自分も愚痴ることがあります。
死にたいと親しい人に電話することもあります。
死に切れないのに、もう生きているのが嫌だと思うことがあります。
電話をかけられたほうは、とても迷惑しています。
「なんでそんなこと言うの」と、泣きます。
自分がもっと我慢強ければ、自分のせいで迷惑かけている。
そういうのがあからさまにわかります。
自分を常に責めたくなります。
でも、今の自分は自分を素直に認めるようにしています。
人に愚痴るということは、自分の弱さをさらけ出すということです。
理不尽な理由で傷ついているということを誰かに告げるのは、それは悪いことのようには思いません。
きちんと心配してあなたのためを思っている人の言葉に対して愚痴るのは、それは少しいけないとは思います。
何が正しいのかの基準は、どうしても自分の中で作らなければいけません。
その参考となるのは、「他者のエゴを助長させてない」という点にあります。
外で飲んで酔うと、とても寂しくなる時があります。
まるで上辺の会話で、その場限りの楽しみで、心の通じ合わない、何も心の中を打ち明けられない、そんなものにお金を払っている、なんのためにこんなにお金を払っているのだろう、自分は孤独だ、とても寂しい、消えたい、生きていたくない、苦しい、という思いにかられます。
まるで自分だけが世の中から必要とされていないような錯覚にも陥ります。
そして、死んだほうがいいのだと。
自分の中でどうしても埋められないものがあります。
きっとそれは「本当の自分を知ってほしい」という欲求なのかもしれません。
いつも冷たいものに慣れていたり、恐怖していたりすると、自分の中で破壊的な感情が生まれます。
人間不信です。
あたたかいものに触れた時に、過去の経験から、また裏切られるのではないか、またこの人は自分を傷つけるのではないか、自分がこんな状態だからきっと見限って離れていくに違いない、とあれこれ起こってもいないことに不安を抱き、恐怖します。
それを逆から完全に言うならば、「自分不信」でもあります。
これが「自己破壊衝動」です。
リストカットや自殺願望にも繋がりますね。
「自分はこうだから」
という自分不信が、自分を信じられない過去の幾多の罵倒や中傷などの経験が、自分自身を形成する強さを根底から崩し、あなたを不安にさせています。
私も一ヶ月以上大きな波を繰り返し、心のダメージと戦っていますが、これが数年以上の単位で抑圧状態が続くと、相当の長い年月をようして自分を回復させていかなければいけません。
回復させるには、どうしても自分ひとりではできないことがあります。
ぬくもりは、人に抱きしめてもらってはじめてわかるものです。
心を抱きしめてくれる人はなかなか少ないとは思いますが、あなたを見捨てたいという人間だけではないと思うのです。
もう少しだけ、自分自身を見つめてあげることも、必要なように思います。
その弱さも、今のあなたの一部です。
その上で、周囲と対話していけばいい。
そして、よいところ悪いところを見ていってあげればいい。
そう思います。
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