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あさかぜさんは見た

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01/31

Tue

2017

小説を書くという作業

とあるツイートで書けば書くほど何も知らなくて泣きそうになるというのを見かけ、そうだよなぁとしみじみ思いました。
書きたいものはあるのに、知識が追いつかない感覚が追いつかない経験も追いつかない、何もかも足りない中で頼るものは本などになっていく。
その本を読むのでさえ、自分のような人間はちょっと気合を入れないと習慣からすぐ離れていってしまう。
結局裏返せば何かを知ったような感覚に陥っていただけで、まったく何も知らない。
恐らくこの感覚は情報化社会に生き情報を享受している人の中に自然と生まれる錯覚のようにも思えます。
小説を書くとは一体何なのか。
少なくとも人間のことを含め自然の摂理を文字上で探す行為にも思えてきます。
最初は鼻高々で自分の才能を高く買い、そして鼻っ柱を折られ優れたものに目の前で打ちのめされ自信を喪失し、そこから這いずって実力を身につけていく。
この過程はだいたい多くの芸術家が歩む道のようです。
自分はこの業界に憧れてやり始めたわけでもなく、いわば嫌悪のような状態から自らの人生上、自然とそこにいるしかなかったという状態だったのですが、多くの人は「売れてる芸能人」のようなものを夢見て入ってきているのかもしれません。
今この年になって色々考えるのは、自分より年下の人たちが増え、自分の子供のような年齢の子も立派な実力を自ら育てているところを見るわけになるのですが、この人たちに自分はどのようなものを残せるのだろうとよく考えるようになりました。
先日十年ほど通っていたバーで私の話が出たようです。
「最初に来た時より、だいぶ変わったよね」と。
二十代は自分にとって暗黒の時代でした。精神的にふっとおかしくなりそうなことは少なくなりましたが、よく覚えています。今もありますから。
家庭的な環境もあり、よく思っていました。
「滅私」
自分を殺せば、慾を失えば、これほど苦しい思いをすることはないんだ。
そして精神が死にました。今でも人が怖く、精神的圧力をかけられると思考が停止して震えます。
そのような自分が一体何を知っているというのか。
世間一般の感覚からはズレを感じますし、もはやそれでいいと思っています。
芸術家一般において言えることなのですが、表現活動をする人は何かのフラストレーションを抱えているからこそやりだすのだと思っています。
人生充実していれば何かを表現しようとは思わないはずだと思っています。
今ある環境で充分なのですから。
そうして何か心に秘めて始めていく表現活動。
いざやってみればどんな分野にせよ詳細が必要になります。
より完成度を高めるには小説の場合だと知識は必要になり自分の知らなかったものを調べなければ追いつかない。
時代物だったら当時の文化や政治や生活や技術レベルを調べないといけないし、ファンタジーでも世界観を構築するために様々なジャンルからルールを構築しなければ、ご都合主義のつまらないものに成り果ててしまいます。
自由に書けるといっても何かの制限を加えて、読み手の人間に法則性を埋め込んでいかないと物語の面白みは出てこない。
それは自由と無法の違いの分別をつけることでもあります。
書き手にも理性が求められるのは、自由と無法は絶対に違うという明確なルールを物語の中に確立しなければ自分で作り出した世界を壊すからに他ならないからです。
そして知らなかったことを調べる。
風俗に関しても生活感覚をどのようなものに合わせるのか、必ず調べなければ人間らしいものが見えてこない。
心は、環境は、道具は。
どうしてこんな調べなければいけないのでしょう。
自分でも嫌になることがありますが、ある程度書きなれて発表していくと「どこで突っ込まれるか」が段々とわかってくるようになります。
わかっているのに詰めを甘くすることになれば、それは作品創りへの怠惰さのみが滲み出ていると作った当人がわかってしまい、本当に自己嫌悪になります。
芸術の世界に入った人間が生涯背負う宿命。
「我等は永遠の未完を作り出しているのだ」ということ。
つまり生涯成長。
生涯足りないものを求め作品を作る。
自らの中に欠点を見ながら、それを埋め合わせるかのように挑戦をして新たな欠点を見つけていく。
まるで見果てぬ夢。
見果てぬ夢の中で生まれる数々の葛藤を胸に刻みながら表現者は進まなければいけない。
自らに潰されてしまうようなら、やめてしまえばいいのです。
もうこの言葉は嫌味でもなく、そうした方がいいと本当に思う。
私など今現時点で作っても作ってもろくな感想すらもらえず、何のために誰のために作っているのかもわからなくなりそうなほど。
今自分を維持させているのは吹けば消えていきそうな執念めいたものだけ。少なくとも頭の中のものだけは出しておきたいというか細い祈りだけ。
四十近くになってもろくな収入がなく、大病をすれば、そのまま死んでいく。
社会的立場も実績もない。
大言壮語だけが並びたてられ行動は伴わない。
どう見ても自分のことを人間のクズに思える。
そんな立場から小説を書くということだけは続けられている。
書くのはいいが、勉強もしてこなかったから知識が伴わない社会経験が乏しいから知恵もない。
ただ世の中を穿ったように見るだけが特徴。
小説を書いているとどうしても感じるのが、自らの人生を無視して文章を構築することは酷く難しいなと感じています。
何故なら人間は認識の中に世界があり、認識とは自らの培ったものの中でしか構築されないからです。
自らの知らぬものに対して人は気がつくことはない。
心も物質も全て人はこの原理で成り立っている。
だとしたらもう自分を出すしかない。逆に自分を壊し学んでいくしかない。相反するものを同時に出すしかない。
それでも小説は常に己というものを相手にしながら書かなきゃいけないものなんです。
そして己の未熟さに打ちのめされて、己の中に見える微かな希望にすがりつきながら書く。
指先でぶらさがるような真似を生涯続けていかないといけない。
自分には小説を書くことは自分以外の力をなんとかして指先に集中させてぶらさがっていなければ、途端に落ちてしまうもののようにも思えています。
書いても書いてもお金に結びつかない。
払ってくれるものも何かしらはぐらかされる。
人間そのものを罵倒したくなる気持ちはもうなくなりましたが、人は自分すらも思い通りにさせることができないのだと、自他ともに大言を吐く人を見てしみじみ思います。
人を書く。自然を書く。
それは人間の思い込み、心理的傾向、ここに立ち向かって自らを壊さなければ成り立たない行為なのではと思っています。
私はもっと今の自分を壊さなければいけない。
その作業はいつになれば終わるのか。
まるで見えてこないのが現時点であります。
少なくとも学びがなければ成り立たない小説を書くという作業の中で、破壊なくして構築なしと考えているからであります。



