一言で言えば、家庭内において言えば、デリカシーのない父親だ。
外から見るならば、あれほどいい父親はいないらしい。
確かにそうだろう。
ごくつぶしの私を文句も言わずに養っている。
ただ、気に入らない面も多々ある。
うちの家庭は新しい習慣を作ることが苦手だ。
古いものに縛られ、新しい発想ができない。
だから自分の価値概念外に存在するものにはまったくと言っていいほど理解を示さない。
普通の親なのだろう。
父親はよく私を小ばかにする。
彼に、心から褒めてもらった記憶が私にはない。
バカにされた記憶だけ私はたくさん持っている。
思い出そうとしても楽しい記憶が思い出せなくてとても悲しくなる。
楽しいことがなかったわけではなくて、けなされたほうがはるかに多い。
だから、いつも何か否定されるのではないかと思っているし、今でもまともに会話しようと思ったことはない。
何故かは知らないが、家では刺々しく、気分屋で、たいがいにおいて神経質で必ず否定語を使う。
あらゆる否定語を使う。
私もいつの間にか他人を見下す癖が染み付いた。
近所のスーパーや、大きな企業や、高学歴で活躍している人、歴史上の薩摩の人間はよく褒める。
お金には不自由しなかったのは父親のおかげだ。
それを30年以上も続けている。
社会人になって40年近くなろうとしているのか。
それを想うと、心から「おつかれさま」と言いたくなる。
あなたに思春期の心をズタズタにされ、精神を前向きへと回復させるまでに十数年もかかったけれど、私は弱い人たちの心を知ることができた。
私はあなたがほめたくないくらいダメな息子です。
もうそろそろ私は行かなければいけない。
家族でいられる大事な時間を、いつもあなたは無駄にしていた。
私が、遊んでばかりで自分のやるべきことを先延ばしにするのと同じくらいの悪癖だった。
大事な時間はもう、残り少ない。
追記:
なけなしでお金を出してくれる存在がどれほどありがたいか。
もし金を出し続けて育てきる存在が、まず偉いとされるのならば、私は父親が手の届かぬほど高みに到達してやる。
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