指導者がいかに高尚なことをのたまっても、その指導者についてくる人間はすべて高尚というわけではない。
人は感情に振り回されるどうしようもない生き物で、自分すらも制御できない。
特に怒りや憎しみや嫉妬や焦燥。
そういった心の狭さが自分を苦しめ他人に危害を加えることは多々ある。
別に指導者じゃなくとも個人の問題として感情と行為の問題は常に付きまとう。
今日も世界のどこかで戦争をやっている。
贅沢な暮らしをして、明日の仕事や生活のことを考えながら、自分には災難は起きないと安心して生きている。
とても平和な事だ。平和ボケをしていると言う人もいる。
この国では年間3万人ほど自殺者がいる。
特に60歳以上の人間が1万人だが、50歳以下の人たちが1万人以上毎年亡くなっている。
40代が5千人。
私の世代の30代が4千人。
未来ある20代が3千人。
この数値は毎年出ている。
今戦争で1年あたり健康な1万人の人間が死んだら、この国の人は何と言うのだろう。
本当にこの国は「いい国」なのだろうか。
ある人が「投資」と「消費」のお金の質は違うと言っていた。
その内容のことをまだ調べられずにいるのだけれど、私たちは一体何に対してお金を払っているのだろう。
「税金」ってやつもある。
お金を無視した行為もある。人に対するちょっとした優しさだ。
無関心であれば、係わり合いがなければ、ある問題に対してまったく関係のない自分がいる、まったく関係のない生活を送れる。
どこかでそう思っているんじゃないだろうか。
いや、正直に告白すると自分がそのクチなんだ。
だって、何もできないじゃないか。悩んでいる人はたぶんいないさ、だなんて思い込んでる。それよりもお財布の中身や次の給料や報酬の振込みのことなんて考えている。
個人の小さな問題が、日々の全てだ。
許せないタイプの人間がいる。その許せなさで苛立って、どうしようもなくなる。
きっとその人にもいいところはあるはずだし、悪人というわけではない。
悪人でもないのに許せないのだ。おかしなことだ。
その感情が他人を苦しめているのはわかっている。
私は感情に振り回される。酒に頼って忘れることが多すぎる。ツイッターなんかにも愚痴めいたことをたくさん書いてしまうような愚かな人間だ。
こんな私でも愛してくれた人がいたし、今でも好きになってくれる人がいる。
その「愛情」を糧にして生きている。生きられる。
惜しみなくとは言わないが、芸術活動に対してプレゼントやチップをくれる人もいる。
そういうのがなかったら、自分は生きる気力を持っていただろうか。
他の人はどうだろうか。愛するものがあって、愛されることがあって、だからこそ困難にも立ち向かえたのではないだろうか。
「隣人を愛せるかどうか」「愛するものを見つけられるか」というのは、個人の大きな問題だ。
そして私たちがお金を手放す時、税金にしろ買い物にしろ投資にしろ、もう少し真剣に考えた方がいいのではないか。
そして将来何を残したいのか育てたいのか、そのためにできる自分の優しさを問い続けた方がいい。
本当に優しくあるには、あらゆるものを受け止めなければいけない。
それらのことはきっと、この国の礎になっていくはずだと私は信じている。
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