P.S.
正直ね、今でもちょっと油断すると心がぐちゃぐちゃになりそうなものをかろうじて前向きに考えて抑えているに過ぎないんだよ。
だから小説というものを書いているのかもしれないって、事あるごとに思うんだ。

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01/25

Wed

2017

批判の本質 批判されて悩んでいる人へ

調理師免許を取った。
だけど蕎麦屋上がりで取ってしまったので、ほとんど何の知識もない。
しかもチェーン店と似たような仕組みだったから、材料はほとんどできていて後は火を通すだけという状態。
そんな状態で調理師の免許など取っても、技術がほとんどない。
今もことあるごとに動画を見ているけれど、実際にやると特にフライパンは失敗しがち、包丁技術もない。最悪だ。
料理の動画を見ていて思ったけれど、あのやり方がダメ、こうした方がいい等プロじゃない人が見聞きして言っている。
そして喧々囂々と意味のないやり取りをしだすことも。
どうやらこの構図、どこの世界でもあるらしい。
「プログラムって、ほとんど宗教のようなところがありますからね・・・」
と、あるプログラマー。
「絵描きの連中が集まって飲みだすと、やれあいつの描き方がとか喧嘩になることがあるからさ・・・」
と、芸術家の人。
その他日本料理の革命児と言われるような人も新しいやり方を模索して同業の人間たちから猛非難を受けたと言っていた。
私は小説を書いているけれど既存の作品と比べられ「君はこの人のこの作品より劣っている」とか「もっと売れ筋を理解したほうがいいよ」「自分の押し付け」など、様々なことを言われた。

はてさて、何でこんなことが起きるのだろう。
きっと自分の好きなやり方があったり、もしくは尊敬する先生や、自分で積み重ねてきた経験則などあるのだろう。
ここで起きる心理メカニズムについては、長年もやもやしていたけれど、下記の本で私はわりとスッキリした。
予想どおりに不合理

昔は自分もよく悩んでいた。
批判されるたびに何日も悩んだりして、色々な事が手につかないほどだった。
今はあまり迷わない。
判断基準ができたからだ。
特に最初の方は、観察研究勉強のみ必要であって、素性のわからぬ人間の意見など「どの立場からの発言」か素人が判別できるわけがないので無視したほうがいい。


