http://d.hatena.ne.jp/tanu_ki/20100415/1271346851
「リストラなう!」というとある大手出版社に勤めている方がリストラ波を受けてその状況をつぶさにブログに書かれております。
このコメント欄には出版事業の問題点がつぶさに書かれている。
大変興味深いものでした。
私はまだ「電子」での作り手の側なので、編集し営業する「紙の事情」というものがはじめてわかりましたが、本当に「作り手を育てる」という視点でやってなかったんだなとわかりました。
どうやって売って経営をするかってところばっかり。
会社だから当然だけれどね。
アマゾンやアップルが電子書籍事業に乗り出し、印税率の高さや気軽に出版できる利点をといています。
例えば文芸の分野に関して現在携帯小説も含めて書き手が200万くらいいたとする。
その20万人くらいは売ろうとして、1万人くらいがぎりぎりも含め食えているとすると、今度は200万全員が売り手となります。
もしそうなった時「誰が買うのか」という問題があります。
兼業でしかやっていけない事情が生まれますが、誰が買うのですか。
会社の営業先の人なんて買ってくれないし、同僚も「ふぅーん」、上司なんか「そんなことやってないで仕事しろ」ってのがオチじゃないでしょうか。
当然本格的な小説を売り読者を囲おうとすると「専業」は避けられない。
ただ今まで「文学賞」が吸い上げていたけれど「文学賞」も格式が落ちている。
リスクを避けてきた代価ともいえるが、この焦りたるや出版社もハンパない。
電子書籍は結局みんなが殺到してどうにもならない状態が続いて文芸市場における電子出版のレベルは劣悪すぎて金を払う価値もないというのが落ち着く先なのではないでしょうか。
だからこそそれを制御するシステムを早急に作っておかないといけない。
個人が殺到する。
プロと素人なんて定義もくだらなくなる。
玉石混交。法も国際的なレベル、ましてや国内においても追いついてない。
こんなビックバン状態なら、もう全部崩してしまって今までの価値観なんて捨ててしまえばよいのだと考えるわけです。
そうしなきゃもうおしまいだと。
余計に「ネームバリュー」の時代が来る。
本の価値も下がって、身近になったメディアをインターネットを通して使わなければ売れなくなる。
本もまた、芸術の一種。
我々は日常における芸術の価値をあまり考えたりはしません。
機能性はないしわけがわからないし、個人の自慰でしか過ぎないんじゃないの?という人がいてもおかしくない。
しかしなくなった時に初めてわかるわけです。
砂漠の真ん中でぽつんと置かれ、毎日砂と砂嵐と砂丘しか見えなかったとしたらどうでしょう。
音楽も人工的にかたちどられたものも、道具すらもないわけです。
わりと、関わってる。芸術が。
でも相手へわからないことを伝え、相手の考えに心を向けるのが対話だ。
芸術家とか特殊だと思われていたような人間たちはその努力が足りなかった。
というか、これからはその努力をしていかなきゃいけない。
そして「しゃべり場」を作る。
話し合う。
色々な意見が出る。
認め合う。
その上で作者なり作品なり社会なりの行く先を決める。
それができる時代になってきたし、もうそうするべきだと思う。
そして小説もまた「お話を作る」小説ではなく「人間を見つめる」本来の小説に戻っていくべきだし、そうしなければ公共性は保てないように思う。
読者は馬鹿ではない。
それなりにちゃんと生きている人は機知がある。見識がある。
それを持ち寄るのが本来の健全な社会だ。
私たちは本当の健全なる社会を見つめて出版をもう一度作り直さないといけない。
文芸を人間に返さなければいけない。
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