集団的知性(しゅうだんてきちせい、英語:Collective Intelligence、CI)は、多くの個人の協力と競争の中から、その集団自体に知能、精神が存在するかのように見える知性である。
wikipediaより
簡単に言うなれば専門性の高い共通の話題は専門化同士でしか話せず、集団の分母が増えれば増えるほど知性の低い、より感情的で、かつ欲情的な鬱憤の溜まった、狭量なものたちへ、話題や意見が統一されていくということ。
ネットは人を自由にするかと言ったら、ツールとしては自由に扱えるが、人間の最も醜い本質をより多く反映させる結果となるのではないかということだ。
玉石混交とはよく言うが、ネットとは泥の中から砂金を見つける作業に等しく、知識のないものはより程度の低い話題しか見つけられないし、結局万国共通というか、同じ言語同士で一番話題にしやすいのが「悪口」であり、今や「悪事千里を走る」ではなく「悪意地球を回る」と言ったほうがいいほどだ。
現代の情報の受け取り手は真実かどうかは関係なく「現実味があれば事実」と承認してしまい、そして独自理論や、その他者の独自理論を借りてきて自らを納得させる。まさにネットの論理は「ほぼ思考停止」の状態に陥っているし、大企業や政治家さえも「目に見えない誰か」の存在を大いに気にしている。
これはもはや既に「現代の迷信・宗教」に他ならなく、私は最近よくわかってきたが、このような恐れを抱く人間は自分の足を使って自分の身を使って人と数多く接していないのではないか、または身の丈に合わぬことをしているから「不特定多数」の「自分の目の前にいない人」を気にしなければいけないのではないかと考え始めている。
結局当人の欲望の拡大に原因があり、右肩上がりの利益拡大を思い描いているからこそ生まれる恐怖心なのではないか、などと勘ぐったりするのだ。
誰しも批判は怖いし、人から拒絶されると自分の居場所を失ったかのような喪失感は個人にもある。
会社だと利益に響くということもあるし、株式会社だったら直接株価に響くから、株価から算出される損益に神経を尖らせていることなのだろう。
だがより愚かになる、情報に飼いならされた、物理現象もまともにわからなくなっていく文明社会の人々に合わせなきゃいけないとしたら、それはほぼ完全な嘘で塗り固められたサイクル形式を保つしかない。
つまりA→B→C→D・・・→A→B・・・となっていくような利益循環システムを嘘で完璧に作るのが一番大衆を制御しやすい。
このABCDはそれぞれ独立していてもいい。
ようはAからBへと繋がる嘘を作り次にBからCへと繋がる嘘を作り、ABC・・・は独立した事実であるということが、このサイクルを完成させる仕組みなのだ。
嘘はどこに存在するかと言ったらAとBとの関連性、ということになる。
Aの中にフェイクのようなものがあってもいい。
「私は君にお金を出そうかなと考えている(が、出すとはまだ決めていない)。」
「生きるのに確かに水は必要だ。君には水をあげよう(だが飲み水をあげるわけではない)」
というような内容だ。
さらにBまで繋ぐ嘘は例えばこう。何でもいいのだ。
B「飲み水の確保は難しく、世界は干ばつが急速に進んでいる(が、飲み水はまだ安価で仕入れられる)」
その間に存在する嘘は無数にある。
「今や1リットル500円以上もする飲み水を人口分用意するために我々は大変努力をした。これも皆様が力を貸してくれたおかげだ」
こうなると既に何者かが利益を得られるサイクルって出来上がっていて、さらにこの不都合な真実を調べられる能力のない大衆を巻き込んだ負のスパイラル構造、メビウスの輪のような地獄のレースは感情的に訴えられ、そして感情的に高ぶったところで理屈で固められるということになる。
例えばこの理屈で競合している者を排除するとなると
「あいつは水を独占していて、高値で吹っかけて売っている。人類が水に困り、死者も増えるばかりだというのに、利益のために水をわざと溜め込んでいる」
特に日本人は「利益を独占」とか「利益を多く得ている」とか、他者の抜け駆けを許さぬ民族であるからこの文面は効果があるし、いつでもネット上にふっと湧いてくる謎の文面である。
ライバルが消えた後にうわさを流した張本人が、悠々と牛耳っていけばいいということだ。
このように「悪意に加担するものは悪事に手を貸している」ということを知らぬ人たち、また「完全な善意の裏にある悪事を調べられない」人たちが、「集合知」の正体なのだとしたら集団は完璧な愚かさを極めていくしか手がないではないか、ということを言いたいのである。
つまりは負の釜の底を見ようと頑張っている連中に対して恐怖心を抱くのだとしたら、それは真に戦うべき相手を間違っているし、その手の存在に志が打ち砕かれたとしても、何のために戦うべきなのかを見失ってはいけないのだ。
ここを捻じ曲げてしまうと、より低俗な、より安易な、より直情的な、そしてなおかつ卑屈さによって歪められた何かを産出するほかなくなるし、先ほど述べたように、より嘘のサイクルを塗り固めるしか利益拡大の方法はなくなる。
これはつまり「利益のための利益」であり「人の幸せへつなげるための利益」ではなくなるのだ。
罠はいたるところにある。
目の前の亡霊はあなたを呪い殺すかもしれないが、あなたがきちんと分別を知っているのならば、それ以上は何も出来ない。
決して人のぬくもりを忘れぬよう覚えていられる場所に日々自分を置くことが、「集合知」に巻き込まれないためのコツだ。
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