よく酒場に行くと、どこかの情報誌などの言葉などをそっくりそのまま自分の言葉のように語る人がいる。
しかし実際に自分がやっていることでもなんでもないので、言葉だけを知っていて内容は薄っぺらい。
言葉だけ知っている人は、その言葉の本当の意味を応用できないから得た知識のみで語り、酷く狭量なことを平然と正解のように語る。
言葉の意味を厳密に言えば正解だが、しかし生きる上で役に立たないのなら本末転倒だし、そもそも知識というのは自分を活かすために使うものであるから自分を無視してはまったく意味がない。
よく名言なども覚えている人がいるけれど、実際その名言が出来上がるまでには何年もかかったり、相当な苦労が必要だったり、言葉でわかったつもりでも内容はずっと重いことが多い。
特に実現しようとしたら、かなりの苦労が必要なことが肌身でわかる。
実現するのでさえ大変なのだから、いかにいい言葉でも沢山集めすぎると逆に重くなって身動きが取れなくなる。
また、やっていないから、どれもこれも大事なもののように思えて、必要のないものまで集めてくる。
実際名言を一つ実現するだけでも大変なのに、出だしから行動が正解には程遠かったら、自分では辿りつけない正解に苦しめられるだけだろう。
そしてその数が多ければ多いほど苦痛になる。
結局何が安全かとなると、行動しないのが一番になる。
正解はわかっているのに、行動したら失敗する。
そして数多くのそれに囲まれているのだから、自分で実証を試みないのが一番傷つかない手段となるわけだ。
かくして名言なるものは己を活かすものではなく殺すものになってしまうわけだ。
何故人は目に見える安易な正解にすがり付こうとするのだろう。
名言など必要としなくとも必死に生きていく旅路の途中で経験上確信できるいくつかの言葉に出会うはずだ。
その上で名言に共感できるようになるのだ。
そして完成された名言に対して自分に足りないものもわかってくるだろう。
それを最初から正解を掲げて多く集めたって、なんの役に立たせなければいけないのか、本当に身につくのかどうかもわからない。
情報を処理できないのも優柔不断な証拠だし、自分で検証する前から受け入れているのだから思考停止している。
よって直接的な行為に結びつかない。
名言は暗誦できるほど頭に叩き込んでおかなければまず役に立たないし、行動の中で細部を学び取っていかなければ個人にとってはゴミのままだ。
有名な言葉だが、論語から引用しよう。
学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し
考えて行動する。
それができないのなら捨てて一つに絞ったほうがいい。
逆に重さがわからないのであれば、持っていても過ちを人に伝えるだけだから捨てたほうがいい。
そして下品なのは、他人の言葉を借りて自分の意見を伝えることだ。
それをもしやっていたのなら、将来薄っぺらい友達しかできなくなるので今すぐ止めたほうがいい。
悲惨な事になる。
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