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あさかぜさんは見た

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10/26

Mon

2020

ワインと日本酒と発酵食品

どうにもこうにも、世界が変わって、仕事の仕方やあり方も変わってきて、今まで通りの働き方では明暗が分かれてくる状況となって数か月。
動くところはきちんと動いていて、僕のような人間は酒の量が増えていく。

北広島という場所に移り住んで三年くらい経ったのだろうか。
今まで北海道という場所を知らなかったので、休日は遠出が当たり前になっている。
実はこの周辺・・・この周辺という言い方も北海道独特なのだけど往復100kmは(車使っているせいか)近場の感覚だ。
まだ一日で帰ってこれる。
往復300kmで遠出かな。
襟裳岬まで行って1日で500km近くの距離を走って1日まるまる使ったので、途中食事や博物館や気になる建物を眺める時間も含めれば、500kmちょいが限界だろうと思う。

最近は酒蔵や味噌醤油の蔵元を訪ねることもちょくちょくあり、醤油や味噌の味の違いも楽しんでいる。
例えば「くるるの杜」というホクレンが直営している野菜直売所には近隣で作った味噌が置いてあるし、恵庭の道の駅にも恵庭産の野菜がある。
日本酒ならば栗山町にある小林酒造(全体的に甘みを感じるものが多い)。
ワインならば三笠氏にある家族経営でやっているいくつかのワイナリー。
小樽には田中酒造という日本酒のお店(水がまろやかなので口当たりもまろやかなものが多い)、全て国産ぶどうで作っているおたるワイン。
旭川に行くと男山や高砂と評価の高い蔵元もある。

北海道はワインも含めて意外にも酒所が多いのだが、ここら辺は直売ショップでしか売っていないものもあるので、旅の一つの楽しみになるかもしれない。
酒1つとっても色んな発見がある。
日本酒なんて10年前なんて、どれもこれも似たような味、なんて思っていたけれど日本酒らしからぬ味があって楽しめるようになった。
ワインには土の質が関わってくるし、日本酒は水の力が大きい。
湧き水もここ最近は飲み比べしていて、水の味の違いも知ることができている。

そんな中、おたるワインの直売所で偶然見つけた10月前後時期しかない発酵途中のベビーワインがまるでジュースのようで本当にはまった。
前回ミュラートゥルガウという白ブドウの品種で、ジョッキで飲みたいとガバガバ飲んでいたら店員さんが通りかかった作業着の人に「あちらの方10杯ほど飲んでいらして」と話すと、その作業着の方製造部長でお礼を言われてしまった。
仕込みの時期によって変わってくるけれどケルナーが美味しい下旬ぐらいにあると思うから電話で確かめてくれと言われ、ひとまず他の用事もあって行くとケルナーがあった。
まるで完熟した洋ナシとリンゴをミックスしたような味で甘く微発砲。この微発砲がまたよくて、また飲んでしまった。
やっぱり大量に飲んでいると目立つものですね。
店員さんとの会話も弾むし、知らなかった情報も教えてくれるし、何かといいこともあるもんです。

発酵という過程で糖分が二酸化炭素とアルコールに分解されるため二酸化炭素が液体内に残りピリピリした舌触りが残る。
ビールはわざと残すため、シュワシュワと泡が立ち続ける。
安物のワインでもきちんと作っているワインなら開けた後発酵するため、少しピリピリした舌触りになることがあるが、発酵しているからだ。
だから放置して置いたら味がどんどん変わってきて最後はぼやけてしまう。

旅をして酒を飲んで色々な話を聞いて、そこに住んでいる人たちの想いに触れていく。
醤油なんてスーパーで売っている大手のものしか知らなかったけれど、醤油の味に大きな違いがあるのを知ったのもここ数年の話だ。
ピーマンが熟すとパプリカのように真っ赤になることさえ初老を過ぎてから知った。
酒に溺れて沈んで死んでいくのも別にいいと思うこともあったけれど、いい酒作るために、これだけの人たちが関わって頑張っているのだと思うと、安酒にうつつを抜かしているわけにもいかないんだろうなと感じる。

20年以上前「旅をしながら稼いで色んなところを回りたい」と親戚の人に言ったら一蹴された。
今は実現できるだけの環境が整っている。
不思議な話だ。
北海道はまだまだ魅力の埋もれている土地だと思う。

