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あさかぜさんは見た

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02/20

Tue

2018

人格の形成と多重化

また主人格の他に人格を持っていた人間と出会った。
まだ三人しか出会ったことがないが、共通していることがある。
やはり、人生の中どこかで見聞きしたか、自らの中に作りこんだ想像上の人物(こんな人間になれたら楽なのに等)、主を補う形で反対のものが出てくる。
主人格が性格上できないことを他の人格で補う形だろうか。
それ以上の人格になると抑えつけている感情によって形成される人格が違い、分裂した人格をまとめるマスター人格が形成される。
マスターとなっている人格は他の分裂した人格たちと会話をすることができるが、その他の人格たちはやり取りすることができないことが多い。
もちろんこのことは主人格は知らない。
そして親となる存在からの物理的ないし精神的虐待からの大きなトラウマを抱えているということ。
トラウマ、ようは精神的抑圧やショックが大きく、かつ多ければ多いほど人格は増えていくということ。
マスターは他の人格の様子を知っているから突然現れても、どこにいるかわかるが、他のものは主人格の記憶から大きく断裂されていることが多いため、どこにいるのか把握していないことがあること。
主人格との記憶の断裂の深さはトラウマと精神的抑圧の程度に比例しているということ。
分裂か、もしくは演技か、というのは以前海外の死刑囚が取り調べの際に「どの人格が出ても当人が必ずやる癖が出る」ことで見抜いた例がある。
つまり分裂した人格は癖も言動も趣味も違うし、主人格と重なるところは少ない。
主人格は運転が上手いのに、分裂した人間は下手なことは珍しいことではない。
私の対処法としては催眠をかけていく手もあったけれど、まず当人の話をじっくりと聞くことだった。
今まで精神の底に沈んでおり、昇華されずに存在していたという事実は、それだけ主人格が何かに対して精神的な抑圧を感じさせられているか、しているか、だからだ。

精神の形成は突然されていくわけではない。
特に小さな子供は性格はあるが、考え方や価値観の移行が起こりやすく、また芯となる精神の背骨のようなものはあっても周囲の肉付けまでは完ぺきではない。
例えて言うなら外皮が柔らかく、多様な価値観を知らないので、信じてきてかき集めた精神の大事なものに衝撃を受けると、そのまま卵のように壊れてしまうということだろうか。
私の知っている三人の人たちの親は皆外面はとてもいいのだが、家族間になると豹変することが多かった。
多くは「親の気に入らないことをしたため、何かの過剰な罰を与える」という名目で暴力や精神的な攻撃をする。
あとは家庭環境の複雑さや性的な虐待も含まれる。

私たちは人を見る時、自然と相手を「こういう人物だ」と決めつけ、自らの価値観を中心にして相手の評価をする。
人間がバイアスをかけること(色眼鏡)は人間の心の性質上避けられない。
だが「人格」とはなんだろう。
分裂した人格たちは用がなくなれば消えていく。
主人格が精神的に抑圧されるものがなく、自由に自分を表現できれば、分裂した彼ら彼女らに頼ることはないのだ。
私たちだって極めて曖昧なものにしがみついている。
記憶と経験という曖昧な価値基準を軸にして人格を形成しようとしている。
生まれた時から不思議と癖がある。
恐らく生まれ持った癖のようなものを土台にして、そこから骨組みが出来上がっていくのだろう。
あとは、環境と人。
育ての親の影響は強く、大人になっても自制心が働かず、独善的で、価値基準が感情的で行動もフラストレーションにまかせたまま突発的に行われる、そんな親が多い。
そしてその親の親も「躾」と称するなどして似たようなことをしている場合が多い。
ほぼすべて、「箱庭」のような状態の中で子供は精神的な抑圧状態を受ける。
もし誰か気が付き助ける人や親戚付き合い近所付き合いが活発ならば「箱庭」は崩れ去っているはずなのだから。
ようは人格の形成とは大きな流れの中にあるとも言える。

