ここ数日狂ったようにゲームをやり続けて、すっかり単純な作業に慣れてしまっている。音楽や映像が頭の中に浮かぶくらいだから重症だ。
文章どう書けばいいんだっけ、みたいな戸惑いができる。
頭がバカになると言うか、その環境に浸ってしまうことによって生まれる弊害みたいなのが、なんとなくわかる。
なんとなく、というのは、まだ数日だからそう思うわけで、ちょっとした飛躍だけれど、単純作業を数ヶ月続けていたらとか、ずっと同じ々労働しかしてなかったらとか、そういう環境に慣れたらどうなるかということもなんとなくわかりそうな気がする。
前に実際半年以上単純作業の労働をしていて、日常会話がすらすら出てこなくなったということがあった。
あれは怖い。
昔は教科書にも出てきたけれどチャップリンの「モダン・タイムス」を思い浮かべる。・・・今は出ているのかな?
高度な労働をしているのは、きちんと資格や教育を受けて、やりとげた人たちで、過去を築きそこねた人たちには単純労働が待っている。
頭がそういうものに慣れてしまうと本当に高度な思考ができなくなる。
自分で何とかしようという発想が生まれなくなるのがとても不思議だ。
きっとあれは訓練なのだ。
できる人にはできない人のことがわからない。
自分はできない側なので、できない側の気持ちがよくわかる。
文章もまた発想と着眼と訓練のたまものであり、ここには柔軟な頭が必要になる。
自分はどうなんだろうなといろいろなものに触れて考えてみると、がちがちでならない。
既存のものに慣れ親しみすぎて、定義などを著しく破壊したものに多少の抵抗を示すということは、自分の頭も歳をとってきたという証拠でもある。
でも環境に慣れ親しみすぎて、正常な思考もできなくなるというのも問題だ。
なんていうか、病的なところからいつも出られないでいる廃人で、生きるなにかがふっと突然切れそうでとても今不安です。
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