そもそも嫁は29で死んでいたはずだった。
霊媒師体質の実の母親から「あなたは29歳で死ぬ」と言われていたらしい。
毎年誕生日が来るわけだが、そのたびに「勝利宣言」を自分の中でしている。
「彼女の運命に勝ったぞ。この俺のおかげだ」
と。
だって自分くらいしかいないじゃないか。
彼女の運命に大きな変化を与えたのは。
29歳の時には少しドキドキしながら過ごしていたけれど30歳になってからは、ほくそ笑んだ。
勝った。
素直にそう感じた。
何か努力したわけじゃない。
日々の生活、家事、旅の提案を大事にした。
伊達から旭川まで3日で1000km以上を走破することもした。
ある冬の日「流氷見たことある? 見に行こう」と連れ出し流氷を見た日がバレンタインデーだったこともある。
その時は釧路から北広島まで帰るのに帯広でインデアンカレーを食べたのを含めて8時間くらいかかった気がする。
今日夕日絶対きれいだよ、と岩内まで言って美しい海岸線の夕日を眺めたこともある。
そういう時間達が今の「家族」というものを支える根源になっているのかもしれない。
娘が産まれてからの1年間が本当に大変だった。
そんな自分たちも結婚記念日を迎えた。
節目とも言える年になったから、さすがに何かしようかと思いホテルでランチをした。
午前は車の中でうんこの話になり「うんこの話で盛り上がって午前終わりたくない」と言ったのに、深夜に食った豚骨のインスタントラーメンが古かったせいか、午後に出す自分の屁はとても臭く、屁をするたびに嫁がひたすら仰ぐという、どうにもうちららしいというか、なんというか、他の人だったら逃げ出してるよな、ということもゲラゲラ笑いあっている。
「色んなことあったよね」
ランチが美味しくてよかったが、色んな事が本当に色々ありすぎて何か絞れず互いに深い会話もできずに終わってしまった。
その日は娘には遠慮してもらった。
2人きりの時間が娘の年齢と同じくらい設けられていなかった。
ああいうこともあった。
こういうこともあった。
本当によく一緒に居られたものだ。
この先のことはわからないけれど、
「またよろしくお願いします」
と、いつもとは違った、とても深い心情で互いに挨拶を交わした。
そこから何か自分の中で何かが変化したような気がする。
世界を感じる感覚が少し違ってきているのを感じる。
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