便利になってくると、より細分化されたコミュニティが形成されてくる。
大人になると趣味で繋がることが多いだろうが、子供の頃は「似たような環境」「感情」等「同調」によって繋がることが多い。
コミュニティは成熟してくると排他性が強まる性質がある。
つまり便利になればなるほど細分化され成熟したコミュニティに新規の人間が入りづらくなるという性質が強まるため、排他性の性質を常に崩し続けなければ、細分化したものが、どんどん孤立していくことになる。
言うなれば「身内同士」だけで物事は成り立ち、他者の介入をしづらくし、価値観の閉塞化を招く。

人格の分裂を防ぐものは、今まで環境や人によって植え付けられた「価値観の閉塞」を崩し、ただじっくりと話を受け入れて彼らの心の奥底まで掘り下げていくことが重要になる。
昇華を促すのだ。
その際、一切否定語を使わないということ、相手の価値観に疑問を持たないということ、精神の深いレベルまで入った時、自らの独善的な価値観を相手に植え付けないことが絶対条件になる。
そのためには接する人間が広い見識を持つために様々なものを、ひとつの価値として存在していることを認めていかないといけない。

普通に暮らしていて多重人格の人間に出会うことは少ないだろうけれど、もし誰かが「人が違ったようになっている」「その間の記憶が抜け落ちている」の2点が揃ったら、無理に接することなく、やんわりと専門医に任せることを強くお勧めする。

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02/17

Sat

2018

やめていく人が多い中で

情熱を持ち続けることはとても難しいことらしい。文章をやっていて周囲を見ていても思うし、別の世界でも同じだ。熱が冷めてしまったとか、忙しいからもうできないとか、見返りがないから絶望に近い気持ちで嫌になるとか。
自分はどうして続けているのかを問われれば、「客観的に見て才能が感じれる」ということと「アイディアがまだ浮かんでくるから」ということと「この分野でしか本当の自分は出せないから」からだろうか。
やめられるものならやめてしまいたい。
面倒だし、懸命に作ったほど反響が薄いと感じているし、でもきっとやめる時は死んだ時だ。
皆情熱をもって続けているのだろうか。
僕はただ一生の中で最高に満足する瞬間を作りたいだけなんだ。
その瞬間を味わうことこそ魂の至高。
美味いものを食いたい。
そんなグルメの嗜好に似ているかもしれない。

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02/09

Fri

2018

クリエーターギルド「ZeroKelvin」

昔バーで歌い終わった時「いい声だね。あんた、親に感謝しなよ」と見知らぬ女に言われた。
声に関しては自分でどうにかするのは限界がある。
遺伝子あるのみで、声質だけは天が与えたものに他ならない。
もし、小説という範囲だけにこだわっていたら気がつかなかった別の大きな道が、今自分の前に広がっている。
シナリオ、そして演技。
面白いことに声を出すと小説を書くよりも人が強く集まってくる。
知らない人から沢山好きだと言われ告白もされる。
不思議な世界だけれど、そんな今まで接したこともないような世界もあるのだと知る。
未だにこの世界のことをあまり理解していない。
なんせ声優の世界はアニメのキャラと直結しているし、個人の好みによるところが大きい。
それでも一度価値を感じてもらえると、ずっと居てくれるくらい根強いコミュニティができる。
電子書籍が出始めてから様々な論が出てきた。
でも本から伸びゆく世界の話をする人間はいなかった。
今僕は小説からシナリオに形を崩すことを覚え、演技もやりはじめている。
そしてゲーム、音楽、映像、プログラム、コスプレ、ダンス、絵、映像とチームを組んでやり始めることを少しずつ学んでいる。
誰も誰一人として僕が考える世界観の先を話す人はいなかった。
皆本を本の中に閉じ込めたまま籠の中から出さなかった。
当たり前の話だ。
飛ぶ鳥は皆恐い。
解き放ったら、自分のものではなくなるし、どこへ飛んでいくのかわからないのだから。
逆から言うならば、未来を語れる人間が何故少ないのかというと「自らに制御可能な籠の中の鳥」の話しかしないからだ。
実際、この「飛ぶ鳥」にやられる人が多い。
ほとんどの人間が創造力の限界を迎えるのは、自分の手を離れて、自らをも飲み込むような巨大な怪物になればいい、という発想をしないからなのだ。
もう古典SFの方が未来を学べる。
その世界が目と鼻の先に。
だからこそ、大きな、大きすぎるほどのスケールで物事を語らないと、追い付かないほど変化の波は激しくなっている。
既存のモデルケースを自ら破壊できる人間でなければならないし、自分というアイデンティティーさえも壊さなきゃいけないときも来るかもしれない。
そのような作業は誰にでもできるはずなのだ。
だけれど言葉で知るほど人間は「無知の知」を知らない。
新しい領域は全てが攻めの姿勢でなければ学べない。
もう、概念はAIが作れるとしたら、いや作れるのだから、人間が出来うる本物の芸術活動とはなにか。
人類の芸術家は、その議論から始めなければいけない段階まで来ている。
既存のものは基礎にはなっても未来にはなり得ない。
私たちは「ZeroKelvin」絶対零度。
人を動かす熱量まで高められなければ、原子の活動は止まるのだという戒めを持つ団体。
皆参加すればいい。
生活するには最も無駄と思われる「芸術」という分野で志を持ちたいのならば、ぜひとも集って我らが世界の感性の中心にならんことを目指そうではないか。
芸術家は既存の概念と常に戦わなければならないのだから。
己の才能の可能性に愚かしいほどの自負をもって時にはピエロになり笑いを与え、時には恨まれ、そして時には誰かの心をそっと気がつかぬように和らげ癒すのだ。
集え、集え!
我らはクリエーターギルド。
「ZeroKelvin」