観察研究勉強と言ったけれど、まず、

「観察」とは自然に満ち溢れているものを、余さず見て気がつくということ。
これはネットではなくて自分を取り囲んでいる現実の世界のこと。人と知り合ったり話したり。
旅行に出かけるのもいいかもしれない。
人を知ろうとすること。自然を知ろうとすること。自分の五感を使って情報を得ようとすること。
そうすることで自らの中に軸が出来上がってくる。
この行為は自分の心と体の反応を良く知ることにも繋がっていく。
無理な理想を排除できるし、現実的で着実な手を打てるようになる。

「研究」とはとにかく実践の中で学び取っていくこと。
上手くいかなくても自分の行為から生まれた結果を沢山積み重ねることによって一体どういう癖があるのか、頭で考えていても実際に出来ていないことなど、逆に思いも寄らぬ長所があった、やらなければ気がつくことはない。
そこで大事なルールは決して奢らず、決して卑下しないことだ。
冷静な目を持つことができれば「手ごたえ」のあるなしが感覚でわかってくるようになる。
冷静さと客観性(公正さ含む)を持てるまではちゃんとした目を持っているとは言えない。

「勉強」とは基礎力を身につけ、新しい考え方を得ること。
基礎力とは安定感にも繋がる。つまり実力の底上げだ。
基礎力がないと、何かをずっと続けていくことが難しい。
新しい考えは本を読むことや挑戦という名の経験をしていくこと。
自分が知らない、未知の分野の知識を得ていかないと発想力が身につかず、仕事の広がりを持ったり人脈の広がりを持ったりすることが困難になる。
なにより人間を一番謙虚にするのは未知への好奇心だと思っている。
何故なら世の中には自分の知らないことばかりで、自分ができないことに満ち溢れているし、力の及ばない無数の事柄に囲まれているし、あらゆる偉大な知識は他人から得ていることに気がつけるのだから。


これらのことをしっかりやっていくと、一体何が身につくのか。
何事にも「立場」と「知識のレベル」と「知性」と「環境」がある。
そんな人間らしい事情を考えられるようになると、批判も意見に変わってくる。今までイラッ!としていたのが少し抑えられるようになる。
批判が必要かどうかを判断するには、自分が物事を考えるための軸が必要になる。
何の立場に立つのか、何を大事にしたいのか。
これが見つからないと、批判には耐え切れないし、一々自分のしたことに一喜一憂することになる。
正直心がもたないと思う。
何よりも何をしていっていいのかわからなくなるし、目標も見つけられず、やっていることを放棄したくなる。
十人十色。
様々な色を混ぜて一色にしようとしたら、限りなく黒に近づいていく。
料理だって美味しいものを全て混ぜたらゲテモノ料理になる。
小説だって書きたいものを全て書き表したら、まとまりがなく何のお話かわからなくなる。
必要なものを、必要なだけしか入れない。
この原理を見極めるのが大事になっていくのだ。
そして見極めるには観察研究勉強が大事になっていくというわけだ。
道のりは長くとも、確実に進めるのなら、これほど充実し喜びを感じることはないと思う。
批判をされても自分を見失わず、優れた先人の知恵を得ていけば、自ずと気概も持てるようになります。

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01/23

Mon

2017

【書評】予想どおりに不合理



久しぶりに目からうろこの読書体験をしました。
行動経済学という分野なのだけど、経済学というとマクロとかミクロとかグラフがあって計算式があってとか、そういう小難しいものは一切ない。
というより、むしろ心理学に近い分野かもしれない。
今まで物凄くもやもやしていた基本的な人間活動に対する疑問に明確な答えをくれた。

