「伊賀焼の代表者、谷本洋さんとのお話」
そもそもの話の始まりは梶原信幸氏から始まる。
この後は梶さんと呼びますね。
今は狸小路に「無茶法」という日本酒と梶さんが選びに選び取った陶芸のぐい飲みがあり、カウンター目の前に並ぶぐい飲みを選び飲め、札幌に来た陶芸家や梶さん自身音楽にも詳しくイベントもやるためミュージシャン等、ジャンルの垣根を超えた人たちが来るお店。
そもそもの話に戻ると、伊賀焼の洋さんと繋がったのは、梶さんの一言に始まる。
先日も三越ギャラリーで個展をしていたけれど、10年前ほど京都から帰ってきて以前とは違うコミュニティーを作りたいと感じ、飛び込みで入ったお店が梶さんのところだった。
そしてその時何もやっていなかったのを話していたのを期に「暇だったら(片付け)手伝いに行ったら?」との一言で繋がったような縁だった。
2年か3年おきぐらいに洋さんは札幌三越で個展をやるため来るのだけれど、出会いはマイナスの印象が今や「友達」と言ってもらえる人となった。
「友達」
この言葉も重い。
「友達」
という言葉を出して、本当にそうしてくれる人間は数少ない。
本当にいない。何故?ってくらい。
だから、いつもその思いを意識しているし、
「見抜かれているな」
と恐怖を感じた人も、洋さんだった。
2度ほど感じたことがあったけれど、2度目の人。2人目か。
そしてまた三越と「無茶法」で話し合えたけれど、とにかく今回の収穫は洋さんの口から
「宇宙」と
「まだ力が入っている」
というワードが聞けたことで
「よかった。自分は間違っていなかった」
という感覚を得たことだった。
「宇宙」
ここは出力と入力の両方の発想はあるけれど、まず自分も10年以上前から考えていた概念で、表現者は感じる部分で広がりを持たなければいけないため、まず最初は自分、自分を感じられるなら次は空気や自然、その外は地球、地球を感じたなら銀河、銀河を感じたなら宇宙。
常に広がるならば表現者の最終的な真理とは宇宙になる。
そこまで行きついて、ようやくかろうじて小さな小石のようなものが伝わるのではないか、と。
これは宮崎駿が「千と千尋の神隠し」のドキュメンタリーで千尋の父親が春巻きを食べる絵コンテで何度もやり直しをさせ、本当に春巻きを食べる動きはこれなのかということをスタッフに問うていた。
その上でさらにカメラに言った言葉が、その動画が消されてしまっていて正確ではないけれど、
「春巻きを食べる仕草の中に真理がある」
という内容を言っていた。
ディティールの中に神は宿る。
どんな言い方でもいい。
普段は春巻きを食べる時と白米を食べる時では口の動かし方は違うけれど、誰も普通の人間は意識はしない。
自然にやっていて最初は親に教えられるでも意識から無意識になっている。
このように無意識の領域に入っている「当たり前」のことは実は本当は当たり前ではなく、人に伝えるとなると言語化も含め、非常に困難な作業になる。
「春巻きを食べる仕草さえ自分たちは知らないままでいる」
それは突き詰めれば結局は当たり前にやっていることさえ忘れ去っていて、日常の中に沈み意識できないものになっていく。
突き詰めれば突き詰めるほどミクロな部分に入ってきて、細分化されていく。
仏教で例えるならば色即是空空即是色(すべてのものは、見かけとは裏腹に、実体がない『空』であり、その空は、すべてを形作る『色』として現れる)の世界に行くため、人間の一つの動きにさえ真理が産まれてくる。
だから「宇宙」になる。
これは意味ではなく概念の領域であり感覚の領域であるから、説明では難しい。
わかりやすく言うならば森の中に入って風がそよめいたら土の上に寝そべって目を閉じて感じる世界から始まるというようなものだと思う。
次に「力が入っている」という言葉。
ついここ最近というか40代に入ってきてから元々プロレスが好きだったのもあり、橋本信也という新日本のトップレスラーが柔道から格闘技に転身した小川直也に敗れてから見なくなってから20年以上も経ち、YouTubeで格闘技や武道を見だしてから達人たちが言う言葉。
「力を入れるよりも力を抜いたほうが重い」
素人から見ると不思議な言葉だけれど
「脱力」
と、どんなジャンルの武道の達人も同じように言う。
これは看護師をやっている嫁からも聞く言葉で、
「生きている人よりも死んでいる人の方が重い」
と、言う。
自分も娘が眠りに入ると起きているよりも重く感じるのでわかるようになってきた。
これはどんな繋がりなのだと不思議に思うけれども、これはどう例えればいいのだろう。
「死の境地」とも違うし「脱力の境地」を理解するには、まだゾーンすら見つけられないということなのだろう。
声の先生に丹田を意識した発声法を学んだ時、声で一番学べるのは、お風呂に入って「あぁーっ」と声を出すような感覚だと教わった。
その感覚で「あー」と声を出し一番響くのがいいと。
風呂場が一番の学習場になるというのがよかった。
そして体を楽器だとしたら「楽器を曲げない」というのも教えてくれたのは大変財産になった。
老境に入り、体に力が入らなくなってくるという若者では考えられなかったところに落ち着いて「脱力の領域」に入る人もいるけれど、こういうところは達人たる洋さんのような人じゃないと行きつけないことだと考えている。
会うたびに、いつも巨人を目の前にする小人で怖さもある人だけれど、一生懸命手を振り回して抵抗しつつ学ばせていただいている友達です。
会えてよかった。
ありがとう。
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