目の前に美しい世界があったとしても、それが目に入らないのは「習慣」がほとんどだろう。
以前家の修理で足場を組む時、花が咲いていても職人が平気で足で踏みにじっていったのを印象深く覚えている。
今年もあの花が咲いたと話し合うほど会話が嫁と成り立っていたため、工事とはいえ咲いている花を足で踏みにじれる感覚が理解できなかったのだ。
その人たちの楽しみや美しさとは言わぬまでも幸福はうちらとは別のところにあるのだなと思うと同時に花への悲しみも感じた。
何故花を踏めるのか。
人間は分かり合えないのだ。
シルバーセンターに剪定をしてもらった時も必要のない桜の幹を切られ嫁が激高し詰め寄り口論となり「お前が女じゃなければ」とシルバーセンターの男が言った。
傍で見ていたがさすがにまずいと思い割って入ったが内心
「女じゃなければなんだと言うんだ」
と思った。
引き離した後シルバーセンターの男の話を聞いていたが、うちの社長だか会長だか知らないけど北海道で初めてセンター立ち上げたの自分は資格持っているなの、なんかすすきのでさんざん出会ってきたチンピラみたいな言い草だった。
挙句の果てには2日間の日程の2日目を端折って庭に残った切った後の枝などを「あとは全部自分たちでやれ」という始末。
料金は2日分きっちり取っていく。
後で資格のことを本職の庭師に聞いた時に「あー、それ誰でも取れるんですよね」と失笑していた。
そして切られた桜の幹を見せると「(ここまで切る必要はなく)まだ生きてましたね」と言われ、天を仰いでため息を出したくなる気分になった。
価値観は人それぞれあるが、皆自分の価値観を大事にする。
そしてだいたい自分の価値観を相手に向けて話す。
自分も散々やってきたし、これからもやるだろう。
他人の価値観の中に美しさを求めるのはナンセンスだけれど、それでも花を「雑草」と扱われるのは見ていて心苦しい。
雑草と何故見えるのか。
その雑草の「名前を知らない」からだよ。
そこから知っていけることもあるのに、もう満足して大雑把にしてしまうのだ。
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