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あさかぜさんは見た

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05/20

Sat

2017

スギナ(つくし)を放っておくと、根が地中にはびこり、他の植物が育ち辛くなると言う。
と言っても、一面中あるので完全に無くすことは不可能だろう。
10年以上も放置した庭。
少しでもと土を掘っては西洋タンポポやスギナを取っている。
ふと、匂いのする草があった。
ミントっぽい。
小さいが頑張って生き残っていたようだった。
フキもあった。
フキは放っておいてもどんどん育つから、そのうち食べようと思う。
はて、食べられるもの食べられないものの見分けがつかない。
何が花で何が雑草だかもわからない。
待てよ。
雑草。
雑草とは何だろう。
調べたらこうある。

ざっ‐そう〔‐サウ〕【雑草】 の意味
出典:デジタル大辞泉
1 自然に生えるいろいろな草。また、名も知らない雑多な草。
2 農耕地や庭などで、栽培目的の植物以外の草。
3 生命力・生活力が強いことのたとえ。「雑草のようなしたたかさ」

ということは、知識がないのだ。
目の前に生えている草の名前がわからない。
名前がわからないし勝手に生えてくるから「雑草」と言う。
必要になったら名前も覚えるだろうし、タンポポのようにわかりやすく有名なものだったら誰だってわかるだろう。
もし知識があれば目の前の光景も違って見えてくるだろう。
そして容赦なく引っこ抜いてやるやつと生かしておくやつに分けられるだろう。
しかし、野菜を植えようとしている手前、スギナは大敵だとは聞いたけれど「はて、野菜たちは元々どうやって生き残ってきたのだろう」という単純な疑問が浮かぶ。
植物を見ていると、人の世と会話しているかのような気分になる。
自分の好みのものを育てようとすると心の傲慢さのようなものが透けて見えてくる。
庭には名の知らぬものばかりがいる。
知ろうともしなければ勝手に生えてきたり、勝手に枯らされたりする。
植物の世界も面白いやり取りがあるようだ。
知識と観察は新しい世界を開く。
少しずつ自分の中の「雑草」を消していってやりたい。
そういう姿勢が、また人への姿勢となればいいと考えている。

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05/12

Fri

2017

あるバーで役者もしているマスターから昔黒沢明監督が目の前で言っていたことは「とにかく一日(原稿用紙)一枚でも書けば一年で三百六十五ページになる」と続けることの大切さを言われて、どうして自分は書かなかったのかと言っていた。
正直自分だって書くのは頭を使うからとても大変だし、疲れている時には脳は働かないから調子に乗れる時を見つけてやっているに過ぎない。
でもこれも自分としては頷けた。
ビートたけしさんが昔番組で長嶋茂雄さんのことを言っていた時、人間は頑張って泳ぐのに対して魚は自然と泳いでいる。
長嶋さんはバットを振らないと眠れないんだから、魚と同じだ。
長嶋茂雄という人物はバットを振らないと、とにかく落ち着いて眠れなかったらしい。
今自分はとても落ち着いている。
とにかく何でもいいんだ。
書いておくと、ほっとする。
日頃の鬱憤が晴らされた気がする。
「暗闇での銀バットが虚空でうなりを上げて振り下ろされた後、真美子は自分が何をしたのか気がついた」
なんて物騒な文章を書きたくなる。
金属でも木でも土でもいい。
そういうものを触って見て表現したくなる。
どうして昔の自分とは真逆の性質を持ったのか。
ただ持っていたエネルギー源の発散場所、逃げ場所を見つけて流していたらトンネルが出来てきただけなのだ。
皆人生は、どのようなエネルギーであれ、そのエネルギーで掘削をしているに過ぎないのではないかとさえ思う。
紆余曲折経ても思った方向へ進んでいれば幸せだし、思っていないところへ行けば不幸だし、単純な話なのかもとさえ思う。
それを世の中の人は様々な条件があるからこうだとか、人生上こうするしかなかったとかあるけれど、実は協力者がいるかどうかというのも大事で、その協力者を本当に一人の人は探していたのか、という問題は色々やってきた中で強く感じるところではあるのです。
一人じゃダメなら二人で。
二人じゃダメなら三人でいけばいい。
当然仲間を見つけるまでが大変だけれど、見つけたら一人でやるよりも何倍もの力がつく。
力技で出来ないのなら知恵で切り抜ける。
そういうことも「魚」のように自然とやってのける人間が、すいすいと出世していることに気がついた。
だけれど目的や目標に集中しすぎて目の前の協力者をなおざりにする人間は自然と落ちていくし、堕ちていく。
感謝を見つけられない人は堕落していくのだから。
よく人間が「運」と言う言葉で片付けるものも、実は単純なカラクリのような気がする。
ようは継続と謙遜と尊重の気持ちなのだ。
同じバーで初対面のお客に噛み付いたことがあって、本に載っているような正論を言うので「昔の自分なら、このクソヤローって思いました」なんて正直に伝えたら黙り込んじゃって、申し訳ないことをしたけれど、本当に卑屈な精神の時は、人を尊重するとか謙遜するとか無理だった。
だから「自然と泳ぐ」にはコツがいる。
その「コツ」とは、「自分にとことん素直になること」だと思っている。
まずは素直さの先に「自らを見つけられる」というメリットがある。
孫子にもある。
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」
となれば、対象と己とを同時に知らなければ百戦は常に危ういということ。
素直さは常に彼を知ることにも導いてくれる素敵なものだと思っております。
泳いだ先に何がある。
なぁに、死んだ後に考えればいいのさ。
嫌われることなど勉学の過程に過ぎないのですよ。
とにかく、己が水を見つけて泳ぐことが豊かな人生に繋がると思っております。

