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あさかぜさんは見た

日記

11/25

Wed

2009

痛みの中にこもる

傲慢を除き、自分が痛みを感じているうちは、なかなか他者の痛みへ気がまわることはない。

「防衛本能」

誰しも自分にとって有利であろうとしたり、何かのストレス痛みから身を守ろうと勝手に心が働き体が動く。
それは時として他者への感覚を著しく麻痺させる。

本当は、痛みがあるからこそ、他人の痛みへ思いをめぐらさなければいけないのに。

自分の痛みの中にこもる。
それは少しでも自分が楽なところにいかないと、自分の痛みを意識してしまうから。
だから、その痛みを忘れよう、そこから逃れようとして、痛みを意識させるものに過剰反応する。
痛みを意識させるものを敵視したり、無視したりする。
それが本当に有益であるかそうでないかも忘れ去り、自らの感覚の中にこもる。

本当は、「他人同士」が一番楽なのかもしれない。

「あなたなあなたで勝手にやってください。私もそうしますから」


そう宣言したほうが楽なのかもしれない。
自分のことしか考えられなくて、他者への痛みをおもんばかることもなく、自分勝手に。

…じゃあちょっと待ってください。
あなたは自分がそうした時、他人からも同じように扱われて平気ですか?
なんとも思わない人ですか?
「他人は他人」で自他共に割り切れる人ですか?

もう少し考えてみてください。
もしその意識が全体に蔓延したらどうでしょう。
「他人は他人」「あんたのことは関係ない」
その思想は、同じ思想の人間を寄せ付けます。
もし、そういう人間に囲まれたら余計にあなたは孤立します。
利益で結びつき、利害が一致しなければ離れます。
そして、あなたが窮地に陥った時、周囲には助けてくれる人はいなくなります。

あなたがしたことは、他人へと影響します。
そしてあなたへといつか返ってきます。
痛みを与えられ、そして痛みの中にこもります。
「やっぱり自分勝手にやったほうが楽だ」
そのような答えにいきつくかもしれません。
みんながそう考える社会は幸福なのでしょうか。
広い範囲で考えなくてもいい。
そんな仲間に囲まれる人生は幸福なのでしょうか。

いや、きっと人はそんなことにさえも気がつかず、考えず、自分だけの幸福を追い求めて、目の前の物を追い、それを手に入れては満足し、満足しきったら、捨てていく。
そういうことを繰り返すのかもしれない。
誰を傷つけているのかを考えず、自分だけの痛みを訴えて、さも相手は傷ついていないかのような無神経さで、人生を過ごしていくのかもしれない。

でも、何故…?
無関心を装うことが、人を傷つけないことの最善の策なのですか?
その無関心が無神経を誘うとしても…?
自分が傷ついていると訴えるのでさえ傷つけられる。
それは自他共にそうなのかもしれない。
いやきっとそうなのだろう。
そうやって人は傷つけ合って痛みの中にこもる。
話し合うことすらもできずに。

本当にそれでいいのか…?

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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