「最上のワインは最上の友と分かち合うもの」
こんな言葉を自分の教訓として生きています。
今ツイッター上でも「幸せをつぶやいていこう」と、幸せ伝染思想みたいなものがちらほらあります。
確かにみんなが幸せそうな雰囲気を出している時に悲しいことや不幸な話などを出すと一気に暗くなる。
天邪鬼な私は「幸せだけじゃ勘違いしていくだけだろ」みたいな考えがあり、わざわざ人が見たくないものをそっとすくい取りたくなります。
人は幸せだけでも、不幸だけでも生きていけないのではないか、という思いがあります。
本当に幸せなのは、「幸せを出しましょう」って言うのではなくて「辛い時悲しい時遠慮なく打ち明けなよ」と言われ、言えるような「安心感」なのではないのかなと思うのです。
だから不幸があったらみんなでそれがどうして不幸なのかを真正面から受け止めなければいけない。
「幸せ」というものにとらわれすぎて、「苦しみ」を出しづらくなる雰囲気を作ってしまえば逆に不幸なのではないかと思うのです。
幸せでありたいことはみんな一緒です。
しかし暗闇にいると強い明かりがまぶしすぎて逆に何も見えなくなって辛くなるときがあります。
人の心理にもこれと同じような状態が起こります。
重病の人に肉やお菓子を並べて「豪勢だろ。さあ食べろ」なんてできないのと一緒で、最初は吸収のよいおかゆなど、体へ負担のかけない食べ物で徐々に体の回復を待ちます。
よくテレビなどで「気づきで劇的に人が変わる」ことをやるので、勘違いする人が多いのですが、残念ながらあれは「珍しいからテレビでやる」ということを皆忘れています。
特に精神的にどん底にいる人は重病状態なので、「肉やお菓子」をあげるようなことは心に負担をかけるだけなので、危ないです。
不幸は必ずしも不幸ではない。
そこには転じて「不幸にならないための注意点」が隠されている。
心に心地よいものばかり集めて石につまづくくらいなら、時として足元を見るのは大事なことではないか。
「失敗は成功の元」とも言う。
「灯台下暗し」とも言う。
離れてみたり別の視点から見たりしながら不幸を不幸にしないためにみんなで考えることは大事なことだと思う。
そのためには「不幸を認め受け入れる」、そんな心の大きさも社会に求められる。
個人ではなく、社会に。
一部器の小さい人間の特権で、社会が制御されるような状況を作り出してはいけない。
[2回]
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