振り返ってみて、大変な年だった。
とにかく追われる日常で、すべてが追い付かなかった。
2,3年は子育ては大変だという言葉をもらったけれど、1年目よりも2年目が大変だった。
というのも、5月くらいに娘が立って歩くようになり、あれよあれよという間に行動範囲が広がっていった。
散らかし具合も広がっていき、禁止事項も増えていった。
そもそも触れられていけないものが沢山あるのに、片付ける場所がない。
それだけ物に溢れていて、人様から頂いたものも沢山あり、余裕がなかった。
7月あたりから言葉を沢山話すようになってきた。
以前よりもずっと沢山の言葉を話すようになった。
人の言葉に対して理解しているような素振りは見せるけれど、それは信じないほうがいいと考えていた。
ただ意思の疎通をしているように見せて繋がりを求めているだけなのかもしれないと。
案の定そうだった。
嫁が以前できていたことができなくなると、怒り狂うようになってきた。
朝から怒号を聞くことも多くなり、その苛立ちからか自分も理不尽に責められることが増え、ついには仕事にも支障をきたしてきた。
特に思春期のトラウマに触れる環境になると、自分の身はすくみ、動けなくなり、仕事を休むことも多くなり、ついには仕事を失った。
酒しか精神的に頼るものがなく、酒に溺れまくり、体はどんどん疲弊していく。
ただ、娘がリズム感覚が素晴らしく歌に沢山興味を持ち、本も読んでほしいとよく持ってくる。
時折素晴らしいと感じることもあり、嫌では無ければ彼女の才能、興味を深めていってあげたいなと考えている。
言葉を考えるのもかなり辛いくらい精神的にぐったりとしている日々がかなり続いた。
ところどころ楽しいことはあったにせよ、ああ、障害を疑われていたが、ようやく大丈夫そうと診断が出た。
それだけでもかなり明るいニュースだし、このまま元気で過ごしてほしい。
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