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05/12

Fri

2017

スローライフはたいむいずまねー。

土がある。
目の前に土があるのだ。
芝生もあるけど、土があるからには何か植えたくなる。
しかし、つくしが沢山。
スギナっていうのだけど、こいつは根が深くタンポポのように根だけでも復活してくる厄介者。
一面生い茂っている。他の植物の栄養も吸うから厄介。
ちなみにタンポポも生い茂っている。
抜いても抜いても、まだ沢山ある。
どうしたらいいのだ。
仕事行って疲れて帰ってきて寝て仕事行っての繰り返しを五日やっただけでタンポポは見事に種を飛ばす準備を整えている。
スギナは勢力を増している。
小説も書かなきゃいけない。
それよりも種を買ったのだ。
種を。
ジャガイモや豆しかやったことなかったのに、いきなりブロッコリーなのハーブなの西洋野菜なのを買ってしまって、植える時期があるのだよ!
間に合わないのだよ。
どうして、そんな手間のかかることに手を出してしまったのか。
単純にスーパーで売っている野菜以外のものを食べたい。
素材の本当の味を知りたい。
ただ調理人の端くれとして、それぐらいは知っておいたほうがいいという単純な思いからなのですが、その単純な思いがいけなかった。
とにかく大変だ。
土お越しはしたことがあるが、もう土を作るとか肥料とか、もうなんなの! キーッ! ってなっているところ。
作物を栽培するにあたってスギナは相当厄介らしい。
諦め半分。でも長年放って置き、スギナの勢力がほぼ優勢でも、チューリップは死んでいない。ニラは追われているが生きている。ネギらしきものも徐々に移動して日光の当たる場所まで避難した。というか元々あったでかい植物は普通にそこにあるではないか!
こいつは人間社会と一緒だ。
生い茂っているところに新参者が入ると、たちまち枯れるやつだな。
植物界も苦労が多いことが素人でもわかってくる。
ようやく都会の生活から土に触れる生活に移行したけれど、40年近くも都会っ子でいきなり土を触ったところでどうにもならないなとは思うけど、これも長年かけてやっていくべきなのだなと覚悟しました。
先日、木を燃やしていた時のことも書いたので、お暇なればお読みください。


