平野綾という声優のスキャンダル写真が流出したと騒いでいる人の反応が面白くずっと追っている。
私はこの人の声がいまいちピンと来ない・・・というか、最近見た最新アニメなんて映画を抜けばコードギアス以来ない。
そして私の世代なんて「聖闘士星矢」とか「北斗の拳」とか「ヤマト」とか「ガンダム」とか「マクロス」とか「ルパン三世」なので最近出てきた声優さんは「?」である。
ということでどこかで声聞けないかなと思ったらあった。
「涼宮ハルヒ」は角川がライトノベルの主戦力としていたので名前だけは知っていたが、あまりよく内容は知らない。
一緒に出ていた男の声優さんは「銀魂」の主役ということはわかった。
その「銀魂」の杉田智和と並ぶと、うーん・・・うーん。
声優としては今は彼女は上手い部類に入るのだろうか。
昔は力がはいっていて凄いものがあったけれど、今の声優さんはひょろひょろした感じがする。
声にね。
時折平野綾がタレント活動をしていることで、最近の声優さんは舞台もやるし歌も歌うし「マルチタレント」としての位置づけを目指そうとしている。
声優一本だけじゃなかなか食っていけない厳しい現実を反映している。
この流れは芸能事務所の財政状況・所属事務所の意向などを推測すると容易に理解できる流れではあるが、昔からの価値観やこれ一本でとかいう意識が強かったり、特にアニメなどのキャラが絡んでくると、本人の素行がそのままファンの「キャラを汚された」という意識に直結するため、昔の声優さんは顔を出すことを嫌った。
当然声優さんも「芸人」の世界と同じように名前も役もよくわからないような声優さんもいるし、そんな声優がゴロゴロしているにも関わらず、この世界を目指す新人がごまんといるのは、こちらの小説の世界とあまり変わらないだろうと思う。
つまり憧れや思いを塔のごとく積み上げては現実に打ち砕かれるという真実が待っていないこともないわけだ。
そういえば、子供の頃の自分はアニメのキャラだけを見ていて、そのアニメキャラの声を「声優」という存在がやっているなど微塵も考えなかった。
それだけ「キャラに近い演技」をしていたからだろうと今からみればわかるだろうが、子供はそんな「大人の事情」など考えないので、声優本人が出てきて喋っているのを見た時「うわあ、普通のおじさんだ」と少なからずショックを受けたことは覚えている。
しかしそんな思いもさすがに小学校低学年くらいまでだったが、その子供のような純真さを持ち続けているのがアニメファンなのかもしれないと思ったりするところがある。
正直に言って平野綾を見ていると、そこらへんにいる今時のお姉ちゃんと何ら変わらないところがあって、私などは驚きもしないのだけれど、アニメファンは子供のような純真さで声優を見ているので烈火のごとく怒るのだろう。
声優ではないのだが、昔付き合った女に手ひどい目にあい、素行を聞いているだけで吐き気をもよおし目がまわったことがある。
そう、そう言えばその時はまだ童貞で女性の体に触ったことはあっても、挿入はしたことがないという時でしたので、女性というものへの憧れが強いだけに現実の勝手気ままさに衝撃を受けたわけですな。
その時はさすがに殺意に近い憎しみすらも持ったものですが、ツイッターや掲示板をみていると今回の平野綾への熱心なファンたちの攻撃は当時の私の2乗3乗以上の憎しみでもって攻撃しているわけです。
それだけ積み上げてきた妄想の力が大きいだけに、裏切られた時の反動が凄いのですな。
さらによく考えてみると女性に対しての勝手な妄想を積み上げていた時は確かに童貞の頃が強くて、女性経験をしてしまうと、現実感が出てきて勝手な妄想はなかなかできなくなるわけです。
ある意味「何も経験していないからこそ突拍子もない現実離れした夢を大事にできる」ということで童貞力は強いわけです。
確かに創作の場面においても「そこに行っていない人・体験していない人」が名作を作った例はたくさんあるし、行っていないからこそ、強い憧れを膨らませることができ、豊かな感性を無限に膨らませることができるという側面もあります。
そして意外にも現地に行くと膨らませていた幻想が見事に打ち砕かれるという例はないわけじゃない。
これぞ、妄想の素晴らしさでもあり怖いところでもあります。
人間はこうして妄想することで自分の望んだものを積み上げて、自らの価値観に沿って美化していく性質を持っているのですな。
そして現実感を根底に置かないものは常に「浮世離れ」していくわけです。
「浮世」とはよく言ったもので「憂き世」とも書きます。
この「憂き世」とは「辛いこの世界」とか「無常の世の中」という考え方にも通じていくわけですが、まさに妄想の力とは、ある意味「辛い現世を一時でも忘れ去ろうとする癒しを求める力」と置き換えることもできないわけじゃない。
「憂き世離れした世界」の住人に求められがちなことは「辛い現実を忘れさせてくれる理想的な人・世界」だったりするわけです。
しかし何も「童貞」そのものが悪いわけじゃない。
別に童貞であろうとなかろうと、現実世界では自分の価値観ばかりを押し付ける人は子供の世界だろうと大人の世界だろうと嫌われるわけです。
正しい「童貞力」とは「孤高の力」でもあるわけですから、彼らと対等になるには同じくらいの「孤高の力」が求められるのかな、と思ったしだい。
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