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10/07

Wed

2020

命を延長させるもの

自分のように生きることに怠惰で無気力になりがちな人間が、ダラダラと生きているのは周囲の思いもあるのだろうと感じる。
「リンゴ狩り行こうって言ってなかった?」
自分も忘れていたことを告げられて余市の果樹園でお腹いっぱいになるまでリンゴやプルーン、ぶどうを食べて持ち帰ることがあった。
プルーンはその場で食べるよりも少ししわが付いた方が美味しいとか、ジャム等でしかほとんど食べたことがなかったので知識がなかった。
ジンギスカンの匂いを嗅ぎながら果樹の香りが充満した木漏れ日散る場所で焼き肉とはいいものだと思い食べようとしたが売り切れだった。
せっかく余市まで来たのだから以前友達にプレゼントした山ぶどうのワインとピザを自分でも食べてみようと試したら、マルゲリータピザが絶品だった。
同じ道を走っているはずだが、色んな景色がある。
ぼんやり眺めながら見ている景色の半分も表現していない自分に落ち込む。
自分には文学的才能はきっとないのだろう、ともよく感じる。

仕事の休憩中にすすきのに通っていた頃よく出入りしていたバーのマスターから連絡が入り10年ほど前によく行った店の人から連絡が入る。
随分と酔っぱらって、というより泥酔と言っていい。
自分もいろいろやらかしたけど、ねちっこくてしつこくて、仕事切り上げてこっち来いとか、不愉快極まりない電話だったけれど、仕事終わってから本人がいないことを確信して行く。
電話が夜9時。仕事終わりで落ち着いたのが12時過ぎ。すすきのに辿り着いたのが深夜1時だったのだから。
9時の段階で相当酔っていたのだから、居たとしても完全に呂律が回ってないか、床に転がっているかのどちらかだろうと思っていた。
カフェイン強めの飲料を飲み、やけに眩しいすすきのの光を浴びながら、久しぶりにマスターと話した。
「準備はまだ、みたいな時って、結構いけるものなのさ」
「次のステップいこう」
話の中で出てきた言葉に、そういうものなのかとぼんやり受け止めるけれど、今この言葉が人の口から出てくるって、自分も転換期なのかなと、ひしひしと感じる。
他のスタッフからは「絶対書き続けた方がいいよ」とも。

この2つのことは期間の差はあれ、過去にやったことが因果となって結びついている。
今、何か欲しいと思っても何も得られないことが多いけれど、何かが巡り巡って返ってくることも沢山あるのだと感じた。
友達は少ないが縁はまだあるようだ。
そんな縁が、まだ自分を生かしているのだろうと寒くなってきた日々を背に思う。

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08/19

Wed

2020

三か月ほど前だろうか、知り合いに連れられてバーに行った。
初対面のマスターと少しだけ話が盛り上がったが一週間後に首つり自殺をした。
独り身で、愛犬が死んで間もなくのことだった。
知り合いはとてもショックを受けて2か月も仕事を休んでいた。
仕事をまた再会したとのことで会いに行くと元気そうだった。
「四十九日が過ぎて少し落ち着いた」
といつものように微笑んでいた。

たった1度しか会ったことがなかった、マスターの作るマティーニが美味しかった。
マティーニの美味しい店はハズレがない。
さらにはオリーブまでも美味しいお店は気が利いてる。
もう飲めなくなったのはとても残念に思った。

人にはいつか死が訪れる。
自分でケリをつけるも、自然に死ぬも、事故や病気で死ぬも、いつかは終わりが来る。
知り合いの周囲には変わった人が沢山いる。
だから僕のことも変わった仲間として気にかけてくれて時折連絡をくれる。
「あさちゃんは死なないでね」
と言われたが、気持ちはブレブレだ。

何故バーのマスターが自殺をしたのか誰も理由がわからなかった。
誰にも理由を話さずに死んでいったから、マスターを知る誰もが死を信じられなかった。
影をも見せなかったということは、自分が会った時も普通のように見えたのだろう。
フッとこの世界から消えてしまった。
例え理由があったからといって、きっと誰も死ぬことには納得しなかっただろう。
どうして何も話してくれなかったのか、という気持ちが周囲を支配していたに違いない。

僕は自殺はあまり反対しない派だ。
そういう選択肢があってもいいと思っている。
死ぬには色々な理由があるから、こうだからとは言えないけれど、他人は「生きろ」なんて言ったって何も保証しないじゃないか。
「生きていくこと」の何も保証しない。
例えば苦しみがあったとして、所詮他人事じゃないか。
挙句の果てには「甘ったれてる」とか「自分が悪い」とか個人の何かに原因を見つけて責め立てる。

