娘の10ヶ月検診の時、未だお座りもハイハイもせず、まず立ち上がらせようとする時に立とうとしないことを気にかけられた。
紹介状を受けた病院先でこのままお座りができないようであれば検査結果によっては小児麻痺も視野に入れなくてはいけないと言われたそうだ。
嫁はその時泣いてしまい自分を責めた。
自分はその嫁に対して「気にしなくていいよ」と言い余計に傷つけてしまった。
気にしてしまったら必ず何かや誰かのせいにする。原因は何か突き詰めるようになる。
そのようになってしまっては心は持たなくなる。
周囲の7ヶ月の子はハイハイしてる。
同じ月に生まれた子はもう立ってる。
産まれた時から周囲と比較の対象になる。
もしお座りできなかったとして、自分なんか社会的にも足が立ってないのに、じゃあ自分は自殺でもしなきゃいけないのか。社会的に周囲の社会人とはまるっきり違って色んな意味で不安定で安定的なものを持っていない自分はダメだから、じゃあダメなら何なんだ。
努力? 工夫? 勉強?
大人なら色々言えるが例えそれが小さな子でも小さな子なりに何か平均値が適応されて優劣つけられていくのかなと思うと、胸の奥が霧がかったように答えに辿り着けなくなってしまう。
嫁はもっと酷いのだろう。
ストレス症状における典型的な例である、お風呂に入らなくても気にならなくなるというのも嫁に出てきている。
悩みすぎて悩みの元がわからなくなってきている。
物忘れも増えている。
幸いにして娘の10ヶ月検診をしてくれた医者と嫁の代わりに娘を受診しに行った時会えたが、自分が「そんな細かく気にしなくていいんじゃないの?」と嫁に言ったと話したら「お母さんは医者よりもよく子供さんを見ていますから、気になったことがあれば連れてきてほしいんです。気になることがあればいつでも来てくださいとお伝え下さい」と諭された。
嫁に伝えたらホッとしていた。
この方の天職だなと感じた。
両親共に落とし込める言葉を出せるなんて、よほど両親共に子供を診ているのだろうと感じた。
その先生もお座りのことに関して迷ったらしい。
次の検診は1歳6か月になるから、その間何かあった際に対応が遅れるくらいなら、このタイミングで調べたほうがよいとの判断をしたとのことだった。
ありがたいことだ。
肝心の検診は11月末に病院へ行く。
だけどほんの少しずつではあるが座れるようにもなってきたし移動範囲もかなり広がっている。
希望的観測ではなく、ただ周りよりゆっくり成長なだけな気がする。
健全な子供とは、そしてその先の健全な人間とは何なのか。
きっと今以上に対面し悩むことになりそうだが自分の答えはもう出ている。
病むくらいならやりたいように前進したり後退したり、留まることも悪くはない。その匙加減を体験し学び取ることだと。
この考え方はまだまだ娘には適応できず早いことはわかっているけれども、もし何も障害が出なければ適応させるつもりではある。
大人はきっかけを与えることしかできない。
人生を変えるなど考え方からおこがましいことなのだから。
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