マスゴミ、と言う。
アメリカではもはやニュースはほとんどの人は信じていないようだ。
出資者がおり、政治的な立場を明確にし、あからさまに擁護や非難を繰り返す姿勢にアメリカ国民も、あの報道局はあちらさんの立場だからね、と冷めた目で見ているらしい。
日本でマスゴミなんて言うのは、特に各メディアの株主比率に見えたり、どうやらうっすら臭う大陸・半島系のメンバーによる出資・構成なのではないかと思われる番組作りの数々に様々な想像力を働かせて、あれこれと言っているのだろうけれど、私はものを作っているから、不満をいつまでも並べ立てている人たちをとても不思議に思える。
例えば沖縄にいる市民活動家の人たちは、アルバイトに近い状態。
これって何者かがお金を払っているってこと。所謂「投資」だ。
自分だって生活困窮し出したら、もしかしたらやるかもしれないしね。
それって「政治思想」のためじゃない。ただ「生活する」ためだけにやる。
日本人はお金の使い方に関して「消費」のことしか考えないのがほとんどだ。
だからあらゆるものに対して「消費者」としての立場でしか物を言わないし、その性格がべったりと身に染み付きすぎている。
文句はあってもお金を出さない。
金を出し惜しみするくせに高度なサービスを期待する。
「投資」の概念がまったくない。「お金で何かを育てる」ということ。
例えば韓国。アメリカ。
炎上系のニュースを垂れ流している人たちにインタビューをすると政治思想などまったくどうでもよくて、日本で言うならばこの前捕まったヤマト運輸にチェーンソーを持って殴りこみかけて捕まったユーチューバーと同じ心理のようだ。
つまり「アクセス数を稼げばお金になる」ということ。
だから国民感情が煽られることや例えそれで社会的混乱を巻き起こすことになっても「自分の懐が潤う」から逆に「嬉しい」わけだ。
それで生活ができるんだもの。
こうして無料のものや個人でやるものにはチェック機能が働かないために危険が多くなっていく。有料のものでさえそうなのに、何故無料のものが信じられるのか。
私たちはお金を使うことに関して「消費者」としての立場から考えを変えようとしない。
だから受け取るものを「商品として金を払えるほど価値あるものか」でしか考えようとしない。
気に入らないものがあったり欠点があったりすると「商品として不良品」と見なすため、途端にお金を払いたくなくなる。
じゃあそんなに不満があるのなら、自分たちで出資して新しいものを作ったり支援したりしないのだろうか。
政治家に不満があるのなら地域で寺小屋のようなものを作って優秀な人材を育てようなどと思わないのだろうか。
嫌だなと思っても、それではせっせと今も不満を抱く対象は育っているし、きっと今後不満は解消されないままで進んでいく。
日頃から思っているのは「どうやったら市民が参画していく社会が作れるか」ということ。
自分の場合だと作品を作っているから、コンテンツにお金を払ってもらうにも大変だし、消費者の立場を参加も含めての投資者にしていくのも大変な事だ。
何故って消費者を投資者にするにはお金に対する概念や価値観を180度転換させるってことだから、よほどのことがない限り変わらない。
逆に言えばよほど意識しないと消費するだけの考えから、何かを育てようという考え方にはならない。
育てようとしなければ何も育たない。
破壊をすることはとても簡単な事で破壊など一日で済むのに育てるには何ヶ月も時によって何年もかかってしまう。
誹謗中傷暴言。これらは破壊行為だ。
狭い世界観から大きな視野に立っていくには、利己的な欲求よりも公共性を自らの中に育てなければいけない。
ひとまずお金を払った人でも何かをされたら深く感謝するところから始めましょうか。
「金払ってるんだから当然」なんて考えを忘れ去るために。
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