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01/18

Thu

2018

大人になって分かったこと

「大人」って何だろうなとずっと考えていたけれど、40手前にしてよくわかったことは、「大人って強い」みたいなことを子供心に思っていた。
大人は色々できて、強くて色々わかってる。
みたいな。
他の人も昔そう思ってたんじゃないかな。
でも自分が昔見ていた大人の年齢になり、他の人もよく見ていると、別に強いわけじゃない。
その代わり、口は禍の元じゃないけれど、べらべら余計なことは喋らなくなったかもしれない。
そして、喋らなくなるゆえに「色々我慢する」ことをしている。
他の大人も本人がいないところで結構な愚痴を色々言ってる。
どうしようもない状況の中で、なんとかしようと上から言われ圧力かけられながらストレスマックスで、どこかで切れて陰ながら物とかに当たったり独り言多くなったり。
周囲の大人の様子を見ていると、小さい頃はこんなんだったのかなと多少予測がついたり。
ってことはさ、たいした精神的な成長なんて実はしてないのかもしれない。
弱い部分は大人になろうと小さなころのままで、そんな欠点を持ち寄って、少しは長所もあったりで、大人の社会って出来ていて、ドラマで出てくるような出来る大人なんて一部の人たちで、ほとんどの人たちは、ただの子供なんだなーって思わされることが多々ある。
自分だって、一体どこが成長しているのかわからない。
技術的なことはわかるけど、精神的なことも気を付けようと思っているけれど、やっぱりなー、よく考えると、他人に指摘される部分を集めると、何も成長していないんじゃないかって思うことは多々ある。
じゃあ成長するって何かっていうと、やり方を変えるしかないんだと思う。
何よりも新しいことに挑戦し続けること。
今の自分を守るのではなく、移り変わる時代の中で、しっかりと変化を受け入れていかなければ、自分がどうしようもなく取り残されて、結局何をされても、どんな状況に陥ったとしても文句が言えないことになる。
変わらなきゃいけないのは、いつだって若者じゃない。
大人の方であって、これから育つよきものを若者以上に苦悩して育てなきゃいけないんじゃないかとも思う。
社会人ってやつは、とにかく今の日本の会社組織のほとんどは、トップダウンが当たり前で、意見の交流が有益なものと考えてはいないように感じるのは自分だけだろうか。
条件反射的に動いて、変なことさえしなければ苦労もしないし文句も言われないし、お金ももらえる。
そんな下っ端も結構いるくらいだから、いったいぜんたい大人になるって、ただぼんやりと年を取って稼ぎを趣味にあてて、色々個人的なことを充実させて、幸せな気分に浸っていくのが人生なのだと日々を過ごしている人もいるんだから、子供からしたら「何やってんのさ」って普通に思ってしまうくらい。
少なくとも小さなころは、あらゆる種類の「力」に憧れていた。
でも、そんなものはなくて、意外に「力」をつけるにはとても辛くて、途方もない努力といろんな人の力添えが必要だと知っていき、自分にはできないなどと諦めたり。
みんな日々必死に生きてる。
仕事懸命にやらないと上司に怒られるし、会社法人は利益出さないと潰れるから、くいっぱぐれないように頑張らないとと思っている。
家族持って子供もいたら育てなきゃいけないって使命感があるし、大人ってみんな必死。
家族持ってる人は一生懸命。
黙っていたって子供は大人になる。
大人は老人になっていく。
各々の幸せを見つけながら、進んでいくんだね、大人って。
そして、人に口出す暇があったら、自分の道極めた方が、よっぽどいいことが起こるってこともよくわかった。
大人って、子供が見ているよりも大変なんだよね。
大人になって分かったよ。

