12月7日水曜日、午後2時39分、彼女は産まれた。
ゆっくりと落ちる綿雪に光差す明るい曇り空だった。
病院の駐車場でフロントガラスに落ちては溶ける雪を眺めながら過ごしたのは30分もない。
深夜2時半近くに病院に到着し半日ほど経過したくらいだった。
昼はスープカレーだと写真を送ってくれ、病院食にしては随分豪勢だなと思いメッセージを打ち込むと返信がなく、自宅で待機していた自分はもうそろそろ行くべきかなと向かい駐車場で待機していると電話。
嫁は苦しんでいて言葉にならず助産師さんにすぐ代わる。
もうすぐ呼ぶので車で待機していて欲しいと通話が切れると20分ほどでもう連絡。
病院の中に入っていいと言う。
分娩室の前で着替えると扉の奥から嫁の苦しむ声が聞こえる。
こういう時待つしかできない。
壁に寄りかかり腕を組みながら耳を澄まして待つ。
10分ほどだろうか。
呼ばれて中に入ると苦しそうに息をしている嫁がいた。
「会いたかった。手を握っていて欲しい」
深夜に見ていた動画が役に立ち息を吐き頭を上げている時は頭の後ろに手をやり首が楽なように支える。
右手は強く握られたが痣ができるほどではなかった。それでも出会ってから一番強く握られた。親指が重なった右親指の付け根に2日経っても感触が残っている。
産まれた娘は最初出てきた時少し泣いただけで終始落ち着いていた。
血糖値を測るために針を足に刺した時も少し呻いただけで泣かなかった。
「地上は眩しいなぁ」
と言わんとばかりの様子。
既に大器の器か。
産み終わった嫁が「会いたかった」と告げると助産師さん「痛かったからね。頑張ったね」と労ってくれる。
もう一度「電話で声聞いてからもう会いたかった」と言うと今度は医者が「痛かったよねー。少し裂けちゃったからねー」と処置しながら言ってくれた。
その時自分も嫁も心の中でこう思ったに違いない。
「ちげぇーよっ!」と。
1文字聞き取れなかっただけで大きなコミュニケーション違いが起きるのだから、人と人とはいつだってすれ違うリスクがある。
産まれてから1時間ほど中にいられたが写真を自由に撮っていいと言われたので多少撮ってきた。
1枚は12月9日のものだ。2042gと小さな子だが、ひとまず五体満足で産まれてきてほっとしている。
14日が予定日だった。自分の休みは前後1週間を予定していたが満月と新月に生まれやすいとの情報を得て、満月に賭けて2日だけ休みを前倒しにした。
自分がかに座であり海に関係する星座で占星術でも月の満ち欠けに大きく影響し、6月生まれで誕生石が真珠。別名「月の雫」とも呼ばれるため月は意識して生きてきた。
以上の理由から6日から19日までの休みにしたが、ここまでピタリと当たるとは我ながら良い読みをしていたと思っている。
12月7日は火の要素があるらしい。私が水なのだから真逆な性格になるかもしれない。
だけど適職が芸術方面、特に作家、音楽家、美術家、演劇とこの親にしてこの子ありということにもなりそうだ。
他にも教育、法律、研究、政治、営業も向いているらしい。
せめてやりたいことができるよう自分も対話と工夫を繰り返すだけだ。
自分が死んでも生きていけるように自分が知っていることは全て教えよう。
ひとまずは一大イベントは済んだ。
安心できるかと思いきや不安要素があった。
どうも数日前から猫の鳴き声がずっとしていた。
外だろうか。1日中鳴いているから、どこから聞こえるのだろうと夜中に外も見回ったが、すぐ鳴き止むため居場所が特定できなかった。
娘が産まれる日、壁の中から声がしていた。
……壁?
侵入経路を考えるに上から入って壁の中は考えづらい。となると床下の通風口だろうかと家をぐるっと回るとあった。
若干傾いていて上の方が指2本ほど入るくらい隙間がある。
入ったはいいが出られなくなったということか。
通風口をぶち破るには多少の躊躇があった。
床下が寒くなるという理由よりも、ここら辺は狐や野良猫などがウロウロしていて、ネズミもいるため住処にされてしまっては困るからだ。
しかし2日以上も鳴き続けている。娘が産まれた日に床下で死なれては後味が悪い。
7日に一度寝た後、まだ鳴いているためコンビニに猫の餌を買いに行った。
よくわからないからカリカリタイプとウェットタイプの2種。
通風口を壊しライトで中を照らすが姿が見えない。
最初カリカリタイプのを入れて放っておき、戻って見てみると鼻をつけた跡はあるが食べていないようだ。
缶詰を開けて今度はそれも横に置いておく。
鳴き声は聞こえる。
出てこない。
どうする。
携帯を手に取り「猫が寄ってくる猫の鳴き声」という動画を流すと猫の鳴き声が大きくなり、ひょこっと真っ黒な顔と緑色の目が見えた。
すげぇーー! マジで効果抜群すぎるーー!
お腹が空いていたのか鳴きながら缶に顔を突っ込んで必死に舐めている。
全身真っ黒。思ったより小さかった。
子猫か?
警戒心が強く下手な動きをすると中へ戻る。
もう一度動画を流すと戻ってきて缶に口をつける。
少し腹の足しになったのか、中へと戻っていく。
そして床下で鳴き続ける。
缶の中身を見ると結構食べづらいことに気が付き、器に戻してほぐしてやった。
カリカリを捨てるのももったいなく軽く混ぜた。
次の日明るいところでよく見ると近視感がある。
そういやうちの庭の草むらでよく寝ている野良猫がいた。
顔が黒くて体が白い。
そいつに似ている。
可能性はある。
警戒心が強く不安なことがあるとすぐに中へ入る。そのくせ床下では足音を追ってトイレの下で鳴く。
人間の姿なのに猫の声がするというのも、さぞ不審がっただろう。
このまま床下に住み込んで長期化したらどうする。
外は既にマイナスだし越冬できるのか。
そもそも雪が降り積もったら通風口が塞がれるため死ぬしかなくなる。
いたたまれなくなってジョイフルへ猫の餌を見に行くと大量にある。
どれを選んでいいのかわからない。
そもそもあいつ子猫でいいのか。
何か月? でもほぐしたものは食べた。
なついたら飼った方がいいのか。まだ器は早い。
子猫用のウェットタイプとドライタイプの両方を2000円ほど買い、家に戻り鳴いている猫を動画音声で呼び寄せ食べきっていない残りのものを食べさせる。
12月9日、鳴き声がしない。
朝9時頃動画音声を流すが反応がない。
凍死したか、親猫が見つけたか、はたまた食われたか。
きっと親猫に見つけてもらったのだと思うようにした。
寂しかったのだろう。
出会うもの全てに警戒して餌もらってるのに逃げて足音を床下から追って鳴く。
なんだか捻じれているような姿が自分と重なった。
なんてことだ。産まれた娘よりも猫の心配をしているなんて。
猫の餌どうしよう。
あの黒白の猫も、またこの近辺で野太い声を出して鳴くかもしれない。
野良猫に餌をやると猫が増えるからいけないと聞いたことがあるが、またどこかで会うかもしれないね。
頑張って生き残ってくれ。
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