例えば私など無知なものだから、ちょろっと政治的、思想的発言をしようものなら、たまに批判が来る。
批判が来るのだったらよいのだけど、ネットの場合ほぼ罵倒形式で来るのだから何故なのだろうと思っていたし社会が硬直化しがちな思想を何故会社勤めの人たちはいつまでも持ち続けるのだろうと、ずっと不思議に思っていた。
まず「期待」や「予測」がいわば現実を脚色するということだ。ニュースで予め情報や印象を叩き込まれるのもそうだし、これが会社になれば共有している環境や未来が一緒なのだから、まるで社会全体がそのシステムで動いているように感じる。優良企業と言われているところが、何故か「潰れない安泰な会社」と思い込むのもそうだ。
それは同じ料理を高級な皿に盛って食べてもらうのと、貧相な皿に盛るのとでは美味しさや反応が大きく違ってくるのと同じだ。同じ料理なのに。事前に説明を受けた料理も評価が変わっていく。
でも料理の例と会社の例が同じだと言われてもピンと来ない心理が働く。
そして人は一度自分が価値のあるものを所有した時に思想だろうが物だろうが実際の価値より高く見積もる心理傾向があるという。
もうこの2つの話でピンと来た。
つまり社会や個人で持っている価値観をなかなか崩せないのは、この2つの心理効果が大きく働いているからだと理解できた。
ここまで説明されてしまうと社会の変革は共有意識を育てる前に心理トリックに近いメカニズムを生み出さなければいけないのではないかと思っている。

実生活に役立つことも書いている。
「プレゼントは現金がいいか、物がいいか」
現金を渡してしまうことによって何が起こるのか。
人間は金銭的規範と社会規範を両立できないことにも驚いた。
ただ今新たなる疑問は「会社経営とかだったらどうするんだろう」と思った。
安い給料はうんざりだし、なるべくお金は欲しい。
そこはもう少し違う分野や行動経済学の本を読まないといけない。

この本「不合理」と書いているが、普通に説明されれば理性的かつ論理的思考で「そんなことはない。非論理的だ」とか「よく考えればわかることじゃないか」ということが書いてある。
「何故タダが人気があるのか。タダのコストとは」
10ドル分のタダの券と7ドル払う20ドルタダの券ではタダの券が7ドル支払う券よりも人気があったとか。
ここでよく考えれば7ドル払うほうが13ドル、つまり10ドルをタダで手に入れるよりお得だとわかるにもかかわらず、圧倒的に無料で手に入るほうが選ばれる。
指摘されてみれば確かに、と思うけど、「あるある! 確かにそうやってる!」という不思議な、不合理な心理傾向が随分と書いてある。
「支払い」は「苦痛」なのだそうだ。
せっかく得たもの、自分のもの(お金)をあげなきゃいけない。
人は物を買う時、心理的障害があることがわかる。

自分ではかなり理性的な人間だと思い込んでいる人でさえ、そんなことはない。人類皆仲間みたいな感じが爽快だ。
この本を読めば、少しは無意識に行っている日常の思い当たるあの行動を自制する事ができるかもしれない。
逆の目で見れば、私のように「ああ、なるほど。この人にはこんな心理メカニズムが働いてるんだ」という気持ちで何かを許せるようになるかもしれないし、社会活動に生かしていこうと思えるかもしれない。
この本を応用すれば人への接し方が変わる。
社会へのアプローチの仕方が変わる。
企業戦略にホイホイと乗らないようになる。
実にいい本だ。
文体も読みやすく、久しぶりに楽しい時間を過ごせた本だった。

