失念したが、エスキモーの知恵で、完全に凍傷になった手を氷にすりつけ、その摩擦熱で凍傷を軽減させるというのをどこかで見たことがある。
実際雪の中に入れておいたアイスクリームは少し溶けかかる。
摂氏0度以下にはならないからだ。
しかしあたたかい手を入れておくにはあまりにも冷たすぎる。
これと同じように、冷え切った心に急激なあたたかさを向けることは、その心が拒否反応を起こすことがある。
人のあたたかさが信じられず、自分の冷たさとの差を感じ、心に急激な負担がかかる。
だからといって冷たくすればことがすむのかと言えばそうではない。
冷たい心には、優しくされればされるほど、「差」を意識して、あたかも自分が周囲の温度を冷やしているかのような気持ちになる。
「差」を意識して、自分がいなくなったほうがという発想にもなるだろう。
ここ一ヶ月以上、色々なことを考えていた。
そして、つくづく無力だなと感じていた。
今はだいぶ心も落ち着いて平静を取り戻しつつあり、傷が落ち着くと同時に新しい目も開いてきた。
人に干渉し、その未来を変えていこうなどとは傲慢な発想ではある。
ただ、ほんの少しだけ、支えになれば、今は支えにならなくても、未来の役に立てればと、厳しいことも、そうじゃないことも伝えてきた。
人を拒絶したくなった時、その人にはどんな言葉も通じない。
どんなあたたかな言葉だって、その影に「裏切りの気配」を意識しておびえてしまう。
そうじゃなくても、自分がいるからこんなことになっているのだと、周囲のすべてのことを意識して背負い込もうとしてしまう。
そしていなくなったほうがいいのだと。
凍りついた心を溶かしていくのは容易なことではない。
正直、どう書いていいか悩んでいる。
何時間も悩んで書いている。
心を閉ざした人に対して、自分はどれだけ無力なのかを実感している。
どうしたらいいのか、自分は言葉を扱う人間なのに、言葉は風にも値しないほど存在感も意味も失うなんて。
ただ、一言伝えたいのなら、願うのなら、
「どうか、自分を許してやってほしい」
もう充分すぎるほど自分を責めた。
充分すぎるほど人を恨んだ。
あなたに非があるわけではないのに。
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