を実現するには理想の生活を手に入れるためには自分を徹底的に鍛え上げるしかない。
その努力は一日一歩でもいい。一万も二万も進む相手と比較などしても意味がない。
後ろに進もうとするよりずっと立派だ。
誰かにその努力を馬鹿にされようと昨日より前進していれば成果を出し続けていることになる。
それも辛く苦しいのだろうか。
私も誰かに精神的圧力をかけられたりすると動悸や体や手が震えるなどの症状が出ることがわかった。
一度やられると何日も引きずることも。
私はこの症状を直すには「とことん勝負の場に出る」しかないと思っている。
正直人生で辛いことは行動もせず妄想だけが積み重なることだとわかってきた。
邪念が増える。
やりもしないことが頭の中で蓄積される。
恐れだけが膨れ上がる。
悪循環だ。
人間は行為の中でしか自らの正しさを立証できない。
自分が不幸だと思うのなら、考え方から日常の行為に到るまで、全てを見直さなければいけないということだ。
それとも不幸に一生酔い痴れていたいのだろうか。
年を取ってくると自己弁護は段々許されなくなってくる。
習慣とかした愚痴も嫌がられ、それらに共感する人間も少なくなってくる。
何故なら人生は己の力で動かしていくものだという大人が多くなるためだ。
子供が大人になり、大人は少しでも前に進もうと、よりよい幸せを得ようと日々を生きようとするからだ。
もし不幸を嘆くことに共感する人間がいたとしたら、同じような人間だけだろう。
そのような人種で周囲を固めてしまったら、足の引っ張りあいになる。
互いに擁護しながら、何も前進させないという「善意めいた悪行」を繰り返すことになる。
「君は君のままでいい。そのままでいいんだよ」という最も不幸へ突き落とす優しい悪行が身にしみたものだけが残っていく。
そして時間だけが過ぎていく。
これこそ最も不幸なことだと思う。
いつか目を覚ましますように。
人を少しでもあたたかく見れる瞬間が訪れ、それが蓄積されていきますように。
心から祈っている。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
38
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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