月の2月下旬あたりか3月に入っての話で生まれて初めて知った病原菌だった。
ウィルスでは新人のスラッガーってところか。
「ひと、なにうぃるす?」
「ヒトメタニューモウィルス」
「それなに?」
「保育園で流行っているんだって」
娘の通っている保育園で流行っている時にはかからなかったので、一安心していたところ、4月入った直後に38度の高熱を出し保育園を早退することになり、そこから40度近くの高熱が4日ほど続き、咳症状もあったことから、まず自分もカバーに回り職場を休み、そして娘が治る前に今度は嫁が同じ症状にかかり、嫁含め娘の面倒を見るので追加3日ほど休み、そして潜伏期間のあるウィルスであるため、その潜伏期間、だいたい5日とか1週間とからしいんですが、自分自身が今度は38度以上の高熱、呼吸器がやられやすかったため喘息症状4日、咳症状追加で3日以上ほど等、その間職場を休むことになり(インフルエンザだと有名だから来るなって言うのにマイナーなウィルスだから何とかならないかと言われる)、半月以上の休み、職場復帰しようとしたら、別件でまた娘が熱を出し、これが最後の一撃になり職場を追放されるという「最凶コンボ」となり、途方に暮れるというか、今回は強烈ながら、このような「家庭の事情」で職を失すること1年以内に3回ほどあったため、人一人というのがいかに重いのかを痛感する以上に、支えきれないと、弱気になり考えてはいけないことを頭をちらつくような時間もあった。
そして5月はゴールデンウィークもあることながら、職にもすぐにありつけない、しかも自分もまた体調崩すとか、また今度娘も突発性帯状疱疹にかかり、高熱を出したけれど、当初何故高熱が出ているかもわからず、藁をも掴む気持ちで病院へ行き医者の見立てがそうとは言われたながら、その中娘が、
「おなかいたーい」
と、2度ほど言ったことがあり、覚えた言葉を言っているだけの可能性もあるし、継続的ではないながら内臓系の異常なのかと心配になり、再度自分のわがままで医者へ。ほぼ全て嫁が心配するながら珍しく自分が言った案件でもあった。
血液検査もしてもらい、当初の見立て通りの突発性帯状疱疹である可能性が高いとの診断で、
「明日には熱下がると思います」
との医者の診断通りの結末となり、ほっとしたのはいいものの、あんれまぁ、自分、どうしよう。
職もないし、こんだけ社会から弾かれたら、もうね、もう、もう。
実は美濃焼の初対面の先生に子供が産まれることを話したら、
「それは、2・3年は大変でしょうねぇ」
と、言われ、また耐えないといけなのか。
どこまで耐えなきゃいけないんだ。
聞いた言葉に絶望するくらいだったけど、きっと子供が産まれるということが自分の世界線を完全に、運命のレールを変えたのだと実感することがあり、だとすれば、病気そのものも、自分が選んだ結果なのだと、絶望ばかりではないのだと、思うのだけれどコロナでさえノーワクチンでワクチン打っている嫁の方が高熱出たり症状重かったのに、病気には相性があり自分の弱点見事に突いてきた相性の悪かった病気で次やられたら死ぬかもしれないなんて思いもした体験でした。
子供が病気になると一家全滅するばかりか、子供よりも重症になる可能性があるという恐ろしい体験だった。
さーてね、こんだけ一般社会の社会人になれないんだったら、もうしょうがないね。
もう自分は「はみ出し者」としか生きられなくなりますが、それが「分際」ってやつなのかもしれませんね。
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