そう言えば以前勤めていた飲食店で中国系オーストラリア人がいた。
日本で働いていて、蕎麦屋の店長になっていたのだけれど、寿司を握る時手を叩いていた。
通常「手酢」と言って、ようは酢水を付けて手を湿らせてから寿司を握るのだけれど、叩くところだけ覚えていたのだろう。
肝心の酢水が存在しないまま、手を叩いてから酢飯を握っていた。
手を叩く様だけは職人のようだし、握っている最中も体がリズムに乗っていたのだが、大事なものが抜けている。
見様見真似は、どうにも肝心なことが抜けることがある。
しかも、その人、とてつもなく頑固で言うと必ず反論されたから周りも愚痴るだけで意見するのを徐々にやめていった。
調理に関する技術はテレビで手に入れており、これやろうという案はテレビの受け売りだった。
別に悪いことではない。
ただ、やっぱりそこから調べないから何かが足りないしずれている。
勘違いもあったが、裏付けをしていかないからずれていく。
僕もそうなのだが、だいたい見聞きすると何かを知った気になる。
僕は書くことをやっているから、細かく書こうとすると「あれ、全然わからないや」となるけれど、恐らくほとんどの人は漠然とでも知識を手に入れると知った気になるのだろう。
特に経験則に基づくと学術的に裏付けられたものさえも否定しにかかる。不思議なものだ。
結局調べるのは労力がいるし結構大変だ。
楽な楽な方へと行く。
この癖は放っておくと大きくなってくる。
いつの間にか調べなくなり、調べなくても組織の大きなメディアが言ってるんだから雑誌に書いてあったんだから信用している人が言ったから間違いない、なんてことになってくる。
そいつは、どうにも勘違いなのだ。
手だけ叩いても調子はよくなるが、調子がいいだけではきちんとしたことはできない、ということなのだろう。
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