そもそも報道というのは、客観的な立場を維持しつつ、情報の裏づけを確保し、あくまで中立的に現象を伝えることであって、ブログのように個人的な感情を背景に、あたかも民意のごとく感情的に情報を伝え、かつ取材をし、そして報道するというのは、「報道」としては愚劣の極みなのではないかと思っている。
特にテレビにおけるワイドショー的な演出と、真面目なニュースまでがそこに便乗したかのように、感情を交えて報道するのは、もはや現実を劇場化させていると言っても過言ではない。
事件が起こり、劇の幕開けとなると、観客が引くまで公演をやめないかのごとく、第二幕、第三幕、そこに登場させるのは、本件とは直接的に関係のないものまで、密接に関係しているかのようなシナリオを組み立て、演出をする。
もはや、それをフィクションとしてやるのではなく、ノンフィクションとしてやっているので、病気としか言いようがない。
もはや腐り果てていて見るに耐えない。
世の中がフィクションを求めているのだろうか、それとも報道機関が病気なだけか。
ただ単に納得させるだけの論理や証拠なら、この日本そのものが、真実なんてどうでもよく、ただ単におさまりのつくように適当なものを持ってきて納得すればいいという、大変幼稚なものでしか動いていないことになる。
だんだんと情報が薄っぺらくなる。報道までもが視聴率にこだわっているのか、やはり利益で記事を創り上げているのか、事実だけ伝えて、真実と言い張る低脳ぶり。時折事実でもない虚構すらもどうどうと報道する。
会社が社会に損害を与えると、彼らは悪のように叩く。
しかし報道機関が社会に与えている目に見えない損害に関しては「報道の自由」「言論の自由」を背景に、一切賠償することも報道することもない。
言論を操れる「一権力機構」が、どのような人間であろうと、一個人に対して感情的になっているという構図が、誰もおかしいと思わないほうが異常なんだよ。
完全に強者が弱者に対しているわけでしょう。いちおう憲法の建前もあるんだよ?先進国の権力機構の一員なら紳士淑女にならないとね。社会から完全に抹殺したりするのは「私刑」だよ。そんなもの認められていない。法や倫理に対してはうるさいくせに、自分のことになると、さも当然のごとく矛盾を行う。
これを最低だと言わずして、なんだというんだ。
ブログでやれ。個人のな。
「事件を風化させてはいけない」とあるけれど、ならどう生かしているんだ。小手先のことだけで何とも向き合ってないのに。
報道機関はただ情報を流しているだけであって、問題解決のための行動なんて一切していないだろ。
悪いものを社会から排除しても、排除された人間は生きていくための犯罪を行うだろうさ。
悪いことして、心が痛むっていうのは、人のこと大事だと思えるからでしょう。
ただ単に嫌悪して排除するだけなら、相手は到底「この人を傷つけちゃいけない」なんて思わないと思う。
悪人を取り込めとか言ってるんじゃないよ。
悪人が出来上がるまでの心の過程を作るのを防止せよ、ってこと。
[0回]
PR
http://asakaze.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/%E5%A0%B1%E9%81%93%E3%80%80%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E7%AB%8B%E5%A0%B4%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8報道 メディアという立場であること