「あなたはもっと自分のことアピールしたほうがいいよ」
…と、言われても、どうすればいいのかわからない。
目立つ人のほうが結構ぐいぐいいくわけで、いつまでも何を持っているかわからないような引っ込み症の人は損をする。
なんとなく世の中がそういう気もしてくる。
例外はあるにしろ、圧倒的に少なくて、宣伝とかがうまいほうが、結局勝っちゃってる。
でも、選ぶ側の問題にはならないんだよね。
あくまで、アピールしたほうの問題で終わる。
なにかすっきりしないものがある。
例えば…
幼少の頃からいじめを体験し、家庭環境も悪く、社会人になってからも会社でのいじめ、リストラ、挙句の果てには退職の際、罵倒される。住むところもなくなり、家庭に戻るが、親に叱責され、耐えかね親を殺す。
こういう事件があったとして、「本人の責任」という言論に違和感を覚える。
それですませてしまっては、とてもいけないような事情がたくさんあって、その事情をとことん無視して事件そのものを抹殺しようとしているように私は見える。
同類の事件が起こっては「本人の責任」というのは、「問題そのものを解決していない」ということになる。
話がそれているように見えるだろうけど、これがいじめで殺されちゃって遺書が発見されたら、みんな真剣に考えるわけだけど、殺しちゃったら「こいつが悪い」ってことになる。
前に航空機を降りる際に、荷物受け取りの場所から機内へと荷物を持って戻れるから(危険物も持ち込めるから)危険だという文章を提出したが受け取られず、実際にナイフを持ち出して事件を再現したら、対策をとるようになってしまった。
一体この心理はどういうことなんだろうって素直に思う。
心理的にみんなが納得すれば、アピールは絶大なる効果を発揮して、心理的に納得できなければ、アピールは効果がないわけだ。
結局よく観察してみると、私が一番すっきりする答えは、理路整然としているようで人間は感情で動いているだけ、ということになる。
アピールが足りないのは「心に響かないよね」ということ。
この世の中は人の気持ちを操った人が勝者になる。
操られた側の責任はいつもない。
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