切られた太い枝が蕾をつけていた。
そこは枯れ葉も積もっていて切られた断面が湿った葉に触れていたのか、水分や栄養を吸い取っていたのだろう。
枝だけで生き延びていた姿を見ると、なんともたくましさと言うよりもしぶとさに感銘を受ける。
いざこいつを燃やそうとすると、水分を沢山含んでいて燃えない。
枯れ葉や水分の含んでいない枝は一気に燃え上がり灰になる。
潤いがなければ近くに火があれば簡単に燃え移って灰になるまで燃え盛る。
これは怒りの構図にも似ている。
心が乾いていれば怒りは他者から伝染してくる。
他者の怒りが自らの炎になり、乾いた部分を灰にしていく。
炎は一見美しいが、常に見守っていないと関係のないものまで燃やしつくし、自らに大きな損失を与える。
特に他人の価値あるものを燃やそうものなら、その損害金を何らかの形で支払うことになる。
水を、潤いを、常にどこかに用意しておくのが炎に焼きつくされない秘訣だ。


人間らしい生活って一体何なのかな。
都会から離れると余計この単純なテーマについて考え始めてしまうね。

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05/08

Mon

2017

北広島市民になりました。

ご縁ございまして、というか、亡くなった祖母の家をまるまる引き継ぐことになりまして、北広島市民になり、そしてネット開通という、もう初めてを奪ったかのような、もう、アレな気分でございまして、嘘ですけど、ひとまず以前と同じような状態に戻りました。
 北広島というと、広島県にも2005年から北広島町ができておりまして(ツイッターで教えてもらいました)同じ地名が存在することになるのですが、こちらは北広島市でございます。
 何故広島の名を語るのかと言うと、開拓民の方が広島県から来たので、そうなっておるのですな。
 ちょうど新千歳空港と札幌の中間あたりにある札幌のベッドタウンなのです。
 札幌の人口195万人あたりに対し、北広島市は6万人にも満たない都市。・・・っていうか、田舎どす。
 スーパーは夜9時で閉まっちゃうし、遊ぶ場所もないし、どうやら酒場で話を聞いていると遊ぶ場所は札幌じゃなくて新札幌という、これまたちょっと微妙な都市とも田舎とも言えない札幌と北広島(市を省略します)の中間にある場所の名前が出てくる。
 こちらの人たちにとって札幌は「遠い場所」という感覚が根付いているようでございます。
 今ここは野球チームの「ファイターズ誘致」の問題で揺れ動いておりますが、スポーツあまり興味ないので熱弁ふるってくれる方の言葉を素直に受け取るしかない状態でございます。
 さあ、祖母の導きあってか「文芸北広島」という不定期に出している文芸雑誌があるのです。
 まずそこで活躍し、FM局もあるというので、ラジオもやっていこうかなと思っているのですが、さてさてラジオの番組どうやって作っていこうかなと今模索中。
 仕事止めるとか言いながら、結局調理師の免許とって、技術がないのも馬鹿らしいのでバイトをしながらキッチンの仕事をして、都合が合うならば上の専門調理師をも目指していこうかなと考えてもおります。
 以前にも書いたかもしれませんが、人生ってある程度ぼやっとしているとレールが敷かれているのかもしれません。
 もし両親の味覚が多様で、新しい料理や新しくも美味しいものに敏感ならば、私は絶対に料理の道を目指していたと思います。
 だけれどそうじゃなかった。
 恨んではいないんです。
 ただ結果論として、もう修正の効かない歪んだ魂と愛情の両極端のものをいただき、小説を生涯書き続けることになりました。
 芸術家表現家はこういう何か鬱屈したものを持っていなければ、そうはならないと強い持論を持っています。
 分岐点はあったのです。
 詳細は省きますが母親が死んでいたら、こうはならなかった。自分も死んでいたでしょう。小樽付近の海に冬場歩いて出て行っていた。
 芸術家として満たされるべき条件は、ほぼ全て満たされつつあります。
 そして後は、ほどよい暇さえあれば目的を完遂できるところまで来ました。
 宗教を信仰しているわけではないのですが、もう何年も前から「どう考えても自分は神の手の平にいる」と思っておりました。
 少しずつやってきたこと、降りかかってきたことが集約されつつある。
 東京中心主義の馬鹿げた構図を根っこから引っくり返すために、この地で活動していきたいと思います。
 我あるところに、芸術あり。
 雨垂れ石を穿つ。
 自分はこれで充分だ。
 札幌市民でなくなることは寂しかったけれど、マツコロボに1000万かけたというニュースを見て、チラチラチラチラ「このお金が芸術家支援のための資金になったら」って今でも思うので、もう未練はなくなりました。
 サヨナラサッポロ。
 北広島市民になります。