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01/05

Fri

2018

2017年総括

1年を総括すると、調理技術を高めた年ということになるだろうか。
焼き鳥、フライパン、出汁巻き卵巻けるようになったし、肉への火の通し方もわかるようになってきた。次はオムレツかな。
オムレツがなかなかできない。
盛り付けや他の技術については後は本でも読みながら、ゆっくり学んでいきたい。
ちょうど5年ほど前から声優のようなこともやり始めた。
パソコンが古くなってきて、ワードソフト以外はかなり処理が遅くて使えなかったけど新しいパソコンも購入した。
北広島という土地に移動し、飲みニケーションを駆使し、地元の知り合いを増やし、「朝風会」なる宴会も開くことができ、今年もやっていく予定だ。
酒代は収入の半分を使っているから、これで実らなかったらクラクラしていたところだ。
そして文芸北広島という祖母が短歌を投稿していた雑誌に小説を投稿し、様子がわかるようになったし、祖母の縁も生きていることが確認できた。
去年はラジオやりたいな、1000万円稼がなきゃなと目標はあったにしろ、やっぱり技術的なものはそう簡単には習得できず調理に1年を費やしてしまった。
今年は声の活動も再開できるし、少しずつ調理の時間を減らしながら、小説やシナリオに力を入れてオーディオブックという分野やyoutube等を駆使して、少しずつ収入を増やしていく予定。
心残りはあるけれど、出汁巻き卵はどのような状態でも完璧に巻けるようにはしたいけど上手くできないし、オムレツは自分にとって最難関だし、刺身も切りたいけれど、完璧にできてから次のステップに行くには遅すぎるし時間が足りなさすぎる。
とにかくやりたいことや夢ばかりがあって、ほら吹きのような状態になっているし、それも自分で腹立たしく思って過ごしていた。
芥川賞を取るとか言って小説にも手を付けられないくらい疲れていた。
母親に「あんたいつもだるそうにしているね」と言われ、そりゃそうだよ、と思いながらも、飲食業あるあるの状態に身を置いて慣れるわけにはいかないなと2016年の段階で悟っていただけに、今は職場を学習の場として捉えている。
そもそも2016年の9月あたりに「小説一本でやる」と宣言した翌月に調理師免許に受かってしまい、母親の勧めもあって調理師登録をしたのだけれど、何せ蕎麦屋で煮るか揚げるかしかしてこなかったため調理師を名乗るのも恥ずかしいと思っていた。
でも去年1年やったおかげで少しは「たいしたことはありませんが」と付け加えるが「調理師免許あります」と言えるくらいにはなったんじゃないかなと思っている。
そしてただ「持ってます」と言うのではなくて宴会や人への料理提供など、人の輪を広げるために有効活用できる段階まで来た。
少しずつ前へ、しかも確実に進んでいる。
今年1年でどれほどのことができるのだろうか。
去年できなかった創作活動。
ここに重点を置きながら年間売り上げ1000万に近づいていこうと考えている。
おかげさまで人の縁はある。
手段もここ数年で模索して決まった。
あとはやるだけ、という段階。
始まりましたよ。
2018年。
京都から帰ってきて5年目。
節目の年だ。
声のこともやるので、バーからは遠ざかってしまうけど、しょうがない。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
38
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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