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01/20

Fri

2017

行動派は正しい

朝のNHKで鈴木亮平さんが出ていた。
私は「変態仮面」に出ていた彼の尻を見て、かつての淀川長治さんが「ターミネーター」に出ていたアーノルド・シュワルツネガーの尻をやたらと褒めていたかのように「あんな美しい男の尻は見たことがない」と、あちらの気もないのに個人的に大絶賛していた。
興味深く番組を見ていると、やはりこの人も「因果」を持っているようで、そこにいるべくしているのだろうと強く感じた。
人と人との縁。そこから生まれる避けられぬものを背負っていき、出会うべくして出会っていく。
そんな彼の話しの中でとても興味深い内容があった。
事務所へ売り込みをかけていた時期の頃。
電話で飛び込み面接の予約を取ろうとするとだいたい流れるので、電話をかけ「下にいますので今行っていいですか?」と言うと「わかりました来てください」となる。
そして小さな点でも「(趣味でも何でも)履歴書に書き足しました(または、変更しました)」と顔を出し、覚えてもらうために数ヶ月ごとに定期的に置いて行くという作戦を取った。
皆知っていても実際にやる人は少ない。
という話していた。
この話とてもよくわかるし、何故なのか僕もよくわからないが、この手の労力を実際に払う人がほとんどいないのは周囲を見ていてもよくわかる。
いつまでも頭で考え「あーだこーだ」と時間を浪費し結局立ち止まっている人のなんと多いことか。まるで待っていたら自分を認めてくれる人が現れるかのような考え方までしている。
時間は僕も浪費しているし、そこは責められる立場じゃないけれど、何故行動できないのか。
たぶん僕の中にもあるし実際やってみて感じるのは、自分が抱える恐怖に打ち克つ一瞬の勇気が必要になる。やっちゃえば引けないのだから怖かろうが震えようがやるしかない。
絶望してやめちゃったら先がない。
僕の場合諦めて生きる屍になるくらいなら恐怖に震えながらでもやった方がましだと思ってる。
でも大きな差って、ほぼここにしか生まれてこない。
勇気を出して人と対話を繰り返しながら接点を探す。現実で行動していく。これは理屈じゃない。
やるか、やらないのか。
ただそれだけの問題。
ちなみに同期の脚本家にも教えたら、その方法で仕事を掴んだらしい。
脚本家は鈴木さんのことを言っていた。
「長く不遇で腐りそうな時期ではあったけど、そんなことはなかった」と。
労力が報われないと、人間腐りそうになる。実際腐っていく人も見てきた。自分を過大評価をして、そのギャップで腐る人も。色々。
鈴木さんには恩師がいて、その人から見られて「恥ずかしい仕事かそうじゃないか」といつも考えていると言っていた。
今僕も誰かというわけではないけれど、他人はとても強く意識している。昔とは違うのは自分がどう思われても、どうでもいい、ということ。その代わり相手によい作品を届けたい。
最初に夢や希望を抱いて行動していく。
でもそれだけじゃ足りなくなる。
やがて囲んでくれた沢山の人たちのことを想いながら仕事をしていく。
この手の人は諦めない力を秘めている。
難しくもなんともない。
とてもシンプルなことなのだ。
やり抜くのか、諦めるのか、常に相手にしているのは現実世界の問題なんだ。


ちょっと付け足すと、実際に体を動かすことの力は凄まじい。
間違っていることも白になることがある。
それぐらい力を持っている。
諦めないということは、不可能だと思われていることも可能にすることがある。
だから夢があるのなら希望を持っているのなら、今すぐ動くことだ。
そうでしか道は開けない。

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01/11

Wed

2017

子供の頃の衝撃は今でも残る ザ・人生訓

大人になるとさまざまな事を忘れるけれど、これだけは不思議と覚えているんだよね。
当時NHKが珍しくニュースの後にアニメをやっていた時期があって、その頃「不思議の海のナディア」という長編アニメを放送していた。
好きだったアニメなんだけど、今でも印象に残っている言葉がある。
調べると30話。
サンソンという長身の人が、道なき道を自作のマシンで木をなぎ払い草を刈り進んでいき、相棒のハンソンに「もっとまともな道走ろうよ」と言われ叫ぶ。
「道だと? 道なんてものは俺様の通った後に出来るものだぁ!」
その時小学生だった自分は電撃が落ちた。
今でもいい言葉だと思う。
自ら道を開拓するならば茨の道なのは当たり前。
誰もが通る安全な道に欲しいものがなければ、道は傷ついてでも馬鹿にされてでも自分で切り開くべし。
でも誰も通ったことのない道なら誰しも避難するのは当たり前で、生き方そのものが違うのだから気にすることもないと思えるようにようやくなってきた。
その手の人たちは新しい挑戦をする人の失敗をどこかで望んでいて「そら見たことか。俺の方が正しかった」と言いたいだけなのだ。
その姿勢を見ても、やっぱり考え方も生き方も違う。
人のこと気にしていたら我が道はいけない。
自分が生き残るためにはどうすればいいのか、どの分野ならトップに立てるのか、そういう単純な思考だけ繰り返して挑戦していけばいい。
道がないのなら、自分だけの道なら、道がないのは当たり前。
でも道はなくとも道なき道を行っても生き残れるノウハウはあるはず。
それは進み経験してみなければ同じような友はできない。
色々読んでみると、どの時代にも前人未到の歩みをする人は馬鹿にされたみたい。
もちろん屍の方が多いのはわかっているけれど、でもやらずに非難する人間よりかはずっと立派だと思っているし勇気がある。
そういう人じゃないと、正直生きることに飽きてきそうだから頑張るのさ。

この話ちょいちょい繰り返すかもだけれど、そういうもんです。
人生訓は身にまとって人生と共に磨いていくものだから。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
38
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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