残念ながら人間の一生とは「思い込み」にてできあがるもので、たった一握りの人間が、人間の真実を知り、そして科学は自然の真実のほんの少しを垣間見るにしか過ぎないということを、人間の視野が狭いばかりに、あたかもすべてを知ったのだと思い込める幸福に満ちている。
その真実に気がついたからといって、自分の存在を否定してただちに命を放棄するわけでもないし、ただその疑いようもない人間のせせこましさをピエロのように笑うわけでもないけれど、結局「人生は暇つぶし」であることを放棄できるとしたら、それは「思い込み」の領域でしかないということをよく知ることが、節理を受け入れるにはちょうどいいのかもしれない。
宗教や神の存在を、人間の知覚による、「大いなる錯覚」として捉えている私は、人々が長年信じ込んできた「真実」が、実は「真実を阻害する壁に書かれている呪文」であることが少しずつ見えてきたのである。
真なる神の存在は、知ることではなく感じることである。
そして神の存在とは、どこに存在するわけでもなく、宇宙との流れをともにしているすべての粒子の存在そのものであるということ。
一定量しか存在しないその「神」は、奪った分以上は与えないのだ。
どうせ神の存在を信じていない人間も、「神を信じない」という立派な宗教観があるではないか。
どうあがいても人間同士なのだから、同じ穴のムジナなのだ。
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