それでも人は助けられたり助けたりしている。
気が付かない間にもしている。
当然傷つきもしているし、ぬくもりに触れたりもする。

人は死に向かっている。
けれど無気力という状態や、ふと生きることを諦めたりする気持ちになることもある。
深いところを覗いてしまって、暗闇の中に心を沈ませることもある。
生きることは思い通りにはならない。
それでも生きている人はいる。
だけど死ぬ人もいる。
生きている場所が違うのだとも思ったりする。

いずれは、誰もが遅かれ早かれ死を迎える。
「生」に人間は意味をつけたがるから「死」にも意味を見つけたがるのだろうと思うけれど、「死」は人にとっては意味も何もない。
ただそこにあるという現象の一つに過ぎないのだと思っている。

そう。
だからこんなにもまとまりのない文章になっている。

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08/18

Tue

2020

生きる気力がどんどんなくなっていく。
誰かに認められたことなどない。
自分が活動できる時間と、実際の時間の流れには大きな隔たりがある。
自分のような人間がどうやってこの世を生きていけばいいのか手段がわからない。
価値がない。
価値のない人間は生きていく資格がないらしい。
自分で生きられない人間は生きていてはいけないらしい。
自分は人から奪うことでしか生きていくことができない。
存在自体が今は無駄でしかない。
辛いという気持ちはない。
ただ無気力のような、力の抜けた妙な達観のような、諦めにも近い気持ちがある。
才能は世に溢れている。
何をするにも臆病になっている。
何か行動をするのが怖い。
どうせ見向きもされないか、批判的な言葉を投げかけられるだけだ。
自分がすることはほとんどそうなんだ。
だからどうせ生きていてもと思うのは、ここに理由があるのかもしれない。
虚しい。
今は少しだけ人助けができてて、それまでは頑張って生きようかなと思える。
うまく眠れない。
そういえば眠れないという理由もあって酒を飲んでたことを思い出す。
病気が治って少し健康になったら今度は眠れなくなった。
もうどうしようもなく壊れてる。
どうしたらいいのかわからない。
どうやったら普通に生きられるのかわからない。
グチャグチャになっていって、年だけとって知識も振る舞いも何もかも子供のままで成長できない。
気がついたら1ヶ月経っている。
もうダメだ。
気がついたら数年経っている。
もう死んでしまう。
所詮クズだったんだ。

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08/09

Sun

2020

病気をする

先月28日より一週間ほど熱が出ていて倒れていた。
コロナも心配し、保健所で検査を受けられる場所を教えてもらおうと思ったけれど、コロナ症状に該当しないとのことだった。
しかしながら5日間は8度以下にはならず9度5分まで上がったりして大変だった。
大変だ、と言っても、固形物が喉を通らない。
水とゼリー状の栄養ドリンクのみでしのいだ。
喉も痛くなければ咳も出ない。しいて言うならば、腹痛が多少あるくらい。
治ってからが問題だ。
ほぼ寝たきり状態を一週間も過ごすと特に足の筋肉がガタ落ちだ。
3分の1になったんじゃないかって思うほど。
少し歩いただけで筋肉痛になった。
年取って一度寝たきりになると、なかなか戻れない理由がよく分かった。
それにしても27日両親とともに仏壇に手を合わせた次の日に高熱を出すとは一体どういうことか。
気が付くと酒がすっかり抜けている状態だ。
飲みたいけれど今は前の抜けだせない状態になるのが少し怖い。
死にたいと自分を呪っても、体は動けなくさせてでも制止させ、酒を飲むことを気持ち悪くさせ、体をリセットさせようと勝手に試みる。
凄いことだ。

酒を飲むにはエネルギーを使う。分解に相当な手間がかかってる。
消化にはエネルギーを使う。血糖値が急激に上がるようなものは食事の後半にまわさなければクラクラしてくる。スープはとても体によく染みる。自然に染みる感じがする。食べる量にも当然気を付けなければいけない。体感的には腹八分目。少し飢えがあった方がエネルギー効率がよいように思う。
運動にはエネルギーを使う。年を取ってからの運動はむしろ筋肉を増やすのではなく各筋肉部位の血流を意識しながらやることが効果的だと知る。
大人になると使わない筋肉ばかりが増えるため血流が全身におおいに行きわたらない。

「衰えている」とはあまり感じないが、
「とても色んな所を使っていない」ということは凄く感じる。

病気は辛い。
心が悪くなっても前へ進めないし、体が悪くなっても前へ進めない。
ましてや動かさなければ衰えていく。

新しいことを沢山勉強していきたいけれど、心身ともに整えなければいけないし、整えるために気を使って行動しなければいけないことが沢山あることに気が付いた。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
44
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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