2、3年前くらいに、占星術か何かで知り合いが占ってくれたことがある。
その時随分と思い当たることが多かった。
まず前世からのカルマとして家族との間の大きな溝というのがあった。
十数年悩んでいたことだった。
どこかでずっと改善したいと思いつつもできなかった。
それよりも改善までいかなくとも、家族と関係を切りたいと思っていた。
もうこの家族とは一生関わらない。
そして自分も家族は一生持たない。
どのような事情になろうと子供は持たない。
自分で終わりにしよう。
同じ目に合わせることはない。
30になろうとしているのに、ろくに生きていけない、偏屈で鬱屈した精神を持つ人間を育てることはないのだと考えていた。
きっと自分は子供に当たる。自分のコピーを作る。立派に育てる、という名目で精神的な虐待をする。
子供な親は子供を育てることなどできないし、きっと子供の欠点を見つけて責め立てるような醜い気持ちを持った親になるだろうことは理解していた。
だからもう自分で終わらせる。
ずっとそう思っていた。
だから自分の命を軽視していたし、家族のことも軽視していた。
自分自身に価値を置けないと、他人のことを虫けらのように、何の価値も見出せなくなるのですよ。
精神が荒むというのは、これだけ酷い状態になる。
正しいことが恐ろしく、敵視する。
そんな気持ちは絶対に理解されない。
精神科医である親戚がいるが、話しても通じない。欠片すらも理解されない。
そりゃそうだろう。
余計に疎外感と人に対する憎しみは募った。
突然殺してやろうかと思うこともあった。
私の精神の奥には拭いきれない憎しみのようなものが沈んでいる。
約10年間、2時間頑張ればぐったりして一日中休みたくなるような精神力しか持ち合わせていなかった。
私は弱い人間の精神構造がわかる。
鬱屈した精神を持っている精神メカニズムが見える。
同族嫌悪とでもいうのだろうか。
見えるからこそ関わりたくないと思う。
いや、ストレスに耐えきれないので、底に沈んでいる泥をすくい上げられると一気に心が濁るのだ。
今でも「強者の理論」というやつが心底嫌いだ。
ずっと持っていたものの名残りは続いている。
私は長い時間をかけて、まず私が生きている間には覆らないかもしれなかったカルマの因果を覆した。
家族と少しずつ歩み寄れるようになったのは強い呪縛の鎖を解けるというよい兆候だ。
作家「光野朝風」の誕生にはいくつかの条件をクリアしなければいけなかった。
まず、家族とのカルマの支配権を握ること。
母親の生存。
父親の価値観の変革。
家族以外の「愛」を与えてくれる存在。
自らの立脚点の構築。
私は人より10年間も出遅れている。
それもまた、思い返せば宿命だったのかもしれない。
すべてが必要なことだった、などとふざけた言葉で片付けられるような内容ではないが、私が歩んできた「落ちこぼれ人生」は、自分がどこにいたかを忘れるなよ、という戒めなのかもしれない。
できない人間だったから、本当に多くの人間を傷つけたし苦しめてきた。
そのくらい、よくわかっているんだよ。言われなくたって。
10年出遅れたからといって、もっと早ければなどとは思わない。
人は過去に対して色々後悔を持ち、あの時ああすればよかった、とよく思うが、私はそれを思うとぞっとする。
あと5年早く動けていたら、私は最も大事なものを失い、一生罪悪感で苛まされたことだろう。
それは作品にも大きな影を落とし、作家としては完全に終わった形となり、自分の人生も大きく鬱屈したものになっただろう。
人生を評価することそのものが愚かなのかもしれない。
人には人の気持ちがあり、価値観があり、人生がある。
そういうものは、よくできた人間ではないと慮ってくれない。
ひとつの物差しで世界や人間を評価するようなことはできないのだ。
今日、なんとなく記したくなった。
改めて、どこを通ってきたのか確認したくなった。
いつの日か、私が死んだときにでも「こいつはどこを歩いてきたのか」という資料として、素直に記しておきたいと思った。
まだ饒舌に詳細に語る勇気がないのは、まだ私が這い上がる途中にいるからだ。
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