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03/18

Sat

2017

いわゆる日本で言うところのアダルトビデオ

「ポルノ産業にもっと女性を、多様性を」ポルノ制作者、エリカ・ラストの挑戦

どこの国も同じなのかもしれない。
女性の性は男性のために消費され、女優は変わっても内容は同じ。
マンネリ化したストーリーと設定で、カメラワークも見慣れたものばかり。
あとは女優さんと設定で、違う作品かのように演出はしているけど、もう「またかよ」感がある。
かと言って今度は過剰に反応してポルノは女性を搾取しているから、この世からなくなればいいかのような論議まである。
もうこの分野はオナニーもセックスもしない人には一切話しの土俵に上がって欲しくないよね。
話している根本が違うのだから。
性を平等に見るって、一体どういうことなのか。
そのバランス感覚が最初からない人同士が攻撃的にやりあったところで、ただの言葉遊びにしか過ぎないわけだし、その言葉遊びが通常の性を締め付けるようなことがあってはいけないと思うしね。
性の多様性っていうと「マイノリティ」にも突っ込んでいってしまうから、多様性はようござんす。
もう情報化社会だしね。
何があるかは興味のある人がどんどん調べればだいたい際物に行き着くから。
道具も沢山あるし。
隠しても隠しきれるものではなくなった。
だったらさぁ、もう開けたものにしていって、後は個々人の判断に任せればいいだけの話。
だって正直言って、ジャンルごとにキーキー言ったって、セックスって両者の合意がなければ基本できないものだから、だからきちんと教えてあげればいいの。
きちんと姓のことについて教えてあげず、ただタブー、禁忌、恥ずかしいから隠すもの、みたいなことをやってるから、育っていった子供は勝手に色々自分なりに知って勝手にやっちゃうわけで。
ま、そういうご時勢になってしまいましたよ。
だから性に関して、もう「消費型コンテンツ」しかないわけじゃないの。
一回見たらもういいやっていう。
作品として大事に創って、ちゃんと性を平等に、女性を大事に、お話も作りこんでカメラワークも、なんていうのある?
あったとしてもどこにあるのかわからないくらい。
まだまだそういう観点で創ると支持が得られないっていう以上に、作品としてつまらないんだろうな。

さて、エリカ・ラストさんに戻るけど、
予告編をいくつか見たけど、予告編通りの映像が全編を占めるのなら、ハイセンスな映像だと思うし、所謂スタイリッシュで前衛的。映画だよね、これ。
アメリカのカジノで泊まった時じっくり見させてもらったけど、なんで白人のポルノって女性のケツとか前とか荒々しく掘るの?道路工事かよ。情緒がない。と思っていた。あんなの見てたら、荒々しくして尻でも叩けば女は感じるみたいなこと思うんじゃないのかな?
あんなのばっかりだったら、言ってる事よくわかる。
基本的に「支配権がどちらにあるか」のやり取りが多すぎるんだよね。
性を消費する一方的なものから、きちんと性と向き合った作品創り。
そういうのがあってもいいんじゃないかなって思ってたら、あったよ。
世界は広い。
「女性の視点で徹底して創る」
似たようなこと考えている人がいて、実行にも移していた。
こういう肝の座った人間は大好きだ。
この人はセンスの塊だね。
ぜひ映像美と文学性を兼ね備えた、映画のようなポルノをこれからも創って欲しい。

見たい人は「Erika Lust」でご検索を。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
38
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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