世の中、外だけ小奇麗にしている奴が人の支持を得ていた。
でも、それももうおしまいだ。
いくら外が小奇麗でも中の歪んでいる人間はボロが出る。
心根の美しい人間は飾り立てた言葉を使わないものだ。
装飾する必要がないから。
自らの卑しさや弱さを隠すために懸命に飾り立てるのは「香水」の発想と同じだ。
人生も自分も飾り立てるものじゃない。
今はそれだけ思う。
現代社会の中で、いかに装飾されたものが利益を得られるか。
それはまるで金メッキで飾ったものが一見高価そうに見えるようなトリック。
残念ながらそれは加速されると現段階では思っている。
都会化された感覚は恐怖によってより堅固な城を作るよう本能が動く。
都会ではより装飾されていくだろう。
言葉も人も装飾して恐怖から逃れようとする。
そのためのあらゆる虚飾が用意されていく。
俺は行くよ。
もっと辛いところへ。
夢を見続ける浮ついた都会人はもういい。
俺に足りなかったのは、もっと傷つくことだった。
もっと傷ついて、もっと深い悲しみを知ることだった。
すべてのゼロ地点はプラスとマイナスの狭間に。
その狭間を見極めなければ。
自分なりの千羽鶴、折ろうか。
世界一の偽善者として。
支援金や儲けが充分あれば、そのうち現地に入るよ。
なくなるからこそ、残さなければいけないものもある。
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